第17話 スサーナとそこそこやかましい村のこどもたち 6

 エウメリアはいきなり履いていたスカートをすぽんと脱ぎ落とした。

 ぎゃっ、と男の子たちがカエルが潰れたような声を上げる。

 ――この年なのにませてるなあ。

 スサーナはその声を期待やら喜びかと取ったが、


「なにすんだよ!急に! 女の子の足見たらかーちゃんに殴られる!」


 違った。

 がくがくとうなずく残り二人。どうやら村の男の子達の女性扱いについては宿の女将が実力行使でマナーを叩き込んでいると見られた。

 ―― ……6つ7つじゃまあそんなもんですよね。

 スサーナはいかにも強そうだった女将の事を思い出し、フィートはきっとメルチェの尻に敷かれるんだろうなあ、などという場違いな感想を抱いた。


 スカートの下に短いショートパンツめいた履き物を身に着けていたエウメリアは男の子たちの苦情を気にする様子もなく、スカートを大きく広げてみせる。


「見てちょうだい」


 彼女が指さした先にはひときわ精緻な縫い取りで刺繍された、華やかな牡丹のような花。


「これを使って魔法を使うの。 ……あ、あたくしがこれをあなた方に見せたってことは誰にも絶対秘密よ? 本当は魔法の使い方は鳥の民以外には誰にも教えてはいけないんですけど、こうするしかないから仕方ないわよね。あんたたちもあたくしが魔法を使わないと死んじゃうかもしれないでしょう? 恩に感じる心があるんだったら、ぜったいぜったい誰に聞かれても黙っていること、よくて?」


 一も二もなく子供達は頷く。スサーナも頷きながら、すこしだけどきどきしていた。

 漂泊民カミナの魔法。前に見たうさぎさんは本当にこれと同じものだったんだろうか。アレは自分が刺繍した結果なのか、それとも他の誰かがなにかしてくれたのか、知りたいと思っていたのだ。

 ――私、漂泊民カミナの血筋なのって半分だけだから、よく考えたらたぶんそういう一族の秘儀みたいなものは使えないと思うんですけどね。

 思いながらエウメリアの手元の布をじっと見つめる。

 エウメリアは少し照れた様子で、こほん、と一つ咳払いをする。


「ええと、この刺繍はあたくしが刺したものじゃなくて、長老の手だから、ちょっと手伝ってもらわないとならないのだけど」


 エウメリアは息を一つ吸うと、重々しい口調で言った。


「これは本当の花なの。ここにあるのは本当の花のかたち。」

「……ししゅうじゃん?」


 首を傾げた子供達にくわっと目を開けて怒る。


「腰を折らない!」

「ええ、でもさ……」

「いいの、ちゃんと聞きなさい。これは本当の花、世界のほんとの形をここに表しているの。普通の花は花の上にいろいろ重なって足されて花のかたちになっているけど、これは違うの、これが本当の形なの。まずはそう思いなさい」

「……でも、ししゅうだよな」

「うん」

「はなってもっといろんな色あるし」

「かたちも色々よね?」


「んもおー!」


 わかりの悪い生徒を見るような目でぷうっと膨れたエウメリア。

 スサーナは執り成すように言う。


「あー、あーえーと、なんとなくわかります……」


 イデアとかエートスとか、そういうアレ……ってことだよね?

 スサーナはそう理解する。

 本当にそうなのかはわからないが、とりあえずそう理解して刺繍を見つめることにすれば、そういう気持ちになることはできた。


「ふふん、街の子のほうがやっぱり頭がいいのだわ、えーと、あなた。もうちょっとこっちに来なさい。あなたが手伝ってちょうだい。」


 ええーっと不服の声を上げたこどもたちを尻目にエウメリアがスサーナに手招きする。

 はいはい、と近づいたスサーナにスカートの端を握らせてから、エウメリアはしばらく上着のポケットを探って、小さな木製の丸いケースを取り出す。

 ぱかりと開けると、そこには小さな針と糸、ハサミと、小さな小刀が入っていた。


「ええと、実はちょっと針で指を刺したいのだけど……いいかしら?」


 ええっと今度は気色ばむ子どもたちをよそに、スサーナははいはい、とまたうなずいた。

 魔法というからにはなにかそういう魔法っぽい挙動が必要なのかな、とはもう思ってはいたのだ。

 とりあえず服の端で指をよく拭ってからすっと差し出したスサーナに、エウメリアは瞬きして微笑む。


「度胸のあるいい子ね。あなた将来きっと素敵な女たらしになってよ」


 あっ、やっぱり男の子だと思われてる!と憤慨したスサーナだったが、この局面で訂正することでもないので黙っていた。

 帰ったら化粧の仕方をお針子の誰かに聞いてみようかな、と思いながら。


 エウメリアが指先を針でちょんと突く。

 すぐにぷっくり盛り上がった血の粒を、傷口が触れないようにしながらすっと糸にかすめる。さあっと糸が血を吸って指の上から血の粒が消えた。

 指を咥えるスサーナを一瞥してからエウメリア自身も同じように指を刺し、刺繍に血を吸わせた。


「さて」


 エウメリアの声がぴんと硬くなる。片手を伸ばして空いたスサーナの片手を握る。


「一緒にこの花を見てちょうだい。これは花。本当の花。まだ世界に現れていないだけでここにある。」


 スサーナはじっと花を見つめる。糸で作られた鮮やかな赤の花弁。真っ直ぐな茎。あまりにじっと見つめすぎてじわっと目が痛い。後ろの黒地から花の姿が浮かび上がってくるようだ。


「この花は、そうね、獣を眠らせる花なの。綺麗で、いい匂いがするわ。だから獣は匂いを嗅いだら眠ってしまうの。その事を想って。」


 斜め横でなにかツッコミを入れかけたフィートがメルチェに口をふさがれた気配。


 エウメリアはもはやそちらに意識を向ける様子もなく、じっと花の刺繍を見つめたまま、何回もそう繰り返す。

 まるで子守唄を歌うような一本調子の声。喋っている、というよりも、なにか詩句を繰り返しているように、同じ言葉を幾度も繰り返し続ける。


 スサーナはその声を聞きながら花の刺繍を見つめ続けている。目を逸らしていいのか、瞬きしていいのかもわからない。幾度か繰り返す声を聞いていると、あんまり同じ言葉の繰り返しのせいか、後頭部がじわっとボーッとしてくる。


 ふっと、入眠時にも似た思考の空白。

 がくっ、と体が揺れかけた瞬間に、花の刺繍がすっと現実感を増して、身体の中に風が吹いたような、すっと血の気の引いたような奇妙な感覚がした。

 過集中の症状めいて花の刺繍が迫って見えた。眠りかけで見る夢のように、一瞬、風景を上塗りして花畑のイメージが脳を支配する。

 反射的に身を反らしたスサーナは、二、三歩たたらを踏んだ。くらくらして、なんだかちょっとバランスを取りづらい。


「できた!」


 隣から華やかな声。スサーナは横にエウメリアがいて、片手を取られていたことを思い出す。一瞬そんなことすらも意識になかった。エウメリアは片目をつむってスサーナに笑いかけ、スカートを軽く引っ張った。スサーナは布を掴んでいた手をぱっと離す。


 そのまま彼女は丸めたスカートを持つと、来た方に……熊がうろついている、川の方に走り出す。


「……ねえ、魔法ってなんかなったの?」

「ただスカートみてただけだよな……?」

「とくに、なんにもなかったよね…?」


 メルチェの潜めた声。フィートのいぶかしそうな声とキケの首を傾げるような表情。ハビもフィートと一緒にうなずいている。

 あれは自分にしか……もしくは、自分とエウメリアにしか見えなかったのか、でなければただの入眠仕掛けの幻覚か。アレの直後にエウメリアは出来たと言ったから、なにか意味があるものだと思うんだけど。スサーナは思い、とりあえずエウメリアの後を追った。


「えっ」

「ちょっと、あぶなくない!?」

「そっち、クマだぞ!」


「どうするのか見てみたいんです!」


 声を交わし、子供達も慌ててその後をついてくる。



 エウメリアは川辺まで走った。熊が人の気配に振り向く。

 熊の目には敵意はないが、ちょっと強く腕が当たっただけでも大怪我をするだろうし、傷ができれば血の匂いをさせた生き物を餌だと思わない保証はない。

 後ろの子供達がひっと制止の声を上げるのに構わず、エウメリアは熊のほうまで歩いていく。


 声を張り上げる。


「ごらん!」


 ぽん、と丸めて持ったスカートを放る。

 ぱさり、と空中で広がったスカートが、なぜか裾を下にして……描かれた刺繍の花が地から生えだすような形で止まる。糸が溶け崩れるように刺繍が解けていく。


 さん、と花びらが散る。

 そこはもはや一面の花畑だ。

 赤い花びらの、大ぶりの花が河原だった場所一面に広がっている。

 熊は不思議そうに目の前に開いた大きな花の花弁に鼻先を突っ込んで匂いを嗅いだ。


 少し離れた斜面では、子供達が足元まで広がった花からわたわたと距離をとっていた。

 用心しいしい花を眺める。刺繍ではない現実の花がそこにあるように見えた。

 ぐっと気合を入れたハビが一本の花の茎を掴んで千切ちぎる。

 鮮やかな赤い花は、ハビの手の中で柔らかい光の粒に変わって消えた。


「すごい、ほんとに魔法なんだ……」


 子供達はぽかんと顔を見合わせた。


 熊は大きなあくびをする。なんだかとても眠かった。

 空腹でたまらなかったはずだが、そんなことはどうでもいいような気がした。

 眼の前に見慣れない人間がいたが、特に気にはならない。

 彼の眠るべき暖かい毛布と檻はここにはなかったけれど、一面の花はしとねに丁度良く甘い匂いがして、柔らかそうに見えた。

 くたくたと四肢を折る。鼻先を掌に突っ込んで擦り付ける。

 ああ、目が醒めた時には腹がくちければいいのだが。

 熊は丸まると、息を一つついてとろとろ目を閉じた。


 スサーナは目の前一面に広がる花畑と、胸を張って立つエウメリア、眠りにつく熊を見た。

 頭がくらくらする。

 少し離れて見ているはずなのに、まるで花畑の只中にいるようだ。立つエウメリアの表情も、寝息を立てだした熊の毛並みの一本までもはっきりと見えるよう。

 爛漫の花から花びらがこぼれる。その花弁一枚が花床から離れるふっとした感覚も、葉の間をそよぐ風の気配も我がことのように感じられる。

 花畑すべてが自分であり、花の一本一本がまた自分だった。

 腕を伸ばす。花の波が揺れる。きっとこのまま腕を振れば花びらが舞い上がるのだ、白く、鈍く光るような感覚に満たされた頭を振って、わけもなくそう確信した。


 エウメリアが振り向く。


「やったわ!眠ったわ!」


 スサーナはなにか答えようとして、自分の意識が小さな六歳の女の子のなかに収まっているのを認識する。息が喉の奥を揺らす。足が河原の小石を踏みしめている。心臓が胸の奥で動いている。胴体の広がり。指先の細い形。

 花畑が薄れる。奇妙な同一感と没入感が指先から流れ落ちるように去っていくのを感じていた。



 花畑が光の粒子に変わって消える。スカートがぱさん、と河原に落ちた。

 エウメリアは刺繍の消えたスカートをひろうと、呆然とこちらを見つめる街の子のもとに駆け寄った。


「ねえ見て、すごかったでしょう?驚いたわよね。ああ、さすが長老さまの魔法だわ!」

 高揚した声ではしゃぐエウメリアに、口をパクパクとした街の子が、まるで何か声の出し方を忘れたように あ、と声を立てた。


「エウメリアさんの魔法じゃないんですか?」


 数回つばを飲み込むような仕草を見せて、それから問いかけてくる。


「ええ、あたくしは……あたくしだけでは魔法は使えないの。刺繍の魔法のおおもとを使えるのは長老さまだけよ。ああ、でもなんてすごい。一本だけ花が現れるって思ってたのよ、それがあんなに!」

「あの、私はなんの助けになったんでしょう」

「ああ、そうね、気になるわよね。あのね、魔法はそこにあるってすごく信じないとダメなの。力を与えて、そこにあるって信じれば常民でもちょっとは魔法の足しにはなるのよ。私だけではちょっと足りないって思ったから手伝ってもらったの。」

「ああ、それで――」


 街の子は水から上がったばかりみたいな目をして、片手を伸ばして数回握って開いた。


「疲れたでしょう?力をもらうとすごく疲れるの。魔法をはじめだす最初のきっかけぐらいのものだけど、でも常民にはつらかったと思うわ。よく頑張ったわね」

「花になったような気がしました。力を差し上げるとそんな感じになるんですか?」

「ええ――そうね、繋がりができているからちょっとはそんな感じになると思うわ。」

「なるほど。」


 街の子はぱちぱちと目をしばたたく。

 後ろから村の子たちが駆け寄ってくる。歓声。


「さあ、それじゃ帰りましょう!」


 エウメリアは街の子の額に一つキスを落としてやる。


 まだなんだかぼんやりしていた街の子は、目をまんまるにして、急に正気に返った顔でうぎゃあ、と情けない悲鳴をあげた。


お子ちゃまだからこのありがたみがわからないんだわ。

エウメリアはフンと鼻を鳴らしながらも、とても、とても、いい気分だった。

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