第18話 スサーナとそこそこやかましい村のこどもたち 7

 ぷしぷしと幸せそうな寝息を立てる熊の横を駆け抜ける。

 そのまま速度を落とさずに走って、森の小道に出る。

 走って走って、特に何が追いすがってくる様子もなく村の明かりが見えるあたりまで来たときの喜びと言ったら。


「かえってきたぁぁぁー!」

「やったー!! もうかえれないかと思ったー!!」

「うちだよぉぉぉ!!!!」

「わあ゛あ゛あ゛あぁぁ!よかっだよおーーー!!」


 緊張がようやく途切れ、上がりきったテンションでお互いがお互いを振り回し、草原にゴロゴロとダイブする。


 喜びを全身で現す村の子供達を眺めてスサーナは良かったですねえ、と笑った。

 魔法の余韻か、なんとなくふわふわとして心ここにあらずで、彼らと共にゴロゴロと転がるほどのテンションの高まりはせずに済んでいる。

 その両肩を、ぽん、と後ろから抑えられる。


「さて、じゃああたくしも帰るわね。熊が寝てる、って一応氏族の大人に教えなきゃいけないし。」

「エウメリアさん」


 さっきは軽い躁状態に見えた彼女もそれなりに冷静に戻っていて、澄ました態度を取り戻しているようだった。


「あなたも、魔法のことについては絶対絶対秘密よ? いいわね?」

「あ、はい。……あ、ええっと、そういえば、聞きたいことがあったんですけど、いいですか?」

「ん? ええいいわよ、手伝ってもらったし。なんなの?」


 うなずいたのをいいことに、早口で聞く。ちらりと村の子たちを確認したけれど、こちらを気にもとめていないようで、聞きづらい話にはちょうどいいタイミングのように思えた。


「魔法って、だいたいあんな感じなんですか? えっと、あと、使えるのは長老さんだけって言っておられましたけど……」

「ええ、だいたいあんな感じ……だと思うわ? ……ああ。」


 エウメリアは得心したようにニッコリと笑う。


「あなた、魔法を使ってみたくなったのね?」 

「あっ、いえ……」

「ダメよ。力は貸してもらったけど、糸の魔法は鳥の民あたくしたちしか使えない力だし……鳥の民でも、ほんとうに選ばれた人しかできないのよ。さっき言ったとおり、うちの氏族では長老さまだけ。」

「お年寄りとか、偉い人だけ出来る……んですか?」

「そうじゃないけど……呪司王さまの血を引いた方しかできないそうだって聞いたことがあるわ。とっても貴重なのよ。」

「じゅしおーさま。その、例えば、カミ……えーと、鳥の民さんの人が他所の人と結婚したりしたら、その子とかが出来たりは? やっぱり純血じゃなきゃダメとかあるんですか?」


 話を切り上げたそうなエウメリアが肩から手を離すのを、あわてて向き直ってぎゅっと袖を捕まえる。


「えっ、結婚って……ん、んもう! そんな都合のいいこと、そうそうあるはずがないでしょ! 結婚はそういう目的でするものじゃありません! 純血じゃなきゃだめに決まってますー!」


 言った彼女の頬が一瞬ぱっと染まったのを見るけれど、その意味を斟酌する余裕もあまりない。

 エウメリアがこほん、と咳払いする。


「もう……そんなに使ってみたいの? ……長老さまのくださった守り刺繍はあたくし達でも動かせるように刺してあるけど、さすがに常民だけじゃ無理だし、あれもとても貴重なのよ? お誕生日のたびに一つ貰えるだけ。……まあ、使っちゃったけれど。」

「うっ、すみません、貴重なものを……」


 そう聞くと、とても貴重なものなのだ。スサーナはそれの重大さをはじめて知って、感謝と申し訳無さの籠もった表情で謝罪する。多分、自分たちがあそこにいなかったらエウメリアがあの魔法を使う理由なんかなかったのだから。


「っ、それはいいのよ。あたくしのせいでもあるし……ちっちゃい子たちが帰ってこないって騒ぎになって山狩りになんてなって、熊が見つかってたりしたら……一体何が起こっていたことか。絶対に損したのはあたくしたちの氏族でしょうからね。 ……まあ、ですから、諦めてちょうだい? 長老さまに紹介してもあげませんし、だいいち他所の人の前で魔法を使ったなんてことは、氏族にも絶対絶対秘密なんですからね!」


 魔法を使ってみたい、と言うよりアレが何かを知ってそうな人に聞いてみたい、という思いだったのだけれど。スサーナは言葉を探して諦める。最初に嘘をついたのがよくなかった。今から『実は半分だけお仲間なんです』なんて言うのはあんまりに虫がよすぎる気がした。

 ――まあ、でも、魔法がああやって使うものなら、うさぎさんは魔法じゃなかったのかもしれないですよね。

 催眠術みたいな集中もしなかった。儀式みたいにして糸に血を染みさせた覚えもない。勝手に現れて自分を案内してくれたのだから。

 ことによると、あれは本当に、どうも店に関係のあったらしいあの魔術師がなにかしてくれたのかもしれない。

 漂泊民カミナが魔法を使うのだから、魔術師の魔法でも似たようなことが出来ないとは限らないではないか。

 スサーナは、そう納得しておくことにした。


「はい、じゃあもうよくて?」

「ええ、ありがとうございます。無理言ってごめんなさい」

「それは、まあ、許してあげてよ、知らないものは仕方ないもの」


 つい、とエウメリアは顔を背けると肩をそびやかして、それから村の子供達の方に走っていって、あたくしは帰りますからねー!と叫んだ。


 エウメリアが手を振って帰っていく。スサーナたちはそれをしばらく見送ってから我先に村への小道を走り、笑いながら帰路についた。




 よほど心配されているのではないか、とスサーナは心配していたけれど、気をもんでいたのは叔父ぐらいのもので、村の子供達の親たちは特に心配して出てきている、ということはないようだった。


「スサーナ! 遅かったじゃないか」


 村の前の広場のところでスサーナを待っていた叔父が駆け寄ってくる。


「ごめんなさい叔父さん! 商談は終わったの?」


 腕めがけて飛びつく。おっと、と声を上げて脇を捕まえられて、ぐるんと振り回されてから抱き上げられる。


「今日はおしまいだよ。お転婆なお姫様が日暮れまで遊んでいるものだからね、おちおち遅くまで商談もしていられやしない。楽しかったかい?」


 スサーナはううむ、と考える。フィートとハビがにししと笑う。くすくすとメルチェとキケが目配せをする。


「ええ、いろいろあったけど、楽しかったです!おともだちも増えました!」


 スサーナは叔父に笑いかける。子供達は、ねーっ!と声を合わせた。


「そうか、それはよかった! じゃあ、夕食にしようか。君らもおいで」


 笑った叔父さんが子供達を手招く。わっと子供達が歓声を上げる。


「食堂はあたしのおうちよ! 父さんの料理は世界一美味しいんだから、期待して!」


 たっと一歩先に抜けて、食堂に向かって大きく指を指したメルチェが胸を張った。



 夕食は桑の実のソースの鶏肉ソテーだった。子供達はほかにやって来た客にこれは自分たちで取ったのだと言って周り、先を争って詰め込み、お腹がぽんぽんになるまで食べた。

 普段そう食が太い方ではないスサーナも、彼らにつられて大きなもも肉を一枚食べきったし、叔父さんがフィートと競争するように皿を開けるのが面白くて、叔父さんと自分の分でひと籠多く頼んだパンをたっぷりいただいた。


 夕食後は、スサーナは宿の広間で叔父さんと今日あったことを話した。桑の実を摘んだこと。魚を取りに行ったこと。

 話しているうちに子供達が親の許可をもらってやってきたので、くすくす笑って目配せをした。

 エウメリアと熊の話は隠して、うっかりヤスをフィートが折ったことにしたり、魚を追いかけるのに夢中になっていたことにしたり、みんなで遅くなった理由をごまかした。


 その夜は、はじめてよそに泊まるスサーナを叔父さんが心配していたけれど、ミルクを1杯もらって飲んで、泥のようにぐっすり眠った。寝床の硬さの具合も思い出せない。なんの夢も見なかった。



 次の日。メルチェと花冠を作ったり食べられる草を籠いっぱいに集めたりしていると、村の入口にエウメリアがそっと姿を現した。


「エウメリアさん」


 また男の子のような格好だったスサーナは、今日こそ可愛い格好をしておくんだった、とちょっと残念だった。この格好では勘違いされているんだかなんなんだか、いまいち判別がつかない。


「熊、捕まえ終わったわ」


 エウメリアがささやく。


「よかった、これで森にあんしんして行ける……」


 ホッとした様子でメルチェがつぶやく。


「だからね、あたくし達、急いで隣国に行くことになったの」

「えっ?」

「熊にいつまでもたくさんご飯をやってられないもの。はやく売って、お腹いっぱい食べられる相手に飼ってもらったほうが熊のためでもあるでしょう」

「……なんとか父さんに、お祭りのおしばいをたのんでもらえないか考えてたのに」


 メルチェがふくれっつらになる。エウメリアが笑った。


氏長うじおさは抜け目がないから、全部外国人の所為にして噂を撒いていくと思うわ。ここはなかなかの稼ぎどころですもの。来年はきっと、お祭り二回とも、踊りもお芝居も頼んでもらえるはずよ」

「そっかあ……じゃあ、スー、来年も来なね?いっしょにおしばいを見るんだから」

「スー?」

「あ、わたしのあだ名です。スサーナだから、スー。」

「スサーナ? そんな女の子みたいな……」

「女の子です!!」



「え、えぇーーーーっ!?」


 エウメリアがぽかんと口を開けた。

 驚愕の表情でぺたんと座り込む。


 上げた叫び声が、驚いて飛び上がった雲雀の数匹を伴って、夏の蒼穹に高く、高く、吸われていった。

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