第290話 偽物侍女、奔走する 6
「定番の嫌がらせ……って、下剤が……です……?」
林檎菊の香りがよく出たお茶にたっぷりはちみつを入れて一口すすったレオくんは、スサーナが半ば呆然と呟いたのに苦笑したようだった。
――ちょっとその定番の嫌がらせ、最悪すぎると思うんですが。
それがもし共有部分で発動してしまったら嫌がらせ相手にだけ迷惑を掛けるのを通り越し、公共、もしかしたら嫌がらせをした本人もダメージを受けやしないだろうか。
「いえ、下剤、に限る話ではないです。」
スサーナは世にも最悪な光景の想像をしたものだが、レオくんが苦笑しつつも小さく首を振ったので少しだけホッとした。
「そうですね、例えば、部屋に飾る花に触るとかぶれるものが混ぜてあるとか。鉢植えを部屋に入れさせたらカメムシの越冬場になっているとか。」
下剤よりマシだが想像するだに嫌な感じのことを、レオくんは指折り数えつつ例示しだす。
「香水が悪臭のものにすり替えられるとか……バラ園の肥料にわざと
「「その程度のこと」って……」
「いえ、「その程度」なんです。財物が大きく損なわれたり予算に影響したりすることはほとんど無くて、父上……陛下に話が届くような大事も基本的には無いんです。こまめに訴え出ると受理する方の面倒が勝る程度と言いますか。ドレスや装飾品も、正餐や、表に出る行事に使うようなものはすり替えたり壊されたりはない、というような。」
レオくんが詳しく説明するのを聞けば、嫌がらせとやらは大抵、表沙汰になるぐらいに大事になりそうなことは少なく、地味にうんざりと迷惑が積み重なるような行為が基本である、という。起こるのは基本的に慣れ親しんだ侍女たち以外を使った時で、何か集まりとか催しとかザハルーラ妃の面子が関係する時、さらにザハルーラ妃が外に関わる時が必然、多い。
つまり、ちょっとした集まり、茶会、「公式」ではない行事などだ。
「ああ、なるほど、定番はそこにかかる……。」
「はい。母も身の回りの侍女を顔を覚えた気心が知れるものばかりで固めて……妃宮にご婦人たちを滞在させることもないので、定番と言っても実際ほとんど無くて。外でなにかした時に、というのが近年多かったみたいですね。多分、今回のこともそれらの延長の行為だと思います。やり口が似ていますし。……ここのところ無かったので安心していたんですけど、それで侍女たちも気を抜いていたんでしょうし。あれから外への警備も厳しくなって物々しい雰囲気も増えましたし、内側に気を張る気分でもなくなっていたでしょう。」
今回はちょっとうまく噛み合ってしまったら規模は大きい迷惑行為だが、外の侍女をどんどん入れるためにいい機会だったのだろうし、呼ばれていた乙女候補たちも高位貴族のご令嬢、という人は居なかったので、そう問題にはならないと踏んだのではないか、とレオくんは小さく肩をすくめた。
「でも、飲み物に下剤が混ざるようにしようだなんて。……今やったらすごく演奏会の事件とかを思い出されて大変なことになるでしょうに。」
「はい。僕もそう思います。ただ、……実際に居合わせた人ではない……でしょうしね。あの事件は酒に良くないものを混ぜられた、というより、乱心者が武器を取って騎士を殺したほうが注目されていましたし……もう
なにより、聞いた話と合わせて考えると、実際摘んでお茶にするのは母か、ご令嬢のどなたかだったでしょうし、とレオくんは言う。
スサーナはその嫌がらせをした誰かは危機意識というものが皆無なのか、と半眼になったが、レオくんの言葉を聞いて一応納得した。
実際魔獣を吐いたなんていう体験をしたスサーナにとってはあの事件は異物混入がメインだが、王族全員の飲み物に同じものが混ざっていたとかいう話は大々的に広まっては居ないわけで、術式付与品で騎士が殺された、という方が広まっているなら別のものと感じることだろう。
捜査でお父様や部下の皆さんがヒイヒイ言っている、というのも周知の事実、という感じはしないし、事件について風化する人は風化するのか。
それにしてもやっぱり警備とか処罰意識とかはセンシティブになりそうだし、言い逃れ出来るといったって犯人の危機意識は薄いと思わざるを得ないが。
「しかし、そんな事をするなんて……どこのどなたなんでしょう。」
事情はわかったが、非常に迷惑な話だ。スサーナがつぶやくとはい、そうですね、とレオくんがうなずく。
「そうですね。今回のは……と言っても、候補、というか、そうだろうと思われてる方、に過ぎない、と言えばそうなんですけど……。そう、流石に外から入れるものに全くなんの警戒もしていない、というわけではなくて、あの鉢は王宮の温室からのものなんです。外からの流通とは違う手続きだと言います。それで、お腹に良い薬草を揃えているのはミレーラ様の温室なんですね。」
その言葉にスサーナは頬を引きつらせかける。
「ええっ。……フェリスちゃんのお母様が、まさか?」
確かに妃に嫌がらせをするなら別の妃、というのは前世の創作物でも定番だったものだ。だが、お茶会でも仲が悪そうには見えなかったし、レオくんも仲がいいと言っていたのではなかったか。
「あ、いえ、そうではなくて。違います。……違うと思います、が正確かな。ミレーラ様は母に嫌がらせをして得をすることはあまり無いですから。」
得がない、とはシビアな言葉だ。しかしレオくんがそんな事を顔色を変えず言うということは、そういう判断が日常だ、ということで、
――やっぱり王宮、魑魅魍魎が跋扈するなんとやらなんですね……!
スサーナはそっと戦慄した。
スサーナの内心の戦慄を他所に、レオくんはどう説明しようかな、と悩んだ顔で呟き、カップにはちみつを足す。
「ええと、ビセンタ婦人という……、庭園のことや、母たち……陛下の妃の温室に関われる立場の人間……つまり園丁や、温室番に影響力がある、というか……。庭園の管理を任された長官職の家のご婦人が居るんです。ご婦人の派閥というものはちょっとあんまりややこしすぎて、僕がうまく説明できるかどうかわからないんですが、一応ミレーラ様のほうに近い、とされてはいる方ではあります。ただ、あえて言うなら……ぐらいの近さではあるんですよ。でも、温室の植物になにがあるかぐらいはわかるでしょうし、入っても止められるようなことはない、というか……」
「ああ、ええーっと。関わりがあるから調べなくてもミレーラ妃殿下の温室にそれがあるとわかるし、庭師の組織図や立場もわかるし、立場を利用して持ち出させたりすり替えたり出来る……というようなことですか?」
「ええ、はい。そういうことです。」
スサーナがレオくんがつっかえつつ悩んだ顔で話し出した言葉をざっと問い返すと、レオくんはスサーナさんは飲み込みが早くてすごいですね、とニコニコした。
「もちろん。これは、「多分そうだろう」であって、絶対間違いなくそうだ、というわけではないんです。確たる証拠は無いですから、下手に糾弾するとややこしいことになります。身分で言えば妃である母のほうが上なんですが、仕えて長い家ですし、色々ありますから。」
「その方は……レオくんのお母様に嫌がらせをしそうな理由が?」
まあ、誰かが誰かを嫌いだという感情には理由など無いのかもしれないが。
「ええ。……父上、陛下が母を連れ戻らなかったら、妃の一人になるだろう、という前評判だった方なのだそうです。色々ややこしい事情があって、どっちみちそうはならなかっただろうということだそうですけど、……本人がそう思っているかは別なので……」
わあ。
――いづれの御時にか女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに以下略!!!つまりそういうアレですね!?
スサーナは、前世で親しんだなんらかの超有名古典のフレーズを脳内で反射的にずらずらと垂れ流し、今度こそ頬をしっかり引きつらせた。
王宮の人間関係、こわい。やっぱり魑魅魍魎じゃないですか。そうスサーナが引きつっている間にラウルが戻ってくる。レオくんにあちらの者に伝えました、と報告するのを聞いてしばし。
「こほん。ええと、そういう事情でした。……そういうわけで、兄上の真似みたいなことをしては駄目ですよ。本当の侍女と間違われると困るでしょうのもそうですが、またこういう事が無いとも限りませんし。兄上は神経が図太いですから大抵の出来事では平然としていますけど、スサーナさんはその、心優しい方ですから。王宮は華やかなだけではありませんから。そういう物を見せて心をなやませたくはないです」
向き直ってきたレオくんに、決然と、念を押すみたいに言われて、スサーナはううむとなった。
――あ、そこに話戻ってきちゃいます? 有耶無耶になるかと思っていたんですけど。
先程引きつった顔をしていたのがよほど怯えたように見えたのだろうか。
実のところ、魑魅魍魎こわい、とは思ったものの、それとこれとは話は別だ。
めんどくさい人間関係の結果ややこしい事が起こるのは非常に面倒くさくこわいものの、多分こう、一般的に清らかな心優しいご令嬢がショックを受けるような方向性の怖い、ではない。
なんというか履修しなければいけない事象の多さというか、バタフライ効果で面倒なことがありそう、と言うか。触るととても面倒そうなので触らず生きていきたいもろもろのことが一杯に詰まっていそうでこわい、である。
「でもレオくん、私、そんなことよりレオくんのほうが心配ですし。」
「そっ、それは嬉しいですけど……!」
またもやうぐぐ、と唸ったレオくんにスサーナは言い募る。
「どうしてもいけませんか? お願いします。お邪魔になるような振る舞いはできるだけしません。今日だっておかしな事はしませんでしたでしょう? ご令嬢がたの動きも心配ですけど、レオくんが嫌がらせに遭うかもしれないのも心配です。出来る限りは静かに見ているだけですから。」
「その、それは……」
それからしばらく続いた押し問答を中断させたのは、またもやラウルの一言だった。
「恐れながら、殿下。居て頂くのも悪くはないのではありませんか」
「ラウルー!?」
「確かに、ご令嬢の振る舞いに関することとなりますと、
うぐ、となったレオくんを横目に、スサーナはラウルに大きく頷いた。レオくんの表情の感じ、ただただイヤ、というのとは少し違う感じがするのだ。どちらかというと迷っているというか、それでもいいと思う気持ちがありそうと言うか。心配してくれていつつも、少しは不安というか、味方が一人でも多く側にいるほうがいい、みたいに思っているのではないだろうか。つまり、後ひと押しという気配がする。
「あ、はい! あ、そうか、ビセンタ婦人という方はミレーラ妃様の妃宮に出入りしている方なんですよね。じゃあ動向を探ったりすれば……。ああでも、警戒されたりしないんでしょうか。」
「好意的に振る舞われると存じます。……あちらの方々にしてみれば、殿下の後援としてザハルーラ第三王妃殿下と近しいミランド公をミレーラ第二王妃殿下寄りにする切っ掛けだとか、ただでさえそのように見ておられるでしょうから。とはいえ、そこまでしていただくのは殿下がお許しにならないでしょうが、今後の「乙女探し」の会の前数日、あちらの妃宮にいるかどうかを知れるだけでも意味はあるかと、殿下。」
予想外の後押しにスサーナは勢いづいた。前から分かっていたことではあるが、ラウルはレオくんさえ守れればよく、スサーナの元々の素性も知っているので、こういう場合、どちらかというと使えるものは使う方針になるようなのだ。わかりやすく、とてもありがたい。
来ているかどうか、だけなら、まあイネスに聞けばよさそうなのもいい。
ビセンタ婦人に近づくために妃宮のご婦人たちと接触を増やすなら侍女の頻度をちょっと減らす必要がありそうなのは少し残念だし、どうせならラウルとクァットゥオルで護衛官同士緊密に連携してイネスに直通してくれれば、と思うものの、どうもそういうものではないようなのは仕方ないとする。
それに、もしかしたらこれはレオくんが納得しやすいような理由を述べてくれている、という可能性も結構あるのだし。
たしかにそれはそうですけど、とレオくんはしばらく渋ったが、結局しばらくの逡巡の後、絶対に危ないことはしないでくださいね、と言いながら折れた。
スサーナはホクホクしつつ、レオくんの気が変わらないうちにとりあえず話題を変えて、穏便に着地させる方向性を考える。
「あ、そういえば、お茶席で、どうして私だと? 完璧な変装だと思っていたんですけど。駄目でしたか……。どうしてわかったんですか?」
別に完璧だとは思っては居ないのだが、まあ、そこはそれだ。
容姿を本格的に変える魔法だとか魔術だとかも世にはあるし、カリカ先生が一度見せてくれた本気で人相を変えるための化粧はスサーナが抜けだすときに行うものに比べて100倍はガチだった。ともあれ、そう思っていると思ってもらうのは大事なことである。もし別の、ガチの変装機会があればこう言っておけばバレはないような気はする。そうスサーナは内心ちょっと計算もしていたりする。
「ええと、確かに髪の色も違いましたし、確信はなかったです。なんとなくと、あと声と……口調もです。スサーナさんは下級侍女にしては言葉遣い……といいますか。アクセントとか、単語とか……貴族よりすぎるというか。最初にお会いしたときからその傾向はありましたから、印象が強くて。」
「レオくん、やっぱりカンがするどくてらっしゃる……。」
あっ予想しないところが出てきた。島言葉の影響というやつか、今度ミッシィにちゃんと教授してもらおう。スサーナはブラッシュアップを考えつつ、とりあえずレオくんを全力で褒め称えておいた。
嬉しそうなレオくんはやっぱり余裕たっぷりのキラキラ王子様というより、なんとはなしに可愛らしいまめしばチックだったので、スサーナはなんとなくホッとしたような気持ちで和んだことである。
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