第245話 偽物令嬢、社交の準備をする 4
本土の神殿は、島の神殿とはだいぶ違う様式だった。
いろいろと理解度が上がった今なら、青と白で揃えられたあの様式は叡智神サーインのものであるとスサーナにもわかる。
――なんだかんだ言っても、あそこは魔術師さん達の土地、なんですねえ。
サーイン信仰は本土ではあまり盛んではない。本土の、というより、ヴァリウサで一般的に信仰が深いのは契約の神エラス。ソーリャとフォロスの子の一人であるとされる神だ。
スサーナが少数の供とミランド公とともに赴いた王都の神殿の一つはそのエラスを主とし、商業の神ラフェンネや農耕の守護神シェーフなど、何柱もの神々を共に祀っている。本土の神殿は大抵数柱の神が並列で祀られていて、一つの神の象徴で全てが占められる、ということは少ないのだという。
そのためか王都最大だというその神殿の彩色は色とりどりで非常ににぎやかな印象だ。
オレンジを始めとする明るい色で彩られた神殿の広い廊下を歩きつつ、スサーナは何食わぬ顔で幅広のチョーカーの芯に縫い込める形で隠された、ぎっちり刺繍で覆われた小さな四角布を確認した。
かつて契約の際に何か妙な感じが起きた為に今回の儀式も結構警戒していたスサーナだったが、やってきたカリカに相談した所、あっさりと手渡されたのがそれだった。
「公の親族という身分になった者を見るのはワタシは初めてですが。……最下級の貴族の係累として各国に潜り込んでいるものは存外居るものなのよ。」
その筆頭が歴史的経緯上偽装が効きやすいグリスターンであり、様々な便宜を手に入れるため、混血の名目でしれっと氏族の者が入り込んでいたりするのだと彼女は言う。そしてそのため、いろいろな目をごまかす魔法のノウハウは確立されているのだとも。
神と人ベースの契約とはいえ、儀式を偽った所で神罰があるようなものではない。人の目だけをごまかせれば済むのだそうだ。
通常、鳥の民の利益のために使われるというその小布は魔法に長けた氏長によって縫われるもので、魔法が使えない者でも使用できるよう、儀式の場に入ったら発動するようになっているそうだった。
社務所めいた場所で
周りを神官に囲まれ、わんこそばのようにお茶が出てきたりお菓子が出てきたり、いたれりつくせりだ。
しばらくして、そこそこ偉そうな格好の神官が現れ、
「お嬢様の儀式ですが、まずは契約の結び直しより行わせていただきます。紙はお持ちになられているというお話でしたので――」
本来、契約の結び直しをする場合はそれ単体で一つ大きめの儀式が必要だ。契約紙が無い状態でも契約をほどいて新しいものを作り直すためだという。
これはそう珍しい事態ではなく、他国で結婚したり養子になったりすれば必ず行う行為でもあるらしい。今回のスサーナは「ミランド公がグリスターンから契約紙を持ってきた」という名目でそれが免除されていると事前に聞いている。
実際の所どうしたのかと思ったが、レティマリの契約紙を本土に引き上げる名目で島の神殿に行ったセルカ伯が一緒に持ってきてくれたらしい、と知り、八面六臂だなあ、とスサーナはそっと感謝したものだ。
島のものよりも異界っぽさが薄い、壮麗なタイルで飾られた儀式の間に呼び入れられると、そこだけは島と同じように部屋の中央に水盤があるのが見える。
今回はそれには触らず、部屋の奥で待っている神官の元に向かう。
スサーナが前に立つと、両袖を上げる礼をした神官は新しい契約用紙をスサーナの前に広げ、契約の内容を確認するよう促した。
大三項は変わらないものの、小二項はやや違う。
国民を殺すな、だった項目は同格以上の相手をわけもなく殺すなだったし、奪うなは世を乱すほどにという注釈がついている。
――なるほど、小二項は弱められてるってこういうことですか。
スサーナはなるほどなあと目を細めた。
まあ、だからといって貴族の横暴とかそういうこととはちょっと違うんだろうな、と今になってみればスサーナは思う。島の神官さんたちは貴族の契約に関係したことはなかったのだろう。
なにせ貴族には裁判権があるし、特に大領地であれば人口が多いのだから死刑になるものも比例して多かろう。これで殺人の主体が領主という判定になったりして処刑のたびにのたうち回るようではやっていけないだろうし、税収だって庶民にしてみれば奪われたような気にならないかというとそうではないのだし。平たく運用すると世の中が回らないと言われたらそうかもしれない。どの世界でだって人はだいたい税務署と確定申告は大嫌いな生き物に違いない。
まあ、貴族が皆平民に対してはここまで戒律が緩いのだと思うともと平民にしてみればあまりいい気分はしないものではあるけれど。
小戒律はなし。
文面を読み終えてスサーナが頷くと、神官は別の器の上に置かれていた巻いた元の契約紙を取ると、スサーナに先端に火のついた杖を渡し、契約紙に火を点けるよう言った。青白い火を上げて燃えたそれは器の中に溜まる水のようなものになり、神官の手で新しい紙の上に注がれる。
「これで契約の移し替えは終了でございます。では、沐浴場へ案内致します」
――多分高確率で私とは紐ついてないんでしょうけどね、これ。
そう考えながらもスサーナは丁重にお辞儀をする。
神官の手間は申し訳なく契約用紙はもったいなく、少し後ろめたいが仕方ない。自己保身のほうが大事なのだ。
つまり、これは宙に浮いた契約が宙に浮いた契約に移し替えられた、という感じだ。
カリカが言うには、契約は鳥の民には働かない。
10の時の儀式の異常はそれによるものだろう、と彼女はいう。ただし魂の名は鳥の民であっても存在するし、神使の類は心がないため原理原則通りに働く、つまり常民のやり方で知ろうとしたなら応えることはあるだろう、とそういうことらしかった。
続いていかにも神殿、という感じの一室。掘り下げた水槽の中に階段で降りていく沐浴場に案内される。
服を脱いでその後用意された簡素なドレスに着替えるよう指示されてスサーナはチョーカーだけを残して服を着替えた。
――初秋といってもまだ寒くないからいいですけど。水かあ。
少したじろぎつつ、白いシンプルなドレスを着たまま胸の上まで水に浸かり、神官の指示通りに首を伏せる。
杖の先に房飾りと金属装飾を付けたものを頭の上で揺らされ、ほんの少しだけ大幣みたいな仕組みだなあ、などと思っている間に清めは終わったらしい。
布靴を履かされて先の儀式場に案内される。
さっき契約用紙を見た司教台めいた台の後ろには数段の階段があり、その先に大規模な祭壇があった。
チョーカーに、魔法が働き出したのだろうな、という僅かな違和感を感じつつ、スサーナは祭壇に歩み寄る。
聖句の書かれた羊皮紙を渡され、待機していた神官たちが聖句を重々しく唱えだすのに続いて小声で唱和し、ついで神像の前に配置された
コォーン、と澄んだ音が響いた後に神官に大ぶりの杯を渡され、三度に別けて神像の前の水鉢に注ぐ。
水は、スサーナの見ている前でみるみるうちに銀に変わり、そして黄金色にと色を変える。
「ご照覧ありました」
重々しい声で位の高そうな神官が言うと、書き初め用の大筆に似た、筆か刷毛らしい物を水鉢に浸し、スサーナの額に筆先で触れた。
書き込まれたのはどうも王家のしるしらしい、とスサーナはその動きで察する。
それから神官たちは揃えたスサーナの両手を水鉢に漬け、ミランド公の一子ショシャナが新しく王の力を伝える媒介になるのだ、という言葉を混ぜた祈りを唱える。
最後に小さな器に水を取り、顔料を油で溶いたものと混ぜてスサーナの指先に塗る。それで契約紙に触れて一連の儀式は終わるらしかった。
女性の侍祭に手伝われて服を着直し、それからスサーナは待機していたミランド公のもとに戻る。
落ち着いた素晴らしいご様子でした、などと言われ、ミランド公が喜捨の書類にサインするのを緊張が解けた後のぐったりでほけーっと眺めていると、ふと上機嫌そうなミランド公が向き直ってきた。
「やあスサナ、娘よ。疲れた様子だね」
「いえ、緊張はしましたけれど。神官の皆様がよく気遣ってくださいましたから。」
緊張の内容も明らかに予想されてないやつですし。スサーナはちょっとチョーカーを意識しながら思う。
「ふうむ、そうか? ならば屋敷に戻った後出かけることは出来るかい。」
「ええ、問題ありません。」
頷いたスサーナにミランド公が満足気に微笑んだ。
「実は今日、趣味の友人の所に訪問する予定でね。スサナ、付き添ってくれるかね。」
「はい、……焼き物のことはほとんどわかりませんけれど、私でよろしければ」
グリスターン風の焼き物は大体青磁をイメージすれば誤魔化せるだろうか。スサーナはそう考えながらもう一度頷いた。
「なあに、構わんとも。そうだ。帰りに流行りのドレスでも見に行こうではないか。屋敷に仕立て屋を呼ぶのもいいが、なにやら若い娘向けの流行りのものは出向いてこれはと思った裁縫師を探すのも一興だそうだ。陶工を見出すのと似ているように思うな」
屋敷に戻り、一旦全身を拭いてから侍女たちに着替えさせてもらう。
つけ毛までしっかり付けて公の令嬢らしい姿を装ったスサーナはミランド公に連れられて数件の貴族の屋敷をはしごした。
どれも非公式な訪問で、新しく買ったというコレクションをしばらく見た後に、娘を待たせているので、これからドレスを見に行く予定で、などと挨拶をして退出する、ということの繰り返しだ。
どの貴族もみなミランド公に対して親しげな態度を取ることから、気のおけない趣味の友人だ。というのは本当らしくはあった。
「お父様」
「なんだねスサナ」
しかし一通り訪問を終えた後。馬車の中でスサーナはそっと向かいに腰掛けたミランド公に問いかける。
「あの、よろしいのですか? ……今のお宅でもお茶もいただかずに……」
侍女たちに教えられた貴族同士の作法としては無作法極まりない。自分で訪ねていって、もてなしも受けず口実をつけてさっさと帰るというのは相手を侮っているというような見方をされるような行為ではなかっただろうか。侍女たちならばいかな親しい友人でも避けるべきだ、と言いかねないやり方だ。
「なあに」
ミランド公はにやりと笑ってみせる。
「誰も気にせんよ。皆古くからの付き合いだ。大抵の不作法はやり尽くした仲でもあるし……、なにより我が家に届ける訪問の伺いを書くのに今頃忙しかろう。」
帰ったら明日の午後のお茶の誘いが何通届いているかねえ。のんびりとそう言ってミランド公は指を組む。
なるほど。スサーナは納得した。
なんとなくそんな気はしていたが、つまりこれは自分をチラ見せする目的の訪問か。
「皆明日私を問い詰める内容を考えるのに夢中だろうさ。しかし請われてほいほい紹介するのも芸がないな。可愛い娘を紹介してやるのにはもう少し勿体ぶってやろうかなあ。なあスサナ。」
「その、お父様のよろしいように……」
「よしよし。では待たせたが、仕立て屋巡りと行こうではないか。しかしやはり目利きと言えばブラウリオが一番だな。いくら忙しくてじっくり品を見る時間がないといえあいつら眠たいような品ばかり揃えおって。ドレスで口直しならぬ目直しといこう。いやあ楽しみだ。スサナの衣装を見るセンスは非常に確かだと聞いているぞ。欲しい物があったら何でもいいなさい。まずは数を揃える段階であるからね。」
……自分をチラ見せする目的の訪問だったんだよね?
スサーナはそうっと少し首を傾げた。
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