第23話 市場に行こう 3

 ねこねこにゃーにゃー ねこにゃーにゃー。

 猫がとっとっとと歩いていく。身をかがめたスサーナがその後を追いかける。

 猫のピンと立てた尻尾がぽててててぽててててと目の前を進んでいく。


 スサーナは機嫌のいい猫がピンと立てたしっぽの裏側、左右に毛グセがついてアンダーコートがぽやぽやしているところと付け根がもそっと太くなっているのが好きである。

 猫の背中の筋肉が歩くのに沿ってうねって、毛皮の光沢が複雑に遷移するのも好きである。

 で、あるからして、猫の背中としっぽばかりを見つめていた結果、猫がいつの間にか帆布を掛けられた荷物が並ぶ倉庫らしいところを抜け、資材置き場らしいところを抜け、幔幕に囲われた何やらの催し物を行っている場所に入り込んでいたのに気づかなくとも無理からぬ事であった。


 喧騒の種類が変わったことに気づき、スサーナははじめて周囲をキョロキョロする。

 ――あ、あれっ、ここどこでしょう。なんか……お店?コンテスト?みたいな……

 キョロキョロするスサーナを尻目に、猫はととととっとスピードを上げると、幔幕際に椅子をおいて座っていた初老の男のもとに駆け寄った。


「おっ、花ブチ、今日は遅かったなあ」

「ぶにゃー」

「ははーん、またどっかから子猫連れてきたな?」

「ぶにゃー」

「よしよし連れてこい、まだ茹でたアラはたんとあるからな」


 とととととと。


「ゔにゃ」「お?」

「……子供じゃねえか!」

「ふえ!?」


 焦って周囲を見渡していたスサーナは、得意げな猫に率いられてやって来た老人に声を掛けられて目を白黒させた。



 老人に折りたたみの椅子を広げてもらって座る。

 眼の前では、巨大なぶち猫が古びた陶器の碗いっぱいに茹でた魚のあらを入れてもらったところだった。


「ぶにゃー」

「なんだ花ブチ、もっとよこせってか」

「に゛ゃ」


 違う、とばかりにスサーナを見上げてから老人の方に鳴いた猫を眺めて老人はぷはっと笑う。

 なにがなんだかわからないスサーナに問いかけた。


「嬢ちゃん、あんた、よっぽど腹をすかしてるのかい?見たとこいい身なりだけども。」

「いえ、お腹はいっぱいなぐらいで……」

「だってよお花ブチ! はははは、こいつ嬢ちゃんに魚をごちそうするつもりだったみたいでな。よく俺んとこに別の猫を連れてくるんだけどよ、人の子供連れてきたのは初めてだわ。あんたぁ、前世猫かなんかだったんじゃねえかねえ」

「いやあ、猫じゃなかったとは思うんですけど……」


 前世も猫は好きだったけれども。

 スサーナは、猫に仲間扱いされたことを喜んでいいのか、腹を減らした子猫か何か扱いされたのを悲しんでいいのかなんだかわからない気分のまま、ふがふがふがふが、と碗に頭を突っ込んで魚を貪りだしたぶち猫の背中を撫でる。

 ――ああっ、この絶妙な毛の粗さ硬さがなんともいえず。

 しばらく無言で猫の背中を撫で下ろし撫で下ろし、碗から顔を上げた猫がうぐるぐるぐると喉を鳴らしながら自分で背中をざしざし舐めだしたので後ろ髪を引かれる思いで手を離した。


「はあぁ、うん、満足……。」


 一息ついて周囲を見渡す。

 ――しかし、なんだか変わったところですね。

 そこは簡易的な催事場といった雰囲気の場所だった。

 畳、と言うと少し違うだろうか、低い木箱台の上に草織物のクッションを貼った物を並べて一段高いブースが作られている。その台一つの前にこれまた文机のような低いテーブルが一つ。上にはどうやら羊皮紙がそれぞれ置かれている。ブースには一人から二人の人物が座り、だいたい生成りの貫頭衣を着ている。

 ――何かを売ってる所、みたいな感じではあるんですけど。

 それにしてはテーブルの上には売り物らしいものはないし、そこに座った人がブースの間を歩いている客らしい人になにか渡すわけでもない。


「何を売ってるんでしょう、ここ。」


 口から漏れた疑問に老人が応えた。


「おや嬢ちゃん、奴隷市ははじめてかい。まあそりゃそうだろうなあ、子供連れて見に来るとこじゃねえか。」

「ど、奴隷市場!? そんな危なそうなところが島にあったんですか!?」

「特に危ないこたねえよぉ。りゃあここの警備人だけどね、ほとんど暇な店番みたいなもんさ。」


 慌てて光景を二度見する。

 イメージの中にある奴隷市場、というものといまいちこの光景が結びつかない。

 奴隷市場というのはなんだかこう陰惨な雰囲気のところに手かせ足かせをつけたボロボロの人が檻の中に居て、というようなものではなかろうか。

 なんだかブース内の人はブース内どうしで談笑しているし、客っぽい人とも楽しげに会話している。だいいち縛られた奴隷っぽい人はどこにいるというのだろう。


「いいとこのお嬢さんみたいだが、お宅には奴隷は居ないのかね」

「い、いないですよう。奴隷どころか使用人の人もいないぐらいで……」

「へえ、そりゃ珍しいなあ。」


 おばあちゃんの方針でその手の人は通いの料理人さんとか、忙しい時期に手伝いに来てくれる人とかぐらいしか居ない。

 この年になってみると、どうやら自分が噂になったりするのを防ぐためだったのだろうな、となんとなく察しが付く。

 ともあれ、そんなわけで、スサーナには奴隷どころか普通の使用人の身なりと態度のスタンダードもよくわからない。

 それにしてもここにいる人達はみな結構な過ごしやすそうなブースに座ったりしており、服装も質素ながら綺麗なものだ。何より、表情が明るい。つまりここに居るのは売り手の人ばかりだということだろうか? 奴隷市なのに。スサーナは疑問を覚える。


「……奴隷の人は一体どこに……」

「眼の前にいるじゃないか、あの高床んとこの人らはみんな奴隷だよ」

「ええっ!? でも縛られてたりもしないですし、逃げられないようにとかなってないですし、あのクッションフカフカそう……あっあの人おやつ食べてますよ!? おいしそう!」

「あっははは! 嬢ちゃんそりゃ海賊市かなんかの話を聞かされたね? ここはおおやけの市だもの」

「おおやけの、市?」


 首をことん、とかしげたスサーナに、男はええと、そうだなあ、と笑った。


 おおやけの奴隷にはだいたい大まかに分けて3つの種類がある。

 自由奴隷、神殿奴隷、そして戦争奴隷だ。

 まず、自由奴隷は自分で自分を売るもの。期間も待遇も奴隷本人が希望を出して決める。賃金一括先払い、年季奉公の奉公人に近いといえば近い。

 神殿奴隷は神殿に借財をしたのちの選択肢の一つ。神殿に金を用立ててもらったあとに、自由身分のままで月賦などで返済するか、奴隷として借金ぶんを買った相手に用立ててもらうかを決めることが出来る。

 そして最後が戦争奴隷だ。これは降伏した捕虜が身代金を払えなかった場合に起こる。これも開放の代わりに買い手に身代金を支払ってもらう、というようなものだ。国を超えて流出することはあまり無いのだが、支配権を贈与したりまた売りすることで非戦争地帯に流れてくることがある。


「そんで、あの机の上の羊皮紙が奴隷の履歴と職能、年期と金額、ついでに給金やら休みの日数やらの決めごとが書いてあるってわけさ。折り合いがついたらあれを丸めて代理人のところに持っていく。」

「な、なんかクリーン……えええ、えー?」


 ぎゅりぎゅり首をかしげるスサーナに老人は笑う。


「いやあ、でも嬢ちゃん、奴隷なんかなるもんじゃねえよ?自由民が一番さ。ほれ見てご覧、首の青帯。ギザギザの模様が一周ぐるーって首を巻いてるだろ?あれが奴隷の印さ。 あれがある限り奴隷は決まりごとに逆らえないようになってるんだ。」

「え……あ……ほんとだ。あれは……入れ墨ですか?色を塗ってあるだけ?」

「いいやあ、魔法さ。ただの色のくせにな、羊皮紙で取り決めた条件に逆らおうとするとぐうーっと締まるんだとよ」

「契約みたいなものがあるんですね」

「あー、まあ、尊くない契約みたいなもんだな。魔術師の魔法だよ。あれをしてる限りどんなに決まった仕事に文句があったって年期のうちは精々仕事サボって昼寝をしたりだの釣りをちょろまかすだののことぐらいしか出来ねえのさ」

「それはできるんだ……」


 なるほど雇用主側にあれがないということはどうも非対等な関係なのだろう。理解したスサーナではあったが、やっぱりなんだか想像よりも数倍クリーンに感じられた。なんといっても『羊皮紙にないこと』については逆らえるというのだし。休みも賃金もあるという。もしかしたら制度の抜け道なんかもあるのかもしれないが、こう、イメージと制度の乖離。むずかしい。


 その日は、腹を見せてぐねぐねする猫を少し撫でて、猫を追いかける少女の目撃情報を辿って迎えに来た叔父さんに合流して、店に戻って、それだけだった。



 数日後のことだ。


「俺、海賊市どこでやんのか知ってるぜ」


 週に3日ある講でのこと。そばの椅子に座った女子と奴隷市の話をしていたら、スサーナの話を横で聞いていた男子が言った。


 講とは、学校のようなものだ。幼年講が7から10まで。10から12までは初等講。幼年講では簡単な読み書きやら計算、国歌やら歴史の類を教わり、10からの初等講では徒弟になる子供達にもう少しつっこんだ商売に関わることを教えてくれる。子供達の半分は幼年講だけで終わり、初等講まで行くのは大小の商店主の子供達なんかが多かった。


 子供達はたいてい幼年講で知り合い、そのうち初等講に行った仲間同士でまとまっている。

 とは言うもののスサーナは、幼年講はフローリカと一緒に家庭教師で済ませてしまったためにこの10歳からの初等講にはちょっと疎外感を感じていた。

 本当は初等講も家庭教師で終わらせるはずだったのだが、他の子供と一緒に過ごすことも大事だと主張した叔父さんが、新年に開始する新学期の始まる数日前におばあちゃんに勝利し、入学許可をもぎ取ってきたのだ。


 よって、スサーナにとって、この場にいる30人ほどの子供達は、まだ数回会ったきりで、完全に初対面に近い。偶然髪の色が濃い、ということにして、ボンネットも外さず被っているけれどもなんとなく距離を取られている気もする。そこでなんとか仲良くなる取っ掛かりを探しているところだった。

 横から口を挟んできた少年の言葉にパッと食いついてしまったのはそのせいだ。


「ええっ、海賊市って、非合法の奴隷市がやってるっていう……」

「そうそう。それ以外にも色々売ってて、わるいんだけど、便利なんだってさ。前うちで働いてたやつが教えてくれてさ。ほら、島の外で商売するなら色々見とかなきゃいけないだろ?」

「ま、まあ、そうですよねえー。」


 確かにクリーンなだけではやっていけない、というのはわかる。どうにも話に聞く他国のことはいろいろ物騒だったりする話も多い。合法のみの商売をするにせよ、危ない部分がどう危ないのかは知っておかねばわからないだろう。


 ええーっ、と怯えてみせた女子と違ってうなずいたスサーナに、少年はとても得意そうに胸を張った。

 ちなみに、スサーナはこの男子の名前をまだ覚えていない。


「なあなあ、見に行ってみねえ?」

「あっずりーっ」


 男子というのはどこの世界でもちょっとスリルのある話というのが大好きな生き物だ。話を聞きつけた別の男子が首を突っ込んでくる。


「なあー、行こうぜー?」

「俺も俺もー」


 いやいや、と押し止めようとしたスサーナに割り込んで、一緒に話していた女子が言った。


「私も見てみたい!」


 ええっ、と振り向いたスサーナに少女は挑戦的な目を向けた。

 あ、これ、アレだ。なんたらの鞘当的なやつだ。スサーナは気づく。

 さっき怯えてみせたのはかわいぶってみせたのだ。つまりこの子はこっちの誘ってきてる男子の事が好きで、ということか。わあ。


「おっ、いいじゃん。じゃあこの四人で決まりな!」

「え。ええー、いやあー……危ないですし、やめません……?」

「えっと、あなた、なんて言ったっけ? 嫌なら別に来なくても、わたし行くし」

「ええー……」


 まったく完全になんの縁もない状況に動揺したスサーナは、結局子供達が危ないところに行こうとして盛り上がっているのを止めきれず、仕方なく同行を決意したのだった。

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