第352話 偽物令嬢、報告をする。
「やることが……やることが多い!」
スサーナは呻いた。
なんだかすっかりと心に馴染んだ文言である、などと遠い目を伴いつつだ。
なにも完全犯罪を起こそうというわけではない。むしろ逆である。
三度目の乙女探しのあと。先にそうなるだろうと信じていたはずの「肩の荷が下りた」などという事はなく、スサーナは今日も今日とてフルスロットルで駆け回っている。
結局、最終日に関わらずとも無駄に事情のかけらを抱えている身だ。サラの事情だけでも駆け回る種は山のようにある。どの時点からかうすうすわかってはいた。
催しの後にサラの意志を確かめたその後、彼女が陳情と保護を求めているという形にすべく、着替えてお父様のもとに馳せ参じる。
冬至に備えての他国来賓の相手やら、今年最後になる外交政策立案の議会やら、会議やら、時期が時期だけにきゅうきゅうに予定で詰まっているお父様を煩わすのは気が引けたものの、着替えに戻ったところ家のものが夕食を頼まれて届けにいくというので渡りに船で奪い取り、大義名分を手に入れた。
――王宮の食があまり融通が利かなくて助かりましたよね。
これで現代日本のごとく、省庁の中の食堂で職員と一緒に月見うどんを啜るというようなことができた場合、この面会手段は非常に取りづらくなる。スサーナはデスマーチでもちゃんと基本の生活はして欲しいという人道的な思考と接触の難易度を天秤にかけ、高位貴族達が下級貴族や官僚のように外廷の食堂で雑に食事をせず、宮廷内で――〝王家の食事〟に招かれる以外で――夕食を取るなら食事会か料理人に言付けて行う晩餐ということになる、という慣習に感謝してしまうことにした。高位貴族でも忙しければ熱いごはんで雑にお腹を満たしたくなることもあるにちがいないのだけれど、安全保障なのか、貴族らしい姿勢をみせんという矜持なのか。
首尾よく外務卿府に突入し、家からのお使いですと言いながら取次を頼んだところ、流れるように執務室の別室まで通されたので副官さんはショシャナ嬢がやってくるということはもうそういうものだと思っているのかも知れない。
侍従すら入ってこないので、手づから飲み物と食器を用意して、少しして戻ってきたお父様に一礼をする。
「スサナ、そなたが来てくれたか。して、今日はそなたも忙しかったはずだろう。何かあったかね」
「はい、お父様。今日のうちに一度お顔を合わせておきたくて……」
――初手で人払いがされてるし、気のせいでなければ期待した目をされている気がするし、話が早いと思えばいいんでしょうか……。まあ、サラさんの話をしたい以上、場が整っている方が嬉しいですけども。
乙女探しの準備に紛れ込んだところ、アブラーン卿の養女より犯罪に巻き込まれていると相談があった、とスサーナは手短に伝えることにした。
「ええと、詳しくは彼女自身の証言を聞いていただくべきですが、重大な不正に関わっている可能性がある、と……。魔術師を呼び込んだ行為に関わらされたのだと言っています。関わった人間も見ている。……証言を受けて保護なり、便宜なりを図れる人間と引き合わせると伝えてあります。真偽は大人の方にご判断いただきたく思うのですが、その、証言の褒美に、寛大な扱いをと望んでおります。」
――ええと多分、こういう言い方で意図はつうじるはず、ですよね?
無慈悲なシステムというやつに飲まれて不本意なことにならないことを祈りつつ、スサーナはそろりと申し出る。
「ほう、これは、スサナ、そなた予想よりも大きな魚を釣り上げてきたものだな」
何故か一瞬、若干うきうきした表情になった気がしたものの、お父様は真剣な表情になると大口でサンドイッチを片付けてしまうとスサーナに向き直った。
もしかしてもったいぶってサラに全て話させたほうが交渉が効くかも知れないとも思っていたスサーナだが、ここまではと自分で決めた猶予も過ぎたことであるし、なにより早く告げた方がいい系統の確定情報だ。どうせ当事者からの情報は絶対に必要なのだしと手早く聞いた話のうちの確定で良さそうな事項を話しておく。
アブラーン卿の関与の話のところではまあそうだろうな、と答え合わせの顔をしていたお父様が実行者はビセンタ婦人だと言われたときにはやや目を丸くしていたので、これはたしかに使える情報だったようだった。
「これは恐れ入った。そうか、そこがな……。我の強い方であるが、陛下に害をなすことだけはないと思われていたが。まさかザハルーラ妃殿下憎しがそこまで高じていてでもしたか……」
すぐに調べをかけよう、と言ったお父様は手元にペンと紙を寄せると何やら書きつけ、副官さんを呼んで渡す。
「お役に立てるお話でしたでしょうか?」
「そなたがたどり着いてくれたおかげで新しい調べが進むかもしれぬ。ビセンタ女史には疑いはないでもなかったし……ここ何日か、気になる話も上がってきていたが。そこまでの関わりがあるとはこれまでは誰も思っておらなかったのだよ。本職の者たちを差し置いての手柄だぞ、私としても鼻が高いが、宰相閣下がうちの可愛い娘を欲しがるようだと困るな」
「宰相閣下」
急に出てくる役職にスサーナが首を傾げていると、なんでも宮中で間諜というと宰相閣下で宰相閣下というと間諜なのだ、とお父様が教えてくれる。
なんでも外務卿なお父様と宰相閣下と王軍長なガラント公は同じ課題に取り組むことが多い関係で、特に宰相閣下とお父様は協力したり競争したりなかなかややこしい関係らしく、有力な部下の熾烈な花いちもんめが行われることがあるのだという。
なるほどそれは確かに前世からのイメージとしてもそういうものを抱えていそうな役職だ、とスサーナは納得しつつ、どうやらこれはどうもものすごく褒めてもらった言い回しらしいけれど、知り合いが事件に巻き込まれた偶然の結果であるので特にそこまで手柄というわけでもない気がするなあ、とも考えた。
そうしているうちにドアを叩く音がし、やってきたのはいつものセルカ伯だ。
「失礼いたします」
「おお、来たか」
そういえばセルカ伯は現代日本風に言うなら外務事務官というところだろうか。課長か室長ぐらいの偉さのようだし、命令系統的には少し離れていそうなものだが、夏の頃からを思い返してみるとあまり表向きっぽくない仕事の時に協力しているのはだいたいセルカ伯のようなので、お父様の信頼度が激高なのか、もしくは表向きではない命令系統で直結なのか、そのどちらかなのだろうな、とスサーナはうすうす悟り出さないこともない。
「クレメンテ様」
「ショシャナ嬢もご機嫌麗しく」
言いながらセルカ伯が器用に片眉を上げてみせるのでスサーナもしれっと公令嬢らしく礼儀正しいお辞儀をしてみせた。
きっとスサーナが語った内容を知らされて呼ばれたのだろうが、先日レミヒオくんからセルカ伯にビセンタ婦人に警戒をと報告を上げてもらったわけであるので、セルカ伯にしてみれば繁忙期に謎の二度手間を噛まされていてちょっと申し訳ない。
「お呼び出しの件ですが、適任のものが丁度おりまして、伴ってまいりました」
そう言ったセルカ伯とお父様がなんだかわかり合っているようなのでスサーナは表情に疑問を浮かべる。それがどうも伝わったらしく、セルカ伯がのんきそうな表情で肩をすくめる。
「いやあ、近衛が躍起になっている件をうちが横取りするようで気が引けますが、なんでもあの件に関わったというお嬢さんは同僚の下級侍女の手引で文官と引き合わせると、そういう手はずのようですので。閣下に直接ということになると、まあ情報漏洩があるとまずいですからな。私がその栄誉を担えれば良かったんですが、ちょっとまあ、だいぶ忙しいですし、横に回すときのことも考えなくちゃいけない。ですので、口の固くて、まあそこそこ立場が読みづらく、下級侍女と近く関わってもおかしくなくて私としちゃ信用のできる事務方をね。まあ、頭は柔らかい
ああなるほど、とスサーナはその言葉に納得した。確かにサラに引き合わせる相手がいきなりこの一番上のミランド公だったりすると、そこからミランド公が調査しているとあれば重要案件だと察しての敵方への情報漏洩があったりするとまずい。その上、下級侍女が知り合える相手とも思えない。結果サラが警戒して証言を撤回されても困るはずだ。さらに、表向き、本当に下級侍女が文官に繋いで、そこから上に上がってきた、という見た目を保つことにも後々調べられたりした場合に意味がある。
セルカ伯がドアの方に向かい、入ってきなさい、という声に従って入ってきたのは、20を少し超えたぐらいぐらいだろうか、という若い文官である。
ややひょろりとした印象で、赤銅色というべきか、赤に寄った金髪に少しくすんだ青い目をして、髪をきちんと後ろになでつけた、いかにも生真面目そうに見える、エリート官僚かな?という印象の青年だ。
――あれ、誰かに似ているような。
なんとなく誰かに似ている気がしてスサーナが首をひねるうち、彼はきちんと背筋を伸ばして進み出る。
「ルカス・クレメンテと申します」
「身内の欲目ですが、歳の割には悪くない程度に機転が利きますし、秘密を漏らすということの意味も知っている。まあ、この件には適任かと」
――ん? クレメンテ……
「もしかして、クレメンテ様のご血縁でいらっしゃいます?」
「ええ、ショシャナ嬢。不肖の息子ですな」
「未だ至らぬ所が多い未熟者ではありますが、精一杯勤めさせていただきます。何卒よろしくお願いいたします」
ぴんと折り目正しい礼をする文官さんに、おお、とスサーナは心の中だけで手を打ち合わせる。
――本土に残してきた長男さん! レティシアお嬢様のお兄様じゃないですか!
そう思えば髪色はレティシアや奥様とよく似た色で、目の色はセルカ伯譲りなのだろう。口元の印象などもセルカ伯本人によく似ている。いかにも生真面目、という雰囲気なのでどことなくちゃらんぽらんめいた雰囲気を漂わせるセルカ伯との類似性がすっかりマスキングされているのだ。
「その、適任と言いますのは……」
「ははは、そうですな。万が一にも、こいつならば勇気ある下級侍女の身元を他所に漏らすということはいたしません。」
――なあんだ。そこからか……
もしやスサーナの正体まで全部話が通っており、色々とまとまった後で、ここで知り合ったよしみでレティマリの子供時代の話だとかを聞き出し放題なのかと少し期待したのに、どうやらそう上手くは行かないようで、スサーナは少しだけ残念だった。
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