第19話 帰路にて
――僕の可愛い姪は容姿で得をするタイプだ。
買い付けの帰路、丁度開催されていた
商談で少し目を離した隙にトコトコとさまよいでた姪を急いで追った際の、フリオ・テベネットの感想だ。
商人は一般的に漂泊民を好まない。都市民のように訳のわからない恐れを抱くということはないし、商売できる相手なら対等な商売はする。長年の顔見知りなら信頼することもあるし、ふつうの横のつながりよりも強い絆を持つことだってある。
それでも大抵の商人は漂泊民を見れば警戒する。小商いの商人で、あいてが若い漂泊民ならなおのこと。自己防衛のようなものだ。
彼女は漂泊民の扱いをしらない。いや、最近人に聞かされてはいるし、ヴァジェでは宿の女将に少し肝を冷やした。でも、たった6つの子供だ。実感はできないだろう。
フリオは他人から悪意を向けられたことのない姪が商人に邪険にされて心を傷つけるのを恐れた。ここでは被っていろといったボンネットも、馬車で揺られた際にクシャクシャに髪がはみ出していたはずだ。
それがどうだ。泡を食って急いで追いつけば、幼い姪は今、辻売りの婆さんに飴を絡めたナッツを一つ貰ってニコニコしている。ああ、隣のポット売りの大男にごしゃりごしゃりと撫でられて綺麗な髪がぐしゃぐしゃだ。いつの間にかボンネットは外れ落ちて、紐が首にかかっているだけだが、どちらも姪の髪色を気にした様子はない。
彼らの顔がほころんで、警戒のけの字も見えない理由は、彼女に身に着けさせたケープに店の――島で五指を争う
夜の月のような娘だ。
黒く細い癖のない髪がかかる首筋は細く、白くて頼りない。
長いまつげが目の上に影を落としていて、まぶたの彫りが深いのも相まって煙るようだ。
頬や額は青白く透けるようで、唇の血を透かした色が目に残る、よく出来た陶器人形を思わせる容姿。小柄で、袖から覗いた手首は折れそうに華奢で、いかにも儚そうに見える。
今、薄くバラ色の血色を帯びて輝いた表情をしているのが妙な奇跡のようだった。
彼女の母親も薔薇のようだと讃えられた――漂泊民が忌避されぬ東の異国では、王に望まれたともいう――優れた容姿をしていたが、姪の容姿は華麗な大輪の薔薇というふうではない。花に例えるならジャスミンか、月夜の蓮。
これが育つと大輪の薔薇になるのか、と思うが、フリオにはあまり想像ができない。
花でないならまだ目の青い、鳴き声がぴゃあぴゃあというぐらいの子猫。
つまり、全体的に弱々しく、儚く、手を貸してやりたくなるような外見をしているのだ。
「勝手に出歩いちゃ駄目だろう?」
歩み寄って声をかければ、あっ叔父さん、と弾んだ声を上げる。
「お菓子をもらったんです!」
「姪がご迷惑を。よかったねスサーナ。お礼は言ったかい? でもあんまりご厚意に甘えすぎちゃいけないぞ? せっかくの売り物なんだから」
「はい! ……あっ、そうですよね、ごめんなさい」
しょんぼりと肩を落とした姪に、辻売りの婆さんが手を振って言う。
「いいのよいいのよ!試食で出してるぶんでねえ、なくなるもんだと思ってるぶんなんだから! このあたりの子供らなんかねえ、買いもしないのに一掴みも二掴みも食べてくんだからね!」
スサーナがじいっと見上げてくる目に負けて、フリオはポケットからアサス貨幣を数枚取り出して、スコップいっぱいナッツを買った。
婆さんはすぐに薄い種無しパンに包んで渡してくれる。
「あらー。賢くて礼儀正しくて、いい子ねえ」
婆さんと自分にはきはきと礼を言う姪の姿を見て、まるで我が子を見るような目をした婆さんに、ずいぶん気に入られたなあとフリオは笑う。
「ええ、自慢の姪っ子です。」
婆さんは何気なくフリオの髪を見て、ああ、と得心したように頷いた。
彼の髪の毛は濃い紅茶の色をしている。ごくまれにこういう髪の一族からは黒髪の子が生まれることがあるという。……スサーナのような見事な夜の色になるわけではない気がするが、ほとんどの都市民は見たこともないのだから押し通せる。黒には黒に違いない。
フリオは自分の髪色に感謝している。これまで隠すように育ててきたけれど、最近スサーナもずいぶん活発になってきた。幸い、兄が漂泊民と恋に落ちた話を知るものはほとんどいない。これからはそう押し通して周知して、外に出られるようにしてやらなくてはならない。
スサーナが嬉しそうにナッツを一つつまみ出して天に透かし、それから口に入れる。飴衣が硬いのか、用心しいしい前歯で少しずつカリカリと噛む様子がなにかの小動物のようだ。
フリオはつい半年前の姪の様子を思い出す。
あの頃の彼女はまごうことなく夜の子供だった。
血の気のない頬に髪の影を落として、いつもどこかを眺めていた。世界中の悲しみを集めたような顔をして、中庭を彷徨い歩く姿はきれいな亡霊のようだった。
木立の影や、使っていない部屋の隅。姿が見えぬと探しては抱き上げるそのたびに、小さく丸まって弱々しく寂しいと泣いていた。
ごく幼い頃からずっとそんな様子ではあったけれど、一年二年でそれが強く増し、夜毎によくわからない譫言とともに悲鳴を上げては飛び起きて、また眠る。
ろくに食事も出来ずにいて、うっかり目を離すと儚く消えてしまいそうだった。
心配した母や自分達がほうぼうに手を回して、せめて蜜の一滴でも口にしてはくれないかと異国の滋養飴の調製法を取り寄せ、王侯貴族しか相手をしないと言われる魔術師の門戸を叩きすらした。
それでもろくになんの改善も見せず、このままでは早晩大いなる慈悲の手にあずかるだろうと誰もが思っていた。
それがどうだ。いつの頃か、姪は薄布を剥ぐようにすとんと落ち着いた。今目の前にいる彼女は、ポット売りが歯で胡桃を割ってみせるのに手を叩いてきゃあきゃあ笑っている。
落ち着くとともに急に思慮深げな目をするようになってしまった彼女が哀れではあったけれど、こうして見ると無邪気な6つの子供らしく、ほっとする。
「スサーナ、そろそろ戻ろうか」
「あっはい、ごめんなさい叔父さん、じゃあ、おばあちゃん、おじさん、ありがとうございました!」
勢いよく腰から頭を下げるスサーナは愛らしい。ポット売りと婆さんが破顔して手を振った。
この歳の子が知るはずもない深い目上に対する礼を教えたのは母か、でなければお針子の誰かだろうか。フリオは少しだけ不満だった。親のない子だからしっかりと育てなくては、と言う母の方針はわかるけれど、自分の前ではもっと子供らしく振る舞わせてやりたいとそう思っている。
――これからは子供らしいことをいろいろさせてやらなくちゃいけないな。
その手始めが村での宿泊だ。心配がった母が最後まで反対していたが、無理に押し切った。
連れてきてよかった。フリオは思う。
フリオも幼い頃8つ年上の長兄とそうして村に泊まって遊んだ記憶があった。スサーナにも同じ経験をさせてやりたかったのだ。
フリオは長兄を尊敬していた。あの日、駆け落ちしたはずの彼が現れて、偶然戸口に出た自分に生まれたばかりの姪を抱かせて姿を消したあの時でさえも。
踵を返す兄を呼び止めることが出来なかった自分はあの時たった16の若造だった。
受け取ってしまった赤ん坊の重さを一時は恨みもしたが、今は自分が託されたのだと思っている。
成人してたった四年の自分でも父親の代わりになれるはずだ、そう思う。
たたっと駆け寄ってきたスサーナが自分の指を取って繋ぐ。
馬車まで歩いて戻る姿は遠目には親子に見えるだろうか。フリオには何となくそれが嬉しかった。
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