第283話 偽物侍女、鍛錬を垣間見る。

 王子様とはなかなか忙しい職業らしい。


 下級侍女をやっているとお偉い人々の予定も色々回ってくるのだが、その中には当然第四王子や第五王子のものもある。

 国賓の出迎え、有力貴族との会食。一部陳情者との接見。国に貢献した商人や市民などの表彰。レオくんもフェリスちゃんも、王の代理としてその手の業務を日常的にこなしているようだった。

 流石に重要な行いは上の王子達の任されるところであり、順位の低い王子である彼らがやるのはそこまで重いものではないようだが、それにしても大変なものだろう、とスサーナは思う。

 ――本当でしたら今頃学院で中間考査の支度をしているぐらいですのに。

 夏のあの騒ぎがなければ彼らも学院に戻って学生をしていたはずだ。テストもそれは大変だけれど、国のことをするよりかはずっと気も軽いことだろう。

 ――そのうえ、生命まで狙われているんですもんね。おふたりとも表には出しませんけど、平常心でいるのも絶対大変。


 これは二人共とても労るべきだなあ、という思いを新たにしつつ、同じく命を狙われているはずのスサーナは、数日、結構楽しく労働に精を出していた。

 ちょっと面倒くさいな、と思ったのは二日ほど前にフェリスちゃんが王子様の顔で妃宮にお茶に来た際に、一応ご令嬢の皆様に姿だけは見せて興味はないアピールをしておこう、と広間に居つづけなければいけなかったタイミングぐらいなもので、それ以外はさっさと離脱して――ありがたいことに、ミレーラ妃が来るなどなにかある時はイネスさんが教えてくれることになっている――楽しく侍女のフリに勤しんでいる。

 ――いえ、その、レオくんを見守るためだということは忘れては居ないんですけど。レオくんも色々お仕事をしていてそう言う予定はまだ入っていないですしね?

 レオくんの忙しさのぶん楽をしているようなもので、やや本末転倒感と申し訳無さはなくもない。


 なんやかや、一人……もしくはサラと二人で雑用に掃除をしているのは実に気が楽でいい。10日もしていれば同期の娘たちも多少慣れが出てくるので、サラがそちらと仕事をしてスサーナは一人仕事になる頻度も増えたので気楽さがマシマシだ。

 なにやらふと気づくと、洗濯場に汚れ物を持ち込んだ際にうっかり見かねて洗い物に手を出した所洗濯女中達の手伝いを任される羽目になったり、サラが引っ掛けて破いたお仕着せを繕ったら皆から繕い物を渡される羽目になったり、予想外の仕事も増えはいるが、まあ。まあ。

 ……そろそろちょっと控えるべきかもしれない。



 そんなこんなでスサーナは大かごいっぱいに汚れ物を入れてのんびりと王宮の裏方を歩いているところだ。


 王宮にはいくつか騎士や衛兵たちの詰め所が存在する。王宮を守護する騎士団の寮も直ぐ側にあるのだが、有事にはすぐ対応できないとならないので彼らは一定数が常に内部に泊まり込んでおり、修練場なども内部に存在する。当然、汚れ物もなかなか出る、というわけだ。

 地位の高い騎士にはちゃんと従者がつくし、従騎士が身の回りの世話をするのできちんとしたものだが、従者を雇う余裕もなくあまり身なりを構わない若い平騎士、というやつも当然存在し、そう言う人達は洗濯物を溜める。

 一応召使い達が宿直とのいの者たちの面倒を見ることにはなっているのだが、彼らもそれなりに忙しく、王宮詰めが長引くものぐさ騎士が洗濯物を溜め、ヴァリウサの冬は雨の時期で洗濯の機会が限られるもので洗濯女中達が烈火のごとく怒る、というようなことが発生する。


 というのがよく晴れた本日、リネンを預けに行っただけのはずが洗濯に巻き込まれたスサーナが何故か流れるように騎士たちの洗濯物の徴収を請け負ってしまった理由であり、大籠の汚れ物と仲良くしている理由であった。


 貴重な晴れ間のうちに洗濯を終わらせてしまいたい洗濯女中たちは総出で洗濯をしているので手が離せず、丁度良くやって来た下級侍女に絶対あるだろう洗濯物たちの救出を押し付けた、というわけだ。


 ――いやあ、結構あとからあとから洗い物出す方が出てきて時間掛かっちゃいましたねえ。まあいいか。どうせ汚れ物を出したらごはん休憩の予定でしたし。

 洗濯場に戻ったら洗濯を手伝うことになるだろう。昼休みの終わりまで手伝って仕事に戻ればいいか。洗濯女中のお手伝いに巻き込まれるのはこれで二度目のスサーナはほけほけそう考えて籠を抱え直した。


 視界の大部分を汚れ物に遮られつつてちてちと歩いていると、わっと歓声が耳を打つ。

 ――おや?

 耳に引っかかった単語にスサーナが苦労して横を向くと、そこは修練場の横手であるようだった。

 スサーナがいる渡り廊下からそのまま下りられるようになっている中庭状の空間。そこでは今まさに練習試合が行われている。

 馬上槍試合ではなく、剣技を競うもの。


「レオカディオ様、頑張ってーっ!」


 無骨なレンガ作りの壁に囲まれた修練場には似合わぬご令嬢の群れから黄色い声が飛ぶ。スサーナが先程聞きとがめたのはこれだ。18ぐらいから同い年ぐらいまで年齢は様々。流石に全員レオくんのファンだとは思えないので、年嵩のご令嬢達は若手騎士の鍛錬を目当てに来ているお嬢様方なのだろうか。


 修練場の中央で従騎士か、若い騎士見習いと打ち合っているのは第五王子だ。

 ――レオくん。……大丈夫なんでしょうか。うっかり怪我とかしちゃわない?

 スサーナはちょっと心配になる。

 王子と騎士が試合をしている、というと手加減をするというのがセオリーなのではないかと思うのだが、相手もごく若く、技量はそう変わらない相手であるように見えた。

 つまり、手加減をする余裕はない。

 そのうえ、使っているのは刃を落とした剣なのだが、スサーナが見るうちにも数度浅く手足にかすめているようだ。つまり、護符は――少なくとも、感度の良い護符は使っていない。勿論、とても厚手に見えるキルトの鎧下と胴鎧、手足にはガードが付いているのだが。

 更に言えば、相手は若いとはいえ、13歳のレオくんよりも年上に見える。多分15歳ぐらいで、男の子としては華奢な方の――成長途上ということなのだろうが――レオくんに比べれば体格もいい。10代前半の二年は大きい差だ。

 スサーナが心底ハラハラ見守るうちに、二人は数合剣を打ち合わせる。

 金属の打ち合う甲高い音が響き、踏み位置を変えて離れた。円を描くように互いの前面を追って移動する。

 ――ああっ、危ない。

 相手が踏み込むが、ヘルメットに慣れていないのだろうか、その踏み込みは浅く、王子の剣がしっかりとそれをガードする。しかして体格差は大きく、年嵩の少年が力任せに押し込もうとした剣を彼はずらすように退け大きく後ろに下がった。


「きゃあっ、殿下ー!」「レオカディオ様ー!」


 令嬢達の絹を裂くような声の中、ここぞと対戦相手が上段から大きく剣を振りかぶる。しかし、振り下ろされた刀身の半ばに剣を当て、軌道をそらしながらレオカディオ王子が相手の懐に飛び込んだ。


「勝負あり!」


 剣が相手の胴体を打ち、審判役が大声で呼ばわった。


 ――おお。

 最後のやつはあえて誘ったというやつだな、とスサーナはちょっと感心する。多分一撃前の踏み込みがレオくんの期待よりずっと浅かったのだ、と思う。


 その見立てが合っているかどうかはは流石にやや自信はないのだが。なにせ、カリカ先生がよくしなる細い枝で行う、ぴしんぴしん当ててくる「鍛錬」で教えられるのは長剣と鎧でやる剣術とは違い、体幹及び膝や足首を駆使して一撃も当たるなという方針の舞踊めいた動きで、方法論は全く違いそうであるので。

 ちなみに回転と腕の円運動を多用するそれは本来小ぶりの曲刀を使う剣術であるらしいのだが、スサーナは完膚無きまでの赤点をもらい続けている。

 ともあれ勝者はレオくんで、どうやら前世でいう「綺麗に一本」、というやつだ。


 わあっと鍛錬場の観戦席にいるご令嬢達が拍手する。スサーナもご令嬢たちと一緒に惜しみない拍手を送ろうかと少し考えたが、まさか無いとは思うもののそれでバレたら流石にあまりにアホの子めいているので我慢した。


 ――レオくん、もしかして結構上達してらっしゃる!

 本人の話と王宮内の噂によると、レオカディオ王子が剣術をまともに学びだしたのはこの夏以降のことだ。もちろん王子様なのだからこれまでもある程度の鍛錬はしていたのだろうが、それにしてもなかなかの上達速度だと言えるのではなかろうか。


 レオくんは相手と一度抱擁するとヘルメットを外して首を振り、髪を乱して微笑んだ。

 きゃーっと令嬢達が黄色い声を上げる。


「上達されましたね、レオカディオ殿下。」

「ええ。騎士団長が指南してくださっているおかげです。」


 側で立って試合を見ていた偉丈夫と言った雰囲気の男性と言葉をかわし、レオくんはそれからキラキラの笑顔でご令嬢たちに手を振ってみせた。黄色い声が一層盛り上がり、令嬢達は年上のお姉様方まで含めて皆うっとりとした顔をしているようだった。

 ――す、すごい! 王子様みたい!

 いや本当に王子様なんだけど。

 スサーナはあまりの理想的王子様ムーブに軽く感動する。確かに学院でもご令嬢達相手にはこういう態度ではあったものの、あちらではテオフィロにアルトナル、それからフェリスとエレオノーラが周囲を囲んでいたので少年っぽい態度のほうが強かったし、夏からこちら屋敷で顔を合わせるようになってからはソファでぐったりしていたりぐにゃぐにゃしていたり、あんまりキラキラとは縁がない風情だったので――最近のスサーナにおいて、レオくんのなんとなくのイメージは獅子レオというより茶色のまめしばだ――やっぱり「王子様」であるのだなあと普段はあまり見えない一面になんとなくしみじみしてしまう。


 ぐるりと周囲を見回したレオくんがこちらに目を留めたような気がしたので、スサーナは汚れ物を急いで顔の前に構えると、何事もなかったように歩行を再開した。


 ――まあ、距離は結構ありますからバレないと思いますけど!

 ああしかし怪我がなくて何よりだ。でもアレは絶対に後で筋肉痛になるだろうから、次に屋敷に「戻って」来る日が近かったら、せっかくだしお父様に頼んで入浴をおすすめしてみようか。きっと色々お疲れであることだろうし。

 スサーナはそんな事を考えつつ、鍛錬場の方を気にしながらもてちてちと進み、前方の確認を怠った結果、曲がり角のところで鍛錬場を見ていた何者かに力強く激突し、洗濯かごの中身をとぱーんと盛大にそこらへん中に撒き散らした。

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