図説 ヴァリウサ貴族の暮らしと日常 Vol.2/紹介と訪問.お披露目前の令嬢のための予行練習

第242話 偽物令嬢、社交の準備をする 1

 一の実りの月の半ば。

 朝、それなりに早いうち。異国風の意匠をした馬車が数台連なり、貴族の出入りする門から入り、ミランド公の屋敷に吸い込まれていくのを始業の早い官吏たちが見かけ、ちょっとした朝の話題になっていた。

 あるものはその馬車の豪奢さを言い、またあるものはガラス製の窓の内側に異国風の衣装を着た美しい娘が座っていた、と語る。


 演奏会の際にミランド公が数名のお忍びの者を連れてきたらしい、という話題を覚えているものはまだ多く、きっと彼らの一人だろう、とか、いや、あの騒動があったゆえの情勢の変化で誰か呼び寄せたのだろう、とか。退屈な日々の務めを彩るおやつとして、その噂はそれなりに官吏達の口を楽しませる話題となるようだった。




 ◆  ◆  ◆




 馬車の扉が開き、スサーナはほっとため息をつく。

 ミランド公の屋敷の馬車停め。

 従僕の顔をしたネルが踏み段を下ろし、静かに手を差し出す。

 ――さあ、ここからは私はグリスターン生まれのミランド公の隠し子なわけですね。

 いまさらながらやっていけるのだろうか、という気持ちも湧くが、そう了承したのは自分なのだから仕方ない。


「お嬢様、長旅でお疲れでございましょう。屋敷に入りましたら朝食までお休みになれるよう用意してございます」


 馬車を迎えてくれた、よく務め慣れたという様子の家令が告げる。


「ええ、助かります」


 言いながらスサーナはさてこれで良かったかな、と脳内で礼儀作法をおさらいする。

 貴族は使用人にあまりお礼を言うものではない。のだが、お礼ではなくねぎらいならばよろしい、など、いろいろややこしい慣習があるのだ。

「助かる」が最もふさわしく「ありがとう」は少し重い。「申し訳ない」「すみません」は駄目。

 あとは自分が命じたことを相手が果たしただけで言うのはあまり良くなく、相手が予想より良い仕事をした場合や気の回し方が意にかなった場合にねぎらうのがよい、など。


 スサーナがどの程度の家で養育された娘という設定なのかはまだはっきりと決定されたわけではないので、別に野卑な態度をとったところでも構わない、というよりもここで取る態度でそのあたりが決まるのだからやったもの勝ちではあるのだが、折角侍女たちが淑女にしてくれようと一月頑張ってくれたのだから、無下にするのも申し訳ない。


 スサーナが口にしたねぎらいの言葉はほどよく貴族の令嬢らしく、ほどよく思いやり深く聞こえたようだった。家令は微笑むと一礼し、仕える主人の娘のねぎらいに慎み深く感謝を示した。



 スサーナがタラップから降りると、侍女たちがどんどんと荷物を運び込んでいくのが見える。

 行きは強行軍だった馬車旅だが、帰りは優雅と呼んでも良い行程だった。それでも少し疲労感はあるため、ちゃんとした部屋で休めるのはありがたい。とはいえ用意してもらった部屋でくつろげるかと言われるとあまり自信はないスサーナである。

 ――いやあ、これはすごい。全方面から値踏みされている気がしますねえ。

 入った玄関ホールで並ぶ使用人たちに出迎えられ、ずらっと連なる彼らを見ながらスサーナは思う。

 隠し子を王都の屋敷に呼ぶ、と仕える主人に青天の霹靂のように――どのぐらいそれから猶予があったかはわからないが――聞かされただろう彼らは、流石に上位貴族の仕えびとらしく感情をあらわにせず、恭しく並んでいる。しかし、彼らの目線は自分を品定めするものだ、とスサーナは直感していた。それは自分たちが仕えるに足る相手であるか、というものであり、同時に自分たちの主人が使えるに足る駒であるかを見極めようとする目だ。

 そう言えばなんとなく何故だか忘れがちでいたけれど、自分はこの手の視線によく慣れていた。スサーナは我知らずうっすらほほえみすら浮かべつつ考える。

 ――さてはて。さっきはなんとなく挨拶してしまいましたけど。

 慣れない環境におどおどする大人しい娘、天真爛漫に振る舞う異国育ちの姫君。それとも使用人の目に動じぬ気品ある令嬢?

 ――これ、どのぐらいの想定でいたら丁度なんでしょうね?

 多分そのどれかぐらいが彼らの希望だろう。仮にも主の係累だとして品位を求めるのか、ぽっと出の隠し子が大きな態度を取るのを不快と考えるか。接しやすさを求めている、ということもまあ無いとは言い切れない。


 期待に寄せるかどうかで多分過ごしやすさはぐっと変わる――などと思考していた所で、スサーナの荷物を奥に運び込んでいたらしい馴染みの侍女達の顔が見える。

 彼女らはスサーナの顔を見ると、期待と誇らしさが浮かんだ顔で使用人たちの列の端にきちん、と並んだ。

 ――なるほど。

 彼女らが期待するのは多分、一月かけてレッスンした最大限の優雅さだ。


 しかしなんとわかりやすい「このお嬢様ならうまくやる」の目だろう。どうやらあの一月は、スサーナに肩入れするものを作るための期間だったのかもしれない。

 ミランド公、流石にセルカ伯と仲がいいだけあってそのあたり抜け目ないなあ、とスサーナは内心で呟き、一つ息を吸って、それからゆったりした微笑みを浮かべ、背筋を伸ばした極力優雅な歩法で玄関ホールの中へ歩みだした。



 用意された部屋――私室は候補がいくつか用意してあり、後で見て選べということだったので私室とは違うらしい――でスサーナが一息つくうちに、登城していたミランド公が帰ってきたと知らされる。


「やあ愛しい娘よ、会いたかったぞ。長旅でさぞ大変だったろう。」


 陽気そうに大きく両手を広げてやって来たミランド公にスサーナは優雅な礼を一つ。


「お父様。王都に呼び寄せていただき、大変感謝致します。」

「私邸ではかしこまらなくていいのだよ、娘よ。どうか気楽にして欲しい。なにしろ父一人子一人、たった二人の係累なのだから。……ブラウリオの娘御のように趣味に対する説教をするようになったら少し悲しいが、それもまたそれで……」

「閣下」


 その後ろで呆れた声を上げたのはセルカ伯本人だった。


「クレメンテ様」


 会釈するスサーナに挨拶を返し、よほど機嫌が悪い時でないとそんなことはしませんよ、とミランド公にツッコミを入れるセルカ伯に、スサーナはあっ機嫌が悪いとレティシアは父君に説教をするのか、と少し面白くなったが、この件に関しての共犯者という役どころである彼がやってきたのなら、これは何か話があるのだな、と察してそっと心の準備をする。


 予想通り、朝食は部屋でごく簡単なものにしよう、と言ったミランド公はハーブティーと、ざっくり切った発酵パンに具を載せてオープンサンド状にしたものを運び込ませた後に使用人たちをみな下がらせた。


「さて、では悪巧みをしようではないか」


 楽しそうな顔で手をこすり合わせたミランド公にセルカ伯がまったく閣下はとため息をつく。そして指を組み合わせたミランド公はスサーナににっこり微笑みかけた。


「事前に話しておいたほうが良かったものだが、あの折にはその余裕がなかったもので済まないね。手紙を出そうかとも思ったが、対面のほうがいいと思ったのでな。」


 まず話し合われたのはスサーナの設定をどうするか、ということだ。

 一月かけてミランド公が用意してきた「ボロが出づらい」身分はなんと複数あり、王族の係累から一般市民までよりどりみどりというところだった。

 王族の係累は非常に無理があるんじゃと思ったスサーナだったが、スサーナが生まれる5年ぐらい前まではネーゲの崩壊を端緒とした大きな戦争が続いていたし、生まれた年ぐらいにはその余波、人の大きな移動や衛生状態や栄養状態の悪化、さらには魔獣がもたらすものまで、規模が様々な悪疫が各国で散発的に流行っては収まる、という状況だったらしく、状況の混乱のせいでそこそこ気合を入れないと辿れず、辿った所で時間が経っていて真偽がわからない、という身元は実は結構あるのだという。

 ――そういえば、私のお母さんも対外的には赤土風邪で亡くなった何方かってことになってるんでしたっけ?

 なるほどと納得しつつ、スサーナはまさか似たような身分偽装を二つ重ねることになるとはなあ、と少し遠い目になる。


「グリスターンの修道院には非常に素晴らしい窯を持っているところがいくつもあるのだよ。彼らは自分の使う器を自分で……オホン。ともかく、私が出資している修道院が複数あるものでね。母親の死後はそこで養育された、とすることも出来るし、信頼が置ける家もいくつかあってね。そちらに預けられていたとしても構わない。」


 一旦、取れる選択肢をざっと開示されたあとで、黒髪なのだから貴族に縁がある方がいいだろう、とか、態度でボロが出たときのことを考えて修道院育ちの時期があるとしたほうが誤魔化しやすい、だとか、セルカ伯とミランド公と相談しながら決めていく。


 数時間しないうちに、グリスターン貴族の妾腹の生まれの母親を持ち、疫病で母親を失ったあとミランド公が出資する修道院で育てられていた薄幸の令嬢、という生き物の履歴書が完成していた。異国の生まれ故と政治的事情で手元に引き取ることは難しかったが、13を期にヴァリウサで過ごさせようと……学院へ入れようと考えていたミランド公が手を回して国内へ呼んだのだという経歴だ。

 また、あの事件のせいでレオカディオ王子が臣籍に下るのは一時保留となったらしい。そのために本邸へ迎えることを長く断念していた唯一の係累を側に呼び寄せたのだ、というもっともらしい理由もついている。


「さて、ここまで決まった所で」


 セルカ伯とミランド公が曰く言い難い……スサーナの目からはなんだか面白がっているようにも見える顔をして目を合わせた。


「オホン。スサーナ、娘よ。君は一体どのような立場で世間に紹介されたいね」

「はい?」


 スサーナは首をかしげる。


「お父様の娘……今決まった経歴で、ということではないのですか?」

「いや、それは確定事項だとも。それ以外の部分だな。……あの時、レオカディオ殿下のグラスを取って王族方をお救いしただろう。鬘を着けていたから君とあの時の姿が一致しないものが多くてね。」


 あの時の亜麻色の髪の令嬢と黒髪のスサーナを関連付けるかどうか、ということらしい、とスサーナは理解する。


「どう、と仰いましても。お父様のよろしいようにしていただければ、としか……」


 なにやらそれぞれ複雑そうに――なぜかなんとなく面白そうにも見えるが――顎をかいたりしつつ壮年男性二人が説明してくれることによると、当時、責任ある立場であるミランド公は事態の収拾に駆け回るのを優先したのだという。当然だ。そして、スサーナは狙われることを危惧して速攻でミランド公の領地に隠された。

 この時点では隠し子だのなんだのの裏工作は広く回す暇がなかったのだ、という。


 つまり、あの場で何か騒ぎがあった、と目撃した者はそれなりに多く、詳細はわからず、口に戸を立てる者もいない。絶好の噂の種になった。


「……ところが。夜もだいぶ更けていて暗かったろう。それにね、夜になると目の効かないものも多いのだ。」


 ――と、鳥目!

 そう言えば貴族はあまり内臓肉は食べないし根菜も食べない。レバーやチーズは食べている気がするのだが、好き嫌いはあるのかもしれない。スサーナはわあ、となる。

 そうでなくてもあそこは天井が高く、蝋燭は燭台が多かった。つまり、視界に入る炎と暗い周辺のコントラストがきつく、目を慣らすのは大変だったかもしれぬ。また、当然ながら薄暗い場所で少し離れた場所を見るのは難しい。その上、王子も駆け寄ったスサーナも小柄な少年少女で、立食の集いだったあの場では十分人波に沈み込む。


 つまり、騒ぎの前に王家の席に駆け寄った娘が明瞭に見えていた者は少なく、そのうえほぼ同時に武具を振り回す者がいたという混乱が始まった。なにより逃げること、身を守ることを優先するものは当然多く、一部始終を注視し続けていられたものは少ない。当然そのような事態のさなかでは駆け寄ったのはミランド公がエスコートしてきた娘だと自信を持って一致させられるものも多くない。結果亜麻色の髪の娘、というのばかりが広まっており――さらに事情を知っている下二人の王子たちが口をつぐんだものだから――種々雑多な噂、他国の王女から平民まで、つまり「謎の亜麻色の髪のご令嬢」の噂が丁度ただいま世間を騒がせている、のだという。


 最初、あの日の目撃者達はミランド公が連れていたという繋がりを意識するだろう、と考えていた大人二人はなかなか当てが外れ、その上で元の思惑に沿うような形で公表を行うか、現状を生かすか、ということを悩んでいるらしい。


 スサーナはエレオノーラは何か言っては居ないのかと思ったが、王子たち、もしくは兄が黙らせているのか、両親に知られたくなくて彼女自身黙っているのかのどちらかかな、と察する。どちらにせよその件についてもスサーナの身元についても何かもっともらしい納得するような説明は届いているのだろう。


「なかなかかまびすしいですな。自称「亜麻色の髪のご令嬢」つまり偽物も出ているとか。」

「偽物とまで行かずとも、誰それがそうだ、という噂には事欠かぬな。公表することで簡単に打ち消せる類の噂だが、見方を変えるとつまり、相手が我が娘にたどり着くまでの煙幕がこちらでなんの手配をせずとも下されているようなものだからなあ。」


 公表すれば「名誉ある社交」が引きも切らずあるだろうが、社交界へ受け入れられやすくなる。公表せず、ミランド公の娘として少しずつ顔を広めれば無理が少なく、また襲撃者への目くらましにもなるかもしれない。


「まあ、粗末な紗幕が一枚増えた、程度の話だから、どちらにするかを君本人に聞こうと思ってねえ。」


 セルカ伯が肩をすくめて言った。


「参考までに……クレメンテ様はどちらのほうがいいと思われます?」


 スサーナが問いかけたのにセルカ伯はなにやらいたずらっ子めいた表情を浮かべて答える。


「そうだねえ。今後どうするにせよ、今は隠しておいたほうが面白く思う……ああいや、思われますな、お嬢様。隠すならそれで良し、公表するにせよ派手に演出して印象づけるには落差というものはあったほうがいいものですし。」


 スサーナはああそう言えばこの人、演出大好きプランナー気質だったな、とふと思い出した。お嬢様たちと企んだあのパーティーが懐かしい。


「では……今は公表しない、ということでお願いできますか。」


 正直、変に注目を集めるのはボロが出そうで良くない気がする。

 なんだか印象的なプロデュースのネタにされてしまうのはむしろ怖いのだが、されない、という可能性もあるのだし。


 そういうことになった。

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