第145話 お門違いな悲憤慷慨 4
スサーナの眠りは浅い。
普段から自覚的に覚醒できるぐらいに浅いかとても深いかの二択なのだが、周りが明るい時や身を起こして眠る時は概して浅く、少しの人の気配でもすぐに目を覚ます。
というわけで、うとうとと眠っていたスサーナがはっと目を覚ましたのはゆめうつつで人の声らしき音を聞いたためだった。
ぽかりと目を開けると、窓から差していた光は夕暮れが過ぎた直後の薄明るさにすり替わっている。
どうやら二時間ほど眠ったらしい、と判断しながら座ったままの姿勢で身じろぎせずに耳を澄ませた。
少し離れたところから数人の人の声がする。特に緊迫感は無いようだし、加害性があるような興奮もない気がするので、彼が悪意を持って人を呼んできた、ということではなさそうだ。
たった二時間で捜索隊が出るはずもないのだからこれは偶然近くに人が来た、ということだろう。
それだけ判断する間にも会話する声はどんどん近づいてくる。
声質的に大人の女性が混ざっているようで、学院の職員かどこかの使用人だろう。
「あら、誰か入った気配が」
「こちらにですか。珍しいですね。」
「由々しいこと。ここを何だと思っているのでしょう」
会話内容がだいたい判別できだした声に向けてスサーナは大きく息を吸い、腹に力を込めて声を上げた。
「すみませーーーん!!」
そして、それからあれえ?と動きを止める。
なんだか聞き覚えがある声がした気がしたのだ。
――あのう、今の声。非常に今顔を合わせますと気まずい思いで一杯になる方なのでは?
そんなスサーナとは裏腹に、外の気配の方はにわかに騒然とし始めた。
「お嬢様、聞こえました?」
「今、中から声が」
ちょっと黙ってたら良かったかな! という気がし始めたスサーナだったがもう遅い。
ぱたぱたと数人の人間が早足でやってくる足音が響き、ぱっと扉が開いて暮れ気味の空が四角く切り取られて見えた。
中の安全を確認したのだろう。数瞬あってから淡く光る暮の空を人のシルエットに切り取って数人の人間が入ってくる。
逆光でも十分個体識別は可能で、スサーナはさっき聞いた声が聞き違いではなかったのだと確認せざるをえない。
使用人らしい女性二人と男性一人を引き連れた少女は確かエレオノーラと言っただろうか。ガラント公の令嬢とかいう、スサーナが委員長気質と認定したあの気位の高そうな少女だった。
室内よりも明るい外に居た彼らには穴の中はそこまではっきり見えないのだろう。目を細めるようにして穴の中を覗き込んでくる彼女に、スサーナは一瞬居ないふりをしようかな! と考え、それからいやいや流石にそれは本末転倒だ、と思い直した。
「誰か……そこにいるようですね。そこで何をしているのです」
強い口調で――とは言うものの、謝罪のさなかでも彼女の口調は強かったので個性かもしれない――誰何してくる彼女に、スサーナはさてどう返答しようかと考える。
「ええと……すみません。手がかりがなくて登れなくて。」
端的に返答したスサーナに、エレオノーラはまあと眉をひそめた。
「その声はあの平民の……ここは貴女などが入っていい場所ではないのですよ。」
「そうだったんですか。すみません。学院規則にはここのことは何も無かったので存じていませんでした」
穴の底で立ち上がり、スサーナは腰を深く折ったお辞儀をする。
「規則では行き届かぬこともあります。ですがここは本来我が家が管理すべき場所。これまでは管理不行き届きのため黙認されていたかもしれませんが、今は周知のためわたくし自らこうして見回っています。余人の立ち入りが許されるものではないことを今後は理解なさい。」
彼女はピシャリと言った後に、いかにも不快だと言わんばかりに息を吐き、それから言葉をついだ。
「図書館脇のものに学生が侵入しているというのは慣例化していたようですし予想していました。しかしこんなところに入り込むとは。なぜ自分で登れぬような場所に入ったのです? 平民のあなたが普通ではとても見られぬような場所に興味をもつことは理解できます。しかしそのようではよほど愚かと見えますね。」
スサーナは、あっもしかしてすごくアホの子だと思われている、と直感し、一応最低限度の認識は保持しようと言い訳をすることにした。
「いえあの、私の意志でこちらに入ったわけではなく、学生同士の意見の不一致と言いますか、ええと、そういうものの結果入らざるを得なくなったというような……」
「まさか……ナタリア嬢達ですか?」
彼女の声に責任感と懸念が籠もったのを感じ取ったスサーナはとりあえず丁寧に否定してみせる。
「いえ、けしてそのような事ではありません。」
「では、あの音楽の特待生と仲違いでも」
「そういう理由でもありません。ええと、ご存じない学生との、ええと……問題がありまして。」
「そうでしたか。平民は諍いがあると穴に人を落とすのが普通なのですか? 野蛮なことですね。」
「……恐れ入ります」
再度お辞儀をしたスサーナをスルーして彼女は従者らしい人物に合図をする。すると彼が所持していた荷物から縄梯子が取り出され、迅速に外のどこかに結び付けられた後に先端が下まで降ろされた。
「まあいいでしょう。上がっておいでなさい」
スサーナは彼女の指示にありがたく従い、縄梯子を使って安全に上まで登り、はたして穴からの脱出を果たした。
「ありがとうございます。助かりました。」
お礼を言うスサーナにエレオノーラはふんと鼻を鳴らす。
「入るべきではない場所に侵入しているならば外に出す必要があります。礼を言われるいわれはありません。」
即刻ここから出るように、とスサーナに言うと彼女は優雅にくるりとターンし、扉から出ていった。
当然スサーナには否やがないので急いでその後に続く。
外で立ち止まった彼女は従者たちが皆外に出、扉を閉めるのを確認すると優雅に胸を張って言った。
「さて。あなた。許し無く我が家の管理領域に立ち入った挙げ句、わたくしの手を煩わせたのだから、相応の罰が与えられる覚悟はありますね」
スサーナはうえっとなり、なんとか回避すべく、我が家の管理領域と言うけれど学院の敷地である以上自治権は学院側にあるのでは、など屁理屈を幾つか考えはしたが、助けてもらった以上何をさせられるのかを聞いてから軽減しようと結論づけ、見た目上できるだけしおらしく頭をたれてみせた。
「大変な迷惑をおかけいたしました」
何かの言質を取られないような謝罪の言葉をとりあえず選択しておく。
「よろしい。そうですね……」
エレオノーラは眉を寄せてしばし何やら思考したようだった。
「そういえば丁度よい機会ですね。あなた。私の召使いになりなさい。」
「……は?」
スサーナは耳を疑い、一般的に考えて上級貴族の子女に向けるのにはだいぶ無作法な声を上げた。
「聞こえませんでしたか」
焦ってエレオノーラの真意を確かめようと表情を見る。
特に冗談や軽口のようには聞こえない。真顔だ。
聞き分けの悪い駄犬かなにかを見るような目はしているが、それは前回も前々回もそんな感じだったのでデフォルトということでよかろう。
その上で、本気で発言しているかのように見える。
スサーナは救いを求めて彼女の後ろに控える本職の召使いたちに目をやった。
さすが訓練されているらしく、ピクリとも表情に変化はなく、主のいきなりの暴挙にもまったく動揺する様子はない。
止めて欲しい。
「ええっと、いえ、その。……召使いです? 私が……ということでよろしいんでしょうか?」
「それ以外の何のように聞こえました? 無作法なだけではなく、理解力も低いとなると救いようがありませんが」
「ええと……ご存知の通り私は平民でして……」
「当然知っています。殿下に平民生徒に親しめと言われましたので、ちょうどいい機会でしょう。償いとしてわたくしのために働きなさい。いいですね。」
王子様は何を言ってくれちゃったんだ! おのれレオくんめ、とスサーナはそっと失礼な呼び方をしたうえで歯噛みをした。
平民生徒に親しめ、と平民生徒を召使いにしろ、だとだいぶ違う気がスサーナとしてはするのだが、そこをどう説得して良いものか全く想像もつかない。
「ええー……あの、ええと。そうは仰いますが、私はその、下級貴族の……セルカ伯の息女たちの侍女としてこちらに呼ばれておりまして……」
「そうですか。寮での世話役は別にいますね? よろしい。では彼女たちには私の方から伝えさせておきます。」
くそっ上級貴族強い! とスサーナは悲鳴を上げたい気持ちになる。
他人の侍女を引き抜くことに一瞬の躊躇もない。
「立ち居振る舞いなどの教育はマレサ、貴女に任せます。」
「はい、お嬢様」
はいじゃなくて止めて!! 止めて大人の人!!! とスサーナは突っ込みたくなる。
良家の侍女とは身分身柄のハッキリした女性がなるもので、その場の思いつきで増やすものではないのではなかろう。穴に落ちていた女子を引き上げていきなり任命するものではないはずだ。諌めて欲しい。とても諌めて欲しい。
「いえあの、よ、よろしいのですか? 上級貴族の召使いともなると、身柄のはっきりした方がなるものだと……」
諌めてもらえなかったので仕方なく自分から言いだしたスサーナである。
「本来そのとおり。本当なら貴女のような身分の方がなれるものではありません。ですが、殿下の思し召しです。学院に入れたのならば野の獣よりは身のわきまえ方を知っていますね? 礼儀や気品がないのは承知の上のこと。一応下級貴族の侍女と言うならば何も知らぬものを教育するよりも楽でしょう。頼みましたよ、マレサ。」
エレオノーラは何を当然のことを、という顔で言い、すっと話を横にいる侍女に振る。
またはいお嬢様、と応えた侍女にスサーナはうおおお、となった。
――早まった!早めに弁解しておくべきだった!! 上級貴族の子女、言語セットが違う!
うごごごとなっているスサーナを怪訝そうに眺めたあと、エレオノーラはさあこれで話は終わった、という風に先に立って歩き出す。
「付いてきなさい。」
その場で頭を抱えているスサーナにマレサと呼ばれた侍女が声を掛けた。
「ええっ、今ですか」
「当然です。貴女をどれほど叩き直さなくてはならないかを確認しなくてはいけません。お嬢様直々のお声がけです、光栄に思うように。」
「と言いましても……あの、私もここの学生でもありますし、いきなり仰られましても……」
「問題ありません。学院側にはこちらの人間がすぐに通知します」
「ええー……」
えらいきぞく、こわい。
スサーナは最近ちょっと薄れていた感想を全力で復活させていた。
――やっぱり声を上げずにネルさんあたりが来てくれるのを待っておくべきだった!!!!
後悔は大抵先に立たない。そういうものである。
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