第221話 メリッサの花束を貴方に 3

 この後のことを少し相談してからスサーナは部屋を出ることにする。

 真夜中を推してセルカ伯の元を訪問し、スサーナを「ガラント公の使用人」と見込んだミッシィが接触してきた、と言う形にして報告する、というのがネルやレミヒオの意見を入れた結論だった。


 昼間の訪問と相談でセルカ伯自身も多少気を張っているだろうし、流れとしても違和感がないとレミヒオは言った。

 スサーナはレミヒオと先に出、ネルとミッシィが時間をずらして見られていないことを確認した後セルカ伯の屋敷に向かうという計画だ。

 小貴族としては破格に忙しいセルカ伯は日付が変わる前に眠ることは少ないので面会できないということはないだろう、とレミヒオは保証し、それはそれでセルカ伯の健康が心配だなあ、と完全に自分のことは棚に上げてスサーナは思った。


「あ、そうそう」


 部屋から出る前にスサーナはふと足を止める。


「ミッシィさん、大事なことを言い忘れていたんですが。」

「大事なこと?」


 こくりと唾を飲んだ様子のミッシィに重々しく頷いてスサーナは口を開いた。


「はい。とても大事なことなんです。……実は私、オルランド様のことはなんとも思っていなくてですね。……オルランド様も、まだご婚約者様の事を想っておられるそうなんですよね」


 ぽかんとしたミッシィの表情に戸惑いが、そして複雑そうながら面映げな色が混ざっていくのを眺め満足したスサーナはさっさと部屋を出て、外で見張りを続けるレミヒオに小さく合図をした。




 屋敷にたどり着いてみると、言葉通り、セルカ伯はまだ書斎で仕事をしているようだった。

 レミヒオの手引で裏口からそっと入っていったスサーナが現れたことで目を剥いたセルカ伯だったが、夜中にご婦人が他所の家を訪問するものじゃないよという常識ある大人の説教はスサーナがおそれながらと話しだした途端ぱたりと取りやめられる。


「いや、うぅーむ、なんというか……ううぅーむ」


 話を聞いたセルカ伯は顎をさすりながらひとしきり唸り、眉間をつまんだ。

 なんて荒唐無稽な話を、とかその女性の言っていることに信憑性はあるのか、とか聞かれるんだろうな、とスサーナは考えて説得材料を考え出したものだが、


「その女性もまずこちらに来るんだね?」

「はい、あの……彼女のことは出来たら騎士の方々には伏せておきたくて……」

「うん、心配せずとも大丈夫だよ。私には証言は貰えるのだね?」

「はい、詳しいお話はしてくれるようにお願いしてあります」

「よし、……わかった! なんとかやってみよう。いやうん、私のような吹けば飛ぶようなしたっぱ官吏が口を出す話じゃあないけどねえ。そうも言ってられないなあ」


 立ち上がったその後の行動は迅速なものだった。客間に明かりを入れ、客を迎える準備をさせた後、手を叩いて執事を呼びつけ、書状を書く用意をと言いつける。

 すぐに文箱が運ばれてくると、ペンを執って簡潔に文面を書き付けだした。


「あ、あの、信用していただけるんですか……?」

「他のものならいざ知らず、暗殺までされかけた私が信じないのは少し痴れ者に過ぎるというものさ。スシー、君だってそう思って相談してくれたんだろうに」


 一大事があるから起きて待て、という文面を巻いた書簡に封をして印章を施し、呼んだ使用人に今すぐこれを届けるようにと言いつけた。


「遅い時間だと渋られても古い友人のよしみでどうしてもとお伝えするんだよ。シャール窯アル・シャールの大鉢を差し上げるつもりだと申し上げなさい。


 使用人を見送ってそう経たぬうちにネルから引き継いだらしいレミヒオの案内でミッシィがやってくる。


 セルカ伯は肌もあらわなドレスの彼女に丁重な挨拶をすると、どうか楽にして欲しい、と微笑んだ。




 スサーナを使ってミッシィの証言を聞きながら筆記させ、彼女自身に条件や希望を聞き取った後。それからセルカ伯はまたいくらか書状をどこかに書き送ったようだった。

 それから数時間、足りない人員の補充として否応なくセルカ伯の使用人たちと一緒に走り回り、夜が明けるしばらく前になにやら色々と話が回ったらしい気配をスサーナは感じ取る。

 ミッシィ個人のことはまず表沙汰にせず、かつてヤロークの貴族に命を狙われたことから警戒していたセルカ伯が手に入れた情報という形でいろいろな場所に極秘裏に注意喚起をしたらしい。


 どうも祝賀演奏会は予定通り行われる、ということ、ミッシィの証言と、ミッシィの証言に見せかけたネルのリークから事前に犯人たちの目星が付けられ、当日……いちばん大事な行事の前に一網打尽にされる予定であること、その上で会場の警備は手厚くなること。そういうことが急ピッチで申し合わされていく片鱗をスサーナは眼にし、多分この深夜から早朝にかけて血反吐を吐いて仕事をした裏方さんたちがどれほどいるのだろうか、とそっと見も知らぬ官僚の皆様に感謝した。


 その後。

 ミッシィは一旦怪しまれぬようホテルの部屋に戻り、タイミングを見て離脱する――事が終わったあとで協力者として発表、復権を試みる、ということもセルカ伯が請け合った――ということで話がまとまる。

 スサーナはこんな時間まで手伝わせてしまってすまなかったねと労いを受けた後でガラント公の別邸にそっと送ってもらうことになった。


「ねぇ。」


 ふとミッシィに呼び止められる。


「はい?」

「あのさ……ありがと。アナタのおかげで……オルランドが無事で居てくれる」

「そんな。ミッシィさんが色々話してくださったからです。……私はお手伝いしただけですもん。私も得しかしてないですし。明日きっと会場には大事な友達がいるので。」

「でも、よ。……アタシだけだったら怖くて誰かに話すことなんて絶対できなかった。」


 お礼って言ったら大げさだけど、と渡されたのは香水薄荷メリッサの小さな花束だった。

 根がついたままで綿玉で巻かれ、愛らしい小さな半球状に形作られている。


「あ、これ、メリッサの?」

「田舎のあたりじゃこれ、そんな取り澄ました名前じゃなくてミッシィって言うんだけど……なんて言うと大げさなことしてるみたいよねぇ。自分と同じ名前の花束なんて。いえ、あのさ、これね、お守りなのよ。良かったら受け取って」


 スサーナも一応その手のおまじないは知っている。香水薄荷の花束が示すおまじないは災難除け、愛する者への加護などさまざまで……


「…… これ、わざわざ作ってきてくださったんですか? 」


 数時間で作るにはだいぶ手間がかかっているような気がする。


「んっ、ええ……手持ち無沙汰だったから。昔からこういうの作るのは好きなのよ」


 スサーナはなんとなく、ああ、これは渡し先のイメージがあって作られたものだな、と察する。そう、例えば、そっとホテルの部屋の前に置いておくつもりで果たせなかった、とかそういう。


「ありがたく預からせていただきますね。」


 スサーナはにっこりとその小さな花束を受け取るとそっと鞄の中に潰れないよう仕舞い込んだ。



 セルカ伯は大人なのでその先にスサーナを関わらせる気は無さそうで、顛末を後で説明する、と約束してもらったあとであとは休暇を楽しみなさい、と言われて送り出される。

 それでスサーナは、さて、これでこの件についてすべきことは全部終わったぞ、と開放感に駆られた。

 ――あとは政治の世界、ですね。……取りこぼしが少し心配ですけど、私がいなくてもセルカ伯のところにはレミヒオくんがいますし、ネルさんもいますし。

 そのうえプロフェッショナルの捕り手が動き、騎士団が動員されると聞いた以上後自分が何かして意味があることはあるまい。

 ――レオくんとフェリスちゃんのことは心配ですけど、こうなった以上国内最高の警備がされるでしょうし? むしろ一番安全なのは間違いない、ですよね。



 ――ああ、なんて忙しない一日だったんでしょう。


 そっと別邸に入ったスサーナはくったりどうしようか考えた。

 しかし、そう経たないうちに使用人たちが起き出した気配のあと、馬車が表からやってくる様子を見て寝るのはやめておくことにする。


 太陽がのぼりかけたばかりだというのにやってきたのはオルランドだった。

 何食わぬ顔で寝たふりをして使用人が呼びに来るのを待ったスサーナは、予想通り訪問の連絡を受ける。


 なんだか一睡もしていないような疲労した顔でやってきたオルランドは申し訳無さそうな顔でやってきた理由を告げた。


「済まない、君の護符を朝には返せると言ったけれど、数日待ってもらうことになりそうなんだ」


 やっぱりか、とスサーナは思う。実のところそうショックはない。

 なぜならセルカ伯のところでミッシィの証言を検証中、彼女が上げた貴族の名のうちいくつかに共通点があるとセルカ伯が気づいていたからだ。


実家いえに保管されていた護符を確認したところ、すり替わっていることがわかってね。君の護符も証拠品ということになってしまうから……ああ、もちろん君がやったことだとは思っていないよ。詳しく話すことは出来ないけど色々あって。……必ず返せるようにするから、安心して欲しい。」

「はい。……ええと、オルランド様はご存知でしょうか。私、エレオノーラお嬢様にお雇い頂く前はセルカ伯のご令嬢の侍女でして、昨日は前の主の所に挨拶に伺っていたんです。ですから……多分、事情は少しは。」


 言ったスサーナにオルランドはそうだったのか、とため息をつく。


 セルカ伯が気づいた共通点とは護符の下賜を受けている家だ、ということだった。

 ……それを上申した際、ガラント公の私邸に納められていた護符がすり替えられていたとの報告があった、という連絡も受けた。

 毒殺を試みるならその場にあるかもしれない護符の総数はそれは減らしておきたいことだろう。スサーナは説明を聞いて納得せざるを得ない。合理的判断だ。

 プロスペロはさぞやカンカンだろう、とスサーナは思い、うっかり遭遇するような場所に居なくてよかった、と遠い目になったものだ。

 というわけで多分護符が帰ってくるためには何らかの手続き、もしくは事件の円満な解決が必要だろう、というのは先程にはなんとなくわかっていたスサーナである。


 早く返してほしくてたまらないが、そこは明らかに大人の事情が関わってくるのだろうから言っても仕方がない。


 オルランドは事情を述べ、返還を約束すると忙しなく席を辞する意を告げる。

 ――貴族の方の訪問にしてはすごく雑ですけど、事情が事情……というか、多分役職的にこの方、一番忙しい立場なのかもしれないんですね。

 国内治安に関わる役職の貴族は明らかにいま忙しさのピークだろう。だというのにわざわざ約束を気にして説明に来てくれた、というのは破格の親切さだ。


 帰りかけるオルランドにスサーナは、あ、ちょっと、と呼び止めた。


「オルランド様、今日の祝賀演奏会には御出になるんですか?」

「ん? ああ、多分ね」


 これまでと違う理由で祝賀の会場には出ざるを得ないだろう、と予想しつつの確認だった。スサーナはうなずくと鞄の中から花束を取り出す。


「ええと、お疲れさまです。こちら、不運払いのお守りだそうでして、どうぞ。」

「お守り?」

「ええ。人から渡されたものなんですが。……ええ、今の騒ぎで、潜入捜査とでも言いますか。重要な役目を果たしておられる方が居て、その方にお渡し頂いたものなんですよね。」


 押し付けられた小さな花束を手のひらの上に載せ、オルランドはこれは、と呟き声を上げる。


「その方はオルランド様の身の上の安全をとても気にされてらっしゃいまして、ええ。そちらにお渡しするのがお心に叶うんじゃないかな、と。」

「そう、なのか」

「はい。」

「……お礼を言う機会はあると思うかい?」

「今の事が終わったら、巡り合わせがあればではないでしょうか」


 オルランドは花束を大切そうにしまい込むと早足で帰っていく。スサーナはそれを見送ったあとでうむ、と頷いた。


「うん、まあ、こんな感じで丁度良かったんじゃないでしょうか。折角ですし。ええ。」




 うんと伸びをする。やりきった感とともに長椅子にくったり伸びたスサーナは、さてどうしようか、と考えた。

 裏で大捕物があるかもしれない、とわかっている以上そこまで祝賀演奏会に近づきたいとは思っていない。

 でも、せっかくドレスを手直ししてもらったんだしなあ、同業者の努力を無駄にするのも、とボーッと考えてスサーナはガバっと身を起こした。


「いや出なきゃ駄目じゃないですか!」


 この一日の大嵐のような特殊さですっかり忘れていたものの、スサーナの今日の目的は別に陰謀を阻止することではなかったのだ。


「何事もなく殺害計画が阻止されるならなおさら……! いえ流石に知らされたら自重する方のような気もしますけど、でも!」


 そういえばスサーナの演奏会での主目的は第二王子がミアにちょっかいを掛けないように見張ることである。

 その事を思い出し、セルフツッコミを入れながらスサーナは一難去ってまた一難!いえ新しく来たわけじゃなく、忘れてただけなんですけどね!! とそっと歯噛みしたのだった。

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