第287話 偽物侍女、奔走する 3

 まあ、でも。

 スサーナは思う。

 妙な縁といえばなにもかもがそうだ。お針子というのが想定する本来の自己像としては一番適当なものだが、それですらそう。そこに居ないはずの人間で無かったことなどないわけで。

 夾雑物なら夾雑物なりになんかこう、本来あるべき最大幸福とやらに寄与できないというわけではなかろうし、なんとなく寂しくなっている暇ではなかろうに。


 ――とりあえず今は見張りですよ、見張り。

 レオくんが予想よりしっかり王子様だったとか、高雅だったとかは驚いたものの、だから目的が変わるというわけではないのだ。

 まあ、主目的ではないご令嬢の誘惑なんかはこの分だと本人の自由意志に任せてもいいのかなあ、という気もしなくもないけれど。

 ――それでも嫌そうだったら介入して損はないですもんね!


 うむ、と気を取り直してしばし。


 お茶会の話題は和やかに移り変わり、今は会場に飾られた冬花の話をしている。

 どうも、この催しではお茶会の一般的な流れはしっかりなぞるらしく、会場で「あなたこそが亜麻色の髪の乙女です」とかそういうことをレオくんが判定する……というようなことは予定されていないようだった。

 下級侍女として把握しているタイムスケジュールでは、二種類目は趣向のあるお茶とお茶菓子が出て、それから「口を綺麗にする」お終いの一杯。天気が良ければ少し庭に出る。

 道化師を呼ぶわけもなく、楽師もいない。なにか親睦を深めるゲームをするわけではなく派手ながあるわけでもない、シンプルなお茶会だ。初回ということで様子見の面もあるのだろう。


 そろそろ二種類目のポットが用意される、という頃だ。

 会場に居た下級侍女たちは差配の上級使用人によって準備に使っている部屋に呼び集められる。流石にこの間になにか起きることはあるまいとスサーナもそれに従った。



「貴女方はこれを中にお運びして頂戴。優雅に、そっとね!」


 指示されたものを見て下級侍女たちの誰かが、げ、か、ぐえ、に近い貴族のご令嬢にあるまじき声を上げた。

 まあ気持ちはわかる、とスサーナは思う。


 中に運び込むように言われたのは大鉢に入った寄植えだ。

 寄植え、と言ってもそのまま庭園から持ってきたというものではなく、白砂に幾種もの植物を植え込み、貴石のさざれをそのうえに散らした、というようなものだ。鉢は美しい陶器で出来、優雅で繊細な細工がされたもので、屋外で使うものではない。

 それが優雅なデザインの持ち手付きの盆の上に置かれている。


 つまり、とても重そうだということがひと目でわかる代物だった。

 どうやらそれを、会場で雑用を任された下級侍女たち6人ほどで運べということらしい。

 6人がかりでも十分それは重そうで、仕事が少ないとは思っていたのだ、などと囁き合いつつ下級侍女の間にどんよりした雰囲気が漂う。


「斜めにしてはいけませんよ。第三妃様のご趣向で、これをそのままお茶ハーブティーにするのですからね!」


 それはつまり王子殿下の前まで出る、ということだ。

 上級使用人の指示に、下級侍女たちは打って変わって奮い立ち、勇ましく目立つ位置へ立候補し始めた。逆にスサーナはといえば一番目立ちそうになく、草丈が長く顔が見えづらい位置にそそくさと移動する。


「はい、いっせーの!」


 小柄で非力なスサーナにはなかなかの難題だったが、なんとかお盆は安定して持ち上がった。そのまま意欲に燃える侍女を先頭にお盆を持った一同はそろそろと進み、できるだけ優雅に見えるようにお茶会の会場に入る。


「まあ、素敵なお花」

「あら、でも次のお茶の支度だって言っておられませんでした?」


 言葉をかわす「乙女候補」のご令嬢達の側近くにそっと鉢を下ろしながら、スサーナは寄植えの中の一群の植物にふとした違和感を抱いた。

 ――あれ? これ。紫花旃那じゃ?

 左右対称の葉に平たく乾いた豆みたいな鞘。赤紫の花。


 スサーナはこの一見可憐な花には見覚えがあった。

 この花、煮出した煎じ液は羊毛を茶色に染めてくれるすぐれものなのだが、うっかり飲むと大変なことになる。

 毒ではない。毒ではないのだが――つまり、すごくのだ。

 花が黄色いものと赤紫のものがあり、花が黄色い旃那は毛糸の染まりも浅いが、飲んだときの効果の激烈さもそこまでではないので、おうちではお通じに悩みがあるお針子にはそちらを少量煮出して使っていた。紫の方は普通口にしない。飲む時は結構な最終手段で、トイレとお友達になる覚悟を決めないとならない。

 少なくとも、王宮でやるお茶会のお茶に混ぜる植物ではない。

 お茶会は後一時間はゆったり続くだろうし、そうなるとお腹が大変なことになりだす者も出てくるだろう。しかも脱ぎ着の極度にしづらい盛装でだ。

 正気の沙汰ではない。

 そして、王妃とレオくんは耐毒の護符を付けているはずだが、……多分。「汎用」の護符を代用にもらった際に聞いた話の感じ、王族が身につけたそれは日常使いする程度の薬……下剤程度なら通すのだ。


「冬のさなかですから、花を摘むことも少なくて寂しいこと。飾った花も良いものですが、今日は野の花を摘む心地でこのお花を切り集めていただいて、それをそのままお茶にしましょうね。」


 柔らかに頬をほころばせたザハルーラ妃が趣向の説明をはじめる。

 ――え、ええと。

 スサーナはそっと混乱した。

 まさかこの草を含めるのがザハルーラ妃の趣向、ということはなかろう。多分無いはずだ。

 ――じゃあええと、陰謀とかに関係あるやつなんです? なんの? 得が?

 これまで集めた情報的に、怪しい教団、もしくは王の命を狙う怪しい秘密結社が「乙女探し」の席で参加するご令嬢のお腹をゴロゴロにしてなにか得がある、とは思えない。

 ミランド公お父様が施したなにか策だとしてもそうだ。

 ――ええとですねええと。看過して起こること、食中毒騒ぎ? あとご令嬢達が大変なことになる? それで何か状況が変わる? 変わりはするかもしれませんけど多分どっちも得することってないですよね?


 もしそうなったとして、精々起こることと言ったらザハルーラ妃の評判が落ちるとか、参加したご令嬢にちょっと言うに憚られるし非常に色っぽくない不名誉が発生するという感じだろう。参加者をそういうよくわからない無作為な方法で減らしてどちらにも得があるとは思えない。

 ――それで得がある人、というと……

 スサーナはそっとごくりと唾を飲んだ。


 ――ま、まさかレオくんの仕業ではない、ですよね? ないですよね。流石にやらないですよね!!!

 令嬢たちと談笑しつつザハルーラ妃の趣向を聞いているレオくんの表情をそおっと垣間見ると少なくとも表情には邪気はないような気がする。


 スサーナは数瞬悩み、それからザハルーラ妃の説明に皆が顔を向けて聞き入っている隙に白砂に植え込まれた紫花旃那をむんずと引っ掴んだ。


「(シッ! なにしてるんです!)」


 しかし、いっそ引っこ抜いてしまおうとしたその動きはそばに来ていた上級使用人に阻止されてしまう。


「(あの、この草……)」

「(第三妃様の趣向の花を傷めでもしたらタダじゃ済みませんよ! 馬鹿なことをするんじゃありません!)」


 ――ううっ、どうしましょう。

 恐れながらと声を上げればレオくんもいることだ、身分の保証はされるだろうし信用もしてもらえるだろう。だがここで騒ぎを起こすとこの後の催しに一切関われない可能性が非常に高くなる。

 それは全く本意ではない。


 ――まあ……毒ではないですし……

 スサーナは悩みつつそっと花から手を離すことにした。まあ、使用量がとても少なければ何ということはない可能性はある。もしかしたらザハルーラ妃がそういう方面で悩んでいて、とか、お通じで悩みがちな貴族女性へのデモンストレーションとか、そういう可能性も。多分。数パーミルの可能性で。

 コソコソとした会話の気配を感じたのかきょとんとした表情のレオくんがこちらを見た気配に、せめても掴んだまま大きく首を横に振っておく。下級侍女の妙な動きに何か察して警戒してくれれば、と思いながら。

 万が一便秘によく効くお茶という触れ込みだったらいいのだが。


 それからスサーナは上級使用人のご婦人に追い立てられつつ壁際に追いやられた。同じく壁際に戻る下級侍女たちの一体何をしたのか、という目が痛い。この後の鉢の片付けと上級使用人の補助があるため、部屋から追い出されることがなかったのが幸いだ。


 ――ああ、もう。

 スサーナはあまりの予想外の事態に、追い立てられるような気持ちで歯噛みする。

 一体何がどうなっているのか。それがぜんぜんわからない。完全に想像の外の事態だった。

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