第243話 偽物令嬢、社交の準備をする 2

 話が一通り終わった所で。


「さて」


 セルカ伯が小さく咳払いをした。


「閣下、お茶のお代わりを貰って構いませんか。」

「ああ、うむ。煎じ湯ハーブティーが良かろう。気が落ち着くものを。」


 セルカ伯がドアを開ける。あれ、人払いをしたのでは、とスサーナが思いつつ見ていると、セルカ伯本人が厨房か、離れた所に控えている侍女の所まで行ってお茶をもらってくるらしい。

 一体何の口実なんだ、と少し身構えてスサーナが待っていると、戻ってきたセルカ伯が本当にポットにハーブティーを淹れて持ってきてくれたのでなんだかびっくりする。


「うーむ、なかなか上達しないものだねえ。奥さんにも娘たちにも淹れ方が下手だと言われるんだよ。」


 自分のカップに注いだお茶を啜ったセルカ伯がこぼし、ミランド公が口にして、草だなこれはと口元を曲げたのにつられてスサーナもお茶をすする。

 熱いお湯で煮出したのだろうか、使われている林檎菊も薄荷もやや草っぽさが出て苦くて渋いものの、スサーナとしてはそこまで嫌いではない。


 なんとなく雰囲気が弛緩した所で、セルカ伯がまた、さて、と口を開く。


「先日、島の屋敷に行って来ましてね。」


 一瞬聞き流しかけたスサーナは一瞬のあと、はっと頭を上げた。


「島の」

「うん。スシー、スサーナ嬢のご家族への説明をねえ。」


 今は気安くスシーと呼ぼうか。まあお茶を飲みながらゆったり聞きなさい、そう悪い話の運びにはならないから、とセルカ伯はへらっと笑った。


 スサーナのおうちへ説明に向かったのはセルカ伯と部下が一人だったのだそうだ。

 家にセルカ伯がやってきたのを見て、おばあちゃんや叔父さんはとても驚いたようだったが、スサーナがレティシアとマリアネラに本を借りた話をおばあちゃんにしていただとか、非常に仲よさげに振る舞っていたこと、奥方が頻繁にドレスやヴェール、その他衣装をたっぷり注文していたうえにいつも非常に大感激していたのが功を奏してセルカ伯達に対する対人感情はそう悪くはなかったようだった。


 誘拐騒動の際のことは家族には伏せておいて欲しい、スサーナがそう頼んだために――公表できない理由も同時にあったということだが――家族にはそれまでの剣呑な話題は伝わっていなかったけれど、運よく、と言うべきか、王都であった事件のことは噂話の形で島までもう伝わっていたタイミングだった。


 詳しくは話せないし他言は無用に願うが、王都へ出掛けてきていたスサーナが王族が無事で済んだことに功績があり、それ故に命を狙われるかもしれないし、家族である皆の身柄も危険にさらされる可能性がある、と聞かされたおばあちゃんは絶句し、同席していたブリダは卒倒したそうだが――


「ええっ、ぶ、ブリダは大丈夫なんです!?」

「うん、すぐ気づいたし大丈夫だそうだよ。エラスに誓って構わない」


 気色ばんだスサーナは席から立ち上がったが、セルカ伯に宥められて座り直す。


「ともかく、そういうわけだから大事なお嬢さんをお守りするためにこちらでお預かりしたい、勿論ご家族にも危害が及ばないような形で、とお話したのさ。また、ね。ご感銘を受けたミランド公が是非自分の娘ということにしたい、と仰っている、スシー本人にも、ご家族にも悪いことにはしないよ、と説明したんだ。」

「……おばあちゃん達、その説明で納得する気がしないんですけど……大丈夫だったんでしょうか。」

「うん。……君ぐらいの年齢だと実感はないだろうけどねえ。我々年寄りにしてみたら、ほんの少し前までは聞く話だったんだよ、暗殺沙汰はね。」


 実際に最近暗殺されかけたセルカ伯が言うと非常な説得力がある。

 戦争を経た大人世代はそういうことがあった時代を知っているので、とても怒りはしたし心配はしたけれど、貴族が身柄を守ってくれる、ということについては最終的に反対はしなかったそうだ。


「では、隠し子、ということになる。という事についてはどうなんでしょう……?」


 まさかそれもスルッと受け入れられた、ということはないだろうとスサーナは思う。青天の霹靂とか寝耳に水なのは間違いないし、いくらうちに良いことであっても頑固な叔父さんなんかはすごく怒りそうな気がするのだが。

 セルカ伯はそれに答えて一つ頷く。


「うちの子達と学院に行く、という時にご家族にはご説明をしただろう?」

「あ、はい。叔父さんとおばあちゃんを呼んで……」


 当時。レティシアとマリアネラと一緒に学院に行く、と決まった時に、学費を出してくれる、とセルカ伯が言ってくれた、というのはまずおばあちゃん達にはしっかり信じてもらえずに、一回面談の場が持たれたのだ。


「その時にね、お嬢さんの学費を出すのは道楽や何かではなく優秀だからだよ、とお話したんだけどねえ。そんな優秀な学生がいるなら是非力添えしたい、とミランド公が仰っている、という話はその時にしてあってね。公のご後援がある、という話は通っていたわけで。」

「え、そうだったんですか!?」


 おばあちゃんはそんな話をスサーナにしたりしなかったのでスサーナはそのあたりの了解はないのだな、と話さず済ませようとしていた部分の話だった。というより、スサーナ自身学費は出してもらっているとは分かっていたが、はっきりとした後援があるとはあまり考えていなかったのだ。


「そりゃねえ。一応ご家族には伝えるさ。」

「普通に後援を与える時のものと同じだが、書状はご実家にも見てもらったはずだぞ」

「ぜ、全然知りませんでした……。」

「……まあ、当時は後援がすぐ外れる心配をご祖母様はしておられたようだからねえ。君の士気を下げるようなことを言うのは避けたんだろうね。」


 学院であれ、それ以外の一般的な教育システムであれ、貴族が平民の後援に入って学問を行わせる、ということはままある。そして、成績が下るとか、でなくても気が向かなくなった、とかそういうことで支援を打ち切られることもいくらでもあるという。貴族が後援してくれるらしい、と意気込んだところで当てが外れて心がくじける、というような学徒の話は枚挙にいとまがないそうで、おばあちゃんはそれを警戒したのだろう。特に、後援元が大貴族であればあるほど当てが外れた時の気落ちは大きいのだろうから。

 誘拐に関わったその賠償というか、ご褒美と言うか、そういうものだとは知らないので仕方ないな、と、言われてみればスサーナも納得した。


「ま、それで公が君を高く買っている、ということはご祖母様にも伝わっていた。優秀な学生だと思っている、ぐらいの理解だっただろうけど、それに足して……先日起こったのは国に関わるような大事件だと、噂でも伝わっていたからね。後援者である所の公が君を守ろうとされてそう計らってくださった、というのはすんなり納得して頂けた。」


 言いながら、それだけが理由ではないのだろうな、とブラウリオセルカ伯はふとその時のことを思い出していた。

 秘密裏に行われた説明は一日で済むはずがなく、目立たぬ時間を選んで数度行われた。

 彼女をミランド公の隠し子、公とグリスターンびとの女性の子であるという建前で保護したい、勿論一時的なものではなく、彼女を公の係累として公表するし、養女に望んでいると思ってもらって構わない、と説明した際。険しい表情で聞いていたスサーナの叔父だという青年、普段話を聞くだに彼女をよく可愛がっているという人物が帰りがけ、他の家族たちが離れた際にぽろっと漏らしたのだ。

『それは本当に建前ですか』と。

 それ以上のことは問われなかったし、彼自身も答えなかったが、初日にはこちらに噛みつかんばかりだった青年は次回には異を唱えること無く、あの子を守るつもりがあるなら、とスムーズに話が進んだことは確かだった。

 思えば彼女の係累達は一族同士よく似通った容姿をしている。陽光の申し子めいた大作りで華やかな顔立ち。髪の色だけではなく、彼女の容色だけが毛色が違う。

 その上、彼女に関してはレミヒオが妙に傾倒している。漂泊民だとまでは思わないが、

 ――本当にグリスターンの貴人の隠し子かなにか、という可能性はあるんだねえ。

 なにか訳ありの娘なのだとは察せられた。とはいえ、生命に恩がある以上現状では詮索するつもりもない。


「……冷めないうちにお茶をもう少し飲むといい。それでね、条件だが、事前にこうなるだろう、と公が君にお話したものをほぼ変わらない形で納得してもらえたよ。」

「保管してもらう事は良くないから出来なかったが……私の直筆と印璽シールを施した書状は伴ってもらった。出来るだけ不安無いように取り計らったつもりだ」


 セルカ伯に続いてミランド公が注釈する。


「そう、でしたか。」


 スサーナはほうっと息を吐く。別に大反対してほしかったわけではないし、すっと納得してもらえたというのは安心なことだったけれど、あっけなく納得されてしまったなあ、とほんの少しだけ寂しい気もした。



 スサーナが公の隠し子と扱われるにあたって実家に届けられた条件は「公の隠し子とされた娘が自分たちに関わるものだと公言、他言しない」「今後スサーナとは親族として関わらない」

 この二点だった。


「学院に入学するために家を出た娘」は足跡そくせきを辿れるよう別に用意され、エレオノーラの侍女になったあたり、平民の教室に顔を出さなくなったあたりの、経歴を誤魔化しやすいポイントで上乗りさせることになる、という。書類上その状態で退学、名乗りながら生活して、しばらく近況を実家に届けた後、適当な所で異郷で結婚するか、でなければ病を得て死んだということになるだろう。


 ややこしい話だが、正直屋オンラードという商家の娘と公の隠し子を一旦分離させるため、襲撃者が家族に辿り着くことがないようにするためには必要な措置だった。


 書類の上では「退学した島の娘」と「エレオノーラ越しに貴族の学級に関わっていた娘」が存在することになる。その状態で公の隠し子であると公表する。


 よほど目端の利く人間でなければ、いくつか偽装を噛ませて切り離してしまえば判断がつかなくなるはずだ、とセルカ伯は言う。


 偽装すべきは書類。そして人の認識だ。学院の中はその偽装で「あの娘は元々そうだったのだ」と納得されるだろう。


 さらに幸か不幸か。島の中ですらスサーナは特に親しい人間以外と関わっていたのは10から12の二年間に過ぎない。ほとんど家から出ず育てられ、顔を見てぱっと一致させられるほど親しいのは店のお針子と使用人たちと親族数人。一番の特徴である黒髪を晒した相手も数えるほどで、正確な特徴を知る者もそれほど多くない。そのうえ島の人間はほとんど外に出ることもない。これほど前歴を隠しやすい子供もそうはいない、そう、スサーナの身辺を確認させたと言ったセルカ伯はうそぶいたものだ。




「正直ね、この分なら身の安全が確実だ、と分かった後なら、『善人と見込んで一時秘密裏に預けられていた』とすれば通るだろう。そうしたら行き来することぐらいなら出来るさ」


 沈んだ顔になったのを察したのだろう。スサーナにまたお茶を注ぎ、セルカ伯が励ます口調で言った。

 幼い頃のスサーナの来歴は面白いように辿れないらしく、8つより前には村に行くぐらいしかろくに外出した記憶のないスサーナは確かにそうだろうなと納得するしか無い。常連のお客さんでもおうちに小さな子供が居ることすら知らなかった人がとてもいたものだ。


 ――思えば、小さな頃ってお家のおもてにすらろくに出ませんでしたもんね……。

 こんな所でそんな過去が役立つことになるだなんて思っても見なかった。


 おうちとは距離を開けると決めたはずで、もう会うこともないだろうぐらいには思っていたのだから、将来行き来できるかもしれない、というのは気にするポイントではないはずだが、なんとなく少し気持ちが楽になる。



 それから最後にスサーナのおうちをどう警護するか、という話をしてもらう。


 今後はセルカ伯の寮という形で、お家の直ぐ近くに護衛が出来る人達に住んでもらうのだという。


「私の配下でもそれなりに手練の者に行ってもらうことになる。安心して貰って構わんよ。」


 ミランド公がドンと胸を叩き、


「うん、それに諸島は護衛をするには本当に適しているねえ。まさか護符が買えるっていうんだから。予算を取って、スシーのご家族に一人一つ……一回限りのものだけど、渡してもらうことにしたんだよ。」


 セルカ伯がそれに続いて頷く。

 何かあったとしても簡単にどうにかならず、猶予の間に護衛が駆けつけられるというようなシステムを――半分スサーナのせいで――付与具慣れしたセルカ伯が柔軟に組んだらしい。

 護符の殆ど出回らない本土では考えられない対処だな、とミランド公が苦笑半分で言う。


「金銭で解決できるとはいえホイホイ買える値段でも数でもありませんが。島に行った時に買い占めてご自分の部下にお使いになるつもりならおやめくださいよ、閣下」

「ふうむ、駄目か。いいことを思いついたと思ったんだがなあ」


「ああ……それなら安心です。……本当に有り難く存じます。」


 まさかそこまでしてくれるとは思わなかった。本当に大真面目に家族達は全力で守ってもらえるらしい。

 スサーナは正直にありがたいと思いながら、ふと思った。

 ――あとは懸念があると言えば、フローリカちゃんに納得してもらえるかどうかぐらいでしょうか。

 フローリカはどれほど拗ねることだろう。

 正直何を言っても納得してもらえる目があるのかどうなのかスサーナには想像がつかない。こればっかりはもうブリダがうまく言いくるめてくれることを祈るばかりだった。

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