第220話 メリッサの花束を貴方に 2
スサーナはミッシィに勧められた丸椅子に座り、さてどう切り出せばいいやら、と考える。
――まあ、結局反応を見ながら、ということになりますけど。
最低限求めるのは、司法の手に委ねる、ということになった際に、彼女には害の及ばない立ち位置に……せめて重罪が課せられない程度のポジション――無理なら物理的に――に行ってもらうこと、だ。
自分で確認するべきなのは、心情。これで彼女が暗殺意欲に満ちたりしていたら目も当てられない。
「ええと。あの、ミッシィさん。」
「ん、うん、お話したいことってば何かしら?」
少し迷ったあとで彼女は対面に位置するようにベッドの上にぽすんと座った。
「はい。あの……実は、オルランド様のことなんです。」
スサーナがその名前を出すと、ミッシィがきゅっと体に力を込めたのが解る。
「オルランドが……どうか、した?」
「ええと、オルランド様は第二王子殿下の……幼馴染? ともかく、仲がよくてらっしゃるんですね。」
「ん、ええ、そうね……?」
「……オルランド様は第二王子殿下にじかに祝賀演奏会に呼ばれていらっしゃるそうなんです。……ですから、無理をしてでも行かれるでしょう。お断りをする、という非礼は絶対に行えない。……と。」
ゆっくり告げたその言葉にミッシィの表情が小さくこわばるのをスサーナは伺った。
「っ、そう。それを……わざわざ伝えに来てくれたの? それは……ありがとう。助かるわ、でも」
落ち着かなげに彼女がきゅっと指を握る。視線がスサーナの上を通り越して切羽詰まって不安げに揺れた。
「はい。……ミッシィさん、どうしてオルランド様を明日外出させたくないんでしょうか。この夏に領地から戻ってきたなら……演奏会に出て損は無いですよね? それも、王子殿下のお呼びだと言うなら。何か……ご理由が? 」
きゅうっと何かが喉元に詰まった、というような表情で彼女は口ごもった。
「その……それは……」
ミッシィが視線を泳がせる。その表情に浮かんでいるのは怯えと戸惑いのようだ。
――理由が最初から用意してある、ということではない、と。
つまり、主犯側の人が彼を被害者から外したい、と思った、というわけではない。オルランドを行かせないよう、というのは多分彼女の独断で、いきあたりばったり。そして彼女は少なくとも明日起こることに意欲に燃えている、ということは無さそうだ、とスサーナは内心を推し量る。
「っ……そんなこと聞いてどうなるの? ねぇ、彼が休まないのは分かったわ。でも……具合を悪くした、とか、行かなくても仕方がないことはあるわよね? なんとかして彼を行かせないように……協力してくれない? 大変なことはわかるの。お金なら……欲しいだけ払うから」
言い募る彼女にスサーナは小さく首を振った。
「ねえ、お願い。……大事なことなの。とても……」
「私ごときが多少何か言ったとしても……。このままですと、……オルランド様は演奏会に行かれるでしょう。復権が掛かっている、と言ったら大げさになりますけど、貴族の方々は体面を大事になさいますから。」
「それは……わかる、でも!」
焦った調子で語調を荒げたミッシィを前にスサーナは立ち上がり、彼女の前に一歩進み出る。焦りに揺れる目を覗き込む。
「ミッシィさん、そういえばお聞きしたかったんです」
ミッシィが目を上げる。必死に彼女が自分の表情を読もうとしている、ということを察しながら微笑んでみせた。
「オルランド様のこと、お大切なんですね? ……まだオルランド様のこと――」
スサーナは短く言葉を探す。浮かんた単語に大仰だな、と感想が頭の隅を過ぎったが、多分最適なのはこう言うことだろう。自分にはよくわからない感情だが、この場では簡単な言葉で表すのは不適当に思われた。
「……愛してらっしゃる?」
「そ……」
相手は目を泳がせる。
「急に……何よ。今話すことじゃなくない? ねえ……」
複雑な色がミッシィの表情の上に走る。目をそらそうとした彼女にスサーナは強いて顔を寄せ、真剣な顔で目を合わせた。
「大切なことなんです」
ミッシィが口元を引きつらせ、一文字に結ぶ。たじろいだ目線が揺れ、何かの衝動をこらえるように肩が震える。腕が伸びてぐっとスサーナを押し返した。
「ミッシィさん」
「そっ……それはそうよ! だから……なんだって言うの? アナタだって……好きなんでしょ、彼のこと! 大事なんでしょ、だったら、お願い。彼のためなの!」
敗北感と懇願が綯い交ぜになった表情。悲鳴に近い声音にぴりぴりと唇が震え、また噛み締められる。
苦しげな顔をした彼女に、スサーナは一呼吸置いてから静かに声を掛けた。
「でしたら。……ミッシィさんもこちらにご協力いただけませんか。」
「きょう……りょく?」
「ええ。……このままだと、オルランド様は演奏会に行かれて……そう、毒を飲まされて亡くなられてしまうかもしれない。そうですよね。ミッシィさんはそれを防ぎたい。合っていますか?」
「アナタ……何を知ってるの?」
息を呑み、はっと問いかけたミッシィにスサーナは小さく、あえて快活げに肩をすくめる。
「……多分、大した事はなにも。ただ……そうですね。ヤロークの貴族の方が明日の祝賀演奏会で何か起こそうとしてらっしゃる、ということ。毒を使われるつもりで……ああ、そう。貴族の方は、イヴァーノ様、と仰るそうですね? ……それから、多分、ミッシィさんは本意で従ってらっしゃるわけではない、ということも…… これは合っています?」
ミッシィは呆然とスサーナを見返し、信じられないものを見るようにまたたきする。それから、小さくこくりと頷いた。
「良かった。実は主催者側に恨みがあって、とか言い出されたらどうしようかと思っていたんです。」
「アナタ……何者なの?」
問いかけた声には疑念が混ざっている。スサーナはあえてこどもの表情で笑った。
「何者という程のものでもないんですが……色々教えてくださる方が居て。……私も、事件は起こしたくないんです。オルランド様も死なせたくない。出来たら……分かること、色々教えていただけませんか。良ければ、一番最初から。」
彼女はスサーナの求めに応じてぽつぽつと口を開いた。
孤児院に居た時に貴族に選ばれて学院に送り込まれたこと。下級貴族だったその最初の主は多分、ミッシィを学院に送り込んだ意図は当初上位の貴族に取り入る駒だというだけだったのが、オルランドと親しくなってから様子がおかしくなったこと。なんやかや詳しいことを聞かれるようになり……多分、何か悪いことをしているのだという直感はあったものの、オルランドに相談することは怖ろしくて出来なかった。
「それで、疑われてるって判った時に……どうしていいかわかんなくって。市場をウロウロしてたら接触してきたのが今の主。このままだと犯人として斬首される、って。逃げるなら手伝うって言われて……馬鹿よねぇ。あっという間に雁字搦め。」
ミッシィは苦笑してみせる。
――たぶんリーク行為だけじゃ死罪になるというほどでは無いでしょうし、逃げさせたのって多分証言されたら不味いことがあったんでしょうね。それか捜査の撹乱。……金品を盗んでいかせたのは本物の罪にしてしまえば戻れなくなるからか。
予想だが、そうは外れていまい、とスサーナは思い、わああくどい、と半眼になった。
しばらくはアウルミアに潜伏させられ、そこで今の「仕事」を命じられたのだとミッシィは言う。
マダムをつけられ、望ましいふるまいと手練手管を教え込まれた。
裕福な貿易商や商船主を数人たぶらかし、才があると見込まれて、国境近くに領地を持つアウルミアの小貴族を。国内に戻ってきたのは半年ほど前で、地方都市をしばらく転々としてから王都に入ったのが二月ほど前、という。
「それから主の指示通りの貴族とお近づきになって……主の指示、と言うけど、直接顔を合わせたのなんか何回も無いわ。指示をするのはルチェルトラ。多分だけど、私とおんなじような役目の女は他に何人かいるんだと思うわ。貴族の屋敷に行くときにだけ合流する……アタシの付き人役の女も居るの。私が貴族のご主人さまをたぶらかしてる間に使用人に取り入る役。女の子だけじゃなくて……浮浪者みたいな格好の奴とも喋ったことはないけど顔を合わせたことがある。」
でも、連絡がつくのも正確に識別できるのもルチェルトラだけだ、と説明されてスサーナは嫌な顔になる。
――危機管理がしっかりしてらっしゃる……
これではもしミッシィが捕まったとしても芋づる式に仲間を引っ張れず、適当なところで尻尾がちょんと切れて終わりなのだろう。なるほど蜥蜴か。ネルという情報提供者がいなければ上が誰か、なんてわからなかったに違いなかった。
「お近づきになった貴族の方のお名前と、調べたことは覚えてます?」
「ええ。大体だけど。」
スサーナは部屋に筆記具があったのを幸い、ミッシィの語る貴族の名前と内容をメモする。
――魔術師さんたちに携帯しやすいボールペンが開発できないかって注文しよう。島に戻ったら……
ダミーもたっぷり混ざっているのだろうその内容は多岐にわたる。施策の内容。領地の収量。開墾の具合。任されたポストについて。職場の人員。それから家の間取り。
――間取りはすこし毛色が違う? 何か探していた?
問いかけたスサーナにミッシィは首を振る。
「アタシはほとんど何も知らされないの。多分誰か忍び込んだやつが居る、というのは幾つか分かるけど……それも相手がアタシに『こんなことがあった』って話したからわかるだけで、本当に関係があるのかは分からないわ。」
演奏会のこともそうだ。本来教えられるのは必要なことだけで、ミッシィがその計画を理解したのはルチェルトラと別の者が計画について会話しているのを聞いたためだった、という。
とはいえ警備主任を任される中位の貴族を蕩かして、警備の者たちの中に「食べるのに困っている、お世話になった方々」を混ぜるようにねだったのは彼女であるというので「なにかある」という状況には間違いなかった、とミッシィは語る。
毒杯に関わる会話の中に恋人だった男の名が混ざっているのを耳にしたミッシィはこれまで行わなかったことをした。ルチェルトラの隙を伺い、彼の持っていた手紙……指令書を盗み読みしたのだ。
はじめて学院で手紙用の言葉を習ったことを感謝した、と彼女は笑った。
彼女の知った計画は、警備の人間と厨房の人間に手勢を紛れ込ませ、乾杯の酒の中に毒を混ぜるというものだ。
そこまで語ってミッシィは長く息を吐いた。
「ああ、あはは、案外スッキリするものね。……誰かに伝えなきゃいけないと思っていたけど、アタシはこんな身の上でしょう? 絶対信用されるはずがないし、命を無駄にするだけになるのはわかってた。拷問は怖かったの。これ以上オルランドに軽蔑もされたくなかったし。」
でもせめてオルランドだけは無事で居てほしくて、そう囁く声で言う。
彼女の話には王族の暗殺の話は混ざっていない。スサーナは少し思案する。しかし、彼女の語った通りの命令系統なら彼女が知らされていなくてもおかしくはないし、今の話だけでも一応説明はつく。
――会場に手勢が混ざっていれば護符を持っていてもすり替えられたりするでしょうしね……。
「ねえ、アナタ。……きっとアナタ、ガラント公の息のかかった子なんでしょ? アタシ、この後どうなるの? ……普通に騎士に踏み込まれるよりマシよね。何をされても文句は言えないだろうし。」
「そうですね。この後……この件は信頼の置ける貴族の方にご注進して、そこから騎士団に上げてもらいます。ミッシィさんは……」
きゅっと神妙な顔をして唾を飲んだミッシィにスサーナは頷く。
「……とりあえず、まずは余波がこない所に隠れていただくのがいいと思うんです。……実行犯と、糸を引いたヤローク貴族の方は捕らえられるはずですが、ご不安な気持ちはわかりますから、……国外へでも、どこへでも逃がせる方に心当たりはあるので。」
「え?」
ミッシィは首を傾げる。
「アタシ、捕まるんじゃないの?」
「そうですねえ、司法取引ができるか、とか実は二重スパイだった、と強弁してみるとかも試してはみますけど。そのほうが多分双方幸せな結果になりそうなので……。あ、そうだ。誤解があるようですが、別に私、
――信じていただけるかどうかはともかくとして。
本当に一片の嘘もなく偶然なのだから困ってしまう。そう思いながらスサーナは微笑んだ。
「あ、ご不審があるといけませんから、先に紹介を。ネルさん。もう入ってきてくださって構いませんよ」
スサーナが振り向きかけた声に応じて扉が細く開き、黒い青年が滑り込んでくる。
……ネルが外から外れてもまだレミヒオが近づくものを警戒している、と知っているからこそ出来る手段だ。会話しているのが
「アンタ……見たことある。黒犬……死んだって、確か……」
ぱっと警戒するミッシィにネルはいっそ冷たいと言ってもいい声音でぶっきらぼうに言った。
「ゴシュジンサマよか生き汚くてな。……先に言っておくがヤロークの糞共とはもう何の関係もねぇ。……糞どもの手の及ばない所はある。望めばどこにでも運べる奴が居る。俺が生き証人で、お前がそうしたいなら俺が手引することになる」
「どういう……こと? アンタが助けてくれるっていうの? なんで?」
「鳥。
いっそ誇らしげな口調のネルの目線を追って振り向き、はっとこちらを見たミッシィの目に畏怖っぽい気配が混ざっていた気がして、スサーナは全力で首を振った。
「ネルさん、おかしな誤解を招く言い方はやめてください! 私、凄い系列の何かには一切関わっていませんからね! 本当に! 普通の一般人ですので!!!!」
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