第70話 夜は短し乙女の迷惑 3

 起点地の蓋を閉めたクーロが肩を回し回し、懐から引っ張り出した動物の人形が目の前で特大の牛ぐらいのサイズになったので、スサーナはおおっと感心した。


「わ、なんです、これ……!?」

「移動手段? アレだ、徒歩だとさすがにちと遠い。これなら五分でたどり着く。」

「ほへぇ……なんの動物なんでしょうこれ。」


 見たことのないデザインの像だ。スリムでシャープなカバ、というか、科学雑誌に載っているカバの祖先E.ロコネンシスの額にずんぐりしたらせん角をつけたような動物を模しているように見える。


「一角獣だよ。魔獣だから島にはおらんからな。」

「えっ」


 ショックを受けた表情のスサーナにクーロと、レミヒオまでが首を傾げた。


「どうしました?」

「いえ……一角獣ってもっと格好いいというか……可愛いイメージがあったので……」

「……一角獣がですか?」


 どうやらそう呼ばれる生き物のスタンダードはこの姿らしい、と察してスサーナはしょんぼりした。彫像でもわかるぐらいとても目付きが悪い。角のついた可愛い馬もどこかにいたらいいな、とそっと願う。


「さあとりあえず乗った乗った。飛ぶからなー、上は引力圏……アー、安定域……こう、落ちないようにはなってるが、念の為綱は握っとけよ」


 クーロがそこらへんの魔獣の死骸を漁って、なにかお眼鏡に適ったらしいものを像の後ろに結び、ぶら下げる。


「乗るんですか、これに」

「乗らんと朝までに着かねえぞ。アップダウン激しいし、谷川あるし。」


 レミヒオがちからいっぱい眉をしかめた後に、渋々という様子で一角獣像の背の上に上がる。

 その後ろにスサーナが座り、最後にクーロが一番前に跨って一角獣は音もなくふわりと地上を離れた。


 道中では特に特筆すべき事はなかったが、スサーナはレミヒオくんがどうも高いところがあまり得意ではなさそうなのは秘密にしておこう、とそうそっと心に刻んだのだった。




 たどり着いた塔は地面に垂直に立てた巻き貝によく似ていた。


 4階から5階建てぐらいの、あまり高くない塔。

 現代日本でいう、地方の駅前のちいさな雑居ビルぐらいの規模だ。


「あまり塔という風には見えませんね」


 レミヒオが漏らした感想にスサーナは同意していいのかどうなのか少し悩む。

 あまり高層建築なのだと言う感じはしないが、外観は普段見る建物とはだいぶ違う。

 螺旋状に上に向かって細くなる、垂直に立てた巻き貝か、歪んだウェディングケーキめいた形。くすんだ灰色と白の間の色で、やはり貝殻質のような建材の雰囲気。

 外国の出身らしいレミヒオの国にはよくある形なのだろうか。スサーナの概念上のファンタジーよくわからない塔概念にはむしろ近い気がする。


「まあ、塔という単語から連想するほど高くはないような……でもすごく変わってる建物ですよ」


「あー、まあ、俺ぐらいのやつだとこんなもんだ。つうか、一階建てでも魔術師が住んでりゃ塔だしな。エー、まあ、概念の転倒っつうか……そういうもんになってる。 まあいいや、早く入れ入れ、中は普通だから。アー、茶ぐらい飲ませてやる」



 急かされて入った塔の一階は本当に普通だった。


 入ってすぐにはホール……というより家具を置かずにほっぽらかしたような空間が広がっており、奥には仕切り無しの台所。流しと炉と、低めのテーブルとベンチが一脚。暖炉が一つと、乱雑に食器の積まれた食器棚。なぜかベンチの上に毛布が一枚。

 天井に梁が数本渡してあり、そこに逆さにして吊るした干しハーブやら玉ねぎやらサラミやらがぶらさがっている。


 違和感がある――とはいえ現代人の記憶があるスサーナにはむしろ違和感がない――のは、壁にどう見ても機械時計らしいものがかかっているぐらい。

 だいたい田舎の農家の台所、という風情で、壁材は石と漆喰に見えるし梁は木材に見える。壁際に螺旋状の階段があり、それで上の階へ上がる点が塔らしいぐらいだ。


「ほんとうだ……普通のお家みたいな……」


 スサーナがきょろきょろとそこらを見渡していると、クーロはベンチの上の毛布をどかし、雑に払って足元の箱から瓶を引っ張り出し、グラスに雑に注いでテーブルに置き、二人に勧め、それから毛布を抱えて階上に上がっていった。


 スサーナはありがたくいただくことにする。

 持ち上げたグラスがひやりと冷たく、中のお茶がよく冷えているので、ああ普通のお宅に見えてもやはり魔術師の住処なのだなあ、と認識を新たにした。

 スサーナが迷わずお茶を飲んだことに対してなんとなく言いたいことがありそうだったレミヒオも、諦めたようにお茶を含み、すこし吟味した後でごくごく飲み干す。

 よく考えればずっと走り回ったりしていたのだ。喉が渇いていて当然だった。


 飲み干して一息ついたところで、さて、とレミヒオが声を立てる。


「手当をしてもらうのはいいとして、スサーナさん、この後はどうされます?」

「どうっていいますと……」

「そうですね、戻った後にどのぐらい報告するか、とか。」


 スサーナは一瞬ん?と考えかけ、それから納得する。何もかも正直に報告するという選択肢はまずない。


 ヨドミハイに襲われた後で助かった理由は門外不出の魔法だし、レミヒオがそれを使えるとわかってしまえば、きっと使う側の人はそんな事を気にせず便利に使おうとするだろう。セルカ伯がどんなにいい人だったとしても、漂泊民の信仰みたいなものにそこまで気を使うとも思えない。


 それに、結界が消滅したとか、それがベルガミン卿の闇取引の余波だとか、ちょっと公表していいものなのかどうなのか。話すにしても相手とタイミングを考えるべきかもしれない。雇い主であるマリアネラに話してセルカ伯と判断してもらう、というのが貴族に仕える使用人としては正しい動きだとは思うが――無いとは思うが、いきなりベルガミン卿を糾弾に行ったりしたらシャレにならない気がする。報告先の主体はセルカ伯にしたほうが良さそうだな、とスサーナも判断した。


「……少なくともマリアネラ様に全部話すようなことじゃないですよね。魔法のことは全部黙るとして……うーん……とりあえず私はえーっと……ベルガミン卿に閨に誘われたので全力で逃げたら……うーん、魔獣がいたっていうのは言うべきでしょうか? 言わないならそれで道に迷った、ということに――」

「は?」


 地を這うような低音のは?にスサーナは首を傾げた。


「……なにかまずいでしょうか?」

「いや、閨ですって?」

「あれ、言ってませんでしたっけ」

「ええ、初耳です。」

「ああー、私の方の発端はそんな感じだったんですよ。こう、村で声を掛けられて。後を付いてきたらやだなと思って遠回りしてたら、さっきお話したとおり鳴き声がして」

「ああ――成程成程。それで。」


 もう一度成程、と言って黙って少しなにか考えたらしいレミヒオは、少ししてまた口を開いた。


「……申し訳ないですが、そうしておいてください。そうですね、怖くなって村の家で匿ってもらっていた、とか――そういう形で。」

「あ、はい、わかりました。もろもろのこと、一応マリアネラ様にも報告しないといけない事項という気はするんですけど、ちょっとどう動かれるかわからないので怖いですよね。」

「後はこちらにお任せしてくれれば。……ああ、その、誇りが傷ついていないというようなことはこちらで証言できるように持っていきます。」


 そこへ降りてきたクーロが半眼で口を挟む。


「なんかきな臭い話をしてるなあ、おい。」

「クーロさん」

「穏便な話ですよ。……ああ、すみませんが、必要があるかはわからないが、そちらも口裏を合わせてもらえると助かるんですが。少し時間はかかるかもしれませんが、ベルガミン卿はこちらで密売に関われないように処置します。」

「まあ、そりゃ願ったりだが。俺らは派閥とかそういうのに肩入れするようなふうに思われるのはナシってことになってるからさ、そっち自身でなんとかしてもらえりゃ楽だし。」

「派閥……が、関係ある話なんです?」

「んー、こう、名ばかり名誉職みたいなもんだが、なんかこう御大層な名前だけはあるもんでややっこしいのよ俺ら魔術師。アー、つまり、貴族様たちがやることにはノータッチが基本ってことだな。こう、エー、なんか口を出すとさ……誰かに味方したからそっちの頭数だとか、誰かと仲が悪いからじゃあうちの味方だみたいなことになってさ……めちゃくちゃ面倒くさい。」

「ああー……?」


 魔術師同士の決めごとで大事になるようなことをされたんだから苦情を言えばいいのに、とスサーナは不思議に思う。自分のところへ相手が迷惑をかけたのを通知するようなことまでそんな事が起こるんだろうか。しかも民衆感情とかではなくて政治をそれなりにしている貴族が。

 スサーナはとりあえずそういうものかと納得したが、いまいちわかるようなわからないような気がした。


 諸島で生まれ育った娘は、他国……いや、諸島の外では魔術師は王の盟友として国の重鎮に一人いるかどうか、居れば小国でも国家間の発言力がぐんと上がる、だとか、災厄の親として魔術師という単語を言った後ですら魔除けの仕草をする場所がある、だとか、いっそ迷信として実在さえ疑われている場所もある、だとか、王よりも上位とみなされる国もある、だとか、……というような彼らにまつわるややこしい実情を知らない。





「まあいいや。治療すんぞー。ほれ、お嬢ちゃんはこっちだ。どっか折れてること無いな? これタライな、水は好きに使ってくれればいいからな、泥やなんかを落としてからこの軟膏を塗ればいい。終わったら流し台の横に置いといてくれ」


 言いながら渡されたタライとタオルと軟膏をスサーナはお礼を言って受け取った。


「んで、ボーヤはこっち。上行ってくれ。嬢ちゃんちょっと時間かかるだろうから待ってる間なんか食ってていいぞ。えーとラスクが棚に……おっあったこれこれ。こっちがお茶おかわり。エー、便所は右奥。それじゃ、ちょっと待っててくれな。」


 手招きするクーロに従ってレミヒオが右腕を撫でながら立ち上がる。

 表情が固く不機嫌そうなのはまだクーロをさほど信用していないのか、それとも施術が怖いのか。


「大丈夫ですよレミヒオくん、きっとそんなに痛くないですよ、普通の針で木綿糸を縫うのも我慢したんですから、きっとあれより全然楽です」


 とりあえず激励したスサーナに、レミヒオは複雑そうな顔をして、はあ、と言った。



 階上へ上がっていく二人を見送った後で、スサーナは擦り傷を洗いにかかる。


 流しは諸島の田舎によくあるデザインに見えて、その実蛇口をひねるだけで水が出る水道方式であり、さらにお湯まで出ることに気づいたスサーナは実に快適に傷を洗った。

 ――いいなあ、やっぱり魔術師さんたちすごく便利な生活してません? これがあれば好きなだけお風呂に入り放題。

 しかもよく見てもどうにも水道管の接続がない様子を見れば、明らかに前世の水回りよりも利便性が高い。多分、たとえばこの流しをミニバンに放り込んで無人島に向かったとしても、そこで温かいお湯が使い放題になる代物。オーバーテクノロジーだ。


 水を拭いたタオルも異様に吸水がいい。

 極めつけに、ベンチに座って擦り傷に軟膏を塗ると、傷の外周からすうっと傷が縮んで消えるのだ。

 後には傷跡どころか赤みすら、傷があった形跡はなにも残らない。

かさぶたになっていた手のひらの切り傷もすうっと浅くなり、最後には周りの皮ごと新しくなって跡形もなく消え去った。


 ――QoL、QoLが高い……っ!!

 スサーナは心底羨ましかった。

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