第149話 落着、あるいはいつもの流される日々 1

 ひょろひょろと寄宿舎に戻ったスサーナは私室に戻ってとりあえず頭を抱える。


「多分お断りできない、ってことはええと、部屋を引き払うことになるんでしょうか……先払いした費用とかどうしたらいいんでしょう」


 いや待てよ、とスサーナは頭を振る。

 一応庇うつもりで雇ってもらう以上、しばらく何事もなかったらお役御免する可能性だってある。部屋はたっぷり余っていて、寄宿舎人員の大きな増減があるのは年一度だ。


「……このままにしておいても良いですかね……」


 多分費用を払ってある以上部屋を維持しても文句は言われないのではないか、どうだろう。とりあえず寮母さんに相談してみないとなるまい。

 その足でひょろひょろと寮母さんのところに行ったスサーナは、部屋をそのままにするのは全然問題ないと返答をもらってホッとして帰ってきた。

 初等級では珍しいらしいが、毎年貴族からお声がかかって出ていくも性格の奇矯さやら態度の悪さで折り合いがつかずすぐに出戻ってくる学生がいるらしく、むしろ部屋の維持は推奨らしい。

 とりあえずスサーナは明日そのまま向こうに来るように無茶振りされた時のために最低限度の荷物をまとめるだけにすることにした。


 ある程度荷物をまとめて一休みする。流石に寄宿舎に放置すると虫とかが湧きそうなお菓子などはすこし思案した後に配ってしまうことにして、適当に清潔な布に包んで小分けにした。この間お昼をロストした経験から教室に持ち込んでミアに食べさせようと焼いたビスケットや蜜煮にして乾かした杏がだいぶ余っていたのだ。


 ミアはバイトに向かって戻ってきていない様子だったので、後で明日の相談をする時に渡すことにして、スサーナはとりあえずお菓子の包みを引っさげて談話室に向かった。

 大抵夜は外に遊びに行かない学生たちは談話室でなにかしている。

 同級生たちに一通り菓子を渡し、それからスサーナは談話室におらず、部屋で勉強をしていると聞いたジョアンの私室を目指した。


 ドアをかつかつとノックする。

 ややあって、どうやら蝋燭の明かりで勉強していたのだろう。目をしょぼしょぼさせたジョアンがドアの隙間から頭を突き出した。


「ジョアンさんや、お菓子食べませんか」

「何? なんなの? どういう風の吹き回し?」


 言いながらドアがもうすこししっかり開く。


「何かと言われると……餞別? と、あとはお詫び? ですかねえ。えーと、なんだか……偉い貴族の方が何らかの気まぐれで雇ってくださるということで、使用人部屋に行くことになるかもしれないもので。」

「は?」


 ドアが大きく開かれる。眉間にシワを寄せたジョアンがなにそれ、と言いながら出てきてバタンと後ろ手にドアを閉めた。


「というわけで、ええと、お菓子、とあとこっちは胃腸薬です。水筒は流石にお渡しできないので、申し訳ないですけど今後は数日分まとめて持っていってもらうことになると思います」

「いや、なんていうかさあ……説明……あー、入れって言うのは不味いよな。」


 包みをずいっと差し出したスサーナに何か言いたげな顔をしたジョアンは頬をかき、キョロキョロと周囲を見回し、廊下の隅に置かれていた脚にガタのきたベンチに歩み寄ってドスンと座った。


「ん」


 目線で招かれた気がしたのでスサーナはその前に立って立ち話のかまえだ。

 なんだか座席を一人分の幅開けてもらっているような気はするが、元々ギシギシいうベンチが二人分の体重に耐えるかどうか非常に怪しかったため遠慮しておく。


 とは言うものの事情がややこしく、なんでそうなったのか起こったことを並べても唐突でいまいち説明しづらく、第一花瓶事件のことを知らないはずのジョアンにさらに花瓶と犯人のことを教えるのはちょっとどうかと考え、スサーナはううんと悩んだ。


「なんか正直いまいち説明ができないんですが、ええとまだ本決まりじゃないんですけど、ミアさんがいじめられていた件で私も疎外されているのではと責任を感じてくださって? ええと、ガラント公のご令嬢という方が……」

「令嬢?」

「はい、それが何か?」

「うるっさいな。そういう寝ぼけたこと言い出すのは鼻の下伸ばした野郎かと思ったんだよ。それでそのご令嬢が雇ってくれたわけ?」


 食い気味にジョアンに急かされてスサーナは頷く。


「ああはい。ご令嬢です。公のご令嬢ってすごく偉いですよねえ。本当ならお断りしたいんですけどなんだか断れない感じになってしまいまして……。」

「ふうん、断りたいの? なんで。」

「いやあだって偉い貴族って怖いじゃないですか……。なんだか向こうの教室で身の回りのことをしろって言われたので貴族のクラスに行くことになりそうですし……。向こうの使用人部屋に来いとも言ってましたし、折角こちらの皆さんとも打ち解けてきたのになあと」

「お前さ、偉い貴族んとこ行ったら全然こっちの奴らと関わらない気なの?」


 腕を組んだジョアンが鼻を鳴らし、スサーナは慌てて手を振って否定した。


「いえ、そんなことないですけど! 距離ができたらちょっと嫌かなあと思うだけで」

「じゃあいいじゃん。なにお前、高位貴族に一人だけ雇われたら寄宿舎の皆に顔向けができないみたいな殊勝なこと考えることあったの? 春柳の穂花みたいなふわっふわの思考回路のくせに?」

「流石にひどくないですか! いやあちょっとは考えますよう、まあ。ジョアンさんとか貴族に媚びるみたいなのお好きじゃないでしょう。いえそのつもりもないんですけど……」


 確か入学式前になんだかそんな事を言われたし。と思うスサーナである。

 直接的な原因ではないが、貴族と関わっていることで敵視されて頭の上に花瓶が降って来たと判明した矢先なのでなんとなくそのあたりも気にならないでもないのだ。

 特に接点のない商家の男子に目の敵にされるのは良いが、一応にも打ち解けた寄宿舎のメンバーから貴族に魂を売った変節漢めみたいな扱いをされたら少し悲しい。

 まさかこちらの皆はスサーナがミアをいじめたとは考えないだろうが、万が一にでも疑われたらしょんぼりしてしまう気がした。


「お前さぁ……。あーいやいいや、お前向いてないんだからそういう事考えなくていいよ。こう、さあ。あー、精々頑張って俺たちのコネになれば?」


 鼻の頭にシワを寄せたジョアンが何か頭の中に湧いた文句の羅列をスクロールした、という表情をした後に諦めたように息を吐く。

 自分ではそんなに思考回路がふわふわのつもりはないスサーナはぷすっとなったが、確かにそう考えればすこし気が楽だ。


「おお、そういう考え方が」

「お前自分で前似たようなこと言ってただろ……」


 げんなりした顔をしたジョアンが今度ははっきりため息をつき、まあそんなんじゃどうせすぐ戻ってくるだろ、精々それまでにこっちにバイトの一つでも紹介しろよ、とうそぶいた。



 その後、ミアが帰ってくるのを待ったスサーナはこちらの部屋にもお菓子を持って押しかけると、実は相談したいことがあって、と声を掛ける。


「どしたのスサーナ?」

「ええとですね、まずはご報告……ですかねえ。実はえーっと、もしかしたらえっと、テオフィロ様たちの幼馴染の……ガラント公令嬢が使用人に雇ってくれるかもしれなくて……」

「えっ、それ、この間のあの子だよね? 大丈夫なの?」

「あ。はい。アレは勘違いだったわけですし、良い人ではあるみたいで……。で、それの関係で、といいますか。ちょっと困ったことがあって。」

「うんうん、なあに? 何でも言って!」


 こくこくと力強く頷いたミアにスサーナは渾身の演技力で説明する。


 ミアさんをいじめた人たちに関わってる人に雇ってもらうわけでしょう――それで、そのこともありまして、私がいじめに関わっているんじゃないかって疑っているようなクラスの子が居るみたいで――


 嘘の部分は最小限にする。後々齟齬が大きくなりそうで面倒くさいからだ。

 もうあったことをこれからあるかもしれないことに置き換えただけ。それでもまあ彼が花瓶の犯人だとは考えづらくなるだろう、とスサーナは算段した。


「えっ、ひどい! スサーナがそんな子じゃないのは見ればわかるのに! わたしガツンと言ってくるよ、だれ?」


 意気込んだミアにスサーナはいやいやと手を振った。


「い、いやあ名前までは私覚えてないんですよね、男子で……クラスの男子の名前をまだ覚えきってないので……。ええと、ガツンと言うだけだと私が脅して言わせてるーとかそういう風に危惧しちゃうんじゃないかなって思って。なにせ心配してくれてるわけですから。」

「むうう。心配してくれるのは嬉しいけど、見る目がなさすぎるよ!」


 ミアはぷうっと頬を膨らめながらもその論理には一応の納得を見せたようだった。


「ええとですね、それでお願いがあって。ええっと、その子にミアさんから大丈夫だよって伝えてもらうことってできますか? ええと……物語みたいに。」

「え?」

「ええと……私がお仕えしてる下級貴族のお嬢様達が物語がお好きで……そういう方には物語みたいにおだてればいいと仰るんですよね……ええと、男の子を手玉に取るには外連味だと仰る……」


 スサーナは確かにああいう思い込みの強そうなタイプの男子には劇場型説得が効くというのは納得がいくけれど、ミア本人に説明するのがとても難儀だな、と遅ればせながら気づいた。

 なんとなく遠い目になりつつそこはお嬢様達に丸投げすることにする。どうせそのあたりはお嬢様たちの楽しみ要素でもあるのだ。

 夏のアレでイケナイ楽しみをお嬢様達に教えてしまったのではないか、という危惧がなくもないスサーナである。


「ええっと、普通に言うんじゃ駄目なの?」

「話してたらいいような気もしてきたんですけど、ちょっとその男の子、思い込みが強そうな方なので……ええと、明日の朝お嬢様達にお話を聞いて頂けますか?」

「うーん、よくわからないけどわかったよ。明日の朝スサーナのお嬢様達に会えばいいのね?」


 次の日の朝。暗いうちに起きたスサーナは寄宿舎の鍵を開け、こっそりやって来たお嬢様達を中に手引きした。

 寄宿舎の佇まいにまあとかきゃあとか言っていたお嬢様達だったがなにやら抜かり無く物語の本を持ってきており、ミアと引き合わせると――それで説得できるのは本当にスサーナには謎なのだが――なにやら最近流行りの物語の例を引いて崇拝者を思いつめさせないための劇場型説得について語りだした。


 正直ミアは恋愛物語についていけない勢の仲間だと思っていたスサーナは話を聞くうちに楽しげに食いついたミアにすこしショックを受けたりもする。


「もともと少し普通ではないことが起こっているわけでしょう? ええ、わたくしたちも聞いていますのよ、ふふ。わたくし達のクラスも平民の生徒が上級貴族のご子息に見初められて……って噂で持ちきりですわよね」

「そのっ、ほんとは全然そんなことないんですけど……!」

「ええ、存じておりますわ。でも、そういう物語みたいな噂が立ってるというのが大事なのですわ。みんな物語みたいなことが起こってると思っているでしょう?」

「お話みたいな出来事が起こってる、と思った時に、普通の説明をされても信じられないでしょう? その男子もそうだと思いますの」

「ううん、でもそれでスサーナがいじめっ子だなんて思うなんて……」

「だってその方が物語みたいですもの。ですから、物語みたいなやり方で上書きしてしまうのが一番そういう気持ちの時にはやりやすいと思いますの」


 ――あ、入りはともかく理論立てられている……


 レティシアの「人はシチュエーションに飲まれるし経緯のノリで乗せられる」みたいな理解は13歳の女子としては破格のものであるとスサーナは思う。劇場型の人心掌握と言うべきか、場の雰囲気で人の行動を左右するタイプの演出家の才能があるセルカ伯の遺伝を感じなくもない。


 ――マリアネラ様の前のたくらみも言ってみればそんな感じで不安を煽って勢いで言質を取る形でしたし、セルカ伯の教育方針なんですかね……。

 前の時のベルガミン卿を嵌める際のお膳立てもスムーズだったなあ、と思い返す。

 お嬢様達のスサーナのやろうとしていることへの理解もとても早かった。

 事態の推移とは関係なく、セルカ伯が自分の娘達をこうものすごくヤバい級のファム・ファタルに仕立て上げる教育をしているのでは? という仄かな妄想が浮かんだりしたスサーナだ。

 妄想だと思う、多分。


 日が昇る頃にはすっかり乗せられたミアはノリノリになっており、どんなシチュでどう相手を言いくるめるのかを楽しげにお嬢様達と話し合っていた。


 劇場型犯罪は女子ゴコロを常にくすぐるものである。一回やらかしたスサーナ自身もなんとなくわかる。

 しかし、ちょっと癖になっているとおぼしきお嬢様達は微妙に心配だなあ、とスサーナは思った。

 うっかり傾国の美女として歴史に名を残したりしないようぜひ気をつけてほしい。

 あまりに技巧的な方に話が流れるたびにやんわり止めつつ、現実的に演劇能力のあまり必要ないボロのでづらい単純な手段に引き戻しつつ、スサーナはなんとなくそう思っていた。

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