第151話 落着、あるいはいつもの流される日々 3

 授業の合間にロベルト少年に一度接触することにする。

 スサーナはちょっと申し訳なく思いつつも、用足しに向かうらしく席を立ったタイミングで声を掛け、何気ない立ち話めいて囁いた。


「詳しいお話はミアさんに聞いたと思うんですけど、お伝えしたいことが一つありまして。ええと、花瓶のこと、警吏が調査に来るそうなんです」


 スサーナに声を掛けられて顔をひきつらせたロベルト少年だったが、警吏という単語を聞いてもっとはっきりと焦った顔をした。

 ――あー、そういうことになるとも思ってなかったんですねえ、まあ13ってそんなもんかー。


「警吏?」

「はい。人が死ぬことですしね。事件になっちゃうんですよ。まあ仕方のない勘違いでしたしええ、偶然の事故で、落とした子と話はついたとこちらからご説明しますので。もし聞き込みがあったらそう答えてくださいね」

「ごめん、俺」

「次からなにかする時には一呼吸してからお願いします。物事には複雑な事情があるかもしれませんしね……」


 こんこんと五寸釘を打ち込む気持ちで釘を差し、さてまあこれで必要要件は満たしたかな、一段落だ、とスサーナは息をつく。

 後は王子様達にアレは事故だったみたいですと言い、一番あれから神経をとがらせている――穴に落ちた時には居合わせなかったが、昨日寄宿舎の外で待っていたのできっと自分を探したのだろうと思う――ネルをうまく宥めればいい。


 それからスサーナは後はお昼のやつだけか、いきなりあの令嬢が気が変わってなかったことにならないかなあ、一晩落ち着く時間はあったわけだし、と願った。

 うすうすと無理そうな気はしている。


 果たして、迎えはきっちり昼の授業終了後にやって来た。


 まさか本人がやってくるのじゃないだろうな、と警戒していたスサーナだったが、昼の授業が終わった所でまずスサーナを呼んだのは学院の用務員だった。

 このタイミングで講師が何か用なのか、もしやクロエが『最近図書館に来ない』と呼びに来たのだろうか、と思ったが、用務員は北棟入り口側にある会議室にスサーナを案内し、失礼ないようにと言って去っていった。

 はて、ここにまさかあの上位貴族! という風情のお嬢様が、と首を傾げたスサーナだったが中で待っていたのは昨日も見かけた使用人で、彼に連れられて最近すっかり慣れた西棟へのルートを辿り、西棟の一階まで降りたところに用意されているゲストルームへたどり着く。


 どうやら、これが正式な「貴族の子弟の呼び出し」の作法らしい。

 きちっとドアをノックした後に呼んでまいりましたと取次をし、応えがあった後に入るように示される。

 ううんちゃんとひと手間かけることだなあ、と詠嘆しつつ――とはいえ主体が学院である場所なのでこれでもだいぶ略式の作法だ――重々しいドアを開けてスサーナは中に入った。


 入った先にはたっぷり光の入る大窓を備えた小部屋で、中央にしつらえてあるソファセットにはスサーナの予想通りガラント公令嬢、エレオノーラが座っている。

 そして予想しなかったことにはテーブルには品数は少なめながら瀟洒なティーセットが用意され、周りを囲む椅子にはレオカディオ王子とテオとアル、それからフェリスがそれぞれ椅子についてお茶を楽しんでいた。


 ――ひえっ、貴族のお茶会!

 スサーナはたじろぎ、そのまま回れ右をして帰りたくなったが、主人役然とした位置に座ったエレオノーラがこちらに向けて声を掛けてきたのでそっと諦めた。


「待っていましたよ。こちらへどうぞおいでなさい」


 エレオノーラが手招く横で王子様が立ち上がり、彼の横の席……明らかに上座に位置しそうな席を引いたのでスサーナはひえっとなる。


「はいレッくん、一応面接なんだしレーナの向かいの席じゃないと。スサーナボクの横においでー。あ、ええとボクら見物客みたいなもんだし、なんかお茶が出てきたから飲んでるだけだからボクらのことは気にしないでね。」


 言ったフェリスがソファの横をぼすぼす叩き、それを受けた王子様が椅子を戻したので、スサーナは少し悩んだあとにそちらにお邪魔させていただくことにした。

 ――ガラント公ご令嬢だけでも十分気が重いのに、なんでこうお偉い方々が揃って……

 そう思ったスサーナだったが、話が始まってみるとくるっと手のひらを返すことになった。


 当初、エレオノーラが合図して壁際に立った使用人がスサーナに渡してきた雇用書類は、

『授業中は授業を受けることを許されつつもエレオノーラに伏侍し、それ以外の時間は小間使いとして他の使用人と同じ扱いをする、寝泊まりは貴族寮の使用人部屋、生活必需品は主人が費用を持つ。食事は日に二度。給金は小間使い相当』

 というものであった。

 休みは週に一度の半休と月に二度の休日。

 そして更に教育係がついて教育している間も給金が出る、という事も書き添えられている。


 条件は明快で、やることもハッキリしている。これは実務をやっている使用人の誰かしらがまともに作った書類らしい、とスサーナは少しホッとした。

 雇用である以上そうなるだろうとは思っていたが、エレオノーラにふんわりしたことを言われる危惧はけっこうしていたのだ。


 これは実のところ、世間一般の雇用とするならなかなかの好条件だ。小間使いはまずさほどの激務ではない。

 そのうえ、間借りぐらしである貴族寮では貴族の屋敷と違いあまり多彩な仕事が求められるわけでもない。

 小間使いに求められる仕事の一つに主人の衣服管理があるが、広い衣装部屋を幾つも備えている事が多い上位貴族の屋敷に対し、貴族寮では精々100に満たない衣装をやりくりするばかりで、ここぞという時の衣装は実家から適宜送られてくる、と言うように、まず考えることが少なくて済む。


 まとまった自由時間はないものの細切れの待機時間はそれなりにあるし、小間使いは給金がいい職でもある。使用人教育をしてもらえるというのも――寮で不自由な条件ながらも――悪くない。なによりエレオノーラに付き従う、というのは上位の貴族たちと日常から接するということだ。下級貴族のお嬢さんたちが目の色を変えて立候補してきそうな良い話である。


 ……下級貴族のお嬢さんなら。

 スサーナとしては全体的に気が重い案件である。


 貴族の、それも上位貴族と留学生たちがメインらしい上位貴族の教室に行かなくてはいけないのも、それ以外の時間もエレオノーラに付き従うらしいことも、やはり貴族寮のエレオノーラの私室から離れられる生活ではなさそうなのも、ついでにいうと勝手に図書館に行ったりする自由がなさそうなのも気が重い。

 贅沢な話ではあるが、当初学問をやるつもりで――しかも精魂を詰めずにある程度日常生活もするつもりで――学院にやって来たスサーナは貴族に仕える心づもりが出来ていない。


 ――でも、まあ。お嬢様達が言っていたようにコネと使用人教育、どちらも最高なんですよね明らかに……


 スサーナがアンビバレンツに駆られていると、横から書類を覗き込んだフェリスがなぜかテーブルの周りぐるりとそれを回覧したのだ。


「ダメですよ、レーナ、これは。」


 レオカディオ王子がまず口火を切った。


「まあ。なにかいけませんでしたか」

「普通の小間使いを雇うならこれでもいいでしょうけど、レーナ、彼女は学友でもあるのですよ。学院に居る以上本分は勉学だと、レーナ、あなた自身も言っていたではありませんか。」


 頷いたフェリスが後を引き取る。


「もっと勉強時間ないとダメだよー。」


 ふむと難しい顔をしたエレオノーラが言葉を返した。


「お言葉ですが、授業には同行させますし、わたくしの自習にも付き合わせます。それでは足りないと?」

「レーナ、レーナ、だってそれはレーナの自習じゃん。ええっとさー、ねえアル、アルはずっとテオとおべんきょーする? テオんとこの個人教師は優秀だけど。」

「いいえ。語学の時間を沢山とります。学習は、僕は語学が劣っていますから。」

「皆で勉強会を開くとかそういう事は有用だけど、個人で勉強の進度って違うものだからね。誰かにずっと合わせ続けては大変だよね」


 四方からガンガンと変更点の意見が飛ぶ。

 それから、勉強の時間にとどまらず、自由時間に休みの日数までどんどんと介入が入り、スサーナそっちのけでエレオノーラとその他の貴族子弟達が議論した結果、拘束条件が見る間にガンガンに緩くなっていくのをスサーナは何が出来るでもなくただ目視しているという状況だ。


 スサーナは途中からエレオノーラが怒り出すのではなかろうかとハラハラしだしたが、どうも雰囲気的に慣れたことのようであまり気にした様子ではない。どうやら幼馴染らしい彼らの常態であるようだった。


 結局、スサーナが何も発言しないうちに、先の条件に足して休みは週一日の完全な休み、毎日の夕食後時間の行動の自由――使用人教育の時間は除く――が獲得され、エレオノーラが小間使いを伴う用件がなく、彼女自身がそう通達した日においては、放課後、エレオノーラが寮に戻るまでの時間では自由にしてよろしい、という条件さえ付け加えられていた。


「わたくしが納得した部分を変更してみましたが、なにか意見は?」

「いえ、あの、ありません……」


 お嬢様達の侍女をするときほど流石にゆるくはないが、上位貴族の使用人と考えると破格のゆるさで、スサーナは逆にこうなってしまうと落ち着かない。

 なんとはなしの不安でふわふわと目を彷徨わせたところ、やり遂げた笑顔のフェリスと目が合い、完璧なウインクを一つ決められた。

 ――そういえばさっきからフェリスちゃんがどんどんご令嬢を納得させてくれている……あんなに我の強そうな人なのに。仲良しの女友達ってすごいんですねえ。

 スサーナはそっとフェリスに感謝した。

 その影でレオカディオもほーっと脱力していることには気づかない。


「あっレーナ、平民クラスの授業内容が違う日はそっちに行かせてあげないとダメじゃない?」

「あら、そんなことが。」

「青葉の月々には資材実習がありますね。僕らには縁はありませんが、平民クラスと下級貴族達は資材を自分たちで収集するんですよ」

「わかりました。アイマル、この者のスケジュールをそう調整なさい」


 控えていた男性の使用人が一礼した。


 そんな風にして、しばし。


「ええ、その」


 なんとなく居心地悪げにレオカディオ王子が声を上げる。


「それで、ええと……レーナ。」

「はい、どうされました? レオカディオ殿下。」

「その、さっきから聞いているとですね、大切なことが一つ抜けているように思うのですが。……スサーナさんはこの条件でお受けすると?」

「断る理由は無いように思いますが」


 小首をかしげたエレオノーラにテオフィロが苦笑して言った。


「そうでもやはり決めるのは本人だから、ちゃんと聞かなきゃいけないよ」

「確かに、そうですね。では、貴女。この条件で満足ですね?」

「レーナ、強要するような言い方はよくない」


 声を掛けられたスサーナはたじろぎ……それから頷いた。


「ええと、お受けさせていただきます。その、どれほどお気に召すようにお仕え出来るかはわかりませんが……」


 正直、授業に配慮されて休みも確保されると、あとは説得力ある断り文句など思いつけない。ふわふわとなんとなく嫌だ、ぐらいでは彼女も納得しないだろうし、あんまりに舐めた態度だなあ、とスサーナ自身も思う。


 それに、昨夜お嬢様達と話したとおり、この話を受けることはおうちのためになるかもしれない。

 漂泊民関係者だとバレたらまずいかもしれないが、黒髪ぐらいなら問題ないとわかってしまったし、ミランド公がお金を出している生徒の素性を別の貴族が深掘りしたりは流石に失礼なのではないかと思うのできっとミランド公が後見しているという王子と幼馴染だという彼女の家がそうすることはないんじゃないか、とも判断できる。

 そうなると、断る理由は残っていない。


「よろしい、励みなさい」


 エレオノーラが満足そうに言い、少し離れた席でレオカディオ王子とフェリスがふうっと息を吐いたのが聞こえた。


 ……スサーナは知る由もないが、実のところ彼らは断るなら断ってほしく、次善の策として雇用条件をマシにしよう、という意図で一致しており、このため息は諦めのものだ。自分たちの気回しでスサーナがまあこうなったらと決めたなど与り知らぬことだった。渾身のすれ違いである。


「貴女のことはなんと呼びましょう。」

「スサーナと申します。どうぞお好きにお呼びください。お嬢様のことはなんとお呼び致しましたらよろしいでしょうか?」

「普通にエレオノーラお嬢様と呼んでくれて構いません。」

「かしこまりました、エレオノーラお嬢様」


 スサーナは深く一礼し、さてこの後はどうなるだろう、と考える。

 このままなにか指示されるのだろうか。まさか即座に働き出すようにとは言われないだろうが。

 多分何かしだせば自由時間はしばらく無いだろう。

 時間の空きを見てレオカディオ殿下やテオフィロに花瓶のことは事故だったと早めに伝えなくてはなるまい、と判断した。警吏がやってくる前にお断りできるかどうかはそれなりに重要だ。


「では」


 エレオノーラが言う。


「わたくしは次のの管理を任されましたので、実家いえから来る者たちを采配しなくてはなりません。その間貴女を構っている余裕はありませんので、マレサに全て任せます。研修期間と考えなさい。ただ、教室での紹介は行いますし、次の授業からあなたを使いますのでそのつもりで居るよう。いいですか、この場では殿下達が鷹揚にお許しくださってはいますが、貴女には本来見ることも叶わぬ立場の方々です。くれぐれも礼節を保って振る舞いなさい。」

「かしこまりました。」


 一礼したスサーナをよそに苦笑したテオフィロがエレオノーラに声を掛ける。


「巡礼なんて言い方は良くないよ、ちゃんと埋蔵遺産調査会って言わないと」

「巡礼。こちらの国では良くない言葉でしたか?」

「いや、レーナの用法は実態に即していない当てはめというか、スラングの使い方で」

「あんなもの、巡礼で問題ないでしょう。でなければ定例行事で結構。さほど役に立つ行為だとは思えません」


 ――ええと、つまりまずは授業中だけお供して、後の時間は使用人教育……ということですね。

 なにやらわちゃわちゃしだした貴族の子供たちをよそに、スサーナはすっと近寄ってきた使用人の男性に離れた壁際に寄せられ、詳しいことは後で指示するが、この後の半休と明日の休みを使って荷物をまとめて移動してくるように、と言われる。

 後のことは彼女に聞くようにと昨夜マレサと呼ばれていた女性を示されたスサーナはどうぞよろしくお願いいたします、と深々とお辞儀した。



「レーナ、少なくともレッくんとか、ここに居るメンバーに関してはそう堅苦しく考えなくていいんだからね~」

「ええ、学則上では僕たち皆学生という対等な立場ではあるのですから。……雇用関係は重視すべきですけど、それ以上に構えて振る舞うことは……」

「いけません。殿下達のお心が海のように広いとはいえ、あまり目下の者にお優しく振る舞うことは増長を招きます。」


 貴族の子供たちのわちゃわちゃはどうやらもうしばらく続きそうな雰囲気だった。

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