第244話 偽物令嬢、社交の準備をする 3
詐称する経歴も決まり、おうちの心配事を説明され、ついでに今後はセルカ伯の名義でおうちに継続した服の注文がある――ある意味でこれまでとは変わらないが、予算はミランド公からつく――ということが説明される。
お店への援助の一環でもあり、また奥方の衣装大好きと目利きはそこそこ有名で、取引の名目でセルカ伯の関係者、もしくは本人が島へこまめに訪れてもそう違和感はない、という点を重視した判断でもある。
セルカ伯の奥方が贔屓の店、という触れ込みで奥方の季節のドレスの仕立てなどをする予定だが、デザインやらにも関わるのをおうちは了承したそうで、これは一番大歓喜なのは奥様なのでは? とスサーナはそっと思った。
すぐにはやめておいたほうがいいが、ある程度社交界で流行ったあとでなら正直屋仕立てのドレスを頼むといい、とミランド公は言い、それまではバレづらい小物程度なら奥方の注文というていで一緒に頼めるよ、とセルカ伯に言われたのでスサーナは少し考える。離れた場所の仕立て屋を呼び寄せず衣装を頼む、というのは現代日本の通販と違って既製品を買う、というよりもこれこれこういうものを作るよう、という書面と着る人間の寸法を送るか、サンプルを送って作らせる、というのが一般的だ。
「じゃあ、……こちらから何かその際に持っていってもらう、ということは可能なんでしょうか」
「手紙などは証拠が残るので良くはないが。物次第だね。」
「ええと、奥様からのサンプル品、という事にして……私が作った布小物、ということですとどうでしょう? 例えば……ちょっとした飾り物とか、そういう……」
そのぐらいなら、と頷いてもらったのでスサーナはそっと喜んだ。
正確な時期はわからないものの、叔父さんとブリダの結婚はそう遠くはないはずだった。学院に置きっぱなしのレースのヴェールは間に合わずとも、なにかお祝いの気持ちを伝えられるものを届けるぐらいはしたい。……年明けに学院に戻った際に回収できて間に合うなら、用途を決めず編み出してから一年、ブリダのヴェールにするのだと決めてから一年、それだけの年数編んでいるのだしそれはレースのヴェールをブリダに被ってほしくはあるのだが、いつになるかわからない以上期待しすぎるのは良くない。
ともあれ、何か少し幸せを祈るようなものを届けられるというのは嬉しいことである。
その後、スサーナはミランド公に予定をざっと説明された。
「今日この後は私室を決めて荷物を入れさせよう。明日は貴族の承認がある。」
「貴族の承認……詳しいことは実はわかっていないんですが、王宮へ行く、んでしょうか?」
「ん? ああ。貴族の承認は叙勲とは別でな。神殿で貴族と認められるための儀式を行うのだよ。契約の延長だと思えばいい。契約の書き直しも一緒に行う。」
貴族社会の慣習などについてはだいぶ詰め込まれたが、貴族の承認が詳しくどういうものなのかは聞いていない。そう告げて今流れを教えてもらうことにする。
聞けば、神殿で身を清め、神々のしるしの前で秘跡の水を注ぐ儀式だという。観覧者は無し。叙勲がある、ということもない。
ほとんどの貴族の子女は生まれてそう経たないうちに行う行為で、神々に貴族の一員だと認められる為の儀式だという。貴族とは王と神殿が承認するものだ、という由縁。
無位であっても承認さえされていれば貴族であり、逆に長子であっても承認されるまでは本質的に貴族ではない、というものだ。
――ああ、「王の杭」に関わるような事なんですね。
超自然が身分制度に直で関わってくるのは本当にややこしいが、そういう社会なのだから仕方ない。
神々に認められる、と言っても、儀式さえすればほぼ確実に通るので心配することはないのだとミランド公は言った。ほぼ息絶えかけているような赤子でもなければ承認されるようなものだ、という。
――私、承認されない可能性はあるんですけど……、その手の儀式は誤魔化す手段がある、とカリカ先生が言ってましたからまあ、いいのか。
今晩カリカはやって来る手はずになっている。その際に相談しよう、とスサーナは考えた。
問題が出るとしたら、何かの間違いでスサーナがミランド公になるとか、新しい領地をスサーナが広げる必要がある、とかそういう場合だ。その可能性はほぼないのだから多分気にすることはなさそうだった。
「そういえば」
ふと思い出した、という顔で偽装資料をまとめていたセルカ伯が言う。
「閣下、お嬢様のお名前はどうされるのです」
「そうだな……。」
「名前?」
スサーナはちょっと首を傾げ、それからおお、と思い当った。
――ああ、流石にスサーナって名前のままじゃいられませんよねえ。
共通点はできるだけ作らない、という方針なのだろうし、スサーナは庶民でも使う普通の名前だ。貴族になるなら、貴族らしい雅やかな名前を付け直すのだろうか。
――ちゃんと覚えられますかね……?
まあ、一度紗綾からスサーナに変わった身だ。もう一度ぐらい呼ばれ方が変わった所で馴染まないということもないだろう。
「ふむ。スサーナというのは多少古い名だが、遡れば由緒ある名前だし、まず呼び名はそのままでもよかろう。」
そう思った所でふむと顎を撫でたミランド公に言われて拍子抜けする。
「いいんですか? 調べられたらバレやすかったりしませんか。」
名前はそのままのほうがありがたい気がするものの、思わず自分で聞き返してしまうスサーナだ。
「呼ばれる名はな。本名は多少変えることになる。なによりグリスターン風でないと違和感が出る。……グリスターン流の名にすると『ショシャナ』か。」
ミランド公はそう言って一つ頷き、セルカ伯に綴りを書いてみせる。
「かつて王族にスサナ王女という方もいらした故、ヴァリウサ風に愛称を付けたとしてスサナかスサーナと呼んでも違和感はないだろう。気になるならこの父からはスサナ程度には変えよう。どうせ仲の良い者ならばてんでに愛称をつけるものだからなあ。」
つまり、公式の記録に書かれる名前や、正式に呼ばれる名前はそちらということになる。愛称でスサナかスサーナと呼びならわされていた、ということにすれば本名を呼ばれてもぱっと反応できなくてもおかしくないしな、とミランド公は言う。
「なるほど……。あ、そうか。殿下やエレオノーラお嬢さ、エレオノーラ様が咄嗟の時にスサーナと呼ぶかもしれませんものね」
「察しが良い娘を持った。父は幸せだよ。うん。スサナ。」
「ありがとうございます、お父様」
セルカ伯が書類にそれを書き込み、それからスサーナにも綴りを見せた。
「綴りは覚えてもらったほうが良かろうね。我が家で家庭教師と学んでいた時にスシーはグリスターン語も危なげなく出来ていたようだし、心配はないかもしれないが。」
「正直、母国語みたいに話したり書いたりは無理なのでそっと教師をつけていただいたほうがいい気もしますけど……、この綴りぐらいでしたら、なんとか。」
そう言えばそのあたりはどうなるんでしょう、とミランド公にスサーナが聞いたところ、父親の国に行かせることを願ってヴァリウサ語を使って育てられたということにすればいい、と言われる。なんでも貴族の庶子ではままあることだという。
「それに、教師役には慣れないが、グリスターン語は私も教えられる。……この国でグリスターン語を話す人間などほとんどおらんから心配はいらぬだろうがね。」
そう言われたのでスサーナは実用グリスターン語を教えてくれるようにミランド公に頼み込むことにした。
「念の為、ということもございますし、お父様の手を煩わせるのは申し訳ありませんけれど、お教え願えますか?」
「可愛い娘の頼みならお安い御用だとも」
ふむふむ娘というのは悪くないな、などと言ってミランド公がニコニコする。
セルカ伯がやれやれ甘いな、という仕草をわざわざしてみせた。
いくらか連絡事項を話した後にセルカ伯は帰っていき、時間を見れば昼をそこそこ過ぎた時間だった。昼食の用意がされていたのでミランド公と一緒に昼食を取る。
「ふむ。スサナ。」
「はい、何でしょうか、お父様」
食事をする手を止めてミランド公が言う。
「先に言ったとおり、私邸の中ではくつろいでくれて構わんのだよ。こちらの国のやり方に慣れてもらうのも大事だが、ここはそなたの家なのだからね。」
「はい、お父様。お気遣い有り難く存じます。」
急になんだろう、と首を傾げたスサーナは、うむ、と頷いたミランド公が給仕に合図をしたので更に首を傾げた。
「遠慮しなくていい。淑女は小鳥のように食事をするものだ、などという迷信をありがたがるのは世間知らずの小童だけと私も分かっているぞ。気にせずたっぷり食べなさい。若者はおかわりをするものだ。」
目の前の皿にでどん、とじゅうじゅうのラムチョップのグリルを足され、スサーナはひええとなった。
「お腹いっぱい頂いております……!」
「なんとまさか。私のような爺でもそれではお茶の時間より前に空腹で動けなくなりそうだが」
これが普通の量なのだ、とスサーナはしばらく力いっぱい主張する。
美食と名高い北部流で、香辛料とこってりが特徴の南部ごはんよりはずっと口に合うけれど、島の食べ物ほどしっくりくるわけでもない、という塩梅の料理である。料理人は王都の人間らしく、所々に王都風アレンジが効いていて、スサーナとしてはちょっと油脂とソースが強い。島の外の食べ物の野性味にもいい加減慣れては来たし、美味しく感じるし食べられないこともないのだが、沢山食べられるほど慣れていない感じだ。
どうやらかなりの健啖家らしいミランド公はなかなか信じられなかったようだが、厨房に「娘がいつでも口にできるように菓子を用意しておけ」と伝える、という結論でなんとか納得してくれたようだった。
その後、使用人の案内で部屋を見せてもらう。
スサーナがすぐ入れるように、と基本の家具が揃えられた部屋はなぜか屋敷の中に複数箇所あり、それぞれ特色があった。
まず、丈の低くて丸っこい家具をいっぱいに揃えた部屋。
主寝室があると思われる部屋の側で、もしかしたら子供部屋を想定した部屋かもしれぬ。
陶器人形やら、可愛らしい動物と女神が泉で遊ぶ絵を描いた壁装やらが揃えられ、壁の漆喰はやや鴇色寄りだがピンクだ。
次に案内されたのが、少し年齢層高めに見えるものの、乙女が喜びそうなデザインの部屋だった。中庭沿いで花が咲き乱れる中庭が見下ろせる。薄い緑の壁に白が基調の家具が揃えられており、ベッドの柱には可愛らしい薔薇の花束が彫刻され、家具の正面にも家具職人が情熱を燃やしたとみえる精緻さで各種花がいっぱいに彫り込まれている。部屋の隅には小さな礼拝堂を模したドーム状の天井を持つアルコーブがあり、シャレーラ女神像が備え付けられていた。
その次は、屋敷の表に面した二階の日当たりのいい部屋。日が当たる前提なのだろう白壁に蔓や舞い遊ぶ蝶や小鳥のレリーフが飾られている。胡桃材の家具は落ち着いた色合いだが若い女性が使うに向いた瀟洒なデザインのものだ。こちらの特徴らしい特徴は、天井の高いところにある雪花石膏の丸い飾り小窓と、小さなガラス板を組み合わせた大窓だろう。大窓の所々に色ガラスがあしらわれ、派手すぎない落ち着いたステンドグラスになっている。窓からはバルコニーに出られ、表庭にいる相手と会話することが想定されていそうな作りである。
最後に案内された部屋は一階から通じる奥まったあたり。廊下で繋がっているもののほぼ別棟という構造、やや離れを思わせる立地の静かな場所だ。薄い青の壁に、黒檀らしい壁材をそのまま生かした部屋に家具も黒檀で、一見渋い設えのようだが、勧められて天井を見ると、丸天井のタイルは深い青に塗られ、鈍く光る金と銀の星型の幾何学模様が繰り返されている。
この部屋の窓は左右にスリット状のごく細いランセット窓が並び、真ん中に出入りができるもっと幅広のものが並ぶ形だ。真ん中の窓から出ると、生け垣に囲まれた小さな庭があるようだった。
「このうちどれでもお気に召した部屋をお使いください」
一礼した使用人にスサーナは迷う。
「どれでも……ですか……。」
「はい。家具がお気に召さなければ、お嬢様のお好みで後日揃え直します」
最初の子供部屋ふうの部屋でも、少女の喜びそうな愛らしい家具ながら、職人の技術が最高に発揮された高級品なのはぱっと見て取れた。
どの部屋も金に糸目をつけず調整されている、というのは間違いない。
――どんな人が使っていたか聞いて、年齢とかが近そうな方が使っていた部屋に入るというのが楽な気がしますね。
きっと、元々ここに居た婦人が使っていたものだろう、と考えて、スサーナはまず褒め言葉を言う。
「悩んでしまいますね。どれもとても素晴らしいお部屋ですし、見事な家具です。 きっと素敵な方がお使いだったのですね。どんな方がお使いになっていた部屋だったのでしょう?」
「こちらの部屋と家具はみなお嬢様のためにご用意されたものでございます。」
――は?
「全部……わたくしの為、ですか?」
何という大盤振る舞い。
スサーナはそっと頬を引きつらせた。
その気後れを知ってか知らずか、しみじみと老使用人が言う。
「内装こそ屋敷に旦那様のご息女がお住みになられる時のために奥様がご用意していたものですため少々流行に遅れてはおりますが……、新品と全く変わることのないよう手入れを続けて参りましたものです。」
え、と目をしばたたいたスサーナに控えていた侍女が説明する。もう20年は前に亡くなったミランド公の奥様は生前、息子が過ごすための部屋と娘が過ごすための部屋をそれぞれ複数イメージしてあり、スサーナが入る部屋の候補はそれに従って用意された場所だったそうだ。
「それは……わたくしが住んでもよろしいのでしょうか。」
仮にも隠し子という立場である。故人相手とはいえ、あきらかに実子のために用意された部屋に入るのはなんとなく心苦しく、使用人の皆様も複雑な思いがあったりするのではなかろうか。スサーナは少したじろぐ。
「奥様は亡くなられる時に旦那様がお一人で残されるのをとても心配されておられました。旦那様のご息女……お嬢様がこの屋敷でお暮らしになるのは奥様の悲願を叶えることでもあるのです」
領地の屋敷でスサーナづきだった……侍女頭の扱いであった侍女は感慨深げに言う。
なんでもレオカディオ王子のための部屋も息子が過ごす為の部屋の一つに用意してあるそうなのだが、いまだ正式な養子縁組をしていない王子はこちらの屋敷で暮したことはないそうだ。
「家具はどの部屋もすべて今日のために旦那様がお入れになったものでございます。お嬢様がこちらにいらっしゃることが決まってより旦那様はことのほかお喜びになり、お嬢様がすこやかにお暮しになれるよう、部屋に合った家具をとご自身でお選びになられて」
この屋敷でミランド公の子供が暮らすことがどれだけ得難いことなのかを説明する使用人と侍女の話を聞きつつ、スサーナは思う。
――娘がほしい、って物言い、あの場での方便的ななにかかと思っていたんですけど。
これはもしかしてもしかすると、ミランド公は結構ガチで言っていたのだろうか。
結局、しばし悩んだあとで、最後に案内された庭がついている部屋に入ることにする。
どうやら奥方が殊の外お気に入りだった部屋らしく、きっとその部屋がお気に入られると思いました、などと老使用人が言う。
元々奥様づきだったという老使用人は、庶子であるところの「お嬢様」であるものの、スサーナにどうやら奥様と似た面影を見出したらしい。
――他の部屋と離れていて庭があるからカリカ先生と密談しやすい、って理由なんですけどね!
確かに星空のような天井は気に入ったし、とても趣味が良い内装だとは思うのだけれど。
にこにこする老使用人にちょっとスサーナは申し訳ない気分になったのだった。
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