第313話 ネル、より一層潜入する。

 ネルは小間使いの女を褒めそやし、引き出した情報から荷物の搬入に紛れて西の屋敷とやらを偵察しようと決める。

 ――指導役殿が来るまで後二三日は掛かるらしいし、丁度いい……


 酒と、やはり村の中でもそう苦労なく手に入れられる気分を緩める薬の力もわずかに借りれば寝物語には明日の荷物の受け入れ方法だけではなく様々なことを聞けた。

 西の屋敷のおおまかな作り。荷の受け入れをした馬車はそのまま娘たちを載せて王都に戻るらしいから明日はバタバタするのだ、ということ。その際にも無礼がないようにと言われた、司祭の客だろうという長く逗留する者たちが身分が高そうな人間であるということ。屋敷に広く取られた立入禁止の区画のこと。西の屋敷で働く者たちの間で流れる他愛ない噂のいくつか、森に迷い込んで死んだという人の亡霊が出るとかいう噂に屋敷の中で白い人影を見ただとかいう話。


「亡霊か、そりゃ怖いな」

「ふあ……でも、本当にみんな怖がってんの。奉仕してやってくのに向かなくて勝手に街に向かったって子の亡霊でしょ、真っ白ないかにもこの世のものじゃない亡霊でしょ、夜中に外廊下を歩いてるところを見たって。普段そんなこという質じゃない生真面目な人も見てるんだからさ。」

「ははは、じゃあエリィが怖くないように今夜は俺が添い寝するよ。疲れてるんだろ、さっきから欠伸ばかりだ。」

「んぅむ……」


 一笑に付すフリで女を寝かしつけながらネルはそっと目を鋭くする。

 ネル達を含む、街の拠点から送り込まれた信者達以外にも数度本部から信者達が送り込まれている。本部で熱心に活動していた者だと判断のつく、それなりに周りと繋がりのある者たちは村の中で当番を任されて力仕事に従事しているが、女達のよもやま話を聞けば確かに彼らの前に馬車でやってきたという孤児数人は村の暮らしに慣れず出奔したらしく行方知れずだとそう聞かされた。――魔物に食われただろうということからその悲劇を繰り返さぬために犬を放すようにしたのだ、との説明だ――。

 流石に把握している状況上伝道師の説明通りになど受け取りはしない。魔物に食われたのは真でも畑に植えてあるものの餌になったのだろうと思っていたのだが、西の屋敷で見かけたということは何かそちらにもその類のものがあるのかもしれぬ。

 ――まあ、何かは当然あるんだろうが。

 一層の警戒と注意を払わねばならないな、と彼はそう考える。

 もうどうにも言い逃れなど出来ないほどにここはあの襲撃の関係者であることは間違いなく、つまり彼の主の命を狙い、さらに立太子の妨害をするだろう者たちだと決めつけて問題なさそうだが、一体何をどう弄して王家とやらに障りをなすつもりなのか、まだそこはいまいち不透明だ。

 主自身はその解明と対処をこの国の治安組織に任せればいいと考えているようだったが、それは結局どこまでもこの国のためのものだ。一番に主のために手をかけるわけではなく、取りこぼしがないとは言い切れない。万が一にでも損なわれぬよう、知れるものは一つでも多いほうがよく、一つでも多くを主のもとに差し出したかった。






 次の日の早朝、冬霧に覆われた村の門にエリィの言う通りに数台の馬車がやってくるのをネルは見る。

 いまだ日の登らぬ薄闇の中で、村の中を並んで走っていったのは特徴のない箱馬車だ。飾りを廃したデザインはどの階級でも使える安価な馬車のようだったが、あえてそう見せかけてあるものだろう。揺れぬよう手がかかっているように見えた。


 西の屋敷の見張りに立っていた者たちが搬入口周りに重点的に警備を敷き直すのを遠目から確認する。

 本当は搬入に関われればと思ったのだが、流石にそれを許されるのは村に長く住んだ信者達だけであるようだったため、エリィに助力を頼ませるのは避けておいた。ダニエルがあまり立て続けに分を超えて行動しているのが記憶に残るのは良くないという判断だ。


 ――朝の集会まで二時間。女の寝床に行ったと認識してる奴らは数人いるからそこそこ誤魔化せるはずだ……


 ネルは巡回の合間に出来る空白を狙い、肌刺繍の力を借りて高い塀を踊り超える。


 音もなく着地したのは屋敷を囲む庭の一角だ。

 それなりの貴族の田舎屋敷という具合の庭がそこそこに整えられている。だが、この屋敷の持ち主は庭を見て楽しむという趣味はないようだぞ、という程度にそれはよそよそしく、見た目ばかり違和感がないように整えられたように思われた。


 簡単に外から様子を見れば基本的な建て方はこの国の貴族達の好む流麗なものとは違う、多少無骨な作りであるようだった。翼棟は無く、何かあった際の立て籠もりを可能とするための備えかもしれぬともネルは思う。一階の窓は小さく、金属枠に小ガラスで絵を象ったと見せつつも、合間合間の金属部分は太く、いわば鉄格子をそうは見せぬように飾っているものだ。

 一階から侵入するのはなかなかに難しい作りであるようで、もちろん使用人たちが出入りする場所はあるが、鍵のかかっていないものの周りには今警備達が張り付いている。

 ネルは人の気配を確かめつつ目を凝らし、一つの窓に狙いをつける。

 一階こそ堅牢な作りだが、二階三階を見れば十分侵入の用を果たせる窓はあった。

 もちろん、壁に足がかりはなく、普通ならばそこから入ろうとする者がいるならそこそこの手間を掛けざるを得ない。


 糸の獣がぐっと身をたわめたような感覚の一瞬後、ネルは軽々と飛び上がり、窓の横に足をかけ、鎧戸を掴んで安定する。

 ハサミ入れのなかに仕込んでおいた薄刃の小刀を抜き、窓の合わせに差し込んでかけ金を跳ね上げた。


 入り込んだのは使用人たちが使うために作られたと思われる通路の一角だ。

 わずかに埃の香りがする狭い廊下には薄い絨毯が敷かれて足音を抑えるようになっている。

 ネルは目を細めると人の気配を慎重に探り、気配を殺しながら歩みだした。万が一にもかつてと出会った時のように誰かの気配に気づけずに出くわして騒ぎになる、などということは避けたい。

 とはいえ、あんなことはそうそうありはしない。彼のの気配はこれ迄出会った誰よりも静かで周囲に溶けるようで、いつかよりずっと鳥の側に寄った今のネルですら捉え逃すことがあるほどなのだ。指導役殿が言ったようにそれはそういう特別な性質であるのだろうし、普通の使用人あたりの気配が捉えられないことは今のネルにはもはやありえない。


 使用人用の通路は突き当りで家人が普通に使うための広い廊下に出る形になっている。ネルは一旦そちらに出ると潜む場所を考えながら内部を見回ることにする。人の気配との間合いのとり方、見回す死角、意識に上らないどこに潜むべきか。そういうことも指導役殿とカリカ師ババァに王都に入ってからすらも暇さえあれば叩き込まれた技術だ。

 やはり建物の中には護衛めいた人間が多く、貴族らしい者たちも見受けられ、馴染んだ、という雰囲気ではないからにはあの馬車でやってきたのだろうか。


 ネルはさり気なく壁にかけられたり飾られた花瓶に生けられていたりする冬百合と緑を残した柘榴の枝を眺め、小さく鼻を鳴らした。

 柘榴は冬になると葉を落とす木だ。それをわざわざ葉を残すようにして飾る意味はなんだというのだろう。


 部屋を巡り、人の気配をやり過ごし、その上に糸の魔法の制御を乗せて研ぎ澄ませた感覚で、ネルは屋敷の中を把握していく。交わされる会話、声から悟れるもの。


「アユリー、踏み直しの準備は出来ているのか」

「ええ、どうぞご心配なく。場所を替えながら祝宴に混ぜて行いますが十分代用になるものです」


 部屋の一つ、早朝だと言うのに複数の人間の気配があるそこで誰かに問いかけた声は老齢に入ったものながら命令することによく慣れたもののようだった。応えた声もまた平民ではあるまい。

 ――踏み直し?

 ダンスを踊り直す、とか、相手を変える、というような事に関する貴族達の使う言い換えだ。多分更に何らかの符丁であるのだろう、とネルはその会話を意識に止めておく。


「冬青の錫杖の複製はいかがなさられた?」

「滞りなく」


 こちらは若い、しかしぞっとするような傲慢さが滲む声音で答えたのは、教団の中で司祭様、ヘルマン司祭と知られた人間の声だ。


「入れ替えられれば入れ替えを行いますが、最悪こちらでも目に留まるようになっていると、魔術師が」

「不可解なものだな、あれらも。まさか神殿の領域にまで踏み込めるとは」


 ――魔術師。

 続いたアユリーと呼ばれた声のいらえに、ネルはそっと予想外の単語に目を鋭く細めた。

 ――厄介なもんが関わってやがるのか。

 これまでずっと常民の側で生きてきたネルとしてはそう詳しくはないが、カリカ師ババァに聞かされたいくつかのことだけでも十分それは悟れる。

 ただ気まぐれに軽く撫でただけならばいいが、深く関わっているのなら貴族どもの手には負えぬかもしれぬ、と危惧した。これは是が非でも伝えておかねばならない。


「娘たちは」

「手はず通り、次の便でセイスデドスに。」

「やれやれ、あの蝦蟇め。容姿がどう所作がどうと細かいこと。あれの愛妾を拵えているわけではないんだがな。二言目には御前様がどうとかまびすしい。誰に仕えているかも知らないで……」

「今はお抑えくださいませ……」


 用意された娘たちについてヘルマン司祭が吐き捨て、アブラーン卿についてはそれを抱き込んだ者たちも気に食わないようだと悟ったのが少し面白い。そしてしばし今後の予定らしいことを確認した後、ネルが意識を向けた者たちのうち一人がどうやら席を立つように感じられた。


「下へ戻る。」

「では支度を終え次第お声がけ致します」


 気配を殺し、姿を垣間見ようとすれば、一人が扉を開け、廊下に出て、ゆったりと歩いていく。物陰からは確認しづらかったが貴族らしい身なりの男だったようだ。

 廊下の先を曲がり、歩廊をなぜか降りて、中庭の奥に踏み入っていくらしいその足音と気配が唐突にふっと消える。

 この屋敷の外から中の気配がわからなかったような何かがもうひとつ敷かれているようだった。

 当然、隠蔽が深ければ深いほど意味のあるものが隠れている可能性は高い。


 ネルは数瞬思案すると静かに後続がないかを確かめ、中庭を目指した。

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