第146話 お門違いな悲憤慷慨 5

 うにゃうにゃとなんとかお断り文句を考えながらも上級貴族の不興を買うのは怖いしはたしてお断りの言葉が通じるのか自信がなかったためついていくしかなかったスサーナは、そのまま三箇所ほど似たような建物巡りにそのまま付き合わされて地味にへばった。

 似たような作りの白い泡のような建物がどうやら学院内に点在しているらしい。

 中にいちいち入って確認するわけではなく、ほとんど前まで行くだけだったが、一つ一つに距離があることもあり、それでも結構な手間だ。

 時間にして一時間以上歩いているだろうか。当然、すっかり日は暮れている。


 日が暮れてからは石畳がある場所を主に通ってはいるが、やはりはずれの方であり、主校舎の周りほど整備されているわけではなく、少し歩きにくい。

 ――これで敷地の一部しか回ってないんですから凄い広さですよね……。しかし、エレオノーラさん、もしかして結構健脚でらっしゃる……?

 遠い目ですっかり星空になったお空を眺めたりなどしながら、ふらふらと最後尾を歩いていると、エレオノーラがふと足を止める。

 すっと振り向かれ、正面から見つめられてスサーナはぴいっと背筋を伸ばし、一同に追いつこうと早足になった。


「乗り気ではないようですね」


 皆に追いついた所でそう言われてスサーナは一瞬困惑し、それからなんとか意図を斟酌しようと試みる。


「ええと」

「何故です? 平民はわたくし達に召し抱えられることを目的に学院に入学してくるのだと聞きましたが。」


 ――あ、そっち!

 一瞬、この白い建物巡りに付き合わされることについての言葉か召使い雇用についてなのかを悩んだスサーナだったが、その言葉で召使い雇用の方だと理解する。


 スサーナが乗り気でないことすら把握していないのではないかと思ったが、どうもそうではなかったらしい。

 ――さっきの、ただ私に選択権が無かっただけだったわけですね!

 まあ罰と言ったのだから選択権は一般的にないものかもしれないとは思いはするが、それにしても理不尽だ。

 だが、流石に偉い貴族にそれをそのままお伝えするのは怖い。

 ……学内ではさほど酷いことはされない、はずなのだが――少なくとも首は飛ばせない――それでもスサーナとしてはえらいきぞくの機嫌を損ねると死ぬ気がするのだ。トラウマというやつなのかもしれない。


 そういうわけで、スサーナは意見をオブラートに包んでお出しすることにした。


「ええと、そうですね。求められている役割を私ですと果たせない気がいたしますし――」

「それとも、もしかして私の家のお役目が気に入らないと」

「ふえ」


 言葉を途中で遮られ、予想外の台詞が向こうから飛んできたのでスサーナは間の抜けた声を上げた。使用人たちにはっと動揺した雰囲気が走る。


「ガラント公を任ぜられるフォルテア家は代々の王のご信頼も厚く、当代でも数多くの勲功を立てています。多少旧弊な役目があろうとも庶民に軽んじられるようなものでは――」


 スサーナは声の質や口調の速さ的にこれは即座に否定しないとあかんやつや!と勘付き、必死に首を振る。

 なんらかの地雷があるのだ、ということだけは今の一瞬で察したスサーナである。


「いいええ! あの申し訳ございませんが私、お恥ずかしい話ですが貴族の皆様のお家柄やお役目を学ぶ環境になかったもので! そう仰られましても何のことかさっぱりわからないです! 申し訳ありません! 」

「まさかフォルテア家の役目を知らないと?」


 声音に疑るような響きが混ざっていたのでスサーナは必死で声と表情に単純なバツが悪そうな卑下の色を混ぜた。


「恥ずかしながら、存じている貴族の家名も数えるほどでして……それぞれのお立場やご領地についてはさっぱり……」


 その言葉を斟酌するように一瞬あってから、


「まあ」


 あまりに予想外のことを聞いた、という風にエレオノーラが瞬きをしたのでスサーナはホッとした。首一枚つながった気がする。


「まさかそのようなことも知らず生きてきた方がいるとは」


 声に全く容赦のない全力の呆れが籠もっている。


 なんとなくだが、この令嬢は国民皆が貴族名鑑にあるような内容を諳んじていると思っているのではないか、という気がスサーナにはした。

 当然ながらそんなことはない。島はどうも多少特殊っぽい場所だと最近なんとなく実感してきたが、本土生まれでも身分の低い民は貴族をなんか偉いとしか把握していない者が多い、ということはここのところのミアの騒ぎについて話した寄宿舎の皆との会話でスサーナは理解している。


 スサーナ自身はマリアネラによってここ数日で家名と地位の暗唱ぐらいは始めさせられていたが、エレオノーラがいうような国政の役目――もしくはもっと慣習的なものか――までは進んでいない。当然ちんぷんかんぷんで、どうやら今はそれが幸いしたらしい。知って知らないふりをするのと本当に知らないのでは言葉の選びや表情にも差が出る。


「庶民ですもので……。」


 エレオノーラの表情に、ああ、アホの子だと思われている、と思ったが、今度は訂正する気はない。スサーナはぐったりと服の下で肩を脱力させた。


 人様のお宅の事情をうっかり話されてはたまらない。スサーナは彼女が言葉を切ったのをいいことに、恥じ入った様子をしたまま頑張ってお断りの理由をとうとうと述べることにする。


「ええと、私は一応学者になるつもりでこちらに参りましたもので栄達は考えておりませんでした。それに、生来無作法なもので、尊い方々の所でお勤めできるような器量はとてもありませんし、今申し上げたように貴族にお仕えするなら必要な知識も無いので、ですから、その、罰ということは解っているのですが、とてもまともにお仕え出来るとは思えません。それでどうにもお受けし難いように思うのです」


 もちろん、本来の理由は「えらいきぞくと関わりたくない」「面倒くさい」というものなのだが、言った理由も嘘ではない。

 正直お嬢様達の侍女を続行できていたのは秘密の共有とかそのあたりで評価がガバガバになっていたせいだとスサーナは思っている。

 アレはお友達の延長であって、ちゃんとした侍女では無い。我ながらまともな侍女が出来るとはスサーナには全く思えないのである。


「なるほど」


 エレオノーラが頷く。

 お、これは納得してもらえた? とスサーナが胸を躍らせる。


「あなたは本当に愚かなのですね」


 ええー。



「先程言ったかと思いますが。平民を召使いにしようと思った時点で品も教養も期待してはいませんよ。まさか期待されているとでも? それは自惚れというものと心得なさい。必要最低限のことはマレサに一から教育させます。あなたが余計なことを考える必要はありません。」


 いやあ、でも貴族の事を全然知らないと思っていなかったじゃないですか、とスサーナは考えたものの、口には出さずに置いた。

 エレオノーラはふんと鼻を鳴らし、すいっと胸を張って朗々とした声を上げた。


「まだ不服そうですね? よろしいですか。解っていないようなのであなたにも解るように説明して差し上げましょう。これはあなたにとても得があるもの。我が家の使用人の末席に並べるということの意味は一応わかっているようですが、それ以外にも、……わたくしの使い人に愚かしいことをするものはそう多くはないはず。」


 なんだか予想外の論運びにスサーナはん? となる。エレオノーラは一瞬目を伏せてのち気位が高そうに胸を張り直し続けた。


「わたくしは誇り高きガラント公の息女。自らの行いには責任を取ります。あなた方はわきまえがなく図々しいと認識されて仕方ない行いをしてはいましたが、事情を知る前に素行不良者として糾弾したことは早計でした。それで良識ある人物を良しとするあの場に関わりない学生たちに品性下劣と印象付けられたのは事実。そのために白眼視される、そしりを受けるということもありましょう。ええ、ですがわたくしの使用人として働くなら話は別。皆もみだりなことは控えるでしょうし、よい働きを見せれば名誉も回復しようというもの。……つまり、物を落とすですとか、どこかに閉じ込めるような軽挙妄動を起こすものは減るはず。ですから心配なく――」


 スサーナは話を聞きながらああ、と内心だけで半眼になる。

 つまりなんというか、善意の申し出なのだ、これは。

 それが全てというわけではなかろうが、花瓶を落とされた、とか穴に落ちていた、ということを総合して考え、彼女なりに重く受け止めた結論であるのだろう。

 ミアではなくこちらに来たのは目の前で落ちていたからと、ミアにはもうテオたちの後ろ盾があるという判断――なにせ産業絡みの協力者だ――だな、とスサーナは理解する。


 ありがたい話だと思うべきなのだろうが、問題は、現在の件はそれで全く改善しないどころか状況が悪化するということである。

 平民がわきまえなしに貴族の少年に近づいたことを怒った貴族の少女、では無く、貴族の少女と結託して平民の少女をいじめたと勘違いをした平民の少年、による行動であるので力強く逆効果だ。


 ついでに、このお嬢様は明らかに事の真相を話してはいけない相手のような気がするな、とスサーナは判断した。

 商家男子が恋心故に青春と正義感の暴走をしたと知られようものなら、なんだかスサーナが学院内で出会った偉い貴族の子弟のうち一番苛烈な処断とかを下しそうな気がするのだ。


 ――善意だから全力で押してくるし無理な理由を述べても飲み込む覚悟をしてくれちゃってるから問題にならない! いやなんといいますか、どうしよう!


 善意、それは理詰めが通用しない最難関。

 スサーナは本当にどうお断りしようか心底頭を悩ませた。

 無理かもしれない。

 未だ続く召使いになることがどれほど素晴らしいかのプレゼン――言い方がどうにも「ならない」という選択肢を想定していないように思える――を聞き流しながら、スサーナはそっと夜空を仰いだ。

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