第35話 契約式 1
次の日。春の柔らかな朝が始まるその前に子供達は集められた。
夜明け前のうっすら星の残る空はまだ冷たく、胸の底からはあっと息を吐くと一瞬いまだ呼気が曇るようだった。
スサーナを始めとした商人の子供達が集まっているのは商人街の広場だ。夜明け前の広場は時ならぬ浮ついたざわめきに満ちている。
広場の端には親たちと式を受ける子供が乗り付ける馬車が次々に止まり、吐き出された親子たちは見知った顔ごとに集まって上気した頬で言葉をかわしている。
スサーナは叔父さんと広場にやってきた。
この街にこれほどの数の子供がいたのか、とスサーナは驚く。
実際広場に集まっている子供は150人足らず、商人がらみの子供達ばかりで、10になる子供の数は実際はもっと多く、別の集合場所もあるようなのだが。
式は合計3日に分けて行われる。下級の職人や庶民階級の子供達と、それなりに富裕な層の子供達があいまいに別けられているのは多少不名誉なことが昔あった、と言う話ではあったが、単純に本島だけですら十分に子供の数が多いからでもある。
家によっては子供は十人近かったりするのだ、そうもなろう、とスサーナは思ったけれど、講ぐらいでしか沢山の子供に触れる機会はないので、ちょっと気圧されていた。
「あっスイ!」
子供達の波の中からばたばたとジャンプをする影が一つ。
なんだあれ、と見ればドンである。
人の合間を縫ってこちらに向けて走ってくる。その後について歩いてくるのはリューだ。
あの海賊市から、なんとなくあの四人で仲良し四人組、みたいなことになっていた。
ドンが暴走しリューがツッコみアンジェがリアクションしスサーナが傍観する、というような役割である。なかなかにバランスがいいと言っていい。
「よおーっ、おはよーっ」
「おはようー」
テンション高く挨拶してきた男の子二人は、今日は流石にどこもほつれてもよれてもいない上等な服を着ていた。
身体にピッタリした長めのベストに袖の長い上着。短い間隔で並べられた輝石ボタン。ドンは金色の刺繍の斜め帯を、リューは短いベルベットのマントを重ねている。どうやらこれが少年の正装に近い服装なのだろう。周りの男の子たちも装飾の多寡や細部の違いこそあれそういう格好をしている。ズボンは短くてショースを重ねたものと、長い足首まであるボトムスを履いたものがいるけれど、身分差とかそういう差異ではないようだった。たぶん流行とか、活発さによって親が選んでいるのだろう。リューは長いものを、ドンは短いものをつけていた。
スサーナは、特にドンは儀式が終わるまでボタンを一つもなくさず済むのだろうか、と少し心配になった。
「おはようございます、二人共。アンジェは今日はまだなんですね」
「アンジェはおばさんと話してる。スイはさあ今日はさあ」
意気込んでなんぞ喋りだしかけたドンはそこでようやく後ろに立つ叔父さんに気づいたらしい。うおっ、などと声を上げて微妙に気圧されたように下がった。
「スサーナ、お友達かい?」
「あっはい、だいたいそのようなものです。」
良かったな、とでも言うかのように叔父さんが一つ肩を叩いたのをスサーナは感じた。頭を撫でるのが大好きな叔父さんだが、流石にピンと紐を多用して留められた髪覆いの上から頭を撫でることはしなかった。
「ええっと親父さん?お兄さん?スイにはいつもお世話になっております」
「イツモオセワニナッテオリマス……」
ひょうひょうとリューが挨拶するのに続いて、ドンもぎこぎことした動きで礼をする。
――もしかしてドンって大人の男の人が苦手だったりするんですかね。
たしかに大人とドンの組み合わせというと叱られているところしか見たことがない。なんだか見知らぬ弱点を見つけたような気分でスサーナは少し面白くなった。
三人が集まっているのを見つけたらしい。ドレスを着たアンジェが普段より二割増しにしゃなりしゃなりとした足取りで、小奇麗な格好をした女性と歩み寄ってくる。
「おはようみんな!」
「おはようございます、アンジェ」
スサーナの髪覆いに目を留めたアンジェが目を輝かせる。
「あらっ、なにスイ。それすごく綺麗」
「えっへっへ、そう思います?」
「神秘的で素敵よ、まあ私には負けるけど!」
えへん、と胸をそらして綺麗に結い上げた髪を誇示するようにちょっと手を上げるアンジェ。今日の彼女は結い上げた髪に金の髪飾りと、輝石を縫い付けたリボンを付けていて、確かにとても可愛いらしい。
「アンジェもとても素敵ですよ!」
「ふふーん、当然よ。朝からおうちに髪結いさんを呼んだの!」
「へええ!」
盛り上がる女子たちの後ろでがっくりとしたドンが、俺が一番最初に褒めるつもりだったのにと呻いていたが、スサーナはあまり気にしないことにした。
――さっきからアンジェと一緒に居たみたいなんですから、アンジェを一番最初に褒めたいなら急がないと駄目ですよね。10歳とはいえ甲斐性は磨かなくちゃ磨かれませんからねー。
リューがとても生暖かい目でドンの横にしゃがみこんでいた。
はしゃぐ子供達の後ろでは保護者達が時候の挨拶から始まり、いかにも保護者らしく挨拶を交わしていた。
――あ、なんかこれ。たしかに式って感じですね。
スサーナは思う。
入学式とか、始業式とか、そんな感じだ。
こんな感じに、式が始まる前にごちゃごちゃわいわい会話をするのとか。保護者同士が勝手に挨拶をし合う光景とかに、前世で憧れていた時期がたしかにあった。
――式場に後から入るとか、最初から椅子装備とかの常連だったからなー。
光景から連鎖して具体的なエピソード記憶を久しぶりに思い出し、スサーナはほのぼのする。
いやあ、なんというか、恵まれているなあ、自分。
スサーナは久しぶりに恵まれた今生を実感して噛み締める。とても満足で幸福だった。
そうこうしているうちに、迎えの馬車がやって来る。
わっと子供達がざわめいた。
スサーナも思わず声を上げる。なんたって、
「馬車が浮いてる!!!」
やって来た馬車は地上1mぐらいにふんわり浮いて、滑るようにやって来たからだ。
大きな箱馬車の形をしている馬車が、連ねて5台。各々10人は乗れるように見える。
目を輝かせる子供達に対して大人たちは慣れたもの、あれは神殿の特別な馬車だよ、などと子供達に説明している。どうやら三往復するらしい。
「すっげえ……どうやって浮いてるんだろ」
「重さがないのかな、でも人が載ったら重くなるだろうし」
「きっと魔術師さんの魔法ですね!」
「神殿でしょ?神様の奇跡かもしれないわ。」
「でも、神様の奇跡ってそんな簡単に見られんの?」
「じゃあスイの言う通り魔術師かな。」
「ええ……魔術師がそんな事してくれんのかなあ」
「してくれますよう」
ざわめき合うスサーナたちに、叔父さんがあれは
スサーナは、どう見ても自律駆動しているのに、前に
子供達は大まかに3グループに分けられ、さらに大体10人ずつごとに整列させられるらしい。介添人が声を上げて並ぶように呼びかけを始めた。
叔父さんが
「一緒に行くのはここまでだね。じゃあ向こうで会おう」
そう言って手を振った。
スサーナはドン達三人と一緒に馬車に乗る。ほかに一緒に乗った六人も講で見たことがある顔ばかりで、少し気が楽だった。
その程度で揺れるとか落ちるだなんてスサーナは思わなかったけれど、ドンが興奮して跳ねたり窓――ここで一般的ないわゆるロンデル窓とは違う、なめらかなガラス窓だ――を叩いたり、鼻をぺったりつけて下を覗いてどのぐらい浮いているかを実況したりして、普段あんまり交流のない子達のうちの気の弱い子がなんだか怯えたりして申し訳ない。
そのたびごとに残りの三人は服を乱さないように注意しながらドンを捕まえて座らせ直したため、ものすごく乗り心地は快適だったのに、なんだか降りるときにはちょっと疲れてさえいた。
「俺、ドンとはもう飛ぶ乗り物に乗らない」
珍しくリューがぼやき、残り二人も心からそれに賛同したのだった。
馬車から降ろされた先は真っ白な建物だった。
壁も白ければ足元の石畳も白いし、そこらへんじゅうに飾られた花束もみんな白い花だった。
戸口の上にだけ青い石が規則正しく嵌め込まれていて、とても目を惹く。
レリーフ状になにか物語の一節か何かが描かれたカーブした壁。
上側がぽっこり丸い、トルコ様式を少し思い出す屋根。
がらんがらんととても大きな鐘の音がなる。見上げると、尖塔に大きな釣り鐘が下がり、それを打ち鳴らしている。
ああ、あれは朝の鐘だ。
それでスサーナはここが神殿なのだと実感する。
ふだんは神殿にはちかよったことすらない。遠くから朝昼晩の鐘の音を聞くばかりだ。
西洋なら、週に一度は礼拝に来るとかそういう事はありそうなものだけど、そういえば一回も近づいたことがなかったな、とスサーナは思う。講で神様の名前を覚えたり、約束事に神様の名前を唱えたりする割に不思議なことだ。
子供達が降ろされたのはどうやら前庭、もしくは中庭であるらしい。壁に囲まれ、全体が綺麗な円形になっていて、左右に尖頭アーチ状の戸口があり、正面には大きな扉がある。
しばらくざわざわしていた子供達は、介添人によってまた整列させられ、今度は二列に並べられた。
少しして、正面の扉が開く。
扉を開けたのはトーガやキトンのような衣装を着けた、どうやら神官らしいと思われる人たちだ。
おお、いかにも神官らしい格好!スサーナは少し興奮した。
介添人に先導されて建物の中に入る。
建物の中も白くて、飾り気がないつくりだ。正面と南側に一つずつある、壁に穿たれた大きな上の尖った窓は幾何学模様のステンドグラスになっているけれど、暖色のない青と緑の色を多用した作りで、なにか宗教的な意味があるのだろうと思われた。
それ以外には色付されていない小さな丸い窓が沢山開き、朝の柔らかい光が差し込んでいる。
特に目立った調度も見当たらない、清貧、と言う印象を受ける室内には木のベンチがたくさん並んでいて、スサーナは前世の礼拝堂を連想した。
中に入ったらすぐ儀式なのでは、とスサーナは緊張していたけれど、入ったところで、優しそうなキトンを着た女性が
「みなさま、ここでしばらくお待ち下さいね」
そう言ったので、どうやらここは控室のような場所なのだとわかる。
他の子どもたちも緊張が少し解けた様子で、がやがやと会話をし始めた。
――まあ、そうか。色々準備とかもあるでしょうものね。
納得したスサーナは、部屋の中をぐるぐると見回りだした男の子たちを眺めながら端っこの椅子に座る。
そのまま15分も待っただろうか。
――待つのはいいんですけど、なんか指示とかあると先行きが見えていいんですけどねえ。お家の人たちももう来てるだろうし。
なんとなく手持ち無沙汰で他の三人と手遊びなどを始めたスサーナである。
ずいずいずっころばしとおちゃらかほいは三人には既に布教が済んでいる。
その耳にひそひそと会話する介添人と神官らしい人物の会話が届いたのは偶然だった。
「どうしたんですか? 待たされるなんて聞いていませんけど」
「それが、貴族の方々の式が少し手間取っておりまして」
「まあ。夜明け前までに終わるものではないんですか?」
「それが、なんとも……」
――まあ、話に聞いた感じ個人個人でなにかやる儀式みたいですからね、大変だなあ。
リューが小声で言う。
「年始から島の外の貴族がいっぱい来てるらしいから、なんか勝手が違うのかもね」
神官の皆様に、行事の運営は大変だなあ、と同情の目を向けたスサーナの横で、同じ話を漏れ聞いたらしいドンがいたずらっ子の目をキラキラさせた。
「へえ、貴族の式を今やってんだ。なあなあ、俺、ここの構造知ってるぜ! こっそり覗いてみねえ?」
「俺もだいたい分かる」
リューが追随した。
やめときなさいよー。スサーナは心の底から思った。
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