第71話 夜は短し乙女の迷惑 4
しばらくして降りてきたレミヒオの腕からは引き攣れた縫いあとは消えていた。
ああよかった、とスサーナはホッとする。
二重写しの腕はもう見えなかったので、きっとオフにしたのだろう。
その状態で普通に腕も動かせているようで――オンのときはどうも視認できるギリギリぐらい早くに二重写しの獣の腕が動く気がするので、これは超自然の腕の動かし方をしているだけで骨折由来の麻痺はどうにもなっていないのだな、とスサーナはうっすら心配だった――完全復活と言ってもいいだろう、多分。
「あっ終わりました?」
「ああ、終わったぞ」
スサーナの声に答えたのは上機嫌のクーロだ。
「いやーまさかああいう構造だとはなー、なるほどいやーやっぱり鳥の
楽しげに何やら口走っているクーロを見ながらレミヒオが嫌な顔をした。
「あのう、公表とかしたらダメですからね、論文もダメだとおもいます」
心配になったスサーナが口を挟む。
クーロが笑いながら首を振った。
「せんよ、上でボーヤにうるさく言われたしさ、それに、機能は再現出来ても複製は俺には無理だな、基底原則どうぶっちぎってるのかもわからん。俺の方は、アー、魔獣の脊髄……神経索のさ……」
「基底原則」
ふわふわとした専門的な話題がやってきそうだ、とピンときたスサーナが反射的にかぶせて口を挟む。
「ん? アー、こう、世の中を作ってる……エー、積み木の一個一個?みたいなもんでだな、
「はあ……ああー、ちょっとその説明はわかりやすい気がします」
「おっ、そうか!」
さんざん分かりづらい分かりづらいと反応されてきたクーロが喜んだ。話題をそらした自覚のあるスサーナはちょっと後ろめたい。
「わかりやすい……?」
レミヒオがいわく言い難い表情で首を傾げた。
わかる、とは言ったものの、なんとなく物理法則に即しているかどうかみたいな話かな、とスサーナが思ったのは前世からの借用概念である。
九割は前世の知識と想像で埋めているので本当にあっているのかわからないスサーナではあったが、まあ、レミヒオが嫌がりそうな公表が出来ないらしい、ということがわかれば今は十分だった。
その後少し口裏合わせの相談をして、それから村に送ってもらうことに決まった。
スサーナが時計を見るとどうやら22時過ぎぐらいで、屋敷を出たのが確か日暮れ頃だったはずなのでどうやら4,5時間しか経っていないのだと気づいたスサーナは、えっ嘘でしょという気分になる。
「時間に対して起こったことの密度が高すぎないです……?」
「どうかしましたか?」
「見てくださいレミヒオくん、まだ22時ぐらいですよ。もしかしたら宴会から皆さん帰ってない可能性まである時間帯ですよ今……」
「見て……って、何を?」
「あー、いえ……」
「ん、ああ、確かに西の剣星が空の半ばに近いか。外に出ないと正確にはわかりませんが……」
レミヒオは窓ごしの空と解釈した様子で、なんとなく深く説明するのを避けたスサーナはふにゃふにゃ笑ってごまかした。
――いけないいけない、いえ、別にいけないこともないんですけど。まあうん、時計の見方、ぜんぜん違うかもしれないですし、第一時計じゃないかもしれませんしね。
自省するスサーナを怪訝そうにクーロが眺めていた。
「お、そうだそうだ」
帰りの一角獣に乗り込む前にぽんとクーロが手を打った。
「ちょい待ち、土産だ、もってけ」
ぽいっと涙滴型のなにかを渡されたスサーナとレミヒオは渡されたものをまじまじと見た。
手のひらに握り込めるぐらいのサイズ。角か、貝めいた素材を涙滴型に形作ってあり、表面に円形の刻みが入っており、どうも押し込めるようになっているように思う。
――防犯ブザー……?
なんとなく前世で見たそれに似ている、とスサーナは思う。でなければサウンドドロップだ。
「なんです?これ」
「飾り物……にしては用途がわからないような。」
「まあ折角だ。えーとな、ヨドミハイってやつはでかい音を嫌う。アー、ただでかい音っつうか、特定の高さの音……周波……ともかく、まあ決まった音なんだが、これはそれを出せるようになってる。真ん中を押すと……あっ今押さないでくれよ、でかい音だからさ。ともかく押すとその音が鳴る。ヨドミハイは逃げる、っていう寸法だ。」
――本当に防犯ブザーだった!
「ほへえ……でも、もう島にはいない……んですよね?」
「おう、だがいつかまたこんなことが」
「第二第三の怪物がみたいに言わないでください!?」
フラグを立てるのは勘弁してほしい。こういうシメをされるとたいていサメとかは二度三度来るのだ。スサーナは全力でセリフを遮った。
「お?おう。まあ今後は備えもしとくつもりだし、島ではもう無いと思うがな、他所で見かけたら思い切り鳴らしてやるといい。いやあさっき捌いて耳石を見てたら思いついてな、ちょちょいと作ったんだが、よく考えたら俺が持ってても仕方ないだろ。それでな……」
スサーナたちはありがたく受け取った。
一角獣が村の上に差し掛かる。
板戸の隙間から光度を落としたランプの明かりがぼんやりと漏れた、夜遅くではあるものの寝静まるほどではない家々のあかり。
本当に何も起こっていないようで、スサーナはほっと息を吐いた。
村外れにおろしてもらい、手厚くお礼を言う。
「ありがとうございました、本当に助かりました!」
「……お手をわずらわせました。感謝します。」
90度の礼にクーロが苦笑する。レミヒオも流石に丁寧に会釈をして礼を言った。
「ウン、まあ大したことはしとらんがな。アー、まあまたなんかあったら来たら茶ぐらい出る。アレだ、できたなんらかの縁……めぐり合わせ……まあ、なんつうか、こう、しばらく引っ越す予定はないからな。」
「私達だけじゃなくって村の恩人ですよ。ものすごく大してますよ! 行くときにはお土産もって伺いますね!」
「お土産か、そりゃいい。甘いもんがいいな。」
クーロが少し笑い、手を振ってからまた一角獣に乗り込んでいく。
飛び去っていく不格好な影をしばらく見送って、それから黒髪の子供二人はうなずきあって代官屋敷を目指した。
戻ってみれば、やはり貴族たちは祝宴から戻れていなかった。
昼過ぎに少し休めたとはいえ、あれだけ船旅で疲弊したというのに12歳の少女がまだ戻って眠ることも出来ないのだから貴族というのも大変だ、とスサーナはそっと同情しつつ、レミヒオと一緒に割当ての部屋に向かう。
部屋のドアを開けると、どうやら湯桶の湯を汲みなおして来たらしいチータが目をぱちくりさせた。
「あらっあんた、何処行ってたんだい! まだマリアネラ様はお戻りにゃなってないけど、ちょっと気が緩みすぎ……んん? 」
そこでレミヒオがスサーナをどかして正面に立った。
非常に重々しく、作った深刻そうな口調で彼女がベルガミン卿に不適切な誘いを受けて非常なショックを受けたこと、村民の厚情でしばらく休ませてもらっていたことなどをとうとうと述べ立てる。
まあ、と表情を動かした使用人たちにレミヒオは抜け目なく、もちろんなんの不名誉もなかったことは自分が保証する、と付け足した。
スサーナは、流石にまるで暴行未遂みたいな汚名を着せたみたいな形になるのはさすがの悪いロリコン相手でもどうなんだろう、と思ったが、続いたチータの言葉に手のひらを返すことにした。
「まあ!またなのかい!」
またですって!
「まあ可哀想に、怖かったろう。本当に何もされていないんだね?」
「あっ、はい。誘われた以外のことは何も……あの、その、今、また、って」
ぐいっとスサーナの手をとったチータは転んだ位置の服に少し土の跡があるのを見て取ったらしい。眉をひそめ、本当に何事もなかったのかとレミヒオに声を掛ける。
――あ、これあらぬ勘違いしかけてるやつ。
レミヒオは自分がついていたので、とうなずき、チータはどうやら服に乱れがないことも確認して、それからスサーナの手を離した。
「よかったねえあんた、あの方ねえ……たまにそういう不品行の噂があってねぇ、下の小間使いだの皿洗い娘だの、あすこのお屋敷じゃ辞めてく娘が多くって。大体そうなんじゃないかってね」
どうもね幾ばくか握らされてもみ消されちまってるみたいなんだけどさ、と言ったチータにスサーナはうわあ、声を掛けられたのが人のいる場所で本当に良かった!!と思いを新たにした。
……不品行のやり方がどういうアレなのかはわからないし、まあ今回に限っては冤罪スレスレの予想ではあるけれど、とりあえず前科があるのだから偏見の目で自分が見たところで仕方あるまい。
もしそんな事になっていたら家族がどれだけ烈火のごとく怒り狂ったか、ちょっと想像したくもないほどである。叔父さんなんかうっかり貴族制の打倒とかに走りかねない気すらする。
スサーナが「民衆を導く自由の叔父さん」の絵を連想したりしていいるうちに、チータはグイグイと中にレミヒオを引っ張っていった。
「よくかばってくれたねえアンタ! セルカ伯のところの……」
「レミヒオです」
「あっためたビスケットがあるから食べておいき! 遠慮は要らないよ!」
「いえ、僕は……」
寡黙な使用人が黙ってミルク壺を持ち出してテーブルに置く。
有無を言わさず座らされているレミヒオを見ながらスサーナはあっ、と思い至った。
――あー、レミヒオくん、なんていうかこれ、追い落としというか評判落としというか、なんか使う気で来たんですね、これ?
ただの長時間出掛けていた理由をごまかすにしてはちょっときな臭いというかなんというか。起こった発端は嘘ではないけれど、明らかに大事にイメージさせるやり方をしているし、やろうとおもえば道に迷ったとかもっと穏便なごまかし方もある。
つまり、闇取引云々の付記事項として総合的に糾弾事項を増やしている、と見てよかろう。セルカ伯に決意させるための材料だ。
元々悪い噂がある人物が、貴族のお茶会に呼ばれるぐらいにはまあ中流以上――スサーナとしてはそこそこ高いとは思うけれど、実家の品格というものはよくわからない――の家の子女に、実際に及んでいないにしても良くないことを仕掛けた、もしくは仕掛けようとした、というのは、流石に革命を起こされるオチはないにせよ、いろいろな相手に迷惑のかかるたぐいの大事になる可能性をはらんでいるわけで。
可能性があるだけで貴族社会でも失点扱いされるに足る、十分評判を落とす行為である気がする。お金でもみ消したという下級の小間使いとは違うのだ。
さらに未成年相手で1飜、相手が求婚している相手の使用人、というので1飜……ぐらいにはなるだろう、多分。
――イヤな感じの地盤固めをしているなあ……。
スサーナは半眼になり、ついでに冤罪スレスレの悪事で酷い目に遭うのだろうベルガミン卿にほんのミクロン単位だけ同情し、ついで、うまく行けばいいなあ、と祈った。
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