些事雑談 モンスター・コレクション ―廃坑と丘の町の魔獣……と、研究馬鹿。

 アウルミア南部。モリーの街。

 街の騒がしいあたりで酒場兼宿屋を営んでいるエミリー婆さんは二階からフラフラ降りてきた客の一人に目をやった。


「ヴェー……女将、飲み物ちょうだい……酒精のないやつ……うぐぐぐ。」

「はいよー。なんだいアンタ、お酒弱いんだねえ。ほれ!」


 厨房でぐらぐら沸かしっきりになっている麦湯を一杯受け取って、ちびちび啜っているのは昨日投宿してきた客だった。宿帳に書いた名はクーロ。愛称と見えるが、そこにこだわるような格式ある宿ではないのでエミリー婆さんは構わない。年の頃は30前だろうか。高価そうな眼鏡を掛けているので、頼りなさそうな外見ではあるがもしかしたら裕福な商人の次男か三男であるのかもしれない。


「あ゛ぁぁー、死ぬ、生き返る……頭いてぇ……」

「死ぬんだか生き返んだかどっちかにしな!」

「じゃあ死んで生き返ってまた死ぬ……」


 彼は昨日宿にやってくると、客たちとのお近づきのしるし、と言ってエールを一樽買い取って酒場に居た者たちに振る舞ったのだ。

 そうするものはまあ、比較的よくいる。荒くれ者の多いこの宿では長逗留したいなら一目置かれるのはそれなりに重要であったし、何か酒場にたむろすバカどもに頼み事があってスムーズに仕上げたいなどの理由で同様のことをする者は結構存在する。

 ただ、特筆すべきはこの男、数杯盃を傾けたところでフラフラになり、特に何の話も誰にも持ちかけずに階段を這いずってさっさと上の部屋に眠りに行ってしまったのである。


 なんとも情けない、稀代の下戸と見える。エミリー婆さんはそう感想を抱いたのだった。


 稀代の下戸はカウンターにぺっそり平たくなりながら麦湯を啜り込むと、そういえば女将ー、とふにゃふにゃした声を上げた。


「エー、俺さ、ここいらで仕事を受けてくれる人を探してるんだけどさ、アー、その、なんつうか、依頼? そういうのを掲示して置けるとこない?」

「やりたきゃ壁に貼ってやるよ。羊皮紙代と場所代払ってくれればね。でもね」

「でも」

「ここいらで飲んでる荒事屋が文字ィ読めるだなんて思っちゃいないだろうね?」

「ウエーッ、そこから? そうか、そこからかー……。」


 下戸は上げた首を勢いよくカウンターに落とし、ガツンといい音を立てて顎をぶつけて、いちちち、とのたうち呻いた。


「しょうがないねアンタ。ここで仕事がほしいやつはアタシに聞くから、そんときに教えてやるこたできるよ。ただしアタシも顎をよけいに使うからねえ、一人に教えるごとに2ソル約二百円。どうだい」

「アー、いいのかい? ありがたい、滅茶苦茶助かる。頼むよ。」

「それで一体何を頼みたいっていうのさ、荷運び? 護衛? 無いとは思うけど法に触れるのは困るよ。アタシもここで商売をやめたくないからさ」


 それは、と話しだした客の言葉にエミリー婆さんは首をかしげる。

 それはよほど変わった話だったからだ。


 このモリーの街の側には大きな廃坑がある。

 いつの頃からかその廃坑には明かりを嫌いジメジメしたところを好む魔物が住み着いていた。

 定期的に討伐隊も組まれるのだが、なにしろ入り組んだ場所のこと、完全に駆除しきれず、放って置くと魔獣というやつはどんどんと増える。そのために廃坑から魔物が途絶えるということはない。坑道からはほとんど出てこないし、人を簡単に食うようなものでないのが僅かな救いである。


 この客は、その魔物を退治し――そこまではまあよくある話だ。街の母親連だのもそういう依頼を募っていることがある――その部位を持ち帰ってきたら高い金を出して買い取りたい、というのだ。


「魔獣の皮だの尻尾だの、そんなものどうするっていうんだい。しかもそんないい値でさ。本気かい?」

「本気本気。なんなら支度金を前金で出したっていいぜ。そう伝えてくれるか。」


 真剣な顔で頷いた男が肩掛けカバンをごちゃごちゃと漁ってしばし、金貨の入った袋を取り出したのでエミリー婆さんも彼が本気なのだろうと判断する。


「物好きだねえ、あんた、なんだってそんな。廃坑にいるバケモンは皮だの牙だのが使えるようなやつじゃないよ。商売にしたいんだったらやめときなよ」


 魔獣、魔物とはその名の通り普通の生き物ではない。神々が試練や災いとして地上に投げ下ろしたものたちが増えたもの、獣の悪霊憑き、または彼方からのもの。いくつかの由来のものたちを適当に一緒くたにした呼び名で、とりあえずその共通点は「普通ならそうなるはずはない体の作り」だ。

 魔獣も、種類によっては普通の獣と同じように皮だの骨だのが道具に使えることもあるそうだ。荒事屋たちの中では魔獣の部位を利用している者たちもおり、そういうものは得てして強靭で、珍しい物好きの貴族なんかの中には欲しがる者もいないわけではないという。


 ただ、坑道にはびこっている魔物はそのように使えるという噂を聞いたこともない。

 もしこの客がそれを目当てに来たのなら、きっと何処かの口のうまいやつに騙されたというところだろう。エミリー婆さんはそう判断した。いかにも詐欺に遭いそうな見た目をしていることであるし。


「そうじゃねえさ。アー、こう、研究に使うんだ。」

「研究?」

「そうそう。だって俺は魔術師だからな!」


 人懐こそうな目が得意げに眼鏡の向こうで笑う。


 確かに皮帽子の内側から少しはみ出した短い髪は色素が薄そうに見えたが、魔術師というものはどう考えてももっと仰々しく禍々しく、こんな宿の一階で二日酔いになっているわけがなく、王宮とかの奥で偉そうにもったいぶったことを言っているべきものだろう。

 エミリー婆さんは全く全然これっぽっちも相手の言うことを信じずに、ああはいはいとあしらうことにした。




 その日の夕方頃。結局二日酔いに負けて寝直したクーロは、宿の女将、エミリー婆さんがドアを叩く音で目を覚ました。


「ふあーい。どうした……火事か? 何か緊急の……」

「アンタの依頼を受けるって客が待ってんだよ! 早くしないと帰っちまうよ!」

「うおっ、ちょっと待ってくれ! ええと、ズボンどこだ。あっ眼鏡落ちた!」


 がしゃんがしゃんと何かひっくり返したような音が客室の中から響き、エミリー婆さんは大きくため息をついた。魔術師が聞いて呆れる。

 しばらくしてなんとか格好をつけて出てきた客を、婆さんは一階にいざなった。


 そこに待っていたのは三人組の荒事屋である。

 皮と金属を組み合わせた鎧を身に着けた傭兵あがりかなにかに見える中肉中背の男。恰好は同じようながら、筋肉隆々とした巨漢。髪を高くまとめて結んだ、布鎧を着たすばしこそうな女。

 前衛二人に野伏一人かな、とクーロは判断する。

 女性が混ざっているのは比較的珍しいながら、この手の依頼を受けがちな荒事屋としてはスタンダードな構成だ。


「アンタが依頼主?」


 クーロの姿を上から下まで眺め、値踏みしたらしい女が声を掛けてくる。


「おう。エート、内容は女将から聞いてるか? 前金1000ソル、とりあえず洞窟蜘蛛五匹ぶんの目があれば後金2000支払い。毒腺と出糸腺……アー、糸袋、糸袋があれば一つ200。それぞれ他に何かあったら手に入ったモノ次第で出来高払いっつうことでだな。」

「それぞれ他にって、一体何が値になるのかわからない。」

「おう。ええとだな、あの廃坑にいる……ロクショウヤスデは触覚の感覚器が分析しやすくてだな、アッそれからもし光ってるやつが居たらそれは表皮の内側で発光質が反応を起こしていて、これが二種類の酵素反応で」

「そういうのいいから、何に値段がつくのかだけ説明してくれない?」

「おう……。」


 話を遮られ、ぴしゃりと言われたクーロはそっとしょんぼりした。


 しばらくして、一同は出立の準備を始めていた。クーロも一緒である。何故かと言うとクーロが五度か六度説明したところでなぜだか荒事屋たちがしびれを切らし、護衛をするので付いてくるように言い出したからだ。


 廃坑は、たしかに魔物ははびこっているものの、そこまで危険な場所というわけではない。彼らが依頼人を伴っても構わないと判断したのも妥当であったし、クーロとしても願ったり叶ったりであった。


 しかし、廃坑に入ってすぐにその判断が間違いであったことを荒事屋たちは心底実感する。




「あ゛ーーっ!シラタマアメムシ!コハクアメムシの白変種! 潰さないで! いや潰してもいいんだが核を確保わ゛ーっ!!」


 響き渡る彼の悲鳴を他所に、表面が半透明で茹で団子めいた印象の不定形原形質の魔獣をメイスで叩き潰した巨漢の荒事屋は、何度めかのうんざりした顔をした。


「こんなもん持ち帰っても何になるってんだよ、旦那さんよぉ」

「ああーっ、ぺっちゃんこ……いや、構造をだな、コハクアメムシと同種なら核を染色すると桿状の構造体の数が」

「そういうのいいから」


 野伏の女にまたもやバッサリやられてクーロは消沈する。

 先程から魔獣に出会うたびにこのようなやり取りを彼らは繰り返していた。

 荒事屋達にとって、何故持ち帰りたがるのか理解不能なものを彼は持ち帰りたがる上に、言うのがいつも一拍遅いのだ。


 もちろん、クーロは魔術師と名乗り、研究に使うとは言ったのだが、荒事屋達はそんな言葉、まるきり信じては居なかった。

 そんなものがホイホイそこら辺にいるはずがない。好事家のアホボンが箔を付けようと無理な名乗りをしている、と認識している。


 よって、角や牙、毛皮は好事家が欲しがりそうな印象が強いことから比較的持ち帰るというのに理解が出来るのだが、彼が目をつけるのはゼリー状の魔物の核だの巨大なコウモリのはらわただの、なにかの役に立つとも飾れるとも思えない代物ばかり。結局、潰した後に悲鳴を上げてしょんぼりされる、というのを繰り返していた。



「ナベカブリ!えええとこいつの珪素質の」

「はいはい、この触手か?」

「……アー、いや、あんたが今叩き割った鍋みたいな殻の部分がさ……」


「おっ、メナシウデダニ」

「どこだ、腕か、尻尾か?」

「いや別にこれはいらねえ……」

「なんだよ!!!」




「まったく、こんなことなら上で大人しくしていてもらうんだったぜ」


 中肉中背の男が呆れたように言う。


「ま、もすこしで洞窟蜘蛛の群棲地帯だしね。主目的果たしたら寄り道しないで帰ろ。」


 肩をすくめた野伏の女が坑道の先を指さした。


 彼らはしばらく歩き、クーロが主目的としていた巨大な蜘蛛に似た魔物の群棲地帯に近づいていた。

 巨大な蜘蛛といっても精々人間の頭より二回りほど大きいだけで、攻撃性は高くなく、臆病で、人を喰うことはない。毒もさほど強力ではなく、噛まれてもしばらく腫れたり痺れたりする程度。のたうち回るほど痛いが、死ぬほどではない。種類によっては人の死ぬにも劣る。

 この坑道にいる魔獣というのは大体にしてそのようなもので、子供でも迷い込めば一大事だが、彼らのような荒事屋が警戒するほどのものではなかった。


 それ故に、警戒が遅れた。


「いやー楽しみだな、外の近い種類のやつはさ、群れを作らねえんだよな。坑道の洞窟蜘蛛がどうやって同種を見分けてるかを調べられたらさ……アー、多分誘引物質がさァ……」

「そんな話されても俺らには何のことだかな……」


 話しながら入り込んだ群棲地帯は掘り尽くされて広い空間になった坑道の一つだ。そこに洞窟蜘蛛と呼ばれる魔物は一面に網をかけて生息している。

 そのはずだった。


「ねえ、なんだかおかしくない?」


 最初に気づいたのは野伏の女だった。


「蜘蛛のやつら、全然居ないよ」


 白いハンカチのような網が天井を埋め尽くすそこは静まり返っていた。通常なら網の中央に黒いシルエットになっているはずの蜘蛛の姿は見えない。


「移動した……?」

「最近討伐はなかったよな?」


 荒事屋の男たちがランタンの光の届かぬ薄闇を透かし見る。


「これじゃ商売上がったりだぜ。」

「……何匹かはいるみてえだな。旦那、とりあえず集めてくるんで、アンタはそこの入り口脇に座っててくれ。」


「あ、おい。」


 言い置くと、荒事屋たちは背に背負った長竿を組み立て、太い坑道の奥に散っていく。


 護衛に残された野伏の女を見て、クーロはポリポリと頬を掻いた。


「なあ、よくあるのか? こういう、群棲地が移動するようなこと」


 女は少し悩み、それから曖昧に首を振った。


「たまにあるかな、定期的に駆除してるからさ、そういうときは減る。減るけど……ここんとこ駆除の依頼があった覚えはないんだけど」

「なるほど、定期的に場所を移動するとかそういうことじゃねえんだな」

「ウン。いじめるとザーッと逃げて、そこでまた群れを作って増えるわけ。で、狭くなると広いところに戻ってくる」

「はーん、なっるほどなー。そんじゃ、ここの、そのう、人間以外で蜘蛛を虐められる魔獣っていうと、俺は把握してないんだが――」




 中肉中背の荒事屋は長竿で蜘蛛の巣を絡めて払い落としつつ奥に進んでいた。

 巣を落とされれば、中に蜘蛛が残っていれば糸を引いて落ちてくるはずだった。


「いねえな……」


 数回目に、ブーツの端に竿に絡んだ糸を擦りつけて落とそうとし、その拍子に揺れたランタンの明かりの範囲、坑道の地面に白いものを見る。


「んん……?」


 それは崩れた蜘蛛の巣で、相当な量がべちゃりと床に張り付いているようだった。


「んんっ!?」


 急いで振り回したランタンの光に、そこここに散らばり、層状に重なった蜘蛛の巣がうつる。

 男はそれを見回し、上ばかり見て歩いていたので気づかなかったのだ、と悟る。


「なんだこりゃ、先客? にしても、蜘蛛に用があるやつなんざ俺たち以外に……」


 その思考を魂消るような悲鳴が遮る。何かあったのだ。男は急いで身を翻した。



 悲鳴は入り口脇で座った二人にも届く。


「何だ今の」

「エンゾの悲鳴だ、アンタ!ここで大人しくしててよ!」


 跳ね上がるように駆け出した女にクーロも続いた。女は舌打ちをしたようだったが彼を止めなおす余裕はないらしい。


 蜘蛛の網がとばりのように重なる天井の下を走る。


「ちっ、一体何が……」


 焦燥に駆られ、あたりを見回した女の背をわ゜ーっとしか表記できない情けない声を上げた依頼主がどんと押した。

 数歩つんのめり、眉を逆立てた女は苦情を申し立てる。


「ちょっと!ビビってんのは判るけど……!」

「違う! 舌!舌!!」


 引きつった顔をした男がわちゃわちゃとした動きで闇の奥を指差す。


「舌?」


 女はそちらを透かし見る。うっすらと明るくなり、影が散乱しているのが見える。つまり、そこにランタンが落ちている。


「……エンゾ?」


 声に答えるようにと現れたのは、馬車二台分はありそうな巨大な蟇蛙に似た魔獣だった。


 冗談のように口が開くと、肉で出来た極太のロープのような舌がびゅるりと飛来する。女はすんでのところでそれを避けた。


「なにこいつっ!?」

「ミドロビッキだっけかここらへんでの呼び名! でけぇっ!」

「聞いてない!」


 依頼主の間抜けた叫びにいらいらと叫び返しながら彼女は魔獣に向けて走った。

 カエルに似た巨体の腹のあたりがびくびくと動いている。そこに獲物が入っていると思われた。獲物。馬車ぐらいありそうなカエルにちょうどいいサイズの。さっきのエンゾの悲鳴。

 女の目の端にランタンがちらりと映る。それは巨体の仲間、エンゾではなく、中肉中背のグレンが持っていたランタンだ。

 ――二人共食われた!?

 彼女はそう判断する。走りながら腰に佩いた短刀を抜き、魔獣が自分に照準を定める前にその腹を目がけて斬りかかった。

 全身のバネを使った、渾身の一撃。


 ぶよりとした感触。

 ぶゆぶゆと手応えは妙に柔らかいくせに、刃が通らない。


 彼女はひっと息を呑み、次の瞬間、丸太のような蟇蛙の腕に高々と跳ね飛ばされた。


「おいっ、大丈夫ダイジョブか!」


 焦った依頼主の声がぐわんぐわんと何重にも響いて聞こえる。

 彼女は呻きながら、全員の死を確信した。


 ――刃が通らない。手も足も出ない。全員死ぬ。食われて。

 こんなところに何故あんな魔物が。嘘だ。こんなところで死ぬだなんて思っても見なかった。いや、死ぬ時はそんなものなのか――


 魔獣がぎょろぎょろと自在に動く目で自分を見たのが妙にはっきり判った。


 ――ああ、食われて死ぬのはどんなに辛いんだろう。


 嫌らしい桃色の舌が飛び出す瞬間、彼女は目を閉じた。その瞬間を注視していたくはなかった。


 数秒。特に何も起こらない。


 彼女は恐る恐る目を開ける。

 魔獣の周りを光の輪が取り巻いている。


「うええ。探査用の術式に魔力は取っておきたかったんだけどな! おおい、大丈夫か、とりあえずその、まいいや、俺の後ろにでも、アー、ゆっくり下がってくれ。出来る?」


 蝦蟇の目の前には頼りない依頼人が立ちふさがっている。

 その指の動きに従い、何もない中空に白光のラインが現れていた。


「アンタ、本当に魔術師……」

「信じてなかったのかよ、なんでいつもそうなんだろ……」


 トホホ顔で眉を下げてぼやく依頼人の顔を彼女はぽかんと見上げる。


「まあいいや、下がっててくれよ。汚れちまう。」


 危ない、ではなく、汚れる、なのだ。彼女は信じられない思いで言葉を反芻しながら魔術師の後ろに這いずり、下がった。


 魔術師の指先から白いラインが滑り出る。

 光の輪に絡め取られた魔獣がもがく。

 そして、一瞬の後、美しい模様のように中空に描かれた白い線がひときわ輝き、巨大なカエルが硬直する。

 つぎの刹那、魔獣の肉体はサイコロ状の肉片になって破裂的に飛び散った。


 どさり、と汚液にまみれた仲間二人が地面に落ちる。

 グレンが呻き声を上げた。どうやら見た目上、すぐに死にそうな傷は負っていないように見える。彼女は夢中で仲間たちに駆け寄った。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「本当に魔術師だったのかよ」

「信用できねぇ……アレじゃないのか?術式ナンチャラとかいう……」

「ホントに魔術師だったんだってば。アンタらも見たら判るよ」


 野伏の女性……アイラは戻った酒場で熱く残りの二人に主張していた。


 それからクーロと名乗った魔術師は、すっかり丁重な態度になってしまったアイラに困ったような笑顔を見せ、カエルの腹の中に一緒に入っていた半死半生の蜘蛛数匹をバラしてずだ袋に突っ込んだ後に、彼女と手分けして気絶した男二人を背負い、宿まで戻ってきたのだった。


「えーとだな、コレ後金な。この二人はこう、神経毒……麻痺するやつで麻痺してるだけだからさ、命には別状はねえ。まあ早く風呂に入れてやらねえと赤剥けになるから、帰ったら風呂に入れてやってくれよ。石鹸は使ってな。」


気絶した男たちを宿の一階、酒場に居た野次馬が囲んでワイワイ騒いでいる間にクーロは手早く荷物から金を出し、宿の女将とアイラにそれぞれ支払った。


「あの、よろしいんですか!?」

「ん?」

「いや、だって、お金……アタシ達、結局助けてもらっただけだし……」

「アー、いいさいいさ。欲しいものは手に入ったし。こう、契約?そういうのはさ、魔術師は気にするもんなんだ。だから、蜘蛛が取れたし、いいんだよ。正当な取り分……なんかそういうやつでさ。」


 彼は人懐こく笑うと、それから顎を撫でてちょっと考え深げな顔をして注釈する。

 ああいう魔獣の群れがいられるほどのセイブツソウ……沢山の魔獣はあの中に居ないだろうというので、どこからか入り込んだ一匹が偶然肥え太った可能性のほうが高いという話だったが、やはり念のために報告しておいたほうがいいだろう、と言うことだった。

 立ち上がった魔術師は男たち二人の顔に水をぶっかけていた婆さんに坑道に駆け出しの荒事屋では危険な魔物がいるかも知れない、と報告し、そういうことは街の役所に連絡するようにと引っ叩かれて宿からひょろひょろ去っていったのだ。

 それからすぐに仲間たちも意識を取り戻した。


 結局どれだけ主張しても残り二人はあの依頼人が魔術師だとは信用しなかった。

 アイラも時間が経ってみると半信半疑にだんだんなってくる。

 だって、魔術師という生き物は、大仰で、禍々しくて、普通の人間には想像もつかないような恐ろしい存在だっていうじゃあないか。


 また依頼があればいいな。

 そしたら本当にあの依頼人がそういう仰々しくて怖い奴らの仲間なのかどうか確かめられるじゃないか。

 それとも案外魔術師って奴らも一緒に酒ぐらい飲める生き物なのかも知れない。次会ったら勧めてみようか。

 アイラはそう考えて少しなんだか楽しみに思い、そこで会話に混ざってきた婆さんの、あの客が全然飲めない下戸だった、という話にキョトンとし、それから声を上げて笑いだしたのだった。

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