第74話 夜は短し乙女の迷惑 7

 ――えーと、えーーと。


 スサーナはとりあえずマリアネラの背を撫で、少し落ち着いてきたところで肩を貸してベンチに座らせた。

 今にもぺたんと地面に座り込んでしまいそうだったけれど、夜着のままで夜露の降りた地面に座り込むものではない。


 ――うわぎー!上着着てきてよかった!

 自分の膝を見つめながらしゃくりあげているマリアネラに上着を着せかける。

 なんとか慰めの言葉でもかけてやりたいとは思うものの、スサーナは困る。

 語彙がない、と言うべきか、マリアネラの心を解せそうなワードセットを持っていない。

 気持ちもわかるような全然わからないような、あやふやだ。

 状況も会話から断片的に取っただけで合っているのかどうか。

 じっくり考えたあとでなら効果的な単語にたどり着きようもあろうけれど、嵐のような状況に振り回された後ではちょっと思いつく人生の素養がない。

 ――えーと。

 とりあえず、背にかけた服の上からさするのを再開する。


「なんで……」


 しばらくさすっているとマリアネラが蚊が鳴くような声を上げた。


「……わたくしだって……一生懸命考えて……ううー……っ……お、お二人ともお幸せになるようにって……」


 ――あっ。


「そ、そうですよね! 一生懸命考えてましたよね! それで私を雇ってくださったり、見てたからわかりますよ!」


 スサーナはあわあわと励ます。


「……うっ、ふ、……わたくしじゃ駄目なのに……ど……して、わかってくださらないの……!」


 うう、と唸ったマリアネラの膝にぱたぱた涙が落ちる。


 ――ああっ、えっと、えっと。


「ま、マリアネラ様はとても偉いです、なんでもして差し上げられるぐらいお二人ともがとっても大事なんですね」


 大事なのだろう、ということは間違いがない、と思う。

 ちょっと相手の身に立って考えるという成分が足りなかったのだろうという気はするが、スサーナからは見えなくともマリアネラとレティシア、それとクラウディオ様とやらは長い知り合いなのだろうから、そういう付き合いでなければわからない機微というのもあったのかもしれない。

 ――12の子が相手の外聞がとか言い出すんだものなあ……

 子供の動機なんてもっと自分本位なものだろう、とスサーナは思う。前世ではそうだった。前世で目にした創作物やニュース、体験記ではそれで許されていたことのはずだ。こちらでは少し違うのかもしれないけど、でもこどもにはこどもなのだから。

 ううむ、とスサーナはポケットを探り、そういえばハンカチがもうなかったことを思い出して、指でマリアネラの頬を拭った。


「ええと、その、長期的に大事な方々が幸せになるようなことをして差し上げたかったのはとってもわかります」


 マリアネラがスサーナを見上げる。

 ――ううん、えーと、えーと。


「お一人でいっぱい考えて、お辛かったでしょう」


 起こったこと、というか、レティシアとの食い違いを肯定するのはちょっと違う気はした。それはそれとしてやっぱり、ねぎらっておくべきのような気がしたのだ。多分、彼女が一人でずっと考えて、ようやく出てきた結論だったのだろうから。


「うぅぅ……!」


 マリアネラの手が伸びてスサーナの服の前を掴む。

 おっと、と思う間にその手がぎゅうっと握られて、マリアネラはスサーナの服を握って引っ張りながらわあわあと泣き声を上げだした。


 あーあーあー。

 スサーナは引っ張られるように前に進んで、胸元でマリアネラの頭を支えるような形になる。

 そのまま正面から片手で背中を支え、もう片手で背中を打ってやりながら、とりあえず落ち着くまで好きなだけ泣かせておくことにした。


 ――ああー、なんだか懐かしいな。昔もこんなことあったっけ。フローリカちゃんと最初に会ったときだった。


 背中を打ちながらスサーナはふわふわと思考を逸らす。

 まさか生涯に二度も女の子が泣いているのに胸を貸す機会があるとは、などと妙な感心をした。

 あのときは聞いてみれば本当にちょっとしたことで、自分にもなんとかなりそうに思ったっけ。折角だから今回もなんとかうまく行ったらいいのだが、と思う。



 ――そういえばレミヒオくんの方、大丈夫かなあ。


 それからようやくなかなか戻ってこないレミヒオのことに気を回して、心配した。


 暴漢に遭った、とか、ヨドミハイが残っていた、とかそういう事は全く心配する必要はない気がしたが、可能性をいろいろと脳内で吟味して、一つ恐ろしい可能性の絵に思い当たる。

 ――……セルカ伯が起きてきたのに出会っちゃった、とかあったらちょっと最悪ですよね。

 可愛い娘が身も世もなく泣きじゃくっていて、夜着で、深夜で、使用人……しかも青帯奴隷と一緒。

 ちょっと首と胴体がお別れしても文句が言い切れない状況のような気がする。


 ……一応確認しに行ったほうが良さそうだ。

 スサーナはそれでもマリアネラがもう少し落ち着くのを待って、それからレティシア様のほうを見てきます、と声を掛けた。

 マリアネラは夜着の袖で涙を拭い、スサーナの袖を掴んで立ち上がった。

 どうやら一緒に行く、ということらしい。


「大丈夫ですか? えっと、お部屋で待っていてくださってもいいんですよ?」

「わたくしも、行きますわ」


 鼻声でちいさくぼそぼそ呟く。


「カッとなって酷いことを言ってしまいましたの、謝らなくちゃ……それに、あんなこと思っておられただなんて知らなくて……」

「あ、はい。じゃあ一緒に行きましょう。」


 マリアネラに袖を掴まれたまま、走っていったほうに向けてきょろきょろしながら歩く。


 歩きながらマリアネラはぽそぽそと話し始めた。


「……わたくしが幼い頃から伯父様はよくわたくしをお家に呼んでくださいましたの。」


 懐かしそうな表情。


「おうちに行くと、いつもレティ様とクラウディオ様が迎えてくれて。クラウディオ様がいつも新しい遊びを教えてくれるんですの。おやつもわたくしとレティ様に半分ずつ分けてくれて。お二人ともとってもいつも仲良くて……わたくし、世界で一番しあわせな場所はここなんだって、ずっとそう思っていましたわ」


 ――あー。

 スサーナは教養の教師に聞かされたゴシップを思い出す。

 ――それは、まあ、それならそうだろうなあ。

 なるほど、船で話を聞いたときにはいまいちややこしい転倒をしているように思ったけれど、つまりマリアネラにとってはそのクラウディオ様とレティシアが揃っていることが幸せの光景だったわけか、と思い至った。


「レティ様と競争で、私がお兄様のお嫁さんになるんだ、って……ただのおままごとのお遊びですわ、ほんとになれるなんて思ってなくて……だから、レティ様とクラウディオ様のご婚約が発表されたときには本当に、本当に嬉しかったんですの」


 ――ああー。

 つまり、幸せな光景が永久に固定されるような、そんな気持ちになったのか。

 あーわかるわかる、ともにゃもにゃ遠い目をしながらスサーナはきょろきょろする。

 あんまり聞き続けると後戻りできないような、深入りせざるを得なくなるような、そんな気がしていた。


「それからすぐにクラウディオ様が学院に入って、でも月に一度はお手紙をくださいましたし、レティ様もあんなにクラウディオ様が大好きだったのですもの、きっとお好きなままでいると思っていましたのに、島に来ることが決まって、レミヒオが来て……しばらくして、レティ様はレミヒオとへんに親しくするようになって……お遊びだと思っていましたの、最初、でもそうは見えない気がしだして……」


 止めないと、と思っていたのに、あんなことを思っていたなんて、とマリアネラはぐすぐすと鼻をすすった。


「えーと、それはもしかして、ベルガミン卿に求婚された後、だったりとか――」

「ええ、いいえ」


 マリアネラは頬にほほ笑みを浮かべて首を振った。


「最初は誰だったかしら。ベルガミン卿ではありませんでしたわ。妾とか、後妻とか、……少し早いお話で、年も離れた方が多くて。でも仕方ないとは思っていたのですわ、でも、レティ様はショックでらっしゃったのでしょうね。みんな伯父様が良い顔をしないでいてくださいましたから、お話はまとまりませんでしたけど」


 ぐわーーーーっ!

 スサーナは叫びだしたくなった。なんだかポイント・オブ・ノーリターンを超えてしまったような気がしたのだ。

 いいや、気がした、ではない。超えた。これは確実に超えた。

 ――ンモー無碍に出来ないやつ!!!!!

 スサーナは諦めた。他人の身の上話なんてそんな簡単に聞くものじゃない、ほんとうに。

 まあ、無碍に出来なかったからといって何が出来るわけでもないのだが、

 ――とりあえずベルガミン卿はぼっこぼこにしましょう。

 全力で。それはもう全力で。

 スサーナは架空の口中の牙を尖らせて、しゃーっとイメージの中のベルガミン卿に唸りを上げた。



 結局レティシアとレミヒオは庭の隅の方でレティシアがレミヒオの胸を借りて泣いているところを発見することになった。


 いや、スサーナは立ち尽くす二人を見て、胸を借りて、と形容しかけてから否定する。

 がっちがちに固まってものすごく困っている様子のレミヒオは女の子に胸を貸している、と言うより、なにか生まれたての小動物を手のひらの上に載せられて動けなくなっている人のほうに近いように思えた。

 めちゃくちゃ腰が引けている。


 はっきりと明らかにレミヒオは胸を貸したのではなく飛び込まれて泣かれている、もしくは捕まって泣かれている、この二択のように見える。

 ものすごく助けを求められたような雰囲気の視線を感じて、スサーナは

 ――うん、なんとなくそんな気はしていました。そのあたりの機微は駄目な子なんじゃないかなって気は!

 うん、とうなずいて、少し傍観することにした。


 がんばれ。そんな思いを込めた視線に、レミヒオは数時間前あれほど頼りになったのとは別の生き物めいて力なく首を振ったようだった。

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