第314話 ネル、行き遭う。

 森に抱かれた位置故だろうか、中庭には後から後から濃い霧が屋根越しに吹き込み、とろりと溜まるようだった。

 明け方の空には厚い雲が重苦しく垂れ込める気配がして、冬霧に覆われた中庭は翳り、灰色の水気を滲ませている。

 とはいえ陽光に愛された国土にある屋敷の中庭であるはずなのに、灌木が厚く茂るそこは日があったとしても薄暗く陰気だろう。

 くすんだ敷石で中庭に下りる階段側だけが形ばかり覆われたそこは、ネルの目には手入れせぬ藪を中庭の形で切り取っているようにも見える。


 それなりに広いことに加えて木々が茂っており、視界を遮る霧までが漂っているそのためか、そこに降りていったはずの若い貴族の姿は入り口からは判然としない。

 ネルは気配を探りながらゆっくりと中庭に踏み入った。


 冬でも葉を落とさない白樫に、冬枯れの木立を覆うクレマチスの蔓。歪んだ形のオリーブの古木。

 内側に踏み込んで見れば、この時期手入れのない山林ならばあるはずの、歩行を妨げる冬枯れて落ちた枝などは取り除かれているようで、どうやら妙に生い茂り視線を通さない木々は意図してそう保たれたものだろうとネルは目を細める。

 気配はどうやら中庭の半ば、幾重かに枝葉が重なり合ったその先で遮断されていたが、すぐ前にそこを誰かが歩いていった、というしるしは濃霧に濡れた踏石にも湿る下草にも残されていたので後を追うこと自体はさほど苦ではなかった。


 土を被らぬ敷石と残る踏み分け跡からすれば、曲がりくねって作られたそぞろ歩き用の小道に沿って相手は進んでいるようだ。

 ――遮蔽の範囲はこの中庭の内側か……?

 外の畑で見かけた人食い草でも隠してあるのか、と警戒しながら歩を進めかけ、少し先に立ち止まる人影をみとめてネルははっと気配を殺し直した。


 木の陰に入って覗き込んだ先、霧に曖昧にされながらも木々の間に見えるのはネルが追ってきた若い貴族とあと一人。毛織の苔緑色モスグリーンのだらりとした服を着て垂れ布付きの帽子を深く被った男のように見えた。

 雨除けにしか使えないようなサイズの小規模なガゼボがどうやらその奥にあり、その手前に立って彼らは言葉をかわしているようであったが、音が遮られる仕掛けの内側でのこと、鳥の民のちからであっても耳に声が届く様子はなかった。

 唇を読もうにもあまり良い角度ではない。

 ――なんとかもう少し近づくべきか。

 たぶん今の位置は遮蔽のギリギリ境界だろう。唇を見るために視界の範囲を変えるにも向こう側に踏み入る位置だ。苛烈な指導者達に詰め込まれたセオリーとやらからすれば、その手の仕掛けのもっとも単純な形のもの、つまり常民の貴族たちが手を伸ばせる範囲の道具は外側と内側を分けるだけで、内部空間に入ってしまえば音が遮られることはない。この屋敷の外周に仕掛けられたものはそれで、となれば同じものと判断するのが適当だろう。多少魔術師の手がかかっていようとも対価を取ってやり取りされるものの範疇ではその程度がせいぜい。となれば声が聞ける利点がありつつも、気づかれる可能性も上がる。

 間の悪いことに、と言うべきか、ここを設えた誰かの巧みさと言うべきか、小道以外のルート取りをするなら絶対に、踏めばカシャカシャと割れ崩れる類の硬質な枯れ葉が一杯に散り敷いた場所を歩むしか無い。

 ネルは彼らの会話を聞くことと気づかれずに後を追うより堅実なやり方を天秤に載せ、短く思案し、彼らの様子をうかがうことにする。


 彼らがそこで会話していたのはほんの短い間のようだった。

 言葉をかわし終わったらしく、ふっと姿勢を直し、若い貴族らしい男が苔緑色の服の男に深々と一礼する。

 ネルは妙な違和感に眉をしかめた。

 こんな場所にいる癖に王都の真ん中で過ごしてでも居るような盛装で、高慢さを動きの一つ一つにも漂わせる男。だというのに何故身分を示す印一つ帯びぬ相手に敬意を示すのか。それにそのくせ、それは貴族の側に仕え、彼らの態度につく色にある程度慣れたネルからすれば心が籠もらぬもいいところの動き。

 ――どういう関係だ? 相手が上、とはお世辞にも思ってねえだろうに、妙にまともにへりくだる……協力者の大商人、とかか?


 それぞれを見比べようと視線を動かしたその時、二人並んで立つのが限界というぐらいの狭いガゼボの中に踏み込んだ苔緑色の服の男がふっと消えた。

 身をこわばらせ注視すると、消えたと思ったのは視界を遮る霧の為せる技で、どうやらガゼボの床に開き口があり、そこに進んでいったらしい。貴族らしい格好の男が身をかがめ、ぽっかりと床に開いた降り口から段を確かめながら階段を降りていくのがネルの位置からでもなんとか把握できた。


 先程はガゼボの床面は石造りの床だったようなので、彼らが会話をしたあとのいずれかのタイミングで開いたものなのは間違いないのだが、二人が下に降りていった後も下へ続く入り口が閉まる様子はない。


 ネルはしばらく息を潜め、それから腹を決める。

 どうやらその下はさらに音や気配が遮断されていると気づいたのだ。

 ――誘われている……わけじゃねえはずだ。危ういが、見られれば意味がある場所には違いない……

 三重に魔術の探りと音と目を封じた場所に意味がないはずもない。

 ただただ厳重にそれがなされていること、三重の円の内側にあること。どちらも見逃すことはし難い要素だ。

 正式な調査とやらがなされる際に調べさせる手もあろうが、警戒させてしまった後では証拠が隠されるかもしれぬ。


 姿勢を低く保っていた木陰から静かに立ち上がり、ガゼボの床に開いた入り口に最大の警戒を向けながら歩みを進める。


「やめておくといい」


 声がかかったのはガゼボをほんの目前にした位置でのことだった。

 飛び退り、そちらに体を向ける。


 先程まで誰も居なかったはずの場所だ。


 なんの気配も感づかせずにそこに佇んでいたのは背の高い男だった。

 地の織りで掠れたような格子文様を出す灰茶の毛織の服は上等に見えたが、どの階級でも身につけられる類のものだ。だが、その上に羽織り重ねたクロークはむらのない鮮やかな紺青一色で染められている。それは王侯に仕える仕立て屋でも手の届かぬ技術で作り出された色彩だ。

 武器のたぐいは見えず、装飾品らしいものは耳飾りと左手首に数本重ねて巻いた輝石素材らしいチェーンブレスレット程度。

 ねじって結び、紐を絡めた形の長い髪は――白泥の色を思わせる、白灰の奥に砂色が滲んだような色彩に、霧の中でも内から光が落ちるようなちらつく鈍い光沢が浮いている。


 ――魔術師!

 肌刺繍に意識を向け、隠密のためのかたちから戦いのためのそれへ意識を切り替えようとしたネルを見て相手はうっそりと目を細めてみせる。


「……その下はそれなりに精度の高い結界が張られていてね。部外者が踏み込めば伝わるようになっている。……まさか、烏が忍び込んでくるとは思わなかったが、そうであっても消耗を避けられない程度の効果と備えはある。ここで暴れられると面倒だ。ここは退いてもらえないだろうか? 君も喰らわれて死にたくはあるまい。」


 そう言った魔術師にネルは一秒に満たない時間考え、小さく舌打ちする。


「面白い申し出だな。無事に返してくださるってか?」

「このまま引き下がってくれるのなら。これは烏の売り物にするにはいささか荷が重い場所だ」


 その言葉に伴って小さく開いてみせた腕でちゃりっとチェーンブレスレットが揺れた。


「それはそれはご親切なことで。有り難くて涙が出るようだぜ」


 ネルは強いて笑ってみせる。相手が口にした言葉を守るとは思えない。守ることになんの利点もなく、あまりにたやすく覆せる。優位と考えた上で嬲っているのだろう。

 今の言葉がもし宣誓として扱われるものであるとしてすら、体を無事に返す約束を結んだ上で遅延性の魔術で心を壊すことは魔術師たちとの戦争でよく取られた手だという。

 なにより、その指先が描いているのは拘束魔術の為の魔術式ではないか。


 意識を刹那ガゼボの下り口に強く向ける。

 全身のバネを使うようにそちらへ一歩。だがそれは陽動の一歩だ。はっとした様子で踏み出してきた相手に向けて体を捻り、低い位置から内懐へ。


 一瞬遅れつつも案外に機敏な動きで相手が距離を取り、構築されかかっていた術式が解除され瞬時に組み直される。ぎぃんと弦楽器の音によく似た音が響き、小さな盾状の障壁がナイフを受け止めた。

 大粒の泡に似た反撃の魔術式を躱し、また距離を取って飛び退きながら、片手に手挟んだ数本のナイフでの第二陣。

 身を翻して魔術を躱し、首にマフラー代わりに巻いたボロ布の端がそれに触れて見る間に脆けるのを確認する。そちらは着弾の際にしゃらしゃらと氷の欠片を触れ合わせるような音を鳴らし、弦楽器じみた反応音と合わさるとまるで呑気に楽器を奏でているようだ、と場違いな感想をネルは抱いた。


 生み出されるのが小さな障壁であること、ナイフを受け止める刹那にのみそれが現れることとあやういバランスを保ったタイミングを確認しながら彼は肉食獣めいた笑みをじわりと深める。幾度目かに刃を投擲する最中、急所を狙って投げるそれとはわずかにタイミングをずらし、錐状の刃物を鋏入れから引き抜き、避ける挙動が混ざることで小さく姿勢を崩した相手に投げつけた。


「これは……」


 また障壁がひらめき、そして魔術師の喉から声が漏れた。


 一見大工道具めいて見える錐が障壁に突き刺さり震えている。その柄には糸が巻かれ、色糸で示された飾り模様はそのまま柄の端に結ばれた布へ繋がる。織りだされているのは拘束のための図柄だ。

 広がった布に記された形象がうっすらと光を帯びる。


 ――高かったんだがな。

 そこまでの感慨はなくネルは思う。鳥の民の中で流通する糸の魔法を使った武具で、武具の制作に携わる分掌の氏族の手掛けたものだという。カリカ師ババァの作ったものほどの強度はないそうだが、今は十分だ。


「その鎖、魔術封じだろ。……中位の魔術師サマなんだろうが、運が悪かったな。優位なおつもりだったんだろうが……そうやって縛られてるなら俺でもこうして対処できる」


 カリカ師ババァに散々詰め込まれた「魔術師への対処」。その一環で教えられたものの記憶と魔術師の腕にあった鎖の形状が合致した。

 魔術師達のうちで、咎人や囚人など、力を削ぐ必要がある者たちが着けられる拘束のための品だ。どうやらこの魔術師はなにか罪を犯して彼らの共同体から弾かれたか何か、常民に力を差し出すような理由があるものであるようだ、とネルは判断する。

 それで戒められた魔術師は、有り体に言えば弱るのだという。

 命に魔力がそのまま紐付く性質故に魔術を全く使えなくなるということこそ無いが汲み出せる力の上限は下がり、精度も速度も、抵抗力も著しく落ちる。

 中位の者であれ、ネルが今使った拘束具の圧を支えるだけで使える魔術は一杯一杯のはずだ。


 それでも相手がきっとそう判断したように、対価を取って斥候の真似事をする普通の漂泊民の男なら簡単に圧倒されたろうし、威圧され竦んで終わっていたかもしれぬ。

 急ごしらえで叩き込まれたものであれ、ネルは最良に近い相手に師事し、多くの糸を受け容れる素質を持ち合わせてもいた。


「なるほど、……同族達でもこれが何か知らぬものも多いと言うのに、まさか烏に伝わっていたか」


 魔法に縛られ重圧に身を屈めながらもネルへと視線を向けた魔術師の声は感情の揺れの薄い彼ら特有の響きをしている。


「悪いが口を封じさせてもらうぜ」


 ネルはまた幾本かのナイフを手に落とし、相手が身構える前に狙い投げる。

 空を切る音と弦楽器めいて響く障壁が震える音。

 数本が欠片のような障壁に阻まれ、しかし一本がその阻みを抜ける。

 ネルはその柄を追うように踏み込み、その首元を狙った。


 指先が確かにその喉に食い入った、と思った瞬間。


「確かに、侮っていたのか」


 息を吐くような声がした。

 刹那、ざあっと何かをはぎ落とすように、白泥の色をしていた魔術師の髪から色が落ちた。代わって現れたのは月白に中天に登った月の白金を混ぜ、規則性のない淡色を熱のない炎を思わせる揺らめきに散らせた色彩。

 至近距離で覗き込む羽目になった目は、先程までは光の欠片を散らしてはいても暗い灰色だと思っていたのに、今や奇妙に細い瞳孔と縁の輪郭に雪原の影のような青が乗っているとなんとか理解できるだけで地の色の判断もつかぬようなひらめく光を孕む色だ。


 ああなるほど、と心のどこかで理解が転がった。常には全く理解できないと思っていた、普通の奴らが魔術師を恐れる理由。

 これは恐ろしいものだ、とそれが囁く。

 美しく、隔絶した恐ろしいもの。


「確かに危ないところだった。まさか、偽装に割く魔力まで残す余力が無くなるとは」


 全身が強張って動けぬネルの前で、飛び込んだ一瞬の間に捕縛の術式を書いてみせたらしい魔術師はゆったりとした動きで立ち上がる。


「梏鎖を着けたうえで術式を刻む羽目になるとはな。偽装術式が容量食いで図らずも命拾いしたというところか。」


 ――くそ、動かねえ……!

 自らの判断ミスに歯噛みしつつネルは必死にあがく。動きを封じられ、離脱もかなわぬ肉体をなんとか無理に動かすにもいくらかの時間が必要だ。なんとか時間を稼がねばならない。自分が死ぬのはまだしも、彼を待つ主人の元にこの失敗の余波を残すわけにはいかなかったし、抱えた情報も届けねばならなかった。

 見上げた顔は表情に乏しく、ただただ冷淡で感情の在り処は伺えない。容姿も偽装の範疇だったのだろうか、整っていてもどこかのっぺりした印象だった先ほどとは打って変わり、浮かべた表情は変わらないだろうにそれすら作り物じみた印象に調和して美しい。


「思い出した」


 ネルは絞り出すように声を出す。舌と喉はなんとか動いたからだ。

 ――なんとか時間を。少しでいい、後少し。


「アンタの事を見たことがある。エルビラにいたな? ……あの王子共のお守りだったか。魔術師ってやつは王家に肩入れしてるとか聞いていたが、裏切ってこっちの靴を舐めた理由はなんだ? 次の王宮魔術師の席でも約束されたか?」


 にしてもこうチンケな真似をする奴に肩入れするとはな、魔術師サマってのも案外俗なものらしい、とあざ笑う気配を言葉に乗せたのはうまく苛立ってくれて隙でも出来やしないかとわずかな期待をかけたためだった。


「……なるほど」


 予想とは違うものの、その言葉にこちらを覗き込んだように見えた目に何らかの感情の僅かな波が浮かんだような気がしたが、ネルにはそれが何かは良くはわからなかった。


「肩入れする相手ぐらいは自分で決められるのでね。」


 そう言った魔術師が口元を笑みの形に歪める。


「しかし、なかなか思い切ったことをする。そのやり方で動けば運動器も破断を避けられまい。鳥の武民の気質、話には聞いていたが未だにそのようなものか」


 襟首を掴まれてネルは苦く息を吐いた。肌刺繍を経由することでぴくりとも動かぬ体を外から動かす方策を立てていたものの、掴まれた瞬間に魔力の巡りが霧散したからだ。

 ――気づいたか……


「今ここを嗅ぎ回られると邪魔でならないが……ここで寄りにも寄って鳥の命をこぼすとどれほどの面倒が起こるとも知れぬ。大人しくしていて貰わなくては困るな。」


 そう仄暗い声音で囁かれ、次の瞬間首にぐっと力が掛かる。

 流石に覚悟した次の瞬間、ぶんと投げ出されてネルは自分が勢いよく宙を舞ったのを感じていた。


 奥にあった岩に勢いよく叩きつけられ、しばらく息を吸うことも出来ずくずおれる。変わらず体も動かず、糸に魔力を通すのも何故か思うようにならない。

 白茶けた視界で見上げるうちに内から光を透かすようだった魔術師の纏う色味がすっと凡庸に色褪せる。何事もなかったようにガゼボの横に立った魔術師は下から上がってくる者たちを迎えて一礼しているようだった。


 上がってきたのは貴族らしい若い男と苔緑色の衣服の男、そしておどおどと落ち着かない様子の娘が三人であるようだ。どことなく茫洋とした表情の娘たちが屋敷の中に戻っていく後に貴族らしい男が続く。

――いや――、あいつは見たことがある。あれは、ヘルマン司祭とかいう……。

 衣装の違いに思い至らなかったが、なぜヘルマン司祭が貴族じみた格好をしているのか。先程からの気配は信者に見せていた態度とも、いけ好かない蝦蟇じみた貴族に見せていた慇懃な態度とも違う。動けないままネルは当惑した。

 後に残された魔術師と苔緑色の服の男はなにやら親しげとも思わせる具合に言葉を交わしたらしい。その様子にネルはこれはこちらも魔術師かとぼんやりと悟る。

 苔緑色の服の魔術師がまるで指揮者のような手振りで何か魔術を使ったらしく、ガゼボの下り口が消えるのが見えた。


 それが去っていくのをしばし見送ったあとで先の魔術師が近づいてくるのをネルは見る。せめて一矢どころか今度は口すらも動かない中、取り返しのつかぬ事にはなるのだろう、とおもいきや、粉袋めいて担ぎ上げられ、あれよあれよと言う間に村外れのゴミ置き場に投げ込まれる。


 どうやら意識がそれで飛んだか飛ばされたかしたらしい。

 呆れ声の顔見知りの信者に声を掛けられて目覚めた時には日が東の空に登る頃だった。

 酔いつぶれていたのか、という声を聞きながらよろよろと起き上がる。

 体は元通り動くようになっていたものの、表情だけは取り繕って恥ずかしげに苦笑して見せつつ異常を察してネルは内心歯噛みした。肌刺繍に魔力を回せないのだ。糸を切られたか何か阻害されるようなことが起こったのだ、と理解しつつ、そうなるとあの場所に戻ることなど出来そうもなく、如何ともし難い。


 そのまま姿をくらましたほうが安全かとも思われたが、様子をいくら伺っても屋敷の方で騒ぎが起こったり侵入者に対処しようという様子もなく、監視がついた気配もない。本当に報告すらされていないらしい、と悟る。

 魔術師とかいう相手ゆえそういうこともあるだろう、とは判断は出来た。如何様にでも対処できる、と思うからか彼らは得てしてそう振る舞いがちで、そこが突きどころなのだと習ってはいるものだ。その上、協力者とはいえ常民の警備に緊密に力を貸す気もないのだろう。それはそれで当然で、そういう気質の生き物だ。

 ――内側に干渉する手段を奪ったからそれでいい、ってことかよ。

 どこにでも入り込むという漂泊民の下っ端として扱われたかと判断しつつも取るに足らぬものと軽視されたのがなんとも癪だ。


 だがそれ自体は僥倖には違いない。犬のを肌刺繍無しで抜けるのは無理がある状態で、下手をすると運良く波立たずに済んだ水面を乱すことになるところだ。

 2日近くしてやってきた救援の指導役は説明を受けて何か色々確かめていたようだったが、結局魔術師に気づかれた事自体はあちらの主体には伝わっていない、と判断したようだった。


 精査したところ他に遅延性の魔術などの異常はなく、ただひたすら単純に肌刺繍への魔力が遮断されていたらしい。少なくとも魔術師どもの間でこれまで一般的だったとはいえない技術らしく、指導役殿はなにやらひどく嫌そうな顔をしていた。

 たっぷりの叱責と嫌味と共に、それでも安全な場所に移動してから肌刺繍の回復を行うと言って、特別に借りたという巨大な狼に似た糸の獣を使い本来半日掛かる行程をほんの一時間あまりで駆け抜けてはくれたので、口にはしないがネルはそれなりに感謝している。

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