第72話 夜は短し乙女の迷惑 5

 レミヒオが出されたものを食べ終わり、チータが席を外したタイミングでスサーナはそっとレミヒオの側に寄り、声を掛けた。


「レミヒオくん、あの、私の勘違いじゃなかったらですけど、多分このこと、使うつもりでいらしてますよね?」

「……はい。スサーナさんはご不快でしょうが、もちろん不名誉がなかったことはちゃんと」

「あ、いえいえ、そういうのはまあいいんですけど! 先にお話してくださっていれば口裏とか合わせられるじゃないですか。ですので、こう、えーと。なんというか、することを話しておいてくださればいろいろと合わせられますので!」


 スサーナは提案した。証言に食い違いが出るとかそういう危険性は減らしておいたほうが良かろうと思うのだ。

 レミヒオくんは少し言葉が足りない、とスサーナはなんとはなしに感じていた。ちょっとひとり決めして一人で動こうとする感じがあるような気がする。まあ、13歳の男の子としては破格に気遣いがあり、破格に気も回せている、百点満点で二千点みたいな感じなのだけれど。


 ……他の女の子のそういう話を打撃ポイントとして使うなら、スサーナはもう少しつついただろう。

 彼女は考える。悪い噂はまず広めたい相手だけに広まるとも限らない。いろんな勘ぐりの目に晒される可能性が高いのだ。それが実際に起っていない、と証言したのが当事者と仲がいいとか、当事者の関係者ならそれこそだし、立場がそう強くない使用人ならときにちょっとしたノイズ扱いぐらいのこともあるだろう。当事者たちの話に食い違いがあれば、想像の隙間にいろいろ差し込むことだって出来る。そのあたり、彼はちょっと考えが甘そうだ。まあ、この年頃の子供がそのあたりの機微に異様に通じているのもどうなのか、という気がするけれど。

 ――まあ、私は別に背負う家名もないですし。広まったところで私の汚名程度でどうにかなるお店だとは思いませんし。結婚とかする予定もつもりもないからいいんですけどね!

 とまあ、自分のことは別にいいのだが、今後何をするつもりなのかは聞いておいたほうが絶対いいだろう、とスサーナは判断した。なにせ、相手はマリアネラに求婚してもいるのだし、どう波及するのかしれたものではない。


「……じゃあ、後で、ざっと。」

「はいはい。えっと、マリアネラ様たちが戻ってきて、眠られたら、えーっとそっちに伺ったらいいですか?」

「いえ、こちらから行きます。少し遅くなるかもしれませんが。」

「あ、じゃあ使用人の寝室の方の窓を叩いてもらうのがいいんでしょうか、私一番窓際なので。」

「……わかりました、じゃあ、それで。」



 それから30分ランプ時計一目盛りほどしてマリアネラたちが疲れ切った顔で戻ってきた。

 スサーナはチータと一緒にマリアネラの着替えを手伝い、手足を拭き、ついでに肩を揉んでみたところ気持ちが良かったらしくしばらく離してもらえなかったりもした。


「お疲れ様です……」

「わたくしはほとんどただ聞いていただけですけど……領地管理って大変なのね、畑の管理の上申に、普請の要求……お父様もこんなに大変なのかしら……。ああ、山狩りと罠の発注の許可もいそいで出さないといけないらしいのですわ、大きな獣がいるって……。わたくし、みんな領地管理人に任せてしまっていいのかしら、山狩りの人員は伯父様が見てくださると聞きましたけど……」

「大人になるまではそれでいいのではないでしょうか……。えっと、まずはどうやるのかを覚えないと、どうしていいのかもわからない気がしますし……」

「そうですわよね……ねえ、知っていて? お野菜にもいろいろあるんですって……」

「はあ」

「今年は少し気温が高いから作るものを変えたいって言うのですわ……でも、そんな事言われても……領地管理人にはわかるのかしら……」

「えーっと、わかる人にお願いするんじゃないでしょうか、野菜に詳しい人を頼んで……」


 よほど疲れたのだろう、肩を揉まれながら宴席で聞いたらしい貴族の華やかな宴とは対極にありそうな話を垂れ流す機構になったマリアネラに相槌を打ちながら、

 ――山狩りと罠はいらなくなったと思いますけどね……。セルカ伯の方には伝わるだろうから結果オーライかな。今教えてあげられなくて申し訳ないですけど、でも教えなくて正解な感じですね、まずはハプニング抜きの基礎からですよね多分こういうのって……

 スサーナはちょっと遠い目になった。


 しかし話を聞くだに結構仕事が多い。しかも泥臭い。なるほど領地の直接管理というのは手間がかかるものらしい。下級貴族というのも大変なのだなあ、とスサーナは恐れ入る。


 ……とはいえ、到着祝いの宴席でするような話でもない気がする。普通は代々の家令や代官あたりを通してまとめて管理する案件だろうので、基盤のしっかりしていない土地の顔見せに付いていかざるをえなかったマリアネラと貴族の直接支配に慣れない村の上層部がガチで農協めいた要望を直接に上げたことによる合体事故という気もスサーナの前世知識からすれば少しした。

 つまり、お偉いさんに慣れていない、というやつだ。

 管理する貴族がいなければいないで規定の税だけ収めてあとは自由農のようにやる、というのがこれまでのやり方だったろうから、双方に同情を覚える案件であった。


 スサーナは同情とねぎらいを込めてマリアネラの肩をよく揉み込み、船を漕ぎだした彼女にガウンを着せるのを手伝うと、寝室の支度を終えたチータにしっかりと引き渡した。


 明日の準備だの後の始末だのをして、使用人に割り当てられた寝室に入ったのが日付の変わる少し前。使用人部屋に置いてある寝台ではなくちゃんと部屋が男女それぞれに用意してあった。二人部屋でチータと同室ではあるけれど、チータはマリアネラの部屋で寝るようだったので一人きりだ。

 気遣いがなくていいけど、うっかり眠ってしまいそう、などと思いつつ、一応寝台に潜り込んで合図を待ち――


 ――コン! コン!


 窓の木戸になにか当たる音を聞いて、飛び起きて時間を確認したのが、どうやら一時頃。

 急いで靴を履き、上着を着て虫除けをつけ。窓を開け、木戸を開けて、スサーナはそっとベランダに滑り出した。

 外にはレミヒオが待っている。お仕着せではないものの、それなりにキッチリしたチュニックに袖のない上着。

 これは外で話そうということだな、とスサーナは判断し、そのまま庭に降りた。


「お待たせしちゃいましたか?」

「いえ、全然」


 レミヒオは首を振って、庭の奥の方を示す。

 どうやら庭の奥にちょっと歩けるような小道がしつらえてあるようで、なるほど人に聞かれたくない話にはちょうどいいように思われた。


 星空の下にぼんやりと浮き上がるクチナシの白。所々に植えられたダリアの茂み。散らばるように咲くひなげしの赤。釣鐘型の花を咲かせる桃色のエリカ、低い夜の鳥の声。


 普通のときならばちょっとした逢瀬に使われるだろう小道は、所々に石のベンチなどもあり、なかなかロマンチックな雰囲気だ。

 年頃の乙女なら時ならず胸をときめかせてもおかしくないぐらい……ではあるのだが、スサーナはそんなことよりも話の内容が気になるのが半分、薄手のズボンを履いてきた――女性が身につけるには特に幼い頃でなければ珍しいが、スサーナはちゃんとした外出でないときは時折履く――ので、蚊に刺されず済みそうでよかった、という思考で半分である。


 少し歩き、奥まったベンチに二人で落ち着いた。


「ここらへんでいいでしょうか?」

「ええ。では……まず、今後どうするか、という話からですが」


 レミヒオが背筋を伸ばして話し出す。

 戻ってからセルカ伯には報告を済ませた、ということ。

 その内容はベルガミン卿が術式付与品の闇取引をしていること、相手に貴族もいるようだ、ということ。島へ人を呼んで取引する以外に島の外に物品を持ち出している様子だ、ということ。

 同時に、ベルガミン卿がマリアネラが島で雇った娘、つまりスサーナに迂闊な真似をしようとした、ということ。元々その手の悪い噂の多い人物なので概要で納得されたが、チータたちに説明した内容と同じことを説明したこと。


 そこまで聞いてスサーナは少し首を傾げた。


「結界周りの話はされないんですか? 魔獣に対する防御がなくなるのも魔術師の不興を買った、っていうのも結構な問題だと思うんですけど」

「闇取引の従としてはしました。ただ、事態は解消していますし、魔術師については島の外の出身の者にとってはあまり……実感がないんです。」

「そ、そういうものなんですか!?」

「ええ。ただ、魔術師が現れて一連のことを伝えた、という風に言いはしてありますから、把握はしていただいたはずです。」


 言いながらレミヒオは考える。セルカ伯も説明されても困る、というものだろうな、と。

 魔術師が現れて事態を説明していった、というふうにセルカ伯には伝えてあるが、魔術師、と言われてまず本物かどうか、という思考が出る本土の人間であるし、島の外の人間ならば結界というのもあれば便利だが無くとも対処は可能なのでは、ぐらいの感覚でしか無い。


 なにより、結界の消滅とやらの原因を魔術師はベルガミン卿の所業だと言ったが、大本の原因はクリスティアン領主候補弟と、それに従う貴族の方針だ。

 セルカ伯は穏健派で、あまり良い感情を抱いていないようだが、それでも術式付与品の再装填を勝手にやめることは出来なかろう。彼もクリスティアンに従う貴族だ、それは背信行為になる。

 ベルガミン卿が使い込んでいるぶんがどうも相当量の気配がするので、減ることで安定するだろう、という程度の希望的観測を持って当たるのがせいぜいのところだ。

 内心はおくびにも出さずに話を続ける。


「ですから、攻め手は闇取引と不品行、ということになります。闇取引の証拠はセルカ伯が明日の日中に数人、従者を使って調べさせると。」

「ほへえ……ってことはそういう事ができる人が従者さんの中にいらっしゃるんですね!すごい!」

「証言集めぐらいなら少し目端が利けば誰でも出来ると思いますよ」


 レミヒオは無邪気に目を輝かせるスサーナの感心をなんとはなしに折りつつ言葉を続けた。


「それで、少し長期にわたって調べるのが不品行、ということになると思います。」

「ほへえ……えーとそれは口裏合わせとかしておいたほうがいいやつです?それとも余罪が、ってことでしょうか」

「余罪ですね。流石にこの島でのことだけだと、あまり……人目に触れた話ではないですから。」


関係者総数の少ない、ある意味では身内だけに近い、辺境の島で起こった不品行である。結果的に大事になったわけでも――多分しないだろう――ない。言い方は悪いが多少インパクトに欠けるのだ。十分まずい相手とまずい話ではあり、それだけでも問題視しうる話ではあるのだが、折角なら派手な失点を足せればなお良い。


 スサーナがレミヒオの言うのを聞くと、どうもこの不品行の追求というのは、ベルガミン卿の貴族社会での評判を落とす、ということで必要なのだという。わあなんか生臭い、と思ったスサーナだったが、闇取引には当然相手が存在するので庇われては堪らない、ということらしい。つまり、味方しそうな貴族に穏当にベルガミン卿を見捨てさせる手段というわけだ。世間体というのはなんだかときに貴族社会でやたらな力を持つものらしい。わあ生臭い!!とやっぱりスサーナは思った。


「ですから、本島に戻った後で、彼が他に行ったそういう話を調べる……ということになると思います。直接スサーナさんはこれには関わりないことだと思ってくれて問題ないです。」


 レミヒオはそう説明しつつ、内心それだけではないけれど、と思考した。

 理由の殆どはそのとおり、ただ、彼がそのような立場でそういうをしてしまう愚か者だということを派閥の貴族たちに周知するためのものだ。

 たとえば、島の有力な商人の娘に不埒なことをしようとする、とか、内々にもみ消せないような行為。派閥の外に出さなくてはならなくなる行為。

 そうすれば早晩誰かが彼がいないほうがいい、と考えることだろう。


「やはりちょっとやそっとではなかなか俎上に上げづらいですから、なにかパーティーの席上なんかでのが見つかってくれれば楽なんですが」

「あの、レミヒオくん」

「はい?」

「まさかとは思いますけどマリアネラ様とかに協力を頼んだりしたら絶対ダメですからね」


 スサーナは眉をいからせてめっと指を上げる。

 レミヒオは苦笑した。ただの証拠集めで済まなければもちろん一歩踏み込んだこともやるだろう。彼が、というよりセルカ伯、もしくは島から戻った後でこの件を問題視した他の誰かが。

 実を言うとそこが一番手っ取り早い。彼女はベルガミン卿にとっては皿の上の丸焼き鶏のようなものだ。自分のしたことが明るみになると感づく前に眼の前に食べやすいように置けば必ずかぶりついてくれるだろう。

 流石にそれなりに姪を愛しているらしいセルカ伯が囮に使うのを認めるかどうか、というのが問題だが。


 言葉を返しかけ、それから一拍、すっと黙ったレミヒオが首を上げ面倒そうな顔でふっと立ち上がる。


「……すこし面倒になりそうです、場所を変えませんか。」


 スサーナは話をそらされるのでは、という危惧で反射的にレミヒオを捕まえた。


「あっちょっと、返事がないってことはちょっと考えてましたね? 駄目ですよ、絶対――」


 スサーナは身を乗り出してレミヒオをねめつけ、釘を差そうとして――


 がさり、と来し方の茂みが音を立てた。レミヒオがいわく言い難い表情をする。


「レミ? そこにいますの?」


 まさかヨドミハイ、と固まったスサーナはきょとんとした表情で立っている夜着姿のレティシアとばっちり目があった。


 ――あ、これ、明らかにいわゆる。


 スサーナは自分が雇われてここにやってきたその発端、今の今まで非日常に飲まれてすっかり忘れ去っていた面倒くさい理由をこの瞬間克明に思い出していた。

 走馬灯、ともいうかもしれない。


「こっ、これは……」



「どういうことですの!!」

「アカンやつ……!」



 レミヒオがそっと天を仰いだ。

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