第114話 艱難玉には迷惑千万。 2

 妹になどちっとも似ていない。


 彼と双子の妹が育ったのはヤローク南部のモーリアと呼ばれる街だった。

 物心ついた時には孤児院で、ここは最悪だった。まともに面倒も見てもらえない。黒髪の彼ら兄妹は特に目につくらしく、院長の鬱憤晴らしに殴る蹴るされるのだ。

 ヤロークでは上の方の都合でころころと制度が変わる。それなりに手厚かったらしい補助金がもらえなくなった途端に院長が金を持って夜逃げして、そこに居た子供たちは皆まとめて放り出された。


 特に養ってくれる大人もいなかったから、彼と妹は路上でなんとかやっていくことにした。

 彼は目端の利く子供だったから、使われていない――誰かが住んでいない、という意味でもだ――古い排水管をなんとか妹と自分のために見つけ出し、雨に濡れない寝床を都合した。

 近隣の浮浪児の仲間になり、いい残飯の出る家も把握したし、掏摸も覚えたから、三日あればそのうち二日は少なくとも日に一度、何かしら食べることができた。


 笑えることに、その頃が一番生きるのが楽しかった。


 魔獣や山賊、天候不順、飢饉、疫病。ちょっと辺境の村が崩壊するぐらいの理由は選り取り見取りにあった。街には常に難民が流れ込んでいて、路上ぐらしの人間もまた多く、子供二人が道端で寝泊まりしていても珍しくもない。黒髪だとかそんなことはろくに気にされやしなかった。


 妹は浮浪児仲間に慕われていた。


『おにいちゃん、今日この子をうちでねかせてあげていい?』

『ニッコ、またかよ』

『熱っぽいんだって。今夜は雨でしょ? あたしは元気だからさ、ねえ、いいでしょ?』


 他人が空腹だとか、調子が悪いだとか。びっこを引いていただとか。そんな事を目ざとく気づいては気にして、なにかしてやるのだ。

 自分と妹の面倒さえ見られれば他人などどうでも良かった彼としてはいまいち理解のできない事だったが、それで妹の気が済むならそれでよかったし、妹がそうすることで周りの浮浪児たちの当たりが柔らかくなるので好きにさせていた。


 路上ぐらしでは病気や怪我、あるいはただ単に体力がなかったというようなことで簡単に人は死ぬ。そんな時に一番泣くのも妹だった。

 何度も彼は共同墓地に供える花を妹の代わりに探しに行った。


 そんな生活が変わったのはある年の冬だった。

 最初の経緯は彼はよく知らない。ただ、妹が魔法を使った、という噂が広まったのだ。


 浮浪児仲間の新しい土饅頭に、冬のさなかで見つからなかった花の代わりに供えた、ボロ布で作った花飾り。それが本当の花になったのを見た、という者が居た。


 排斥される、ということはなかった。後に思えばそのほうがずっと良かった。

 ヤロークはいつも揉めに揉めている国で、漂泊民の魔法使い、しかも余計なもの氏族に縛られず純粋な子飼いになる子供なんてもの、秘密裏に欲しがる貴族は存在しないはずがなかった。


『君がニコラだね。一緒に来ればずっといい暮らしをさせてあげよう』


 妹と、ついでに彼は貴族の邸宅に引き取られた。冷たい目をした貴族だった。



 貴族は、妹の魔法の才能を開花させようと躍起になった。

 漂泊民がどう魔法を使うかなんて噂話でしか誰も知らなかったし、彼も、妹自身もどうすれば魔法を使えるようになるかなど想像もつかなかった。


 無責任な噂話に出てくる方法を試すようになるまでそう掛からなかった。

 妹の目の前で彼を痛めつけるのだ。死ぬ寸前まで暴行されたことも一度や二度ではない。


 妹はここから出ようと言ったが、彼自身はそれを撥ね付けた。

 体の頑丈さには自信があった。自分が殴る蹴るされることよりも、柔らかいベッドで妹が眠れること、一日三度食事をさせられること。体に合った新しい服。髪と肌が手入れされること。そういうことがその時彼にとっては重要だった。


 二人とも幼かった。魔法が使えないままの妹。見た目を整えられて、磨かれて、時が経って、成長して美しくなっていく妹。貴族が魔法の才に見切りをつけたなら別の使い方が頭に登るだろう、ということは想像もつかなかった。



 彼が、妹が魔法を使うのを見たのは一度だけ。

 なって、二人が逃げることを決意した日。

 逃げ切れず、激高した貴族に背を斬りつけられた彼を庇って妹が刺されたその時のことだ。


『ネル兄さん、にげて』


 妹はそう言った後、目を開けたまま動かなくなった。


 ヤロークでは、上位のものが下位のものを殺すことは殆どの場合罪にならない。小二項もこむら返りすら起こさないほど弱められていたし、現世の法でもろくに咎め立てされない。だから、養い主の剣先は次すぐに彼に突き通されるはずだった。


 その時。妹の着けていた飾帯が蛇のように勝手に動いて貴族養い主に絡み、足止めをしたのだ。


 多分、妹の意思で魔法が使われたのなら、それは自分を逃がすためだったのだろう。彼はそう理解しつつも帯が絡んで動けなくなった貴族に駆け寄り、貴族の腰にあった飾りナイフを取って明確な殺意の元に首を掻き切った。なんの契約も行っていない彼を大三項は阻みはしなかった。



 それからどれほどしただろうか。血まみれで呆然と座り込む彼に、その日屋敷に泊まっていた貴族の友人だという男が声を掛けてきた。

 彼は、事態を隠蔽することが出来ると言ったその男の誘いに乗った。

 自分が処刑されようとどうでもよかったが、戸籍もなく、公式には屋敷に居たことになっていない妹は死体が発見されてもちゃんと埋葬してもらえるはずがない。

 妹をそのままにしておきたくなかったし、難しいことを考えたくなかった。とても疲れていた。


 屋敷は火事になった。友人の貴族がの火の不始末だと証言し、誰も疑わなかった。


 妹を埋めてやって、それから他に行くべきところも、すべきことも思いつかなかった。彼自身薄情だと思うことに死にたいとかそういうふうにもうまく思えなかった。それでも試してみようとするたびに、もうそんなことはないというのに、人死にが嫌いな妹が泣いて駄々をこねる姿ばかりが浮かんだ。


 ぼんやり食事をして、眠る。それを繰り返す手段はあったほうがいいことはわかった。

 彼はその友人だった貴族の子飼いになることになった。文句はなかったが、その経緯に彼の意志が介在していたのかどうか、よく覚えていない。




 全然似ていない。

 ニッコ、ニコラはもっと丸い垂れた目で、まろい頬で、人の目をじっと見る癖があって、気が強くて、誰が相手でもおどおど目をそらすようなことはなかった。


 運動神経がよくて、走るのが好きで。


 女らしい体つきで、こんなに小柄で痩せっぽちではなくて。

 髪を長くして高く巻き上げて、女神のようにドレスが似合っていた。


 いや、あのまま二人でなんとか暮らしていたらもっと痩せて小さいままで、服も構わず、髪も自分が切っていた頃のように少年のようなままいただろうか。


 あのままでなくても、二人であの時逃げられていたら。

 快活で、夏の花みたいによく笑っていただろうか、今でも。


 青年は壁にもたれ、目の前に横たわった娘を眺めながらぼんやりと思考する。


 しばらくして、船が大きく揺れ、娘が呻いて目を開いたことで彼は思索の淵から引き戻された。



「目が覚めたか」


 掛かった声にスサーナはぱちぱちと瞬きをした。

 体が痛い。もがいても、姿勢を変えても少しも楽にならない。


 何があったか思い出そうとして、彼女ははっと身を起こし、激痛に呻き声を上げた。

 そのまま姿勢を元に戻そうとしてバランスを崩し、再度の痛みに襲われる。


「暴れるなよ、動くな。」


 青年の声にスサーナは目線だけ上げ、周囲を見渡した。

 側に寝かされたクロエにぎょっとして、呼吸をしている様子であることに安心する。

 続いて、言葉にならない違和感。

 しかし、少し考えてその違和感の正体にたどり着く。

 床が揺れ動いている。


「まったく、とんだお転婆め。だがもう海の上だ。逃げられやしねえからな。大人しくしてろ、いいな。」


 青年が言い、言葉とともに丸い船窓を開いた。

 薄い月光に照らされ、黒い塊に見える港が彼方に見える。


 風待ちで錨を下ろしていると見え、船は陸からさほど離れてはおらず、動いていない。だが、それも時間の問題だろう。冬のはじめの明け方には強い風が吹く。


 ――どうしよう、これ。どうしたら。


 スサーナは流石に海に飛び込んで泳いで戻れるとは思えない。

 内心焦って思考を空回りさせているスサーナに青年が声を掛ける。


「おい。なあ、お前、魔法を使うのか」

「え」


 スサーナはきゅっと小さくなる。気を失う前、確実に死ぬと思った時に起こった光景を思い出す。

 光る青草。刃が止まったこと。魔法。たしかにあれは漂泊民の魔法のようだったと認識する。

 魔術師の魔法より、レミヒオが使った肌刺繍より、ずっとエウメリアに見せられた糸の魔法に近い出来事だった。


 それから、ゆっくりと頭を振った。


「わ、私じゃ……、ない、と思います。私、あの、混血なので……そんなこと出来ていいはずがない……です」


 怯えめいたスサーナの表情を見て、青年は少し目を伏せ答えた。


「そうか。」


 その顔が妙に複雑そうに見えて、スサーナは問いかける。


「あ、あの、そちらに心当たりがあったり……」

「……さあな、わからん。どうだろうな。 ……もしお前がそうなら魔法で逃げようと考えるんじゃないかと思っただけだ。これだけ海の真ん中であんな魔法なんか、何か出来るもんでもないけどな。」


 青年は黙り込むと、船窓を閉め、鍵をかける。


「この鍵は開くような造りじゃねえが、下手に出ようとするなよ。死ぬぞ。」


 大人しくしていろ、ともう一度言い、彼は船室から出ていく。


 スサーナはうつ伏せになり、揺れのたびに巻き起こる痛みに歯噛みしながらその後姿を見送る他になかった。


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