第22話 市場に行こう 2

 港の市場からは魚のにおいがする。

 塔の諸島を囲む白き海内海で穫れる豊富な魚介が毎朝並べられ、つめかけた街のおかみさんたちの声に答えて飛ぶように売れていく。


 かといって魚ばかりが豊富というわけでもない。近隣の村々から運び込まれる新鮮な朝穫れ野菜と果物。狩猟禽獣と家畜の肉。はてはそれらを加工したありとあらゆる食べ物。


 食べ物があるなら調理用具と食器も売れる。食器のついでにテーブルクロスを買うこともあるだろう。

 そんなふうにして、市場の最外周あたりには骨董だの家具だのを並べた店から多少いかがわしいものまで並ぶことになる。


 結果、港の市場にはありとあらゆる店が軒を並べしのぎを削っている。



 つまり、市場には屋台だって豊富だ。

 ブロック状のカジキの肉を串に刺し、炭火でよく炙ってレモン塩をまとわせたもの一本1アサス。

 神殿以外でも許可なく焼ける種無しパンの生地を揚げて、糖蜜を絡めたもの、一つ半アサス。

 半割にした冬オレンジが一つ半アサス。棒を削っただけの木さじをつけて蜂蜜をかけたら一アサス。

 名前も知れない小魚や小さなエビ、カニ、貝なんかを一緒くたにして塩味で煮込んだ素敵なスープは一アサス半。

 角の肉屋が昼だけ数限定で売っている、切り売りの焼き肉の骨の周りについたクズ肉をスプーンでたっぷり集めて、刻んだピクルスと葉野菜と一緒にパンに挟んだやつはちょっと豪華に2アサスだ。

 冬のために果物が少ないが、これが夏ならありとあらゆる果物、蜜がけとシロップ煮、それと魔術師の嘱託商人が商う氷を欠いて果物のシロップ煮と混ぜたものの屋台がさらに足されることだろう。


 スサーナは全力で目を輝かせていた。

 何事もなく港の船につけ襟を届けて、使い方を説明したあとにやって来たのがここだ。

 おばあちゃんの方針で、普段は買い食いというものに縁がない。特にそれに不満があるわけでもないのだが、こうして目の前にすると興奮してしまう。

 ――予算は5アサス!ほぼどれでも食べ放題みたいなものでは!?

 そうドカ食いできるほうでもない繊細な胃袋をしているので、最初の一品の選定が大事だ。

 ――なんにしよう。肉か……魚か……


「スサーナ、睨まなくても屋台は逃げないよ」


 苦笑した叔父さんが、手近な屋台から茶葉と肉桂やら生姜やら、ともかく色々なスパイスを牛乳に入れて鍋で雑にグツグツ煮出した飲み物を二杯買う。はいお飲みと一杯を渡してくれた。


「あっ、ありがとうございます叔父さん。……でも飲んだらご飯が入らなくなっちゃいそう」

「これは飲んだほうが入るようになるって言われてる飲み物だよ。」

「飲みます!」


 ふうふう啜る。あまり甘味は強くなく、複雑な香りが熱を伴って喉を下っていく。

 よし、これは胃に良さそうだぞ、と意欲を新たにしたスサーナは、最初の屋台をかたまり肉の串焼きに定めた。


 肉をかじる。ちょっと歯が丈夫になりそうな気がするぐらい硬いが美味しい。噛んでいると味が滲み出てくる。もぐもぐ噛みながら、横目で同じ店で同じ串焼きを買って齧っている叔父さんを見る。


 なぜスサーナが叔父さんを見ているのかと言うと、高級店で豪華な衣装を着て接客をしている叔父さんも面白いが、乱雑な市場に不似合いな高級衣装の上に仕立てのいい外套を引っ掛けて呑気に串焼き肉を齧っている叔父さんもこれはこれで圧倒的な場違い感でやたらと面白いのだ。


 しかし、面白い面白いと思っているのはスサーナだけのようで、すれ違うお嬢さんたちなんかは叔父さんを見ては息を呑み、急に叔父さんの前で歩き方がお淑やかになったり………


 ――……ん?なんか女の人多くない?

 周りを見渡すと、明らかにウロウロとそのあたりに居残ろうとする女性が複数人以上。通りの人の流れに滞留と対流が起こっている。


 スサーナは呆れた。


 ――お嬢さんたち! 叔父さんは今朝もお髭剃るの忘れてお仕事に行きかけましたし、お魚食べるのがものすごく下手ですし、物件としてそこまで良物件でもない気がしますよー!


 昨日の夕食はオイルを掛けた焼き魚だったが、叔父さんの前の皿はバラバラ殺魚事件みたいになっていた。

 ……とはいえ、魚はよく食べるもののこの島の人達はどうも魚を食べるやり方があまり得意ではないようなので情状酌量の余地はあるのだが。ちなみにスサーナは魚を食べるのが家族の誰よりも上手い。前世日本人の面目躍如である。


 スサーナの視線に気づいた叔父さんがちょっと首を傾げる。


「ん?どうしたんだいスサーナ?」

「いいええー、なんでもないんですけど」


 ちょっと、通行のじゃまになってるみたいで。

 後半は口に出さずに周囲を見回す。

 叔父さんはなにか勘違いしたようで一つうなずいた。


「ああ、立ってものを食べるのに慣れていないものな。よしスサーナ、そこの広場にベンチがあるからそこで食べようか。」

「はい叔父さん、それがいいと思います」


 広場なら、通行人のじゃまになることも減るだろうから。

 スサーナはちょっとだけ遠い目でうなずき返した。



 その小さな広場には背もたれのない四人がけほどの石のベンチが、平行に三列、12ばかり並べてある。市場の人達は昼のトップ時間がもう少し早いらしく、スサーナ達が広場についたときにはベンチは数席埋まっている程度だった。


 ――前後埋まりましたね。

 スサーナはもっしもっしと肉をかじる。さすがにギュウギュウに詰まる、ということはない。座ったベンチの前後にはおのおの二人から三人ずつの女性が腰掛けている。

 ――いや、でも勘違いかもしれませんし。偶然ここで食事をという方々かも。

 思う。思うのだが、なんだか女性たちの視線が集中している。視線が痛いような気がする。いや、流石に同性であれ10歳の子供に厳しい目を向けるひとはいようがないとスサーナは思う。だから気のせいだと思うのだが。

 みんな小さな焼き菓子や、花の糖衣掛けなんか、やたらと可愛いものを口にしているのも気になった。

 なんだか居心地が悪いスサーナは、急いで肉串を口に押し込んで叔父さんに声を掛ける。


「叔父さん、まだ食べますか?」

「うん? もう少し食べるつもりだったけど、スサーナはもういいのかい?」


 立ち上がりかける叔父さんを手で制し、スサーナはにっこり笑ってみせた。


「まだ叔父さんが食べるなら、私ちょっとそこらへんのお店を見てきたいんです!」

「ああ、なるほどね。いいよ。僕はもう少しゆっくり食べるから、ちょっと見たらここに戻ってくるんだよ。もし道がわからなくなったら……」

「はあい。大丈夫です叔父さん、広場はここだけでしょう?道がわからなくなってもちゃんと聞いて戻ってこれますから。」

「はは、スサーナはしっかりしてるな。気をつけるんだよ」


 ウインドウショッピングと無駄遣いに理解のある叔父さんでよかった、とスサーナは立ち上がる。もちろん目的はそうではないのだが。

 是非にお嬢さんたちの目の保養になればいいのだ。なんなら劇的な出会いとかをしちゃったって構わない。叔父さんだってそろそろ26歳。おばあちゃんにまだ結婚はしないのかとせっつかれだしているのだからして。


 たっと席を立つ。広場をあとにするスサーナの後ろのほうで、横の席はあいているかと叔父さんに声をかける女性の声がした。


 くわばらくわばら。




 なんとなく危機を脱したような心持ちで、ふらりふらりと歩く。

 もう少しなにか食べたい気もしたけれど、ちょっと時間を置いたせいかずっしりと肉串がお腹の中で膨らんでいる気がする。

 まだ一アサス半しか使っていない。ポケットの中では1アサス貨が三枚と半アサス貨が一枚、ちゃりちゃりぶつかりあって音を立てている。折角の機会だから使ってしまいたかった。

 ――食べるなら甘いものかなあ。焼き菓子……甘い飲み物でもいいかも。


 屋台を冷やかしていると、道の向こうの荷物の影に、ふてぶてしい顔の巨大な猫が座っているのに気づいた。

 ――あっ猫!

 スサーナは猫が好きだ。フローリカの両親の店は食べ物を扱うために、倉庫に猫を飼っている。猫番兵さんたちとフローリカが呼ぶ彼らを、ときどきお邪魔するたびに(猫が)飽き(ていやが)るまでモフモフモフモフするのが習慣になっていた。


 猫を揉む機会を逃すスサーナではない。

 目線を合わせないようにしながら何気なく猫に近づく。

 ちらりちらりと猫を見つつ、基本的には向かうルートがかぶったんですよ、と言う態度で猫の傍へ。

 ここで猫が逃げなければしゃがんで、手を出すなりすることで猫とのお近づきの挨拶となる。

 この二関門を突破せずして猫を揉むことは出来ない。スサーナは意気込んで猫の傍でしゃがみかけ……

 ぶにゃー。

 猫がスサーナを見ながら立ち上がったことでごくりと息を呑む。

 あーあー、逃しちゃった。スサーナはそう諦めかけたが、猫は、スサーナを振り向きながらととと、と数歩歩き、またスサーナを振り向く。

 ――さ、誘われている!

 スサーナは一も二もなく猫を追いかけることにした。なに、広場の場所はわからなくなっても人に聞けばいいのだ。

 スサーナは紗綾時代に培った大人の対応力を信じていた。


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