第222話 王の後継者のための協奏交響曲 1
昼頃から付きっきりでメイドの一人に「演奏会での作法」を説明された後。
夕方頃に与えられた部屋に楽しげなメイド達が大挙してやってきて、諦めきった表情でなすがまま化粧を施され済ませたスサーナは、さらにベルトコンベアに乗ったような気分できゅうきゅうに着替えさせられた。
(試着時に予想していたことだが)スサーナには似合うと言い切るとどうにも首を傾げる、非常に豪奢な……ミッシィによく似合うようにデザインされたのだろうと今ならはっきり分かる、向日葵のような色の重層的な染めのドレスをまず着せられる。
経糸と緯糸で別々の染料を使って文様を織りだした布をたっぷり使い、ところどころのスラッシュからはびっしりと刺繍を縫い込めて固くなった白絹を覗かせるというデザインで、華やかな作りのものだ。
次いで緑の宝石を散らした豪奢な装具で飾られた、テリをつけた幅広の帯でビーバーの尾のような形の裳を背後ろに留め、宝石付きのピンをずらりと並べて胸元から胴にかけて優雅な模様を形作る。
そして前世で貴族の服装といわれてイメージするクリノリンスタイルよりもだいぶ細身ではあるが、動きづらいにもほどがある格好にさらに足して長く垂らす付け袖をつけ、最後に金に近いごく淡い茶色のかつらを着け、結婚年齢前らしくリボンを絡めて編み、左右でまとめ髪を作って完成だ。
――気、気疲れがすごい……
昨日からの疲労もあり、それだけで結構ぐったりしたスサーナだったが、行かない、というわけにはいかない。
大人しく馬車に乗せられ、お付きのメイド二人とともにごとごとと音楽堂に輸送されて行くのだった。
音楽堂は二枚目の壁と三枚目の壁の境界付近に建てられていた。
格式高い場所ではあるが、平民も入りやすい立地を選んで建てられているのは商人層との関係もあるのだろうか、とスサーナは思う。
それでも貴族と平民ごちゃごちゃということはないようで、スサーナの馬車は貴族用の入り口側に停まり、そこから入ることになる。位の高い貴族たち……エレオノーラお嬢様達は中まで馬車で乗り付けられると言うが、流石にそこまではスサーナの馬車は出来ないようだった。
すると格式高いホールがあり、開演まで貴族の人々が思い思いに過ごしている。メイド達によるとホールからはいくつかのサロンにも行けるようで、そちらで歓談したり知己と挨拶するのが一般的な過ごし方だという。
当然スサーナは肩身が狭く、そっと平民用……というわけではないが、格式が落ちる方のホールへ向かおうと試みたが、メイド達に阻止された。
「あちらは品位が落ちますから、貴婦人が行くには向きませんわ」
「いえ、ですけど、あちらのホールから向かうほうが近い席ですし、友人たちもあちらにいると……」
「時間までこちらにいらっしゃればよろしいですわ。あちらは心無いものがいないとも限りません。掏摸だのに目をつけられたら大変」
演奏会でスサーナがエレオノーラお嬢様に用意してもらった席は「すごく良くもなく悪くもなく」の場所、有り体に言えば他の学生たちと比較的近いバルコン席だった。最初、ボックス席を一つ買い切るつもりだと聞いたスサーナは全力でお願いして他の学生たちとできるだけ近い席にという口実で変えてもらったのだ。
席番号は離れているだろうが、うまく席が近い人に頼み込めば席を交換してもらえるだろう、とスサーナは踏んでいた。うっかり運命の出会いとかを演出されないためには早めにミアと合流して一緒に過ごすのが一番いいように思われる。それもあってできるだけ向こうの方に行きたかったのだが、なかなかメイド達は強硬だ。
殿方のエスコートもなくそんな方に行かせられません、と口を揃えた彼女たちにスサーナは、
――じゃあ、……できるだけ親切そうな方を探してあっちまで付き添ってもらう……? この格好なら貴族の娘さんだと思われるでしょうし……
そう思案する。
メイド達が品位が落ちるなどという格式が落ちる方のホールだって問題がある場所というようなことはない。特に今回は「祝賀」ということで、来場者はすべて招待客という扱いとなっていて、さらに幅広い層が入れるように気を使われているというのだが、王家からの招待状を持った人間が入れるホールがこちら、そうでない招待状を持った人間が向こう、というだけで、向こうにいる人間だって村や町の名士、富裕な商人などがほとんどなのだから。
本来はスサーナだってあちらから入るはずなのだが、エレオノーラの用意したものは一体どうやったものか金の箔押しで王家の紋章が入っていたのでこっちから入れた、と言うだけなのだ。
……どこかに確実にテロリストは潜んでいる、にしても、それは下のホールの方に居る、だなんて限らないわけだし。
治安が治安がというメイド達に内心ツッコミをそっと入れながら、スサーナは実にさり気なくホールの中をうろつき、できるだけ温厚そうで、そう位が高く無さそうな貴族を探すことにする。
ホールの中を歩き出した途端、令嬢達がひっきりなしに声を掛けられているのを目にしたスサーナは、これは厄介そうだぞ、と思ったものの、特に話しかけられるというようなことはない。一瞬よほど自分が無作法に見えるか、貴族らしからぬように見えるのかと思ったスサーナだったがどうやらそういうことではなさそうだった。
社交界デビュー前のこどもはそっとしておく――家族ぐるみの付き合いがある者はまた別のようだが――というのが不文律らしい。同じように話しかけられていない、同じぐらいの年頃から年下に見える少女たちが皆同じようなリボンを絡めた髪型と肩を慎ましく覆う付け袖を付けていることでスサーナはなんとなくそういうものなのだろうな、と察したりもした。
――こちらから話しかけちゃいけない、ということは無さそうなのでこれはよし。ええと、出来たら、できるだけご年配の方で優しそうな方……
スサーナがもくろみを胸にそうっとキョロキョロしつつうろついていると、あらぬかたから聞き覚えのある声がかかる。
「やあスシー、誰かお探しかい?」
見れば正装のセルカ伯だ。昨夜は完全に徹夜で、スサーナの何十倍は働いていただろうに外見からは今はそうは見えず、なんというスタミナだろう、とスサーナはそうっと感心する。
「閣下。閣下もいらしていたんですね。」
スサーナはとりあえず済ましてそう返答した。
「うん。なにやら参列の栄誉を頂いてねえ。そうか、君も招待客だったんだねえ。そうしているとなかなかの美人さんだ。うちの奥さんの次に綺麗だよ」
「そんなこと仰るとレティシア様とマリアネラ様がお拗ねになられますよ。お二人ともとってもお綺麗なのに。」
「はっはっは、あの二人にはあんまり綺麗になりすぎられても困るなあ。男親ってのは複雑なんだよスシー、求婚者をひっぱたかなきゃいけないからねえ」
場にそぐわしい――多分――会話を少しして、それからセルカ伯は何か手伝えることはあるかい、と上品に申し出た。
少しだけ気を張っている雰囲気を感じ取り、スサーナは、多分セルカ伯がここにいるのは昨夜からのミッションの関係なのだろうな、と察する。
「はい、ええと、実は公学院の他の学生と合流したくて。みな東のロビーの方にいるようなのですけど、付添のメイドがエスコート無しで行っては行けないと申しますので」
特に厄介事に首を突っ込みたいわけではないのだ、と言外に主張しつつ困った表情で言ってみせると、セルカ伯はははあと納得したように頷いた。
「私で良かったら案内するよ。」
「本当ですか、そうしていただけたら本当に助かるんですけれど」
快諾いただけたのでスサーナはほくほくしてメイド達に了解をとる。どうやら格式の落ちる方のロビーに彼女たち自身が近づきたくなかったらしいメイド達は渋々らしい表情で頷いた。
セルカ伯にエスコートされて東のロビーに向かう途中、さり気なく横に誰かが並ぶ気配がするのにスサーナが首を上げると、絢爛豪華な盛装をした、どうやら見覚えのある人物だった。後ろに控えてついてくるメイド達がひえっと声を上げる。
「ブラウリオ、幾つか確認が……んん? おや。誰かと思えば君はスサーナ嬢だね。直接顔を見るのは去年の夏以来だ」
「み、ミランド公閣下に置かれましてはますます御清祥のこととお喜び申し上げます……!」
気さくに挨拶してきたのは北の公と人の言う、大領地を治める大貴族の一人、つまりミランド公である。いきなりの雲の上の後援者の登場にスサーナはぴゃーっとなる。
――焼き物の人、じゃなくてミランド公!
反射的に深く頭を下げながら丁重な挨拶を取りつつ、スサーナははっと気づいてしまった。
――髪も出していないのに個体識別されてる!!
ぴいっとなりつつ、顔を合わせたのは一度だけで名前もその時はろくに知らなかったろうし、髪も鬘だし化粧もしているというのに分かるとはこれが高位貴族の才能というやつなんだろうか、とスサーナは震え上がった。
「ふむ、ふうむ。悪くないドレスだが、スサーナ嬢に合わせるなら淡い青……黒もいいね。でなければ白か。もっと似合う物がありそうなものだがなあ、なあブラウリオ」
「はっはっは、閣下。女性のドレスの寸評が許されるのは贈った相手だけだと妻が常日頃から言っておりますとも。」
「ああー、これは一枚取られたな。」
はっはっはっは、と笑い合う大人二人に何か返答してもいいのかすらも判断できず、スサーナはその場から逃亡したい心持ちで一杯になる。
いくら気さくでいい人だからといって、国内有数の大貴族にドレスを寸評されるのはどう反応していいかもわからない。
同じく国内有数のだいたい同じぐらいの地位の貴族に仕えているはずのメイドたちもスサーナと似たような心情らしく、震える子犬のような目になっているのと目を見交わしてなんとなくわかりあった。
「ええと、あの、閣下。ご用事のようでしたら、メイド達もしっかりした者達ですから、ここからは自分で参ります」
会話の切れ目に急いでセルカ伯に声をかける。
メイド二人も先程とは違い、はい、と声を揃えていいお返事だ。
ところがミランド公がにこやかにいや気にしなくて構わんよと言ったのでたまらない。その上セルカ伯に東のロビーへお送りするところですよと言われたミランド公がなぜだかまるでエスコートをするような形で腕を出してきたのだからスサーナは全力でたじろいだ。
「スサーナ嬢、腕をどうぞ。いやあいいな、私には娘が無いのでね、出先でエスコートをする機会にも恵まれなくてねえ。ブラウリオがお嬢さんを伴って見せびらかすものだから常々羨ましいと思っていたものだ」
「はっ、え、ええと……失礼いたします……」
そう言われてしまえば断るなんて失礼は出来そうにない。
スサーナはなぜか両側をセルカ伯とミランド公に挟まれ、エージェントに連行される宇宙人の気持ちで東ロビーへ向かう廊下を歩くことになってしまった。
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