第362話 ある宮廷女官の見解。


 タティアは王宮に仕える女官の一人だ。


 オノス候の三人目の娘として生まれ、その頃起こった騒乱により両親を亡くし、祖母に育てられた。

 長じてからはエルブエイ領を預かるラレナ家に嫁ぎ、望んで王宮で官職を得た、女官としては非常に平凡な経歴だと言っていいだろう。


 ある年末の日に、王宮に宿泊をと決まったミランド公の娘の世話をと命じられたのも、客方のもてなしをする女官としては実に平凡な任務だった。

 そのような仕事を任される場合、王と仕える奉公人団の威厳を損なわぬように持て成す、という場合と、先達としての姿を見せる……女官としての適性を見ることも含めつつ、王宮に暮らすものの在り様を見せる、という場合がある。

 後者が求められるのは、新しく女官を組織する必要が出来た場合――新しい妃が出来た場合や王女の誕生があった場合がほとんどなのだが、第五王子殿下が妃を選ぶかもしれぬ、という話が出ており、新しく女官を選ぶこともありうる状況であったので、どちらとなってもいいようにと客方の世話をする女官長から女官たちは言い含められていた。

 勿論、そのような命令はあからさまにはくだらないものなのだが、目端が利くことも女官の条件である。

 とはいえ、ミランド公の令嬢は他国の暮らしが長く、呼び寄せられてきたばかりということで、ヴァリウサの王宮の権勢を見せるのが目的であろう、と女官たちは皆考えていた。


 そう単純なことではないのかもしれぬ、とタティアが考えたのは、年改めの宴席での余興に従って、を第五王子が隠れ場所に決める少し前。王宮での暮らしを見学させたいと申し出たミランド公のはからいで、ショシャナ嬢が第五王子と数日過ごした、というのを聞いてからだ。

 後見をしている第五王子レオカディオをミランド公が殊の外可愛がっているというのはよく知られた話で、さほど親しくなくてもそれを許しておかしくない立場であったし、引き取って半年になる令嬢にアランバルリ家の立場を教えるという点でも不審さはなかったため、それ自体は看過されるようなものだ。


 タティアが引っかかりを覚えたのはまず些細なこと。

 まず、第二王子が自らの執務室を貸し出し、数日の間つく女官をそちらの権限で選んだと聞いたこと。タティア達内廷女官は直接の王族付きの女官よりもいくらかは立場は劣るものの、十分に誇りある立場で、もてなされる側のお客が誰がいいと選ぶことは出来なくとも、通常、高位貴族の血縁とはいえど、ろくに面識もない令嬢のために王子の一人が動き、わざわざ交換してやるような、軽視される立場ではない。

 そして、下の王子たちがその娘に少なくはない時間をその数日割り当てたらしいことだ。

 最初の茶会でのハプニングをきっかけに、ミランド公の令嬢がミレーラ妃の行儀見習いに入ったということは人の目を引くというほどではないが知られた話であったので、ミレーラ妃の息子たちとミランド公の令嬢に面識があってもおかしいと言うほどのことではないのだが、その数日のことを聞いたタティアはなるほどと思ったものだ。

 ――ミランド公はご令嬢を殿下達と仲良くさせようとしておられるのね。

 きっとそれはミランド公の働きかけのなせるものであるのだろう。

 高位貴族の中でももっとも王に近い数人、変わり者揃いの『王の幼馴染達』の中でも一二を争う変人たるミランド公であれ、人並みの『宮廷内政治』をするつもりが出てきたというのだから、夏の事件は大きな爪痕を残したということなのだろう。


 そう思えば、タティアの夫がミランド公に推薦することに成功した、エルブエイから牛を王都に出荷する食肉商人――お陰で領の補助のもと、大貴族の口にあったと王都で人気を博す事が出来、名産として筋道を立てることが出来そうだ――、彼が、秋の終わり頃から定期的に最上級の仔牛肉をミランド公のお屋敷に卸す事になったと言っていた。いかな北の公とはいえ、日常食とするにはいささか高級にすぎるものであるので、もしかすれば屋敷に王子殿下達を呼んでの接待に使用しているのかもしれない。


 そう考えて、いくらかの興味とともにミランド公の令嬢の接待に入ったタティアは、その席上でぴしゃんと雷鳴が落ちたような衝撃に駆られたのである。


 彼女が思い違いにうすうす気づき出したきっかけは、第五王子殿下が余興に従っての隠れ場所にご令嬢が滞在する一室を選んだことだ。

 王宮の見学中の令嬢の部屋というのは、隠れ場所にするのならば後で明らかになる時にほどほどに遊び心があると判断される場所であり、かつ、最中は目立ちもしないため、妥当と呼べる選択であるだろう。先の数日と同じように、後援のある公の娘であれば当然とも言える。

 しかし。なにやら菓子の遣り取りをした話やら、食事の量を任せるやら、事前の評判よりずっと第五王子殿下と公の令嬢が親しげで、じゃれ合う様子すら見せる。


 タティアにすれば、後見をする王子と異国で育てられた妾の娘であれ、貴族に置き換えて「そのうち養子に取る心づもりのあるより上位の貴族の子息」と「そうならぬかもしれぬと急遽田舎から呼び寄せた血縁」であれ、そう親しく振る舞うのは考えづらい。

 とくに後者は、タティアが生まれた頃の騒乱やら、その後に続く他国の戦争、疫病の流行に伴う、貴族社会に多発した後継者問題ではずいぶんとあった争いの種だったのだ。タティアのイメージでは、そうした関係の者達が屋敷の同じ区域で顔を合わせて過ごすとはちょっとありえないことだ。


 ならば、とタティアは思う。ミランド公の令嬢がはるばるグリスターンから呼び寄せられてきたのは別の用途だ。


 タティアは、祖母に育てられたことで、騒乱や戦中戦後の混乱のせいで通じているものの減った、古い有職故実に詳しいとして女官に選ばれた女である。

 偶然、と言うべきか、運悪く、と言うべきか。彼女の知識に合致するものがあった。


 仔牛肉は、婚前の娘に食べさせるものである。

 婚前でなくとも、例えば食の細い者。例えば疲れの溜まった者。丁重に持て成す誰か。そういう相手に与えることも枚挙に暇ない。であるが、その考えで読み解けば、和やかに言葉を交わし合う第五王子と異国生まれの娘の関係は読み解きやすいように思われた。


 メースもナツメグも、多く夫に与えるのは妻の特権だ。

 冬至菓子を贈り合うのは恋人達の行いだった時代もある。


 ――ええ、ええ。ミランド公閣下も古則に明るいという方ですもの。そうご令嬢を教育しているというのはおかしな話ではありませんわね。


 そして、タティアに訪れたその確信が間違いないものだ、と思ったのは、食事の中でレオカディオ王子が新年の狩りにショシャナ嬢を誘った時だった。


 冬狩りの獲物を狩りに伴った意中の姫君に捧げると誓うのは古い古い慣習だ。

 しかし、確かに古い慣習にはあるけれど、今そうすることに意味があるかどうか分からない、というようなこれまでの仄めかしとは違い、これはある種の形で今も残ったものなのだ。

 つまり、ある程度若い女官たちや、宮廷人達が暗喩として振り回す駆け引きの1つとして、こうした古い習慣が時折引っ張り出されてくる。

 周りにはピンとこない程度のその集団の中でだけ通じるコードとしてのものだが、タティアの知識をそういう秘密の恋のエッセンスとして使いたい、という者はそれなりにいて、愚直で真面目だが非常に面白みのない夫を持つタティアは、恋愛というやつにそこそこの夢を見ており、その手の宮廷の恋愛遊戯に口を挟める立場であることを常々楽しんでいるため、今、若い宮廷人達の間で流行る暗喩については詳しいのだ。


 ――そういう意味の付け方を好まれるのはミレーラ妃のサロンの方々だけれど、ショシャナ嬢はミレーラ妃の行儀見習いに出入りしているはずですわ……。

 獲物、もしくはそれから作った品物を受け入れると示すのは、当然愛を返すということの暗喩だ。


 ならば、つまりそれはそういう示唆で、王子たちがこの令嬢に譲歩を示すのは、弟の相手への礼儀ということ。


 ――ええ、でも、そうよ、レオカディオ殿下の妃がまさに今日選ばれるという噂で……

 いや、つまり、これはそういうことなのか。

 タティアは言葉をかわし合う少年と少女を眺めながら、わくわくと鼓動を早めはじめた胸を抑えた。


 レオカディオ王子の妃を選ぶ意図があると噂される、多くの貴族が関わる余興。

 それに身代わりを立てて隠れ潜み、この場にその王子がいる理由。


 ミランド公がどのぐらいに戻ってくるか、という一人の女官の問いに、朝までいらっしゃらないだろう、先に休んでいるよう伝えよと言われた、と申し送りを言いつかった者が答えた。

 王子の身の回りを世話する女官が夜の支度をするという問いかけに、王子が宴の終わりまでここに隠れているつもりだ、と笑った。


 ――抜け駆けだわ……!!


 つまり、ミランド公がそのために呼び寄せた娘であり、意中の相手であるのだろう娘に、余興という名目上で行われる妃選びでは揺るがされないような立場、第一妃の身分を先んじて与えるために、既成事実を用意するチャンスなのだ、これは。


 きゃっと声を上げたくなるのを堪え、タティアは頬を抑える。


 念のために問いかけた洗髪中にも、公の令嬢はとぼけて見せつつも大切だと言ったのだから、これはもう間違いない。


 宮廷人の栄達の方法の1つに、いかに王族や大貴族たちからの覚えがめでたくなるか、というものがある。

 目をかけていただいて引き上げてもらう、というもの以外にも、高貴な方々ならばちょっとした気遣いでしかないものを得るために、要望書や請願書を送りたいものはどれほどもいるのだ。そのような者達の仲介をするというのもまた巡り巡って名誉につながるものなのだが、どの手段にせよ、必要なのはやんごとなき方々への伝手だ。


 自らの職掌で力を貸すこと、有用な人物だと示すことが出来れば、後々の信頼につながると宮廷の生き字引達は口を揃える。

 女官であれば、言外の意を汲み取ること、滲ませた要求を声に出す前に先回りして叶えること。

 勿論、声に出してはならぬものも多いのだから、偶然そうなったと場を整えることも重要な能力だ。それまで含めて神の思し召しであるとするのが宮廷恋愛には必要な機微であるのだから。


 つまりこれは成功のチャンスであり、同時に劇的な恋の一幕を成就させるその一員になれるわけだ。

 主役の二人は少し若すぎるきらいもあるが、なに、これほどのご事情であれば一足飛びに段階を駆け抜けても仕方あるまい。


 タティアは発奮した。



 それはもう完全に思い違いです、と公の娘が知れば叫んだだろうけれど、あいにくそんなことは現在すこしの知る由もない。


 お陰で巻き起こった一連の出来事はタティアの予想とは全く別のベクトルを持って推移し、後に経緯を知った彼女を卒倒させたものの、彼女が罰されることはなかったのはいくらかの幸運であったと言えるかもしれなかった。


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