第26話 市場に行こう 6

 辻馬車を降りる。

 降り際に、代金が一人2アサスのところを黙って男の子たちが3アサス出した。


「あれ?2アサスじゃ?」


 急いで財布を探り直したスサーナにドンが得意そうに言った。


「酒手だよ。1アサスぐらい足すのが商売人の心意気だって親父が言ってた。」

「普段割アサスだから、見栄張ってるんだけどね」

「まあ、ドンって詳しいのね……!」


 なるほど、チップというやつだ。現代日本の慣習が頭に残っていると気づきづらい仕組みなので、今知れたのは収穫だ。スサーナは納得して、自分も1アサス足した。


「まいどあり、坊っちゃんがた、今日はどこに行かれるんです? また宿題を忘れて逃げ出したんで?」


 顔なじみらしい御者が親しげに言う。どうやらドンは普段から辻馬車を利用した逃亡劇を繰り広げているらしい。


「ちっげーよ! 秘密だ秘密!それ以上言うなよ今日は! いいな!」

「ははーあ。デートですか。いやあ豪気なこと、羨ましいねえ!」

「ちげーし!ぜんぜんちげーし!! じゃあ行こうぜ! さっさと行くぞ!」


 肩をいからせて馬車から降り、だしだしだしと歩いていくドンを見送って、御者がからからと笑った。リューがくすくすと笑い、なあ待てよおと言いながら走って後を追う。


「ふふ、デートですってー。デートみたいに見えるのね?」


 やった、とアンジェリーナが上機嫌ではしゃぎ、軽い足取りで馬車から降りる。

 スサーナも御者に一礼して後に続いた。


 降りたあたりはもうだいぶ猥雑なあたりだ。

 足元は石畳だが、人の足に長年踏まれて、人のよく歩く部分がみぞのようにすり減っているのがわかる。街路に広がる雑踏の色彩は、スサーナが普段見慣れているものよりも雑多で、同時にくすんでいるような気がする。


 道端に座り込む男たち。一杯機嫌らしく、赤ら顔で楽しげに談笑している。

 荷車を道の脇に止めただけの露店。柄杓で汲んで売っているのは瓶で醸した濁り酒のようだ。

 歩道のはしを塞いで世間話に興じる小間使いらしい女性たち。……いや、小間使いにしては服がなんだか派手すぎるだろうか。


 広いとはいえ一つの街だ。スサーナは普段暮らしているのとそこまで距離が離れていない場所に、こんなところがあるのに驚いた。

 ――なんだろう。えーっと、この感じ。あー。新宿の西口と歌舞伎町が徒歩圏内でシームレスに繋がってるのに似た驚き、というか……

 感情に名付ける名前を探しているうちに、前世の記憶にたどり着き、スサーナは納得して落ち着いた。


 しかし、類似の風景を記憶の中に持たない10歳の女の子には、ちょっとしたショックだったらしい。横を見るとアンジェリーナが降りた瞬間とは打って変わって、表情を固まらせて足をぴったり止めてしまっていた。男の子たちは後ろを見ないでずんずんと歩いていくからたまらない。どんどんと距離が離れていく。


 ――あ、この子いいおうちの子だったんだなあ。まあそんな感じはしていたけど。


「大丈夫ですよ、行きましょう。」


 スサーナは何も考えずに彼女の手を取って引いた。

 男の子たちの背中に追いつく頃になって、あっ、これを理由にして皆引き止めて帰ればよかった!!と思いついたがもう遅かった。アンジェリーナは迷子になりかけた子供みたいな顔でぎゅうっとスサーナの手を握っているが、気は取り直してしまったらしい。早足でドンの後を追いかけていく。

 スサーナはそおっとため息を付いた。


「あれ、どうしたの手なんか握って」

「……道に迷うかもしれないでしょ!」

「ええ、お二人とも早足すぎるんです。」

「えっ、おう、うん、わりわりい」


 一旦立ち止まったのち、じゃあみんなで手を繋ごうか、とリューが提案した。

 ドンが口をパクパクさせているうちにさっとアンジェリーナがドンの袖を掴んだ。

 手を握れなくて袖に行くのが可愛いですよねえ。スサーナがほのぼのしていると、さっき繋いでいたもう片手でぎゅむっとスサーナの手を掴む。そう来るとは思わなかったスサーナがちょっと驚いて顔を見上げると、目を彷徨わせてつん、と顔をそらした。


「ねぇ。」


 顔をそらしたまま言う。


「はい?」

「私もスイって呼んでいい?」

「えっ、おぉ、いいに決まってますよ!じゃあ私もアンジェって呼びますね!」


 それには特に返事はなかったが、握られた手が一度たしんと揺らされる。

 ――あ、この子予想以上に可愛いな!?

 おお、となっているスサーナの残った片手をじゃあ失礼するね、とことわったリューが取った。

 ドンは、なんだかちょっとだけ面白くなさそうな顔をしていた。



 ドンを先頭にして、雑踏の合間を縫って歩く。


「なんかくさい……なあにこのにおい」


 アンジェが鼻をひくひくさせて顔をしかめた。

 スサーナも真似をして空気の匂いを嗅いでみると、確かに独特のにおいがする。海がそれなりに近いせいの潮の匂いに混ざって、灰のにおい、それから、田舎で嗅ぐ獣臭さ、とも似ているが、それよりももっとゼラチン質めいた要素が混ざっている。

 ……処理の悪いとんこつラーメン屋みたい。さっき前世の記憶を想起したばかりのスサーナが口に出さずに思った感想だ。


「なんか焼いてんだろ。あと近くに革職人の店があるから膠溶かしてんだよ。」


 男の子たちは慣れているのか気にもかけずに街路をさっさと歩いていく。


 大通りを曲がり、細めの通りを抜け、次の通りの途中の路地を曲がり、またその先の細い路地を抜ける。


 路地に入ってからは、人がいる路地も居ない路地もあったが、路上の荒れ方が増している気がした。


「よし、じゃあそろそろヘンソウするぞ」


 ドンが声を掛ける。

 マントを着け、フードをボンネットの上からもぞもぞと被りながらスサーナはなんとなく聞いた。


「そういえば、リューくんは海賊市は来たことがあるんですか?」

「んーん、俺はこのあたりで遊んだことがあるぐらい。海賊市はドンに話を聞いたことがあるだけ。そういえばドンは?なんか慣れてるけどさ」

「俺はペドロと二回来たことがあるぜ。そん時に絶対また来ようと思って来方を覚えてたんだ」

「二回ですか……」


 ノウハウがわかっている、とは言いづらい回数である気がしますよ。スサーナは思った。

 一回よりかは二回は倍の回数なので、まだマシではある。そう思って心を慰めることにした。


「ペドロって、……辞めた後に?」

「辞めさせられる前だよ。もう三月ぐらい前だな」

「……三月かあ。まあ、場所が変わるには短い時間だから大丈夫かな。」


 ああっ、人様のお宅の事情。

 男の子二人が不品行で辞めさせられたらしい使用人の話をしだす。どうやら横領で馘首クビになったらしいという予想が立つ内容から慎ましく耳をそらしつつ、スサーナはアンジェのフードの紐を結んでやった。


 それから路地を二本抜ける。

 どうやら大通りと接続がないブロックを歩いているらしい。古い建物を半分取り壊して新しい建物をつなげて、それを数回繰り返したようないびつな建物の群れの間に細い路地がいくつにも別れて通っている。どうやら、取り壊しと改築と増築を繰り返した結果発生したモザイク状の区域であるようだ。


 ここに来て、急に路地にいる人数が増えた。

 ドアの前にさり気なく立っているもの。建物の隙間に座り込んでいるもの。

 ――……あそこのゴミの上に寝てるのは、寝ている人ですよね? 死体ではなく。

 頬を引きつらせつつ、できるだけ見ないようにしながら通り過ぎる。


 できるだけ足早に歩く。

 雰囲気が悪い。眼の前を通り過ぎる時に、こちらに視線を向けてくる人がいるのが嫌だ。

 世界の何処かにすごく小柄な種族とかいればいいんだけど!

 子供だと感づかれるのもとても嫌で、スサーナは精一杯祈った。


 まだ誰かに呼び止められるようなことはないし、動きは硬いもののドンもまっすぐ前を見て歩いている。

 それでも背筋が逆立つような感覚が非常に落ち着かない。

 ――回れ右して帰るなら今のうちですよ? 帰りません?ねえ帰りませんかドンくん?

 ボソボソつぶやくが、大声を出す訳にも行かず、多分聞こえていないのだろう。ドンは止まることなく進んでいく。

 ううっ、やだなあ。

 アンジェも同じ思いらしく、つないだ手は真っ白になるぐらいにギュウギュウに握りしめられている。ちょっと爪が立って痛かった。



 しかし、それにしても、この街路の形になんとなく覚えがあるような。

 ――あっ。

 スサーナはハッと歩きを止めた。


「犬」


 アンジェががくんとなってびくっとする。


「なっ、何!?」

「あ、いえいえなんでもなく。」


 きた方角こそ違うが、あの時通った路地なのではないか。

 もはや断片的な風景しか鮮明に思い出せないので断言はできないが、なんだかよく似ているように思う。


 ――そんな場所なら、そりゃ、魔術師さんにも脅されるわけですよ。


 ちょっと幼い頃の事を思い出してしみじみしていると、先を歩いていたドンが足を止めた。


「ここだ」


 見上げた先にはアーチ状の門。スサーナには地獄への入り口みたいに見えた。


「ううっ、子供が入っていって悪目立ちしませんか……? 注目とか集めちゃいませんか……?」


 スサーナは最後のあがきでためらった。


「子供なら俺ら以外にもいるとおもうよ」


 小声のリューの囁き。


「えっ、どうしてです?」

「……10歳の子供ならまだ契約を結んでないから、悪いことを代りにさせるやつが居るって、ペドロが言ってたぜ。浮浪児とか使うって。……たしかに前来たときにも居た気がする。」


 ドンが答える。

 うわあ、嫌なことを聞いた! スサーナは苦い顔をする。

 なるほど、確かにおばあちゃんに聞いた契約の内容には盗みをするな、みたいなものがあったっけ。

 でもそれなら逆に安全だろうか。他の悪人の使いだと思えば、そう簡単にひどい目には遭わされまい。なんかそういう、渡世の義理、みたいなのはここにもあるだろう。あるはずだ。あってほしい。……スサーナは希望という名の小さな星屑を見つけたような気分でいる。


「大三項は破って意味があるもんじゃないし、小二項は役人に賄賂とかで契約紙書き換えて軽くしてもらえるらしいから、子供を使う意味もあまり無いらしいけどさ……」

「ううっ、他に子供がいそうなのはわかりました……でも、ちょっと見たら帰りましょうね……?」

「う、うん、私もそれがいいと思うわ……」


 会話しながら、進みだしたドンに引っ張られ、一同おそるおそる壁面に穿たれたアーチ状の門をくぐる。


 その先は、まるで中庭のような――古い時代には本当に中庭だったのだろう――壁面に囲われたポッカリと開いた空間だった。


 ざわざわ、という、賑やかな――同時に、抑えた感じの。まだ真っ昼間なのに、深夜みたいな雰囲気のざわめき。

 門から崩れかけた石の階段を数段下がった広場。そこに広がっていたのは、港の市場をぎゅっと小さくして、とことんまでいかがわしくなるように手を加えたような、そういう雰囲気の場所だった。


 床によくわからないものをずらずらと並べた場所。

 せめても店の範囲はわかりやすくしようというのか、敷物の上に小間物を山と積んだところ。

 どう考えても家の中にあるのが正しいと思われる棚が野ざらしに並べられ、その上に品物が並べられている場所もある。

 がたがたのテーブルのうえに商品を満載した場所。

 ちょっと上等になるとタープの下に色々なものが並べてある。


 それらは、雑貨、骨董、食器、絵画に彫刻、衣服や宝石、宝飾品。鉢植えやら束ねたものやら様々な植物に、檻に入った動物。そして、武器になんだかよく想像もつかない、なにか。

 ありとあらゆるものがあるようで、そのすべてが盗品か、なにか非合法なものと思われた。


 それらの合間を行き交う人々はスサーナたちのようにフードを被ったり、帽子を目深にかぶったりしている者が多く、そうでない者たちは目線やら動き方やらが鋭いようにスサーナには感じられる。


 ささやき交わされる言葉には普段聞き慣れぬ、異国のものらしい響きとアクセントが多数混ざっている。


 子供達はしばし場に飲まれて立ち尽くしていた。


「な、すげえだろ! ここ!」


 ドンが静かに興奮した声で囁いた。


「ええ……すごいわ……」


 アンジェが呆然とした声で言った。リューもフードで表情は見えないが、ぽかんと市を見つめている。


「な、来てよかったろ。こんなとこ、他には絶対ないぜ……!」


 ――共感してしまう部分があるのが悔しい……!


 良き市民であれば否定しなければならないところだが、廃園に広がる海賊市には猥雑と退廃の奇妙な美しさがあった。


 ここに来たことは忘れるべきだ。商人の子としては簡単に許容するものではない。きっと二度とくるまい。

 ああ。ただ、もう少し、もう少しちゃんと見て、それから帰ろう。即座に命に危険があるような場所ではないようなのだから。


 自分を騙す言葉を唱えつつ、さっきまでは100%すぐに帰る気でいたのに現金なものだなあ、とちょっと自覚的に自分を嘲笑してもみる。

 少女はふと、かつて薄暗い書庫の片隅でランクマーの市に無邪気に憧れたことを思い出していた。

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