第260話 偽物令嬢、愚痴を聞く。1

 数日しないうちにお父様の言っていた意味は解ることになる。


「レオくんが荒れている……」


 スサーナはそっと呟いた。

 比較的深夜に近い……日付が変わる頃の時間。スサーナは部屋の庭でこっそり裏工作の指示などをしていたのだが、一台の馬車が車止めに入ったあとで急に家中がバタバタしだした気配があったために、そっと様子を見に出てきたのだ。


 バタバタした気配を追って応接室サロンにたどり着いたスサーナの目の前に広がっているのはありていに言えば、修羅場だ。


「どうして止めてくれなかったんです!」


 学園で見ていたよりもそこそこ豪華な衣装を着けたままのレオカディオが、今日はもう眠っていたはずのお父様に向かって食って掛かっている。

 これは着替えもせず、王宮からまっすぐやってきたのだろう、という雰囲気だ。


「ギリェルモ! 母上は貴方が言えば聞いたはずです! あれだけの人数が関わって動き出してしまったら僕の一存では止めようがない!」

「レオカディオ殿下……。お気持ちはようく分かります。しかし、この爺を信じて今はどうか辛抱くださりませ。これもまた、必要な事なのです。」

「でも!!」


 一体何があったと言うんだろう。

 もう少し覗き込もうと押した扉がぎっと音を立て、はっとお父様が振り向く。


「スサナ。」

「あ、ええと……お父様。レオくん。こんな夜中に……どうかされたのですか。」

「スサーナさん……。」


 あえてふわふわと、寝起きです、という表情をしながらスサーナが問いかけると、お父様はふっと肩の力を抜いたようだった。


「起こしてしまったか。済まなかったな。 レオカディオ殿下、今煎じ湯ハーブティーでも用意させましょう。スサナ、そなたもご一緒しなさい。」

「ええと、よろしいのですか? お話の途中だったんじゃ」

「ああ。なに、私も上着を着てくる故、その間殿下のお相手を頼む。」

「はいお父様。……レオくん、かまいませんか?」

「ええ。……すみません。夜中に。」



 一呼吸生まれた為に少し落ち着いたらしいレオカディオは、去っていく寝衣姿のお父様ミランド公を見送りつつ、長椅子にくったり座ってながく溜息をついた。

 スサーナは別の椅子に乗せてあったクッションを取ると渡す。


「使ってください。この長椅子、固いんです。……お疲れみたいな顔をしておいでですから、少しでも楽な方が良いでしょう?」


 少し驚いたような顔をして受け取ったレオカディオはクッションを背に敷かずに抱え込んだ。

 スサーナはクッションをもう一つ二つ構えて背中側と肘の下に押し込むと、クッション一つ分開けて横にちょこんと腰掛けた。


「一体なにがあったんです?」

「……それが……」


 すぐに林檎菊の煎じ湯が用意される。大人しくそれを手にとって啜りだしたレオくんがぽつぽつ語りだしたのを聞くと、事態はつまり、こういうことだった。


「母が……その、亜麻色の髪の乙女探しをする、と言い出したんです。」


 祝賀演奏会の際、妃たちは祝いの席に同席していなかった。

 それ故に起こったことを見ては居なかったが、何者か……亜麻色の髪をした娘がレオカディオ王子のグラスをあおり、起こるはずだった恐ろしい事態を明らかにした、ということはすぐに彼女たちの耳に届いた。

 そしてその娘は治療後に慎ましく姿を消し、その後名乗り出ることもないという。

 第三妃ザハルーラにとって見れば自分の子を救った娘が忽然と姿を消した、とそういう状況だ。その功労者を探そう、とするのは無理もないこと。

 運が悪いことに、事情を多少なりとも理解しているレオカディオ本人と相談すること無く、独断で彼女は事を勧めたのだ、という。

 聞かされていれば絶対に止めたのに、とレオカディオは悔しげに呟く。


「ああ、はい、聞きました。……なにか、不味いことがおありだったんですか?」


 そう言ったスサーナに一瞬、レオカディオは少し恨めしげな上目遣いを向けた。


「スサーナさんがそうだ、と明かすわけにはいかないですから。僕もそのぐらいの分別はあります。良くないことに巻き込んでしまう。」

「ええと、それは解っています。とても有り難く存じておりますが……その、すみません。……つまりその、該当者なし……ということになるのでは?」


 自分が名乗り出ることはない。少なくとも、状況が変わるまではきっと。

 多分、『見つけた、あの娘がその「亜麻色の髪の乙女」だ』となるにはレオくん本人の面通しか何かが必要になるのではないだろうか。第二王子ははっきり見ていた、とは少し言いづらい程度だったし、あの場でしっかり顔を見ていた、と他人が認識する位置にいたのはレオくん、もしくはフェリスちゃん、だ。

 となると、「乙女は現れなかった」と彼が言えばいい……ということにはならないのだろうか。

 スサーナがそう言うと、レオカディオは渋面になった。


「そう上手くいかないだろうことが目に見えているので嫌なんです。」


 なにか非常に明確なイメージが浮かんでいる、というような表情でうんざりと言葉を継ぐ。


「暗かったからよく顔がお判りではなかったのでしょう。とか……気が動転しておられたのです。どのような娘か記憶が混乱していても仕方のないこと、とか。きっと「きっとその場にいればそうした事は間違いのない気立ての良い娘でございます!」などという噴飯ものの言い訳も混ざるに違いないんです!」


 つまり、とレオカディオは言う。

 ザハルーラ妃は功労者の娘をねぎらい、褒賞を与え、その娘が望むなら側近く仕える栄誉と、平民や下級の貴族ならば何不自由無い生活と十分な教育を与えたい、と考えているようなのだが、周りの貴族たちはそうは考えないだろう。

「亜麻色の髪の乙女」が本物なのかどうか、は誰も気にすまい。いや、そう言ってしまうといろいろな関係上多少言い過ぎになるのだが、どうあれ、求められるのは「建前」で、行われるのは体の良いお妃選びというやつだ。


 これまではレオカディオの妃候補を確保することにそこまで大きなメリットもなかったのだが、王が王子達皆を後継者の位置に留めると決定したので、未だ伴侶を持たない王子達の妻を息のかかったものにすることは今は意味がある。

 ダブルで悪いことには、「亜麻色の髪の乙女」に救われたのは広義で言えば王子達全員……どころか、恐れ多くも王その人まで含まれる……と言うことも出来る。

 つまり、レオカディオの妻にならなかったとしても、自分の用意した娘が「そうかもしれない、と第五王子殿下、もしくは第三妃様が認めた」と建前でもなれば――事実がどうであれそこはどうにでもなる――、他の王子の妻として売り込むのに十分な箔ということになるわけだ。一粒で二度美味しい。

 だから、権勢に食い込みたい貴族は必死になって亜麻色の髪の乙女を探して後見人やらなにやらになろうとするだろうし、自分の推薦する娘を第三妃殿下の目に止まるようにしようとする、というわけだ。

 そのことを示すように、今回ザハルーラ妃が望んだ「亜麻色の髪の乙女探し」にはもう既に幾人もの貴族が口出しをしてきているのだ、という。


 なるほど、厄介な政治的問題というやつか。納得したスサーナにレオカディオはそれに、と諦めと不服と納得行かないとぐったりが絶妙にミックスされて滴るような声で言う。


「母上……母は、確かに真心から探そうとしているのだとは思うんです。ただ……ただ、同時に……ええ、僕の幸せを考えていてくれているのだとは分かっているんですが……そういう話題に食いつきがいいのも確かで……。貴族たちにけしかけられたらその気になるかもしれないと……いえ、その気になるのが目に見えるようで……」


 わあ。

 13歳でそれは辛い。スサーナは思わず目に同情を浮かべた。

 王家の人間なのだから仕方ない、と思うことも出来るが、レオくんはその義務は最近まではなかったはずだ。覚悟ができているはずがない。

 こちらの男性の結婚年齢は16からで、あと3年ある。成人だって18だ。貴族同士の婚約であっても――幼い頃から決まっているタイプの話は別として――決まるのは大体結婚年齢前後になってからが一般的なのだ。いくらそういう事が大事だといってもまだ結婚相手を決められるのは流石に嫌だろう、とスサーナも思う。


「それは……お辛いですね……」

「はい……。ミランド公が止めてくれるのではないか、というのが希望だったんですが……」


 レオカディオはくったりと首を落とす。

 なるほど、お話したくなる、とはこういうことか。とスサーナは先日のお父様の言葉を思い出して納得した。これは確かになんとか止めてやりたくなる。


「ええと、レオくん、しばらくは話してはいけない、と言われていますから……多分、年が明けるまで? 第一王子殿下の身の回りが落ち着くまでは駄目だと思うんですけど、きっとそれを過ぎたらお話できるようになるので、それまで頑張ってください」

「は……」


 スサーナの言葉にレオカディオがぽかんと口を開け、それからふるふるとまるで水を浴びた子犬のように首を振る。


「その、スサーナさん、それはどういう……意味で?」

「ええと。お父様にもなにか心づもりがおありのようですから、きっと本当に必要なことだと思うんです。どういうつもりなのかは私からもお聞きしておきますので……。ええとですね、ザハルーラ妃様も助けた人間が名乗り出てきて……お父様が立証すればお信じになるかとおもうんです。ですからその、きょうだいのような立場の人間が、ということがわかればお諦めになるのではないかな、と……」


 なにやらそう聞いたレオが遠い目になり、そういうことだろうとは思いました、などとしみじみと呟いたのでスサーナはかくんと首をかしげる。


「どうか?」

「いえ……この際今はそれで構いません。気遣って貰えるのは嬉しいです。……とても。」


 レオカディオが手を伸ばし、スサーナの手を取って上下に軽く振って笑った。


「それはもう。レオくんにおかれましてはお元気でいいことが一杯あってほしいですもん。」

「そうですか?」


 みんな幸せであって欲しい。お友達はみんな。近い位置の相手ならなおのこと。

フローリカちゃん親友おうちのみんな家族へはどれだけそう望んでも直接は祈るぐらいしか出来なくなってしまったけれど、大事なお友達であり、家族みたいな繋がりになるかもしれない……レオくんならまだ手伝うことは出来る。なにかマシにして差し上げる手伝いができたら良いのだけれど。スサーナはそう思う。


「ええ。レオくんもフェリスちゃんも、他の皆も。大事ですからね!」


 言いつつ、そういえばフェリスちゃんについてレオくんに聞いても良かったな、と思ったスサーナだったが、流石にこの状況でそちらの話をする気はしない。

 なにやら機嫌が軽快した様子にスサーナはその手を両手で取ってぶんぶんと振り返す。


 その後、熱い湯で淹れ直し、蜂蜜をたっぷり入れて勧めた煎じ湯のその効力だろうか。お父様が戻ってきたときにはレオくんはだいたい落ち着いて、機嫌も大体立ち直っているようだった。

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