第298話 スサーナ、もっと頭を抱える。
それほど待たないうちに夜食の支度は整ったようだった。
「手間を掛けさせました。僕は主居間でも良かったんですけど」
「ええ。でもこっそり夜食にするならこっちかなあと」
主居間は常夜で暖炉に火を入れ続けているので暖かくていいのだが、なにしろ使おうとすれば目立つ。すぐにずらりと使用人たちが並ぶのが予想がついた。
それに天井も高く部屋自体も広く、つまり夜間には陰影も深く、明るくしようとすれば結構な数の燭台を動員することになり、二人で使うには大袈裟だし、どうしてもちょっと隙間風もあるし、スサーナとしてはもうすこし気軽に夜食にしたかったのだ。多分、だいぶ内緒話もするわけだし。
小居間の暖炉の前には小さめのテーブルが置かれ、布張りの椅子が二脚。テーブルの上には蜜蝋の蝋燭が点けられた。
土産の包みをレオくんに渡されたミッシィが皿に盛り付けた菓子と茶を準備して戻ってくる。
「ありがとうございます。後は私がやるのでミッシィさんは下がっていてくれて大丈夫ですよ」
スサーナが茶と菓子を受け取ってそういうとミッシィはなにやら目を輝かせ、お嬢様、後でお話聞かせてねと言うと胸のあたりで手をひらひらする仕草――こちらで大体サムズアップ的に使われるハンドサインだ――をして下がっていった。
「スサーナさんがお茶を淹れてくださるんですか?」
「ええ。最近ちゃんとやっていませんから味が落ちているかもしれませんが」
すこし驚いたようなレオくんにスサーナはお茶を淹れるのは好きなんですよと笑う。
「そういえば、学院で淹れていただきましたね。美味しかった。」
「覚えていてくださったんですか。自慢できるほどのことではないですけども。お恥ずかしいです」
なにやらはにかんだレオくんにスサーナは少し首を傾げ、自分の分とレオくんの分のお茶を注ぎ、お代わりのためのポットを暖炉の内側に入れた。ミッシィが用立ててきたポットは鉄製の直火に掛けられるものだったのでそういう無理が効く。王子様の前でやることではない気がするが、秘密の夜食なので大目に見てもらいたいところだった。
「じゃあ頂きましょうか。ええと、何種類もあるんですね。解説していただけますか?」
「ええ、喜んで。」
それぞれ茶を前にして、菓子を載せた皿は中央にして二人が自分で取れるようにする。これまた王子様にすることではないのだが、レオくんは気にならないようなのでありがたい。秘密の夜食は結構な免罪符だなあ、とスサーナはほのぼのした。
「じゃあ、まずこれを。これは庶民の菓子らしいんです、街場では冬至祝いによく食べるとか。ならスサーナさんがお好みかもしれないと思って」
レオくんが最初に取ったのは棒ドーナツに似た揚げ菓子だ。たっぷり蜂蜜が絡めてあるようで、蝋燭の火にてらてらと光っている。
「甘そうですね……。」
「はい! どうぞ召し上がってください。」
スサーナが齧ってみると、ねっとりした蜂蜜が絡んだしゃくほろとした生地の中に何か棒状のものが入っているのに気づく。
「これはラードで揚げて……? ん、だけじゃないんですね。この中のは……お肉?」
「豚の脂身を先にカラカラに揚げて砂糖をまぶしたものに生地をつけてまた揚げたものだそうですよ。」
突然の肉風味にたじろいだスサーナにレオくんがふふっと笑った。
なるほどいかにも庶民菓子、という感じだ。前世でいうサーターアンダーギーの中に甘い脂身が芯に入っている感じで、究極に甘くしたアメリカンドッグも少し近いのかもしれない。街場ではきっと屋台なんかで、ぐつぐつ煮立てたスパイスティーなんかと一緒に熱々でいただくのだろう。島でもあった種類の揚げ菓子に似ているが、ずっと思い切って甘く、素朴だ。
「その様子だと島ではあまり食べないんですか?」
「ええ。似たようなものはあるんですけど……。これ、屋台とかで食べるようなお菓子なんでしょうね。お忍びとかで試してみないと真価はわからなさそうな気がしますねえ。」
「いいですね。学院なら出来るかな」
わくわくした顔のレオくんに学園なら行けそうですね、と返して次に手を出したのは親指と人差指で丸を作ったぐらいのサイズの小さな焼き菓子だった。
「これはこの時期に伝統的に食べる焼き菓子です。王宮でも用意されてるんですよ。アニスが入ってるんです。」
レオくんが少し自慢げに説明するのに続いて口に入れてみると確かに甘いスパイスの香りが強い。あといくらか感じるのは干した杏のよう。ほろほろと崩れる食感にこっくりした風味はラードのものだろうか。同じ動物油脂風味でも、こちらはずっと澄んで上等な油を使っているようでそうしつこくはない。
「む、これは上品ですね。貴族のお菓子! っていう感じがします」
「お気に入られましたか。良かったらまた持ってきます。これはフェリスも好きなんですよ」
「へえ、フェリスちゃんが!」
「ええ。ミレーラ妃殿下の妃宮で入れてるものと菓子職人は別なので、少しこれとは味が違いますけど。行儀見習いでも出ているかもしれませんね」
「気が付きませんでした。ちょっと食べ比べてみたいですね。」
「それで、これは僕のほうが好きかな。どうぞ食べてみてください。お気に入ればいいんですけど」
そして満を持した、という表情を覗かせたレオくんに勧められた最後の一種。それは、これまた小さな、タルトレットかジャムクッキーのようなお菓子だった。半ば飴状の硬いジャムがバターたっぷりのクッキーめいた生地の上に載せられている。齧るとジャムは非常に甘いものの、生地は意外にもスパイスの風味が強く、底にはカリカリしたカラメルナッツの層があるようだ。
「あ、これ、色々入ってるんですね。ええと、生姜と……?」
「シナモンとクローブ、だったかな。ゴマも入ってるんですよ。美味しいですか? 僕はこれが好きで。底に飴がけのクルミが層になってるのがいいんです。上のジャムも種類があるんですよ。今スサーナさんが食べたのは林檎かな。」
「ええと、はい。複雑な味がしますねえ。」
「よかった。これもまた持ってきます。この時期にしか出回らないんですけど、得意な菓子職人は何名か知っていて、それぞれちょっとずつ味が違うんですよ」
言いながらぱっと頬を綻ばせたレオくんにスサーナはなるほどレオくんはこういうのが好きなのか、カリカリしてるものは結構お好きな傾向があるしなんとなくわかる気がするな、と微笑ましい気持ちになる。
それぞれ一口ずつ齧って解説を貰った後はお茶を淹れ足し、二人しばし無言で菓子を齧る。
――ええと。この機会に聞いておいたほうがいいことは色々あると思うんですけど、いざ聞くとなると一体何から話し出していいものやら。
スサーナはゆっくりとそれぞれ大体半割りにした程度の量を食べ、レオくんがカリカリと音を立ててジャムクッキーを齧るのを眺めて、飲み込んでお茶を啜ったタイミングで口を開いた。
「ええと、レオくん。」
「はい?」
レオくんはお茶を飲み込み、小さく首を傾げる。
「ええと、その……「乙女探し」の件なんですけど、その後どうですか?」
スサーナは悩み、話のきざはしだからいいか、とだいぶ曖昧な物言いをした。
「ああ。」
レオくんは苦笑交じりの表情で頷く。
「最初に来たご令嬢達のうちからは、一人母のお眼鏡にかなった方がいたようです。二度目は色々予定合わせに苦労していたらしいんですけど、三日後と……あと五日後に行われるそうです。」
「三日後と五日後……」
「ええ。少し忙しないですけど、年内に今名乗り出ているご令嬢達とは一度顔を合わせようということみたいです。」
スサーナは急だな、と思いつつも、大人達の思惑としてはわかる、と納得する。多分相手が動くとすれば第一王子の立太子の前のはずだ。誘いをかけているのだろう。もしかするとアブラーン卿が乙女を用意するのを待っていたのかもしれない。
その上で立太子前を区切りにするのは不自然なので、年内の形で自然に装っているのだろうと予想はついた。急、と言ってもスサーナの立場では知らされづらいだけで、候補のお嬢さんたちにはもうしばらく前から招待状も行っているのだろうし、大人たちの間では綿密に計画されたことなのだろう。
――やっぱり、情報の手数が少ないなあ。
スサーナはそっと内心だけで嘆息する。
子供であるから仕方ないのだが、大人たちが計画していることを知る手段が少ない。せめて公的なことだけでも早めに把握する手段を確保しておきたいものだ、そう思う。
……普通にご令嬢をしている分には普通に教えてもらえる分だけで全く問題ないはずなのだが。
スサーナは表情には出さずに……イメージの中だけで盛大に頭を抱えた。
――いえ、まあ、わかっていたことではあるんですけど、あんまり手を回したりする余裕、つまり、無いんですよね。
乙女探し自体は年が明けて以降もある。それ自体は表向き立太子にもなんの関係もないのだから当然だ。しかし多分、なにかあるなら、そしてアブラーン卿が送り込む娘、つまりサラが参加するならほぼ確実に立太子より前。年明け前の二回のどちらかに違いない。
ネルさんを潜ませた教団の方でもここのところこまごまとした動きが増えているし、不穏分子は順調に大人たちの思惑に嵌ってくれそうだ。
それはいい、それはいいのだが。
つまりそれは、サラのために根回しをする時間はほとんど取れない、ということでもある。
正直あまり自国の法制度について詳しくないスサーナだが、このままサラが彼らのために何らかの働きをして、もしくは自分でも知らぬうちになにかの役目を果たした場合、最悪で共犯者、最善で悪事を企んだ貴族の身内として、ともかくアブラーン卿が何らかの法の裁きを受けるようになったとして、どれほど彼女に配慮した対応がなされるだろう。
――時間があれば、法制度を調べたり手続きをしたり……出来ることももう少し多いと思うんですけど。
スサーナはそっと反省する。やろうと思えばそれはもっと早くから着手出来ていたはずなのだ。少なくともアブラーン卿が教団に乙女に合致する娘を用意させていることはひと月前からわかっていたのだから。
――報告はフィリベルト様から回っているはずですから、そのあたりは大人の方々に任せる気でいたんですけど。
教団への心酔の度合いと共犯意識にもよるが、苛烈な処断というのはされないだろう……とは思う。だがしかし、人柄を知って事情をうっすら察せてしまう立場になるとどうにも看過はしづらい。依怙贔屓も極まったものだと自分でも思いはするのだが、なにか出来るものならしてやりたい。
そして、それはそれとして、レオくん。レオくんの方も、彼女に悪影響が出ない程度に注意喚起をしておきたい。
「スサーナさん?」
急に難しい顔で黙り込んだスサーナの表情を覗き込み、レオが訝しげな顔をする。
「ええと――ええとですね、レオくん。乙女探し、次の乙女探しについて、お父様からなにか聞いていたりします?」
「いえ、特には。もしかしてミランド公に何か言われましたか? その、僕もスサーナさんが居てくれれば心強いですが、ご無理はしなくて大丈夫ですからね。」
「いえ、そうではなく……。ええと、そのう……そういえばですね、聞きたいと思っていたんですよ。」
スサーナはふわふわと言葉を探す。何も聞いていない、となるとレオくんの囮としての価値を損ないすぎるのもいけないだろう。
「その、ええと。乙女探し、ええと、ザハルーラ妃殿下のお選びになる基準とか? 選ばれたらどうなるかとか……とか……いえ、曖昧には噂で聞いてはいましたけど、ええとそれから、レオくん的にはどうなんでしょう? そのあたりのシステムなんかを……そういえば全然知らないので……。」
スサーナはふわふわとろくろをまわす。きょとんとしていたレオくんがふにゃっと苦笑したようだった。
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