第300話 スサーナ、さらに一杯一杯になる。

 次の日の朝。

 冬の静かな朝だというのにスサーナの前には無慈悲に思考タスクが積まれていた。


 早朝に城に戻るレオくんを迎えに来たラウルに、レオくんがどうやら相談してくれたらしい。朝のせわしなさに使用人たちの目が離れたタイミングですっと寄ってきた彼に


「乙女候補の身辺調査が必要でしたら結果をお伝えしますが」


 そう問いかけられたのだ。


「身辺調査。やっぱり乙女候補のそういうの、やっておられるんですね。」

「ええ。招待者の決定から開催までが早いので、通り一遍程度ですが。」


 応じたスサーナに答えたラウルの表情がうっすら不満げな気がして、スサーナはふうむと少し考え込んだ。

 ――ラウルさんにはどの程度話が通ってるやつなんでしょうね、計画。

 ラウルは明らかにレオくん個人の味方だ。お父様が抱き込めているか、囮役に納得してもらっているか、と言うと非常に怪しい。

 プロの手を借りられるのは渡りに船ではあるのだが、下手に嗅ぎ回っていることに気づかれてアブラーン卿に警戒されるのもな、という思いもあるし、なによりこれで不適格と見倣されるような事柄がでてきてサラが乙女候補から外されたり、お父様達の思惑の妨害になったらと思うと悩ましい。

 ――でもなにもせず、というのも……

 ちょっとした身辺調査を全部の乙女候補にしている、というならその範囲でのことは問題ないだろうか。とりあえずお父様にさりげなく水を向けてみるのが正解である気はする。


「ちょっとお父様に意見を頂いて、今日中に返答します」


 そう言ったスサーナだったが、さてお父様に話すにあたって一体何をどう話せばよかろうか、そう思案している。


 ――ええと……全部話すのはナシとして、緊急時に誤魔化せる範疇は……

 現状として、ビセンタ婦人を見張っている、ということはお父様にラウルから通じているはずだ。だから「ビセンタ婦人に連れられていった先のパーティで評判の悪い貴族がレオくんの相手候補を連れていた」という説明まではいいとして、サラと知り合った事情をどうしようか。話すなら「評判の悪い貴族が連れた乙女候補の身辺調査」よりも少し踏み込み、その娘にスサーナ自身がある程度肩入れしているというのは示しておきたい。同時に、とはいえ警戒してほしくないわけではない、ということも示しておくべきだろうか。


 下級侍女のフリをしている、ということは話していいやら話さざるやら、正直五分五分だ。良識ある大人の態度をお父様が取ろうとする場合、話したら止められるジャンルの行いではある。

 ――現状結構状況も変わりましたし、うまくフェリスちゃんを理由にして説明はできそうな気はするんですけどねえ。

 イヤにはイヤだが、ラウルが認めている、というのは後数日ならごり押せる要素になるだろう。

 とはいえ、しばらく一緒に暮らしてみて、お父様、ミランド公ギリェルモという人物は頭の回転が速いのもさることながら、結構カンもいいという事に気づいたスサーナだ。あまりヒントを出すと隠しておきたい事象までたどり着かれてしまう気がして恐ろしい。

 流石に実は前世の記憶があってそれに従うと怪しい宗教のやりくちが剣呑な気がすると思っている、なんてことにはたどり着かなかろうが、実は混血ならぬ鳥の民で、あたりまでは行き着きかねぬ。それはなんだかヤバい気がする。


 ――ネルさんのことは感づかれると――あーいえ、でもセルカ伯にはレミヒオくん経由でネルさんのことも通じてるんでしたっけ? ……セルカ伯が一体どう取捨選択して説明してくれたかに寄るのか。でもあんまりご説明したくないですね? 特に私が指示して動いてもらっている、っていうのはなんというかあんまり……

 周辺事情を綺麗にして全部把握しておくべきだったな、とスサーナは考えつつ、とりあえず今日は王宮に……侍女のフリでも令嬢としても訪れる必要がどうしてもあるなと結論づけた。


 まず、レミヒオにある程度聞いているセルカ伯の予定からすると今日はセルカ伯は王宮に付属する役所におり、レミヒオもそれに付き従っているはずだ。そしてまたお父様自身も当然王宮に出仕しており、今日中の接触を考えると王宮に会いに行く必要がある。そして当然、昨日の今日なので妃宮でビセンタ婦人に顔みせしてはしゃいだ様子を見せねばならぬ。さらに言えば、ここのところ顔を出してはいない侍女のほうに行って同僚に話を聞いたりするとサラのことでなにか分かるかもしれない。


 ――先にどっちに行くか……とりあえず着替えは必須でしょうね。ミッシィさんには一緒に来てもらわないと。

 スサーナはレオくんを見送ると、申し訳ない顔をしつつもミッシィを起こし、段取りを相談することにした。




 この日、妃宮にはビセンタ婦人は出てこないらしいと聞いて妃宮に出向いたスサーナは拍子抜けする。

 年末はどの妃もそれぞれの社交やらに勤しんでいるし、ご婦人たちもいろいろと出かける先があるので特に妃と仲のいいご婦人たちがいるだけだ、と聞いてみれば当然だ。

 スサーナはいくらか他の令嬢達にパーティーの話をすると、昼前に妃宮を辞した。

 そして向かった先は宮殿の政庁を行う区画のひとつ、外務卿府と呼ばれる一角だ。取り次ぎの者にミランド公の予定を聞き、面会の許可を取る。


「お父様」

「おお、スサナ。一体どうしたのだ。お前がこちらに顔を出すとは、なにかあったかね?」


 案内の侍従に従って向かった外務卿の執務室はガラス窓を備えた明るい部屋だった。

 お父様は執務机から立ち上がってスサーナを迎えてくれたが、仕事中ではないということではないようで、官僚と侍従達が複数、あるものは待機し、あるものはこれから確認するものだろうか、書類を揃え並べている。


「いいえお父様。冬至祝いの時期にもなりますのに、お父様はとてもお忙しく仕事をしておられてお昼も抜いていると聞いたので。……冬至菓子を買い求めて貰ったのです。どうぞ、皆様で」


 昨夜レオくんに聞いておいた市井の店に人をやって買わせた冬至の祝い菓子を口実に差し出すと、周りで立ち働いていた人々がほのぼのした顔をした。


「おお、これはすまないな。ありがたく食べるとしよう。」

「これだけで済ませないでちゃんとお食事はされてくださいね。お父様は沢山食べられる方なんですから。……お昼か夕御飯はご一緒できますか?」

「ふむ。ふうむ。昼の鐘がなるまで待っていられるかね。」


 自分のことは棚に上げてよく出来た娘じみたことを言ったスサーナは、ついでのような口調でミランド公の予定を聞く。

 眉を上げたミランド公は、まさか上司の家族の団らんを奪おうという不心得な者はおらぬだろうね、各人きりきり効率を上げてもらいたいものだな、と言い、部下の皆さんが困った顔などをしつつも一斉に笑う。スサーナはちょっと申し訳ないな、と思いつつもとりあえずこれで相談の時間は取れるな、と算段する。本当はもっと早いほうがいいのだが、執務の時間を奪うのもそれはそれで問題だ。


「はい。ああ、ではこちらに来る時にお世話になった方にもお菓子をお配りしてきますね。クレメンテ様は出仕しておられたようですし。」

「ははは、丁度いい。午後にこちらに顔を出すように伝えておいておくれ」

「はい、お父様」


 それから向かった官僚たちが立ち働く一角。

 前世で言うなら総務課めいた業務を行っているらしい部局の一室にて、スサーナの姿を認めたセルカ伯はなにやら驚いたらしく、手にしていた文箱をひっくり返しかけたようだった。


「ご機嫌宜しゅう、クレメンテ様」

「あー、これはショシャナ嬢。このようなところにお越し下さり、本日はどのような」

「こちらでは冬至に祝い菓子を配るものだと聞き及びまして。それでお届けにあがったのです。どうぞこちらの皆さんで召し上がってくださいますか。」


 スサーナは周囲を見回してからそっとそう言った。部屋に詰めている職員の方々はなんだか全体的に疲弊しており、二日ぐらいおうちに帰っていないのでは?という風情である。

 皆下級とはいえ貴族の家柄の人間なのだろうと思うのだが、どちらかと言うと雰囲気を例えるなら前世で話に聞いた年末進行真っ只中の会社組織めいている。室内は宮殿に付随する建物らしく実に壮麗なだけに、そのギャップで余計に疲労困憊が目立って見えるようだ。

 ――あ、甘いもの、疲労に効きますし……レミヒオくんに繋ぎを取るダシでしたけど、お菓子は持ってきて正解だったかも……。


「いやー、非常に有り難いですが。そのためにわざわざ?」

「……いえ、父と昼食を取るのですが、昼まで待つ時間があって、折角なので。それと……父が午後にあちらに顔を出すようにと。」

「……ははあ。確かに伺いました。有り難く頂戴いたします。」


 一瞬遠い目をしたセルカ伯を見ないふり、済まして菓子箱を渡したスサーナは、部屋の中を見回し、控えていた伯の従僕の一人にさりげなく目を向ける。

 ――声を掛けてさり気なく借りていく……のも、ちょっと申し訳ない状況なんですけど……まあ、すぐのはずですし……。ええと、トイレの場所でも聞こうかな。

 スサーナの逡巡を感じ取ったか、短いつばなしの円筒帽をきっちり被って黒髪を目立たぬようにした従僕は小さく眉を上げると主人のもとにすっと近寄った。そちらに目をやるとセルカ伯はひらひらと手を振り彼に言いつける。


「レミヒオ。ショシャナ嬢を休憩室ラウンジまでご案内するように。くれぐれも失礼がないようにね」

「はい、旦那様」


 従僕の少年は主に頷き、うやうやしくスサーナの前に深い礼を取った。


「では、ご案内させていただきます。同行の方は」

「ここにはおりません。外に待たせていて。」


 わかりました、では、と先に立って歩き出した彼に続いてスサーナも部屋から出る。


 背ごしに、さあてじゃあ皆休憩だ、お茶でも入れようねぇ、と声を上げたセルカ伯に部屋に詰めていた者たちが一斉に「休憩だ!!」と快哉の声を上げたのが絶妙に哀れを誘うというかなんというか。貴族であっても優雅では居られない状況はあるのだなあ、としみじみと心に染みたスサーナである。




 かつかつと早足の靴音を響かせてレミヒオが歩く。

 来賓が休めるような場所は来がけに見かけていたが、感の鋭い従僕の少年は素直にそこを目指す様子はない。

 しばらく歩き、彼が立ち止まったのは絢爛な作りの廊下の一角だった。

 北向きのうえ、全面大理石づくりのその廊下にはこの季節になると底冷えするためか行き交う人影はないようだ。装飾的な柱と壁龕が繰り返される構造は視界も通りづらく密談には好都合そうだった。

 レミヒオは静かにスサーナの腕を取り、柱の隙間の一つに導く。

 見れば、装飾を抜けていった先には少し広めに幅が取られており、石のベンチがさり気なく据え付けられていて、密談にはもってこいの配置である。


「さて、ここなら話が聞かれづらい。どうしました?……なにかご用事があるのかと思いましたが。」


 スサーナに向き直ると彼はにっこり微笑んだ。


「はい、大したことではないんですけど、いくつか確認したいことがありまして。その、ネルさんのことをどうセルカ伯やお父様は認識しているのか、とかそういう話を。」


 スサーナは急いで頷く。


「ネレーオさんのことを?」

「はい。ええと、ネルさんのことをセルカ伯はどう思って私づきにしてくださったんでしょう。レミヒオくんの力添えがあった、ということは知ってるんですけど、どういう経緯でとか、鳥の民とわかっているのか、とかそういうことを全然聞いてこなかったでしょう? 昨日ちょっとありまして、一体どこまでなら説明できるのか、とか、いろいろわかっておいたほうがいいなあ、と……」


 スサーナはかいつまんで気になっている事を説明する。

 まずもってセルカ伯はなんだと思って彼を自分につけたのか。鳥だと知っているのか、ヤローク貴族に使われていた人間だとは知っているのか。セルカ伯が知っているのならその上司らしいお父様にもそれは通じているのか。そういうことは確認しておきたい。

 これまではレミヒオ、ひいては鳥の民の方針というものもあろうと聞かずにやってきたが、判断材料を増やしたほうが良さそうだ。


 ネルが教団に潜り込んでいることやそれをさせているのがスサーナだとはバレないほうがいい気はするのだが、どこまで話が通っているかで誤魔化し方も変わる気がする。一体どの程度しらばくれられるかは重要だ。


「なるほど。」


 頷いたレミヒオくんはとりあえず、と前置いて言う。


「彼がヤローク貴族に使われていた人間だ、というのはセルカ伯には伝わっています。鳥だというのはどうでしょうね。疑ってるでしょうが、確証はないぐらいかも。……そうあって欲しいんですがね。セルカ伯にはネレーオさんはスサーナさんに命を救われた恩があって仕えたがっている、と説明してあります。」


 彼の言うことに寄ると、ミッシィと同時にリーク先としてセルカ伯に紹介する形でネルに現在の立場を手に入れさせたため、立場としてはまず彼女と近い。


「あ、ミッシィさんと一緒に亡命……? して来た人、みたいな扱いなんですね。しかし思えばよくそういう立場の人をこっちに回せますね……。」

「彼女と同時に神殿で宣誓をしているので……ああ、青帯奴隷の青帯みたいなものです。もう少し強いかな。同意した者が国家を裏切れないようにする技術です。だからそういう意味で安全だと思われているはずです。まあ色々僕らには抜け道はありますが。」


 なるほど、よく信じたなと思ったがそういう手法があるのか、とスサーナは納得する。皆に出来るという行為ではないらしいがこういう経緯で亡命してきた相手を暫定白と扱えるのは強い。

 それを見ながらレミヒオは小さく肩をすくめた。宣誓を受けたというのがある程度の判断基準だろうが、ネレーオに関しては決め手はどちらかと言うとあの時いっそ面白いぐらいに取り乱していた事実だろう。穴熊とあだ名される世慣れた貴族は人を見る目に鋭く、彼自身それを評価基準として重く見ているようだった。


「まあ、その上で。」


 ネルがそういう立場の人間であること、さらに氏族と繋がりがあるかどうかなどの推測は正直ミランド公まで上がっているかどうかは不明だ、とレミヒオは説明した。


「ええと。そんなことあるんです?」


 スサーナは首をかしげる。仮にも上司的な相手だ。ほうれんそうはしているのではないだろうか。セルカ伯がその手のことが出来ない人間だとは思ったことは無いのだが。


「ええ。そこはネレーオさんとセルカ伯の取引なので。もしかしたら「セルカ伯からの青帯奴隷」までかもしれないし、推測込みで全部話してあるかもしれない。ただ、詳しいことは話してはないんじゃないかと思いますね。」


 レミヒオは半眼になって肩をすくめた。


「あの人はネレーオさんがぼくら……氏族に繋がりがあると疑ってはいるでしょうから。あの穴熊親父、鳥の民の氏族の不興を買わずにあとあと取引する材料になると思えば上司に口をつぐむぐらいやりますよ」

「そ、そういうものなんですか?」

「そういうものなんです。」


 出来る官僚……! などと呟くスサーナに彼はちょっと好意的な見方すぎやしませんかとツッコミを入れる。

 それにまあ、一応あのエセちゃらんぽらん親父はどうもそれなりに義理堅い。彼女に関わる事柄については口を拭って知らんふりをしてくれると見てもよさそうだ。レミヒオはそうも思ってはいたが、それを言うのも癪なので言わずに済ませることにした。


「なるほど、ネルさんがそうだとすると逆に悩ましい……」


 スサーナはうーむと考える。つまりお父様には最大に隠せているつもりで立ち回ったほうが後々選択肢が多いだろうか。


「一体何故それを気に?」

「ええ、些細なことなんですけど。ネルさんに潜ってもらっている教団に関与しているあの最悪暴力貴族が乙女候補を昨日パーティーにつれて現れまして。……それはネルさんの報告にありましたからね。そのうちあるだろうなと思っていたんですけど、それが下級侍女の知り合いの子で……」


 一体彼女がどういう立場でそんなことになっているのか調べたいものの妙に嗅ぎ回った余波でお父様の思惑を潰してはいけなくて、レオくんの周りの人間が彼女を調べることの是非を問うておきたいし、そうするだろうと話を通しておきたいが、うっかり説明の過程で芋づる式に行動がバレることもありうる、どこからは黙秘すべきなのか判断基準が欲しい。スサーナがそう説明するとレミヒオは納得したような顔をした。


「飛躍した話かと思いましたが、なるほど。」

「お父様達の邪魔はしたくないんですが、いい子なのでちょっと……出来たらうまく収まってほしくて。でも経緯を洗いざらい話すというのもナシでしょう。」

「まあ、ですね。ネレーオさんの働きは少し違いますけど、氏族の関与を大っぴらにするものではないですし、スサーナさんが指示しているというのも明らかにしないほうがいい。持ち駒っていうのは隠すものですよ。」

「それもまたなにか違う気はするんですけど……?」


 ともかくネルがスサーナの指示で動いている、ということを気づかれる要素は減らしたほうが、ということでレミヒオの意見も一致した。


 数日間が空いていたこともありレミヒオが把握している現場の話も聞きたかったが、流石にこれ以上込み入った話を廊下でし続けるのも良くはない。スサーナは今夜また、と約束した後にレミヒオの案内で休憩室で昼を待つことにした。

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