第144話 お門違いな悲憤慷慨 3

 足音が遠ざかりきった気がしてからスサーナはやれやれと脱力した。


 彼が危険な森のお友達毒蛇や毒蜘蛛や汚物を用意して上から投げ込んでくる気概がなくて何よりだ、と思う。


 とりあえず本当にどうしたものか、と彼女は再度ため息をつく。誤解を解くにはどうしたらいいか、とか、警察、もとい警吏が調査に来るらしいんだけどどうするのさ、とか。そういうことだ。


「被害届取り下げって制度上可能なんですかね……」


 とりあえず事情を理解してしまった以上、警察沙汰……こちらで言うなら警吏沙汰、騎士沙汰だろうか。そういうものにはしたくない。偉い貴族の子弟のみなさんにバレるのも流石によろしくない気はする。青春の蹉跌でいきなり人生終了のお知らせはちょっとどうかと思わないでもない。


 なにせクラスメートなので、他の子供たちへの影響だって大きかろう。クラスメートがクラスメートへの殺人未遂事件の結果前科がついた、とかそういうのは13歳にはちょっとショックが大きそうな気がする。


 それにもしミアが彼が自分を庇おうとして――本格的に的はずれなところに着弾して――処罰された、と知ったら気に病むだろう。それは非常に後味が悪い気がする。そもそも論になるが、貴族のファンクラブ女子一同がミアを制裁しようと思わなければこういうことにはなっていない。つまり彼も被害者……と、言えないこともないかもしれないような気がするようなしないような。ううむ。


 かといって完全に無かった事にしてしまうとそれはそれでとっさの時に暴力沙汰を起こすような成功体験になってしまうかもしれないのでそれは良くない……かもしれない、とスサーナは続けて思案した。考えるべきことが多い。


 少なくとも、これから学校生活を送る上で、衝動的行動に出る場合は平手打ちぐらいまででとどめてもらうよう学習して貰う必要はありそうだ。自分だったからいいものの、今後クラスメートと喧嘩をするとかそういうこともあるだろう。花瓶はちょっと良くない。穴に落とすのもあまりいいとは思えないが、まあ比較的ありそうなトラブルの範疇だろうか。なにせ、契約の関係上殺人は少ないらしいものの、社会的に中近世的倫理観なのは間違いないのだ。薪ざっぽうで殴り合うことだって本土では日常かもしれぬわけだし。

 ……一応これも叱っておいてもらうべきだな、とスサーナは思い直す。一メートルは一命取るとか言うらしいし、うっかり頭でも打つと洒落にならない可能性はある。精々、夕暮れの河原で一対一、真っ向からの殴り合い程度に留めておいてもらいたいものだ。強訴とかするのが常識的振る舞いであったとしても、学院内では学内の秩序というやつも求められるはずなのだし。


 ――えーと、なんとか誤解を解いた上で、あの子の尊敬してる方とかに彼のことを思ってもらった上で滾々と言い聞かせてもらう、とかそういう方面が落とし所……なんでしょうか。ただここだと講師の先生方とかは授業中以外はほとんど接点がないんですよね。


 スサーナは悩み、ここから出たあとでクラスメート伝いに彼の先輩なんかを当たってみようと決めた。駄目なら次善の策、立派な大人を頼ることにして客員教授のカードを切り、そこから威厳の有りそうな教授連あたりに相談できたらいいかなあ、と思う。



 まあ、なにをするにせよ、とりあえずここから出なければ始まらない。


 正直時間制限暗殺予告があるわけでもなし、言ってしまえば学校内の範疇で、よほど探しづらい場所ということでもない。

 捜索隊も明日になれば出るのを期待できようし、自分が寄宿舎に戻らなかったとわかればひと足早くネルも探してくれる気がする。

 そう思えば朝まで待てないこともない気はするのだが、風邪ぐらいは引きそうだし、魔獣が出たらとても嫌なので――とはいえ、学内で特に厳重な塀があるわけではない寄宿舎に在住している身としては、学内を魔獣がうろついているとは思えない――諦めるのは後ろの方の手段にしておきたいとスサーナは思う。


 周囲を見回す。

 白い材質の縦穴だ。落ちたときの印象と相違なく、大体縁までの高さは2mちょっと。スサーナの身長ではジャンプを試みた所で縁にはギリギリ手が届かない程度だ。これが長身の男子ならほいっとずり上がって事は終わりだろうに、と見上げながらスサーナは不満に思う。いまいち背の伸びが悪いのがここのところの懸念事項なのだ。


 壁はつるつるした材質で、ヒビや脱落などの足がかりになりそうな場所はないように見える。手足を突っ張って登るには広すぎるようだ。

 なんとなくマンホールを連想したスサーナは、もしや昇降タラップはなかろうかと確認したが、その手の手がかりのようなものは設置されていないようだった。


「登るにはちょっと苦労しそうですよね……」


 スサーナは呟いて、じゃあ、とこころもち嫌々ながら後ろに目を向けた。


 穴は半ばほどからぐっと底が傾斜し、スサーナから見て後ろ半分、戸口の反対側のほうが深くなっている。そして、とても認識したくないのだが、どうも横穴が開いているようなのだ。


 壁の半ば、上1mぐらい残して開いた穴だが、床が傾斜していることもあり、スサーナなら普通に立って入れるぐらいの高さが確保されている。

 材質が土むき出し、ということはなく、白い硬い材質で出来ているのが少しだけスサーナの心を慰めるが、奥は暗く、先に何があるのかはわからない。


「……こっちの奥を見るパターン?」


 スサーナはごくり、とつばを飲み込み、そろそろと首を伸ばした。



 怪しい建造物の中の怪しい縦穴の中に伸びている怪しい横穴。

 場所が学院だ、ということを考えに入れたとしても怪しい。まさか先にどこかの研究室の実験施設がある、ということはあるまい。無いと思う。前世の農大や理系の大学だったらあるかもしれないがここには流石にない、はずだ。文系でももしかしたら発掘作業中の遺構がこういう形状にならないとも限らないが、ともあれ。


 ――これはそのう、いわゆる世に言うダンジョンというやつの可能性があるのでは。

 スサーナは考えた。

 目をぐるぐるにして、というわけではない。


 思うに材質が常民の使うものではなさそうなのだ。島だったら起点地なのではと考えるところだが、本土には結界はないわけだし、となると起点地ではない魔術師由来の建造物の可能性がある。そしてここに魔術師が関わっていた時代は、学院沿革を見るに――古代だ。

 古代の遺構。つまり、古代遺跡の可能性がないでもないかもしれない。


 そこまで考えて、

 ――いやでも、考え過ぎかなあ……。

 スサーナは頭を振り、そっと自分自身にツッコミを入れた。

 普通いきなり学内にダンジョンはない。気がする。

 いかにも暗い横穴と珍しい材質がよくない。普通ではない雰囲気と、彼の口から魔獣という単語が出たことからダンジョンという単語を連想したのだというのはスサーナ自身理解している。自分では冷静なつもりで居るのだが、落ちたせいで多少興奮しているようだ、とスサーナは半眼になった。


 ――まあでも、はっきり言えるのは先の構造がわからないのに何の準備もなく入るものじゃないってことですよね……。

 これの続く先が学内施設であれなんであれ、構造の予想ができない時点でうかつに入ると不味いかもしれない。高い機材を壊したとか言われたらシャレにならない。


 スサーナは唸り、しばらく壁をぺたぺた触ってみたりして登れないか確認し直し、どうにも無理そうだとわかってから横穴の前に戻ってくる。


 ――ううむ。でもまあ、他に選択肢もないわけですし……。こっちを試さない場合座って誰かくるのを待つの一択になるので……。


 一応、まじまじと観察してみた所、下側が平らになっているので通気口ではなく通路であるとは思われた。

 ――とりあえず、中を歩く想定はされている……ような……。

 10フィート棒とかそういうものが必要だ、とまでは言わなかろうが、入ったら出づらかったりする可能性はあるな、とスサーナは考え、とりあえず自分の恰好を見回す。


 そうび:春物の服 アカデミックハーフローブ制服上着 護符 髪抑え


 防具は十分以上である気はするのだが、いかんせん何の武器も持っていないし、三次元移動を可能とするロープの類も所持していない。ただでさえ穴に落ちて難儀しているのに更に移動先で穴に落ちたりしたら詰みである気がする。


 紗綾も曲がりなりにも文系大学生であり、調子の良い時にはサークル活動をすることもあった。その際にミス研やらSF研、文芸部やらに出入りもしたため、剣が世界でさらに2,0だったり、トンネルとかトロールとか更にハイパーだったり、ダンジョンがアレでドラゴンがソレだったり、時にはインスマス行きのバスに乗ってしまった都会派を自認する青年を追体験する呼び声がどうとかいう奴だったりするゲーム群を嗜んだ経験があり、ダンジョンがいかなるものかについてはイメージがないでもない。

 ――いや、だから普通学校内にダンジョンはないですって。ないですよね?

 スサーナは、自分がナチュラルに古代遺跡めいた場所を想定しているのに気づき、首を振って気を取り直した。


 ――どうなっているか少し確認するだけ……


 スサーナはそう唱え、立ち上がるとおそるおそる歩みを進め、横穴を眺め、しばし覚悟を決めると心持ち頭を下げてくぐる。


 すり足に近い慎重な歩みで、ついでに左手を軽く壁に沿わせつつ進んで数メートル。入り口からほんの数メートルでスサーナの探索行は終了した。

 別に他の穴に落ちたわけでも14へ向かえというパラグラフを目にしたわけでもない。

 数メートル行ったところで、のうのようなもので通路が塞がれていたのだ。

 一応上の方のものを少し揺らそうとしてみたものの、スサーナの膂力ではピクリともしなかった。


 ――まあ常識的に考えてこんなもんですよね!

 自分がすこしダンジョンを期待していたことに気づくスサーナである。



 ――排水管か何かのメンテナンス通路なのかなあ。

 夢とロマンのない結論をひねり出し、スサーナは縦穴まで戻って壁際に座り、ため息を付いた。

 窓からは夕暮れ少し前の日ざしが差し込んできている。


 ――まあ、誘拐よりいくらかマシですよね。

 スサーナは、窓から日差しがやってくる角度を考えて移動し、楽に足を伸ばしておく。それからお日様がぽかぽかあったかくて体温保持がしやすいうちにうっすらと一眠りしておくことにした。

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