第217話 アンニュイではいられない午後 1

 レミヒオが御者をする小型馬車に乗せられてスサーナがたどり着いたのは、学生たちが泊まっているホテルと同じ街区の一番外側にある、そこそこにぎやかで広い酒場、もしくは食事屋のようだった。


「この格好、目立ちませんか……?」

「そう目立たないと思いますよ、召使いさえ連れていれば。……最近の流行りの場所です。込み入った会話には向きませんが待ち合わせにはいいんです」


 貴婦人のお付きをする侍従、という風情でスサーナの一歩先を行くレミヒオが、心配するスサーナに小声でささやく。


 なるほど、中に入ってみれば店自体は商家の経営のようで、近年の流行りの俗な意匠がふんだんに取り入れられているが、ぱっと見て貴族と解る服装の客も多い。

 様々な階層の人がいるようで、主要な客層は男性のようだったが、男女が同席しているテーブルもあれば、一段高い位置に貴族女性を見込んだと思われる「ご婦人席」も設えてあるようだった。皆、アルコールを手に世間話に興じている。


 エレオノーラに見られれば、「なんとはしたない」とぷりぷり怒るような光景で、ご婦人席にいる貴族女性たちもほとんどは下級貴族たちの、それなりに世慣れた御婦人方のようではあるが、確かに貴族らしい衣装を身に着けていてもそうは目立たない。


 そこここで知り合いに会ったらしい挨拶と昼食を誘う決り文句が聞こえるにあたり、どうやらここはいわゆるコーヒー・ハウスめいた――コーヒーはないわけだが――社交場としての用途を有しているのだな、とスサーナは察する。

 ご婦人席にいる女性たちとは一線を画した格好の高級娼婦らしい女性が幾人か、歓談する紳士方と腕を組んだりしているのも見受けられ、なるほどこういう所からか、と先程の話を思い返しもした。


 ――盛り場文化……。仮面舞踏会も商家がやっているんでしたっけ?うちの国、商家が強い、っていうの意味が良くは分かっていませんでしたけど、多分こういう事を指しているんでしょうね。

 スサーナは少し気をそらし、階層社会と商業主義について述べたヴィクトリア朝だかの経済学者の言葉を思い出す。



 ともあれ、人で賑わう店の隅の方の席にネルは座っていた。

 黒髪は縁無し帽の下に隠され、栗毛の馬鬣を使ったつけ毛が所々見えるデザインも相まって漂泊民にはぱっと見えぬようになっている。

 レミヒオが掛けた声に顔を上げた彼は、その後ろをついて歩いてきているスサーナを目にしてきょとんとした顔をした。


「お嬢さん」

「ええと、数日ぶりです。レミヒオくんに連れてきていただきました。ご用事のお邪魔でなければいいんですけど」


 小さく頭を下げたスサーナを見て首を振ったネルに、すっと間に入ったレミヒオが口を挟む。


「さて、合流できたので移動しましょうか。王都へ来たいと言われたときには何を言い出したかと思いましたが、まあ、結果的に役立つようでよかった。」


 なんとなく棘のある物言いに嫌な顔をしたネルは、しかし文句を言ったりはせずに立ち上がった。

 本来の任務がそうなのだからせめて祝賀演奏会の間だけでも駆けつけられる距離に、などと彼を無事に王都に入らせるためにこの直属の上役がそれなりに折衝をしたらしいことはなんとなく彼も察している。それが相手の益でもあるということを差し引いても手間なことであったには違いない。


「移動ですか?」

「ええ。静かに話ができるところに。」


 レミヒオが言い、また従者の顔で先に立って歩き出す。ネルが当然のように一歩後ろに控えたので、二人の従者を率いているような雰囲気になってしまい、なんとなくスサーナは落ち着かない気分になった。



 レミヒオの先導で次にたどり着いたのは川べりに並ぶ食事処の一室だった。これはスサーナも馴染んでいる「詮索されず静かに話せる個室」があるタイプの店で、スサーナさんが居るならこちらでしょう、と言われたので自分に気を使ってのことだとわかり、スサーナは恐縮してお礼を言う。


「いえ、本当なら安心して会話できるような手段を確保してあるべきなんです。術式付与具を使ってその手のことをする者がいて、彼が同行していたら良かったんですが、簡単に呼びつけるのはちょっと憚られるので……。」

「術式付与具で」

「月の民達の技術に頼るのは癪ですけど、僕らの力はああいう小手先の技を省力で使うのには向いていませんから。」


 なんとなく目を輝かせたスサーナにレミヒオが肩をすくめてぶすっと言う。

 そして、さあそんな事よりも相談の内容を聞かせて下さい、とスサーナを促した。

 スサーナは居住まいを正して口を開く。


「ええと、お話したいことと聞きたいことは幾つかあるんですけど、まず……予見、でしたっけ。予知夢みたいなものを見る方が居ると先日お聞きしましたけど……普通の夢とその予見を区別することって出来るんでしょうか?」


 レミヒオがすいっと目を細める。なにか推し量るような色がその目に浮かんでいた気もしたが、それはすぐふむと思案するものに変わったのでスサーナの気の所為だったのかもしれない。


「無い……いえ、……正確には、僕らにはすべがない、ですね。僕もネレーオさんも予見の力はありませんので……。慣れた使い手は経験則で自分の見たものがどうなのかを悟れるそうですが、話を聞いてみると判断のしどころが個人個人で違うとか……。」

「そ、そうでしたかー……」


 少しがっくり気落ちしたスサーナに、慌てたような雰囲気をにじませてレミヒオは言葉を継いだ。


「あっ、ですが、妙に鮮明な夢や破綻のない夢であれば可能性はある、と考えたほうがいいと言います。それから、普通そう長いものではないと……。一般的にどういう傾向があるか、はお答えできると思いますし、話していただければ。それらしい夢をご覧になった……ということですね?」

「はい。……その、内容なんですが……荒唐無稽、かも、しれませんけど……聞いていただけますか。」


 スサーナは二人をうろうろと見て、曖昧になるわけでもなく薄れるわけでもない白昼夢の内容を話し出す。

 数度、少し戻ったり詳しく注釈したりもしながら夢の内容を話し終えると、二人はそれぞれ深刻そうな顔になっていた。


「それは……」


 短い絶句の後にレミヒオが声を上げる。


「王族の殺害? 起こるとすれば一大事だぞ……」

「そ、そうですよね、そうそうそんな事……」

「……いえ。スサーナさん、普段そういう夢をご覧になるほうですか?」

「……いいえ、あの、普段……ほとんど夢は見ないんです。というか、覚えていない……」

「なるほど、では、見たのは昨日の夜? 眠る前にそういう夢を見そうな要素はありましたか?」

「ぃぇ……あの、ちょっと……ぼーっとなることがあって、その時に……」

「白日夢か……なら、なおさら……」


 レミヒオは短く瞑目し、スサーナの目を覗き込んだ。


「スサーナさん、それは予見の可能性が高い。……そう思います。その話を誰かにされましたか?」

「いえ……まだ。急にそんな事を言っても誰も信じないと思って……。」

「となると、どうするか……。……セルカ伯のところにヤロークの話を聞きに来たのもその関係で?」

「ヤローク?」


 レミヒオの質問を聞いたネルが少し目を見開き、物問いたげにスサーナを見る。


「あ、は、はい! 実は……レミヒオくんにこちらに連れてきていただいたのも……ネルさんなら詳しいことが解るかもしれないと思いまして。あの……予見? かもしれないと思ったのは、その夢の……召使いに混ざってた人にそっくりな人を見かけて。その人がヤロークの言葉を喋ったからなんです。それで……背後関係を調べたくて。」

「なるほど」


 ネルが去年からしばらく聞かなかったぴりっとした低い声を出した。眉をひそめ、短く思案したようにスサーナには思える。それから彼は髪に指を入れようとしたようだったが、帽子をかぶっているのを思い出したらしい。ゆっくりと手を戻す。


「お嬢さん、アンタはそれ止めたいのか」

「レオくんもフェリスちゃんも友達です。なにかあって欲しくないです」


 返答したスサーナにネルが頷き、眉をひそめたレミヒオが釘を刺す。


「ネレーオさん、妙な動き方をするのはやめて貰えますか。もみ消すほうの苦労を考えてください。もみ消せなくなったら迷惑がかかるのはスサーナさんにかもしれないんですが」

「そうそうヘマはしねえよ」

「何か確信があるのかもしれませんけど、とりあえず事実関係の確認からだと教えたはずですが。その頭は右耳から入れたものを左耳から落っことす作りか?」


 なにやら険悪に睨み合った二人にスサーナはあのう、と控えめに声をかけた。


「ええと……お二人とも、あの」


 二人はタイミングを合わせたような動きでぷいとそれぞれ正面に首を戻し、スサーナに向き直る。スサーナは諌めようか宥めようかと思っていたものの、なんとなくむしろこれは気が合っている、というのだろうか、と頭の隅で場違いに気をそらし、口ごもった。

 そんな事を思われているとは思わなかったのだろう、レミヒオが少しきまり悪げに咳払いをする。


「ああ、済みません。……スサーナさん、それだけのこととなれば……証拠がなくとも人は動かせると思います。セルカ伯あたりにお話すれば動かせる人間は居るでしょう。……それではいけませんか?」


 問いかけたレミヒオにスサーナは少し困った顔をした。

 予見が本物だとするとそんな事を気にしている余裕はないのかもしれない、とは思うが、そうなると一応出来ることなら、せめてミッシィには訳を聞いておきたい。


「そう……ですね。そうするのが一番正解だとは思うんですけど……ちょっと訳アリらしい方が関わっているかもしれなくて……。あ、いえ、そうするのは問題ありません。そうします。ただ、ええと。大づかみでセルカ伯にご説明した場合、その方も調べられる事になると思うんですけど、出来たら、その、主犯とか……その方が王家に恨みがある、とかでなければ、酷い目にあってほしくないんです。だから、ええと……代わりに報告していただけますか? その間に……ええと、ちょっと、せめて事情を聞いて……」

「なるほど?」


 レミヒオが顎に指を当てる。それどころではないだろう、と諌められるだろうと小さく肩をすくめたスサーナは、その後に続いた言葉に目を瞬いた。


「何か訳ありなんですね。……じゃあ、背後関係の確認からですね。情報屋が出ているのが痛いですが、僕ら二人でも出来ないことはない。ネレーオさん、くれぐれもヘマはしないでください。表立ってはいませんが、貴方も絶対に睨まれてることを忘れないでくださいね?」

「うるさく言われずとも解ってる。」

「ふえ」


 恐る恐る声を上げる。


「ええと、あの、手伝っていただける……んでしょうか」

「当然でしょう。……セルカ伯を動かすにしても、証拠が集まったあとの方が楽です。あまりこちらの動き方や手の内を見せたくはない御仁ですし」

「お嬢さんがそうしたいなら否やはねえよ。この国のお偉方がどうしようとどうなろうとどうでもいいけどな。俺はアンタがやりたいようにやるだけだ」

「あのっ、すみません、ありがとうございます!」


 スサーナは二人に深く頭を下げた。

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