第150話 落着、あるいはいつもの流される日々 2
「ねえスサーナ、スサーナのお嬢様達って素敵な人達だね。貴族の女の子ってみんな怖いのかと思っていたけど」
「あのお二人はもしかしたら特に破天荒なほうの可能性はありますけど……。いい方々ですよ」
相談を終えたあとでミアとスサーナは一緒に登校の準備だ。
上機嫌のミアはすっかりお嬢様達に懐いたようで、なにやら恋愛物語について会話していたのでちょっと裏切られた気持ちがしないでもないスサーナだった。
エレオノーラの遣いが昼にやってくるという予定らしいので、それまでに解決、もしくは布石を打つべくスサーナとミアは朝の時間を縫って寄宿舎に一緒に住んでいる男子達のうち、商家組とも多少の交流がある人に当たりをつけて例の男子の容姿を説明し、話を聞いて回る。
乗せるにあたって相手の情報は多分多いほうがいいと考えたためだ。
ちなみにミアには当該男子がそういう疑いを持っているらしい、とクラスの子に聞いた、というような説明をしてある。
「ロベルトさんって名前なんですね。ウルソ市の商人の息子さんで、他にいらしてる兄弟とかは居なくて、親類のお家から通っておられる……? 寄宿舎の人で仲の良い人はいなくて……クラスでよく話してる方は三人ぐらい? まだ課外活動の開始時期前ですから趣味とか得意なこととかもよくわからないですし、そもそも接点もよくわからない……」
一通り聞いて回ってからぶつぶつと呟くスサーナ。とりあえずわかったことはあまり活動的な人物ではなく、仲のいい先輩という少しスサーナが期待していた存在はいなさそうだ、ということぐらいだ。
悩むスサーナをよそにミアは何か思い出した様に頷いている。
「あー、あの子かあ」
「あ、ミアさんもしかしてそこそこ親しくしておられたんですか?」
その可能性を排除していたスサーナはすこし驚いてミアに訪ねた。
もし親しいのなら直接注意喚起するのではないか、と思っていたためだ。
「んーん、ええと、算術の授業で計算板忘れたみたいだったから貸してあげただけ」
スサーナは遠い目になった。
――思春期!
「もしかして、接点はそれだけです?」
「んー、それからスサーナと座らない時に何回か席が横になったかな? その時にちょっと話したぐらい?」
「どんな話を……?」
「えっと、挨拶と、授業の担当の講師の先生の滑舌が悪くて聞こえづらいから前の席に来た、とか。予習してきたかとか。授業が始まるまえのちょっとだけだからお話ってほど話してないよ」
――思春期!!
ミアは相手の男子がミアのことを好きだろうというスサーナの憶測を知らない。
一応お嬢様達がそれらしいことは言ったのだが、あははまさかぐらいで流されたのでその想定はないと思われる。
なんというか知らせて重荷にするのはな、という判断であまりそこをはっきりさせないという判断を取ったスサーナだったが、ミアが状況から自分で察するかなあとも思っていたのだが、
「うーん、でも、ちょっと話したことがあるぐらいの子がいじめられてるってハラハラしちゃうかもね。スサーナがいじめっ子って疑うだなんてと思ったけど、わたしのこともスサーナのことも全然知らないんだし仕方ないのかな」
――うん、いやこれじゃ確かに気づかないですよね。
スサーナは曰く言い難い気分になりつつ、逆にミアが彼に好意を持っているような勘違いをさせたり、下手に彼をヨイショしたりしなくても少年が舞い上がるのはとても簡単そうなので楽でいいかなあ、とも思った。
これは相手が話しかけてくれるだけで十分嬉しくなっちゃうやつだ、と類推したのだ。
今後彼が普通の手段でミアに好感をもってもらう日が来たらいいね、とそっと一応願っておく。
……周りにいる比較対象が今や大輪の牡丹ぐらいの高嶺の花なので、それもなかなか難しいだろうが。
それから、普段から見るとだいぶ早い時間にスサーナとミアは登校した。
彼は元々少し早めに登校してくるタイプであるらしいし、ミアには伝えていないが、スサーナが穴の中にいるという想定なら気になって早朝に登校してくるかもしれない、という想定もスサーナにはある。
北棟の入口が見える位置で待っていると、目論見通り早い時間に彼がやってくるのを見る。スサーナとミアがやってこなければ一番乗りの時間帯だ。
きっとあの建物の中を確認したあとで来たんだろうな、とスサーナは思い、話をややこしくしても何なので教室に入るのをミアにだけ任せ、自分は準備室に潜むことにした。
――さあ、此処から先はレティシア様の書いたシナリオとミアさんの機転次第ですね。
うまく行けばいいのだが。スサーナは祈り、教室に続く準備室のドアを細く開けてから物陰に置いた椅子に座り込んだ。
少年がなにか考えているという表情をしながら教室に入ってくる。
普段からよく座る教室の前側の席についたミアが、偶然目を上げた、という風に顔を上げて明るい声で挨拶をした。
「あっ、おはよーう。早いねー」
少年はあっと短い声を上げ、たじろいだように立ち止まったあとでミアの着いた長机の反対の端の通路側に歩み寄り、荷物を置いてミアに挨拶をする。
「……おはよ。」
なんとなくその位置取りに青春というか、近くに位置取りたいけれど隣に入るのはできない、というような涙ぐましいものを感じるスサーナである。
「そうだ、ロベルトくん、丁度良かったよ、話したいことあったんだ」
ミアの声に少年が肩を揺らすのが見える。名前を呼ばれて嬉しそうな顔をしたのが分かり、ああうん嬉しいよね、自分の名前も知らないだろうと思っていた相手が名前を覚えて呼んでくれるのは点数高いよね、としみじみする。
「えっとさ、クラスの子に聞いたんだけど、わたしがいじめられてたの、心配してくれたんだって?」
ミアが席から立ち上がり、後ろ手を組んで彼の位置どった席のそばに立つ。
少し喋り方は大袈裟だし、動きは大きいしでスサーナからすると青春ものの学生映画をなんとなく連想しなくもないのだが、憧れの少女に何か企まれているなどと想像だにしないロベルト少年には非常に有効だったようだった。
「あっ、う、うん。俺、ミアさん優しいから、大丈夫かなって思って」
ミアの方を見て何やら喋っている彼の耳が赤いのがスサーナからでも目視できる。
昨日の変に人を威圧しようとしている後頭部から出したような裏返った声とはうって変わり、上ずった途切れ途切れの声で、この場で唯一比較できる立場のスサーナは、
――うむ、思春期!
とりあえず単純な感想を浮かべておく。
それで花瓶を落とされたり穴に落とされたりした身としてはたまらないなあ、と思いはするが、まあ些細なことと言えば些細なことである。命には関わらないのだから、というのが喉元過ぎたスサーナの感想だ。
おかげでガラント公令嬢なんてものに捕まってしまったが。……あんまり些細ではなかったかもしれない。
「そっか、気にかけてくれてありがと。ロベルトくんは優しいね。」
ミアが――だいぶ大袈裟にではあるが――ひまわりのように微笑んだ。
ちなみに、このあたりは台詞から表情からお嬢様達の監修が入っている。
「優しいキミに心配をかけっぱなしでいるのは心苦しいから、ホントの事を話さなきゃっておもうんだ。これは誰にも秘密にしてね……?」
「ホントの事……?」
ミアが胸の前で手を組む。やや大袈裟にきっと眦を決したのを見てロベルトが息を呑んだのが準備室からでもわかった。
「ロベルトくん、スサーナがわたしのこといじめてるんじゃないかって疑ってたんだって聞いたの。……スゴい観察眼だと思う。」
「! あいつ、やっぱり……」
「うん、でも違うの。スサーナとグルなのは貴族の女の子たちじゃなくてわたしなの。わたしが頼んでそうしてたんだ……。」
「えっ?」
「これからそのこと話すね……。絶対誰にも言っちゃ駄目だよ」
ミアは手を胸の前で組んだまま目を閉じ、一つ深呼吸すると話しだした。
「実はね、王子様が、お心に背いて平民をいじめたりするような子たちが居るんじゃないかって心配されていたの。それでね、そういう子を見つけるために、私がスサーナに頼んで悪い子達の仲間になってもらうようなフリをしてもらったんだ」
その声は妙に抑揚がつき、わざとらしかったが、内容が内容であるだけに覚悟を決めて話しだした感もあり、逆に真に迫っていたかもしれない。
少なくともロベルトはそれを信じたようだった。
「えっ、じゃあミアさん、君は王子様の命令で?」
「誰にも言わないで……お願いね」
「い、言わない! 絶対言わないよ」
少年の声に崇拝の色が交じる。
――まあうん、二人きりの教室でエージェント女子に真実を明かされるのは思春期男子的にはパーフェクトなやつですよね……
全世界共通だったかー、とスサーナは遠い目になった。
これがレティシアお嬢様の考えたシナリオである。
スサーナがミアをいじめたという彼の理解に対しては反駁をせず、派手大袈裟な理由をくっつけて上書きしようというのだ。
普段なら何だそれ、と言われるところだろうが、王子様達がわざわざ閉じ込められた平民女子――つまりミアと面識がある相手ならミアだと解る――を助けに現れたという噂が流れている今なら信憑性が高い。
さらにこの言い方だとミアに神秘性と重用され感まで加わり、
……ところで、お嬢様達の今一番熱い愛読書が他国の宮廷に潜入する女特務騎士ものだというのに薄っすらと関係性を感じないでもないスサーナである。
「そういうわけだから、もう終わったことだから大丈夫だし、心配してくれるのは嬉しいけど、危ないことはしたらダメだよ」
ミアがそっと憂うような諌めるような口調で言う。
ロベルトが頷いたのを確認し、スサーナはそっと準備室の廊下側の入り口から出て、廊下の入口まで戻ってから足音を立てて廊下を歩いた。
何食わぬ顔で教室の扉を開け、振り向いたロベルトの顔にぱっと罪悪感ともきまり悪さともつかない表情が浮かんでいるのを確認し、何事もなかったかのように挨拶をしてみせる。
「おはようございます。お二人とも。今日は早いですねー。」
「うん、大事な用事があったから」
これで自分の行動が的外れだった、一時の勘違いで取り返しがつかない系統の大失敗するところだった、という黒歴史まで付加されたため、次に思い切ったことをしようとした際にはすこし熟考してくれるだろう。
――いやしかしレティシア様もよくこういう脚本を考えますよね。
しれっと机に荷物を置きながらスサーナは考える。
当初の外連味たっぷりの台詞回しと演技指導に全力で赤を入れてミアが演技できそうなラインを保ったスサーナだったが、脚本の基本構造はレティシアの考えたそのままだ。
実のところ、お嬢様達はスサーナ達には言わなかったが、ミアに言わせた内容はレティシアがある意味でそうではなかろうかと疑っていた内容である。
ミアを餌にして後々の危険がないように露払いをしたのではないか、とレティシアは薄々考えている。
実際の所王子様本人たちはそのつもりはなさそうだったが、仕え人達あたりの心づもりはわからない。
嘘大袈裟紛らわしいであるが、ロベルトが言うなの禁を我慢できなかったときのことを考え、広まっても違和感なく、言い逃れもしやすいというお嬢様達なりのセーフティだった。
ともあれ、これで彼からの次の攻撃は無いだろうし、変な成功体験にもならなかったはずだ。
ミアも王子様という単語を間に挟んだこともあり、距離をとったとしても彼が納得しやすかろう。
もしかしたら中二病は発症してしまうかもしれないが、そのあたりはちょっと責任が持てない。
これでまあ、比較的一件落着ということでいいはずだ。スサーナはそう考える。
――さて、まあ、次はお昼の雇用条件締結ですけど……。
スサーナは、こっちはどうにもならなさそうだなあ、とそっと遠い目になった。
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