第218話 アンニュイではいられない午後 2
「さて、じゃあお嬢さん、俺はなにをしたらいい?」
「そうですね、確かにそれは聞いておくべきか。スサーナさんはこれにどういう関わりで、その酷い目にあってほしくない方、というのはこの件にどういう?」
スサーナは頭の中で状況を纏める。
当初確かめたかったのは「あの荒唐無稽といえる夢が実現する可能性があるか」ということだ。
杞憂にかられて騒いでいたずらに決まった警備予定を混乱させるだけ、という可能性がある以上なりふり構わず警備の強化を叫ぶのは憚られた。だが、可能性がある、と自分よりずっと詳しいレミヒオが判断したならそこを気にかける必要はなさそうだ。
実際警備の強化を頼んだところで本腰を入れてもらえるか、という要素も証拠の薄い状態では心配だったが、下級貴族とはいえ確かに大人の責任ある貴族たるセルカ伯が人を動かすようにレミヒオが仕向ける、と言うなら心配はない。側近く普段控えていて勘所は把握しているだろうし、きっとうまくやってくれるだろう。
事件を起こさないようにする、というなら気にすべきポイントはその部分で、それさえなんとかなるというなら多分、後は自分の出る幕などほとんどないはずである。
殺害計画があるとして、まずすべき対処法は行われても防げるように警備を増やすことだ。そして、警備が強化されて相手がこちらの意図に気づいているかも、という状態で敵が警戒するだろうと考えれば無理に強行しない可能性も高い。
レオやフェリス、エレオノーラのことも心配だが、冷静に考えればあとは優秀な騎士や、きっと王家が抱えているだろう調査できる人員に任せればいい。
そして、残り。後この心配事でスサーナが気にかけているのは、二人にも言ったとおり、ミッシィの事情だった。
レミヒオに話を聞いたセルカ伯、もしくは更にそこから話が行った騎士隊なんかがおとなしく現場の警備だけを増やすか、というと、やはりそうはなるまい。事前に危険分子を捕らえたい、とか、排除したい、と思っても不思議はないはずだ。
……助けてもらったこともあり、一緒くたに調査の手が及べばなんとなくプロスペロに酷い目に合わされそう、という予断もあり、更になんとなく一連の出来事は彼女の本意ではないんじゃないか、という直感もあって、スサーナは彼女を官憲の手に任せたいとは思わない。そこだけは多分、自分が関与しなければどうにもならないのではないか、と考えている。
ミッシィに、なんとかして口先三寸で手を引いてもらうかなにか出来ればいい、とスサーナは思っている。殺害計画そのものに関わっているかどうかはまだわからない。事前の何かとして働かされているだけなら主犯の知らないうちに手を引かせて官憲の手の及ばない場所に逃げてもらっておくということも可能なはずだ。
――そのためにも、材料が必要ですよね。一体何がどうなっているのか解らなきゃ、説得なんか出来るはずないですし。
セルカ伯に危機感を持ってもらう材料とミッシィを説得するための理解するべき材料。共通部分は多いはずだ、とスサーナは計算する。
――勝手な理由で申し訳ないですけど、説得材料にはなるはずですから、調べてもらう意味がないということはないはず。
「ええと、ご説明させていただきますね。関わっている、と思われるのは……レミヒオくんは先程聞いていましたよね。ガラント公の息子さんのご婚約者だった……メリッサ、と名乗っていた方なんです。……その方が実は今ホテル・アジャラに泊まっておられて……どうやら高級娼婦らしい行動をとっておられたんですが、その彼女の予定を管理している……ような方がヤローク語を。」
「なるほど。それでさっきあんな質問を。……その彼女が酷い目に遭わせたくない人物ですか?」
「はい。……実は、その女性に……ええ、ちょっとした事を助けていただきまして。その際に、ガラント公の息子さんを明日、どこにも出かけさせるな、と忠告を。その上で彼女のところに訪ねてきた人物の外見が夢の登場人物と一致したんです。その状態でヤローク語を聞きました。……ただ曖昧に良くないことがありそうだと騎士に知らせた場合、手がかりになりそうなのはその方だけでしたし、そういう立場の方だというだけで手ひどい扱いを受けそうでしょう? 夢がもし関係のないただの夢だったら、ただ隠れて暮らしている人を酷い目に合わせるだけかもしれないと思いましたし、関わっていたとしても……悪い人ではないんじゃないかと思って。」
「だいたい合点がいきました。確かにそれは騎士に注進すればただでは済まなさそうだ」
納得するレミヒオの横でネルが目線で説明を求めたのでさっきセルカ伯に聞いた事情をざっと説明する。
貴族に使われていた平民ということでなにやら感じるものがあったらしいネルは嫌な顔をして一つ頷いた。
「この国はどうか知らねえが、拷問すればいいと思ってやがる奴らも多いからな。庇いたいならそうなるのはわかる。」
スサーナは二人に小さく頭を下げる。
「申し訳ありませんが、そういう理由で……彼女は説得できるんじゃないかと思っていて。そのために……お願いできるようなら詳しい事情を知りたいと思っています。」
スサーナが頭を上げるのを待って、ネルが短く呟いた。
「多分だが、俺はお嬢さんの役に立てるだろうと思う。……詳しかねえが……、なんつうか、そうだな。ここに来てたヤロークの人間はあいつだけじゃねえ。」
スサーナははっと身をこわばらせる。
「ネルさん、つまり、……お心当たりが?」
「ある、とは言い切れねえがな。」
だが、と言ってネルは腕を組み、短く言葉を探して、そして言う。
「……顔が分かればそいつが見たことのある奴かは解ると思う。
「まあ、そうですね。あの時に一緒にいるのを見た相手を見かけた、とでも言えば動かざるを得なくなるでしょう。」
その言葉にレミヒオがまず頷いた。
「はい! とても助かると思います。 ……ただ、拠点とかそういうのははっきりしないんですけど……多分、高級娼婦の紹介役……をしている、んじゃないかと思うので、そういう場所でうまく聞けばわかるかもしれません。その、ミッシィさん……該当の方の泊まっている場所は解ります。あ。容姿も一応、どちらもご説明できる、とは思います。」
スサーナの言葉にネルが頷き、当たってみる、と応える。
「はい。じゃあご一緒願えますか?」
「スサーナさん、同行するおつもりですか!? ネレーオさん、外見を説明してもらえれば大体わかりませんか?」
「大体はな。ただ、念の為にじかに見られるもんなら見ておきたい。まずは事実関係の確認から、なんだろ? 指導役さんよ。」
「……ええ、まあ。そのとおりです」
スサーナの言葉に慌てたレミヒオが口を挟み、ネルは先程彼が言った言葉で返してにやりと笑った。レミヒオはなんだか言い返そうにも言い返せない、という顔で眉をしかめる。
意趣返しが成功して少し気分良さげな顔をしていたネルだったが、それでもスサーナに向き直り、首を振る。
「だが、お嬢さんは待っててもらったほうがいい。」
「え、でも、説明とか……」
自分が一緒に行かなくては該当人物を指し示せないのではないか、とスサーナは首をかしげた。
「アンタみたいな娘がいると目立つ場所に行くことになると思う。何かあった時に咄嗟に庇えるかわからねえ。
そんな気にせずとも、と言いかけてスサーナは黙る。今腕にはお守りがついていないのを思い出したのだ。
お守りがあるときなら治安の悪い界隈に行ったとしてもなんということはないだろうが、現状だとナイフ一本、杖一本で簡単に叩き伏せられてしまうだろう。
自分の用事で動いてもらった先で面倒をかけてその用事の邪魔をするのは流石に愚か極まりない。
大人しく記憶にあるミッシィとルチェルトラの容姿をできるだけ詳しく説明する。それから、ヤローク語だった呼び名もだ。
「
ネルが鼻を鳴らす。
「その呼び名だけで八割方当たりだろうな。誰ぞに関わりがある使い者だろうよ。奴ら、しもべの呼び名を揃えたがるんだ。俺が
まず手分けをする、ということに決まって店を出る。
レミヒオとネルは後は二人に任せてスサーナはどこかで大人しくしていてくれと口を揃えた。
スサーナも、迷惑を掛けるだけしかできそうにない、慣れない状況にどうしても関わりたいというわけではない。
ミッシィと話すのは、彼女のこちらへの認識もあるし自分にやらせてくれ、と、それだけ主張し、多分深夜には戻ってくるだろうという予想を聞いてそれまでは大人しくガラント公の別邸に戻っていることにした。
戻る馬車の中でふと思い立ってレミヒオに予見の力についてぽつぽつと説明を受ける。
――先のことが分かる、といえば転生主人公の特権!みたいな感じありますけど。
どうやらこれは破滅の運命を回避する、とかそういう系統のフィクションからイメージできる奴よりももっとトライバリスティックかつアニミズムめいたもののようだった。
鳥の民には舞や薬物、音楽などで使い手をトランス状態に
もう少し詳しい予知夢が見られれば状況をもっと楽に打開できるのでは、と思いついていたスサーナはそううまいこと行くものではない、と悟って非常に残念だった。
スサーナを別邸に送り届けた二人は一旦セルカ伯の屋敷に馬車を戻し、それからそれぞれ頼まれごとを果たすことにして馬車を走らせている。
「大人しく待っててくれりゃいいが」
呟いたネレーオにヨティスは小さく鼻を鳴らした。
「スサーナさんはあれで合理的な考え方をする方です。何の利益もないのにしゃしゃり出てくるような子どもじみたことはしないでしょう」
速度を少し上げる。
「それより、ヤロークの関与と聞いた時。何かの確信があるように見えましたけど、話すのを避けましたよね? なんです?」
「大した事じゃねえ。お嬢さんは知らないほうがいいだろうと思っただけだ。」
「ふん?」
「ゴシュジンサマのことさ。毒を煽ったとか聞いたが、自害用の毒を持ち歩くようなタマじゃなかった。あの時も間違いなく毒なぞ持っちゃいねえ。煽った毒はどっから来たんだろうな。」
一息吐き、鳥の民として過ごすようになって、見咎められない道の都合の仕方も慣れたが、とネレーオは呟く。
それはなかなか手間がかかるものだ。別々の人間にほんの少しずつ些細な便宜を図らせること。少しの杜撰さを積み重ねて警備の空白を作ること。いつかそれを当然と感じさせて仕組みに根を張ること、そういうことが繰り返され、結果彼ら鳥は紛争地帯の砦にでも潜り込む事ができる。それは生い茂った茂みの枝の隙間を飛ぶような行為だ。
「……この国に入った時、ゴシュジンサマは苦労した様子がなかった。そんなもんかと思ってたが……まるで何もかも誰ぞにお膳立てしてもらったような具合だよな。」
密輸船などの非合法の手段を使いはしたが、彼のやり方は杜撰と言っていいものだった。それが城門を恐れず、衛兵に追われたこともなく、ろくに怪しまれもせずに社交界を渡り歩くことさえした。そして、そんなヤロークの貴族は彼だけではなかったのをその下で走狗をしていたネレーオは知っている。
「ああ、なるほど。引き込んだ誰かがいると。」
レミヒオが小さく肩をすくめる。
そんなマネができる人間は限られる。もちろん有象無象の下級貴族中位貴族に簡単に出来ることではない。
異国の民を引き込み、王族殺しに関与させる。
そんな事をして得をする人間は限られた中でも多くない。
自国の王族を殺して直接意味があるのは、王族だ。鳥の彼らには実感はないが、知識としてそう知っている。
「その割にはやり方が迂遠ですが。……まあ、僕らにはわからないことばかりですからね、国というものは……。」
「まあな。ともあれ、ヤロークのやつらとこの国の馬鹿な貴族を結びつけたやつ、それなりに手は長いやつだろうよ」
「ここのところ荒れているとは聞きませんが、確かにそう考えると納得しやすい。しかし、となると、係累同士の争いか」
「ああ。ヤロークの馬鹿な誰ぞが血迷ってるぐらいに思ってたほうがいいだろ。」
ネレーオはうそぶく。
単純に対処できることだと思って済むのが一番いい。深入りしても何の得にもならないことは間違いないのだ。
彼女は、彼の
近い距離で見るようになってその事がよく分かった。
王族のゴタゴタなど彼にとっては本当にどうでもいいことだったが、知ってしまえば王族を友と呼ぶ彼女はきっとそれ自体をなんとかしたがるに違いない、そう思うのだ。
状況からすれば、実行犯をどうにかする程度でも首謀者はしばらくは警戒して動かなくなるだろう。まさか相手も夢で計画がバレるだなんて思ってもみまい。
数日後にはまた主はここからは離れた学院都市か、でなかったら島に行く。明日さえ乗り切ればいい。主に会場に行かぬよう言って、手柄はヨティスが隠れ蓑にしている貴族に取らせることになるのだろう。そしたらもう関係のないことだ。ネレーオはそう算段を立てていた。
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