10歳のとき

日常と、学友と、秘密の冒険と、非合法。それから――

第21話 市場に行こう 1

「うーん、肩が凝った……」

 スサーナは眉間を強くつまんで窓の外に視線を向けた。

 遠くを見るように視線を調整して、ギューっと目をつむって開ける。


 スサーナは今つけ襟を縫っているところだった。

 夜遅く、他の家族は休んでしまっているが、夜更かしのスサーナは作業部屋にランプを持ち込んでこっそり縫い物をしている。

 この四年でずいぶん手に馴染んだ針を針山に戻し、ついでに立ち上がって腰をそらして、すこし体中を伸ばす。


 スサーナはこの冬のさなかに10歳の誕生日を迎えた。

 前世を思い出してから四年。あれから色々試して、なんとか今の自分でもわかりやすくお金にできそうだとあたりをつけた前世知識は2つ。ひとつはシフォンケーキ。そしてもう一つが水夫服につけるセーラー襟だ。


 ……とはいうものの、シフォンケーキはまだ家内でだけ消費される程度の、おうちレシピにすぎないし、セーラー服をプレゼンしては見たものの、いまいち店の人達には理解してもらえず、妥協してセーラー襟という形で今試作をしているところなのだが。

 ――帽子を耳の後ろに掲げるより襟を上げるほうが落とす危険もないし、試してもらってうまく行ったらブレイクすると思うんですけどねえ。

 まず試しに懇意にしている船の水夫たちに使ってもらおうと、とりあえず30枚。

 この春に名降ろしと契約を済ませたらそのままおばあちゃんの店で針仕事の徒弟になる――とはいうものの、服飾職人として店の後をとれるように、という考えがあるようだが――事が決まっているので、その前倒しの練習としてスサーナ自身が作るということで、このあたらしい襟を作ることを家の人間には納得してもらっている。


 けっこう大変な作業だが、そう悪いものでもない。これが受けてブレイクすれば自分だけどころか店全体の売上にもつながるかもしれないし、スサーナが勝手に作り出したものであるものの、一枚5アサスで店に買い取ってもらえるように叔父さんが取り計らってくれたのだ。……無論、この値段は名降ろし前で徒弟にもなっていない子供の仕事にしてみれば破格の高額だ。


 ……この家の人間はスサーナが前向きに熱意を持つのに弱い。

 ありがたいなあ、と思う半面、甘やかされ慣れてしまうと独り立ちできなくなる気がして、自律していかなくては、と言う思いを新たにする。


 作った襟をきちんと伸ばして重ねる。一応とはいえ、商売物だ。きちんと扱わなくてはならない。


「ひいふうみい……あっ、あと五枚……!」


 ここ数日無心に取り組んでいたが、とうとう残り枚数が片手の指で数え切れる数になった。


「はあ……長かった」


 スサーナはここ数日の奮闘を感慨深く思い返して、それから椅子に座り直す。

 今縫っていた分の最後の仕上げだ。

 襟のぐるりに縁取りの布テープをまち針で留めて、しっかりと縫い止める。

 ただの飾りラインではなく、集音器として使った時の外枠になるものだからしっかり縫っておかないとならないのだ。


 端をことさら丁寧に縫い止めて処理する。

 個人的なこだわりで少し端は厚くなってしまっているので処理が面倒だが、どうせ自分の自己満足でそうなっていることなので仕方がない。スサーナはそう思いながら用心しいしい端を結び留めて糸を切る。

 厚くなっている部分の布テープの裏地には、今や彼女にはとても懐かしい文字――漢字で、水難防止 と文字が刺繍してある。


 ……あれから、特に刺繍絡みのおかしなことはスサーナの身の上には起こっていない。

 もちろん、物の形をそのまま写し取る刺繍を行ってもいないし、形のある刺繍に向かって祈るようなこともしていないけれど、おばあちゃんについて抽象的な模様はたくさん学んだし、刺繍だってしている。スサーナの戸棚には習作の、刺し子図案みたいな模様の手ぬぐい布が何枚も入っている。

 それでなにかが起こったことは一度もない。


 あんまり何にもないので、やはりあのうさぎさんは魔法使いのなにか手心が入ったのだろうとスサーナは考えはじめていた。


 今回文字を入れたのは、水夫服には本来水難よけの文様を入れるのだとおばあちゃんに教えてもらったからだ。

 見せてもらった文様は、まるでレース編みみたいな細かい優美な模様を細い糸で縫いとるもので、どう見ても今のスサーナに出来るような気がしなかった。

 ひええ、と悲鳴を上げたスサーナにおばあちゃんは笑って、

『表地にこんな模様が刺繍できるのは一握りの名手だけさ。ほとんどの職人は裏地にちょちょっとそういう意味の印だけ入れて済ますんだ。意欲がある職人は文字を入れることもあるけれどね。 スサーナも大人になったら表地に守り刺繍を頼まれる名手になれるよう頑張るんだよ』

 そう言ったのだ。


 なるほど、と思ってみたものの、果たして文字入れもなかなかに面倒くさい。が多く、何文節にもわかれた文章なものだから幅もとる。

 簡単な印――下向きの矢印に似た――でもいいし、最近はほとんど廃れた習慣だから気にする必要もない、と言われたけれど、はじめて人に渡すものだ。やっぱりこういう縁起は担いでおいてなんぼだろう、スサーナはそう思っている。


 そこで思いついたのが漢字というわけだ。

 漢字はこの世界の文字のサイン――書き味としては筆記体に近い――よりかは直線が多いぶんずっと縫いやすい。他の誰にも真似できない文字を入れておくことで後々同業他社が同じものに手を出した時に自分が作ったのだという証拠にも出来る。漢字は写実的な刺繍というよりも幾何学模様に近いから刺繍したところで問題ないだろうし、他の職人も文字を縫い入れている、と言うなら完全にそっちの問題でもノーカンだ。

 ――ふふ、いい事ずくめですね。意匠登録できちゃうかも。

 そんな制度はないのだが、調子に乗ってそんな事を考えながら、スサーナは新しく出来たつけ襟を丁寧に広げて、畳んだ。


 それから3日ほどで、残りのつけ襟もすべて仕上がった。



 昼過ぎに、よく晴れているのをいいことに思い立ち、箱に入れて、店に出ている叔父さんのところに持っていくことにした。


 店は、屋敷から少し離れた商人街の真ん中あたりにある。スサーナの足ならだいたい30分ほどの距離だ。

 商店の建ち並ぶあたりからは少し離れている閑静で治安の良いあたりなので、散歩がてらに歩いていっても眉をしかめられる場所ではない。


 8つぐらいの時からスサーナは店に出入りさせて貰っている。それで知ったのだが、なんと、おばあちゃんの店は家庭内手工業ではなかった。

 街中に二箇所縫製所があり、手の慣れた職人さんを十数人も雇っていると知ったときにはそんなに商才のある人だったのか、と驚いたものだ。


 ではお針子たちはなんだったのか、といえば、言ってみれば正社員コンシェルジュ育成というようなものだったらしい。親類の娘を住み込みで教育して、高度な技術と接客の方法を両方教え込んで一店を任せられるレベルに仕上げる。そんなプロっぽい事をしているうちだとは思っても見なかったスサーナは、これを聞いたときにもとても驚いた。


 ともあれ、そんなわけで、重たい手提げと背嚢を背負ってよちよちと従業員用の入口をくぐったスサーナは


「きゃあーっ、お嬢さーーん!」


 駆け寄ってきたブリダに盛大に抱きつかれることになった。


 一年ほど前から店に詰めるようになったブリダは、同時に家を出て街中に住居を構えている。それでも小さなときから見てきたスサーナが可愛くて仕方ないのは変わらないようで、こうして店にやってくるたびに盛大な歓迎を受けるのだ。


 荷物をおろしたスサーナをよいしょーっと抱き上げる。


「うふふ、お嬢さんちょっと重くなりました?」

「ブリダ、だっこは流石にもうちょっと……!お仕着せが乱れちゃいますし……ってひどくないですかー!!?」

「お嬢さんは軽すぎるぐらいなんですよ!育ち盛りなんですからもっとたくさん食べて大きく重たくならないと!」

「猫の子みたいに言わないでくださいよー!」


 全身で抗議したスサーナはようやっと下ろしてもらって息をつく。


「んもー。さて、叔父さんはいますか?」

「はいはい、おられますよ。ああ、それじゃこの間言ってらしたつけ襟ができたんですねえ」

「はい! 全部出来ましたよ! 絶対便利だと思うんです。」

「うふふ、船乗りの方々が喜んでくれるといいですねえ。」


 頭を一つ撫でられて、叔父さんのところに案内してもらう。


 ワックスを使って磨いた顔が映りそうな無垢材の床。壁材は重たそうな木と漆喰、あと奥の壁は大理石。そこに並ぶ飾り棚にサンプルの衣装と布。珍しい鏡が壁際にしつらえてあるのが一流の証なんだとか。脇の方にはフカフカの布張り椅子と足台と、それと小さなテーブル。昼間なのにいくつも吊りランプが火をともしてあってきらきらと明るい。

 そういういかにも高級店!!といった空間にマヌカンを兼ねているのか、りゅっとした衣装の叔父さんが立っている。責任者なのだ。

 それがカテゴリエラーみたいでスサーナにとっては何度見たって面白い。


 贔屓目は入っているだろうが、結構顔はよく見えるのだ。前に来た際には素晴らしいドレスのお嬢さんがうっとりした顔で叔父さんの顔を見つめていたし。

 しかし、おうちでもう10年は着ているのではないか、と言う裾と襟のでるんでるんになった作業着を着て徘徊しているところや、入浴……毎日のタライでやるやつ……を面倒臭がってサボっておばあちゃんに怒鳴られている姿、調理場に深夜入り込んで固くなったパンを齧っていたときのこと――叔父さん?とうしろから声を掛けたら乾いたパンを喉に詰めてひと騒ぎになった――なんかを思い出すと

 ――似合わないなあ……

 心の底からしみじみしてしまうのだった。


「ああ、どうしたんだいスサーナ?」


 半眼で羊皮紙を眺めながら別の店員と話をしていた叔父さんは、スサーナの浮かべたものすごく面白いだなんていう感想を知らず、ぱっと顔をほころばせると歩み寄ってくる。


「叔父さん。お仕事の邪魔しちゃいましたか?」

「いや、いいんだよ、長々と見ていたくもない話だからね。なんの用だい?」

「えっと、この間言ったつけ襟が出来上がったので、その、水夫の皆さんに渡しておいてほしくて……。」

「もう出来たのかい! すごいじゃないか!」


 叔父さんは我がことのように胸を張って、スサーナの持ち上げた手提げと背嚢を受け取った。


「すごいぞ、これは明日から仕事を受けられそうだ。」


 ぽいっと机の上に読んでいた羊皮紙を放り投げ、その場でガサガサと手提げを開けてつけ襟を確認する。


「ぜんぜん針目もがたがただし、ここで見ていただくのも恥ずかしいんですけど……」

「立派なものじゃないか、徒弟を数年やったってこんなふうに縫えない人だって沢山いるんだ。これならちゃんと商品として並べられるよ。ねえマノロ?」


 叔父さんが、つけ襟を一枚広げて見せながらさっきまで話をしていた店員に同意を求める。

 スサーナは豪華な店内に似合わぬ品を広げられて、恥じ入って穴があったら入りたくなった。


「ええ、きれいですね。端までしっかり気を使ってほつれもない。フリオさんの姪御さんの腕は確かでらっしゃる。」


 微笑んでマノロと呼ばれた店員が答える。この店の人間はみなフリオがが小さな姪っ子を目に入れても痛くないように可愛がっていることをよく知っていた。


「いえーっ、その、時間だけはかけてあるので……」

「しかし変わった形の……つけ襟ですか。」

「その、水夫の皆さんに使ってもらうんです、試しに……。首周りに通しがあるじゃないですか、水夫服、特にうちで作るものは……だから、紐で留めて……海の上で、音を聞く時に帽子を使うと、落としちゃうし、飛ぶし……高いところにも登るでしょう? これなら後ろをばーって上げてもらえばいいから、気を使う手間が一個少なくて済むかなって……」

「ははあ! なるほど、よく考えられている……。これは、商才もお祖母様に似てらっしゃるようだ」


 どうだすごいだろう僕の姪はすごいだろうとはしゃぐ叔父さん。

 ――もともとここじゃないところにあるものなんですけどねーーーーーー!!!!!

 全方位からの褒めに襲われて、スサーナはいたたまれなくてぴいっとなった。


「さて、じゃあスサーナ、小さなお針子さんに手間賃を払わなくてはね。」

「えっ、いいですよ、だって今日持って来るだなんてお伝えしてないですし…」

「いいんだよ、スサーナはまだこの店の勤め人じゃないからね。他所の職人に頼んだものは品物と引き換えのその場払いが鉄則なんだ。」


 ほへえーっと感心するスサーナを促すと、叔父さんは机の上を少しあけて、一枚一枚つけ襟を広げて確認していく。


「28、29、30。30枚確かに。破れもほつれもない、きちんと出来てる品だね。」


 いつの間にか革の財布と小さな木板を手にスタンバイしていたブリダがにこにこと寄ってくる。


「はいそれじゃお嬢さん、お金を確認してくださいね。一枚5アサスが30枚分です。大金ですよー?」


 袋の中には5アサス貨がきっちり30枚大体三万円ぶん。高額な衣服を扱う店の勘定場から出してきたのだから、本来多く扱う貨幣を考えればデナル貨15枚か5デナル貨3枚なのだろうが、子供でも数えやすくするために集めてきてくれたのだろう。

 精神が精神であるので四則演算は出来るのだが、気遣いの心をありがたく思う。

 受け取った革財布がずっしり重い。


「重たい。……大金ですね!」


 前世にしてみても10歳の子供が持ち歩く金ではない。大金だ。

 スサーナは大事に革財布を手提げの中にしまいこんだ。


「はい、それじゃお嬢さん、これにお名前を書いた後に指にインクを塗って、お名前の上に押してください」


 木板とペンを差し出されてガリガリと名前を書いたあとに親指に筆でインクを塗りつけられる。

 おお、拇印だ。まさか拇印文化があったとは、と感心しながらスサーナは親指をぺったり木板に押し付けた。

 これは月末まで店の金庫に置いておき、それから名前と金額を羊皮紙につけて保管するのだとブリダがいう。つまり、店と取引をした職人として帳簿に載るのだ。

 スサーナはなんだかちょっと誇らしくなった。


 つけ襟をきっちりとたたみ直した叔父さんが、奥から出してきた麻袋につけ襟を仕舞って木箱に入れた。


「ああスサーナ、じゃあ僕はこれからこのつけ襟を届けに港の市場まで行くけど、君も来るかい?」

「叔父さん、お仕事はいいんですか?」


 突っ込んだスサーナに叔父さんは苦笑する。


「いいんだよ、さっきのは急ぎのことでもないし。そろそろ昼休みを取るところだったからね、ついでだよ。」

「うーん、じゃあ行きます!」

「ようし、じゃあ財布から一枚だけお金を出しておおき。自分で稼いだお金での買い食いは最高だぞう!」


 なるほど、それが目的か。

 このいたずらっ子みたいな叔父さんはおばあちゃんに知られたら怒られそうなことを自分に教えるのが大好きなのだ。


 スサーナは得心すると、言われたとおりに一枚だけポケットにお金を移して残りをしっかりしまい直した。

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