第11話 刺繍と世界と魔法のおはなし(世界について)

 スサーナがフローリカと知り合ってから10日ほどした昼時。

 無心にオリーブオイルで焼き目をつけた鶏肉をスサーナがむさぼっていると、おばあちゃんが食堂にやってきた。

 夏場は仕事のあるひとたちは店で空き時間を見繕ってばらばらに食事を摂るので、この時間におばあちゃんが食堂にやって来ることは珍しい。スサーナがきょとんとしていると、にこにこしたおばあちゃんが言った。


「スサーナ、ご飯を食べ終わったら作業部屋においで」

「はーい」


 口に含んだ肉をごくんと飲み下して返事をする。

 ――なんだろう、おばあちゃん、なんだかすごく上機嫌でしたね。

 思いつつも、ちょっとだけ急いで、あぶったきのことチーズを挟んだみっしりと重たい黒パンと鶏肉と莢豆のゆでたやつ、あとトマトの冷たいスープをしっかりお腹に片付け、最後にカップのミルクを飲み干してからごちそうさまと唱えて立ち上がる。

 スカートのパンくずを払い、店に届ける弁当を作っている厨房の料理人のおじさんに今日も美味しかったですと声を掛けてから作業部屋に向かう。


 部屋に入ると、おばあちゃんが箱から何かを取り出しているところだった。


「おいで、スサーナ」


 手招きされて、スサーナ用の小さな椅子に座る。

 眼の前に差し出されたのはスサーナの手のサイズに合わせられた小さな刺繍枠と刺繍針だった。


「あっ、これ、わたしの?」

「あつらえていたものが今日届いたんだよ。スサーナは上達が早いからね。そろそろ刺繍を覚えてもいい頃さ」


 おばあちゃんが笑う。


「わあっ嬉しい! ありがとうおばあちゃん!」

「明日から使ってもいい刺繍を教えてあげようね」


 ん?今なんだか変わった単語が聞こえたけど。刺繍に使ってもいい悪いが、ある?

 スサーナはおばあちゃんの言葉を聞きとがめる。


「刺繍に使ってもいい刺繍と使っちゃいけない刺繍があるの?」

「そうだよスサーナ。刺繍にはとても大事な決まりがあってねえ。形をそのまま写し取ってはいけないんだ。特に命のあるものは良くない。花や草はまだ形がわかるように縫いとることはあるけれど、それだってそのまんまじゃなくて模様に落とし込んで縫うのさ」


 そういえばキャラクターものの子供の服とかなかったな、とスサーナは思い当たる。服の模様は見たことがある限りだと確かに幾何学模様みたいな模様ばかりだった。

 しかし、使ってはいけない刺繍。か、カリカチュアしたマスコットはセーフだろうか?スサーナはフローリカに縫ったハンカチを思い出す。糸の処理が甘かったのか、つい先日フローリカが使っていたのを見たときには刺繍は落ちてしまっていたけれど。


「ええっと、それは……破るとどうなっちゃうの?」

「わたしらじゃどうにもならないさ。……わたしらじゃ縁起が悪いってだけなんだけどね。むかしむかし、世の中がいまみたいじゃなかったころのふるーい魔法の名残なんだそうだよ。」

「魔法。」

「ちょうどいいから話しておこうかねえ。」


 おばあちゃんはスサーナの顔を――顔というより髪を見ていたようにスサーナには思われた――見て、少し困ったような顔をしてから、昔話を語り始めた。


 むかしむかし。美しい羽を持った鳥の神様がいらっしゃいました。鳥の神様は、自分の羽を紡いでは美しい糸にして、それは美しい布を織る神様でした。鳥の神様は世の中のすべてのことをそこに表すことが出来ました――


 スサーナは聞いた話をとりあえず自分の中で噛み砕いてわかる形にしようとする。

 ――ええと、つまり運命とかの象徴?みたいなのがその布で、運命を司るのがその鳥の神様と。

 パッとは思い出せないけれど、元の世界にも確かそういう感じの伝説はあった気がする。運命の横糸、なんて言葉もあることだし。


 その間にもおばあちゃんの話は続く。


「鳥の神様には従者の一族がいました。鳥の神様の言うことを聞いて、いろんなことをする役目のね。でも、ある時その従者の一族が鳥の神様を裏切って、殺してしまったんだ。」

「ええっ、どうして?」

「さあねえ、真面目にお仕事をするのが嫌になったのかもしれないねえ。スサーナはお勉強やお手伝いをサボっちゃあいけないよ? 昨日裁縫の練習を忘れてたじゃないか」

「うっ、それはフローリカちゃんが遊びに来たから……こほん、それはいいんです、反省したもの。それで、それで? 神様はどうなったんです?」

「神様は死んでしまったんだよ、なにしろ従者の一族は鳥の神様の一番近くにいて、どうしたら鳥の神様に勝てるかを全部知っていたんだ。」


 神様のくせに弱いなあ、スサーナは失礼な感想を抱く。しかし、これまであんまり神話神話した話にそういえば触れてこなかったけど、この世界の神様はギリシャ神話的な人格神なのか。なんとなく文化的に一神教的な印象を受けていたから意外だ。


「そうして、従者の一族の女王は鳥の神様の羽を奪って着込んだそうだ。女王は言った。さあ、これでわたしたちは神様の力を手に入れました。」


 あ、えーとなんだっけ。姥皮型神話?トーテムの毛皮を着ると力を得られる、って。インディアンの神話にそんな話あったよね。

 ギリシャ神話タイプの神話なんじゃなくって祖霊信仰型のパターンなのかな。


「そうして、彼らはその時から、布に糸で形を象ることで魔法が使えるようになったし、人の未来を占うことが出来るようになりました。」


 なるほどなあ、だから古い魔法の名残りなんですね。あれ、でもこの人間は○○出来るようになったパターンの神話で禁忌になるっていうのは珍しいかも?スサーナは内心疑問に思った。


「それだけじゃあない。神様の服を着ているからね。どこの国の王様とも契約しなくても好きに生きていけるようになったんだ。でもね、当然そんなことをしたらいいことばかりじゃあないよ。鳥の神様が死んでしまったから、鳥の神様の土地は世界のどこにもなくなってしまった。だから、それから、従者の一族の子孫は住んでいい土地がなくなって、ずうっと世界をさまよいあるいて生きることになった。その遠い遠い子供達が漂泊民カミナで、だから彼らはお祈りをしないで、神様に見せるかわりに世の中の人に踊りや歌を用立てて生きていくことになったんだとさ。」


「えっえっ、ちょ、ちょっと待ってください」


 ラスト、いっぺんに流し込まれる概念が多い! スサーナは軽く混乱する。


「えっとえっと、つまり、形のある刺繍がダメなのはわるい伝説みたいだから?」


 漂泊民カミナ漂泊民カミナってなんだか扱いが悪いみたいだけど、その伝説の悪役だから、ってことなのかな。そういえばカラスとか言われたなあ、鳥の神様の従者かー。


「それだけじゃあないさ。漂泊民カミナたちは本当に形のある刺繍で魔法を使えてね。どこの国の王様とも契約をしなくていいもんだから、悪いこともいっぱいしたんだそうだよ。そのせいで、昔の人はみいんな、形のある刺繍を見たら怖くなるようになっちまったんだそうだ。」


 ――あっ、そういえばあのうさぎさん。……知らなかったしノーカンですよね!

 スサーナは、あの時の話は絶対に誰にもしないようにしよう、と心に決めた。


「そういえば、魔術師じゃなくっても魔法を使う人が居て、禁止だって聞きました。」


 アレかー。そういえば漂泊民がらみのおはなしでしたものね。ロマの占いが忌避されてる、みたいなものだと思っていたけれど。



「もちろん、今じゃほとんどたあいない噂みたいなもんさ。漂泊民カミナでもそうそう出来るわざじゃない。ほとんどただの昔話みたいなものだけれど、まあ、外聞は悪いし、悪いしるしを真似することもないからねえ。」


 そういう物があるってだけでやっぱり縁起が悪いって気になるって人はいるしね。時々悪い噂もあるもんだし、特にスサーナ、あんたは気をつけなくちゃいけないよ。もちろんあんたは可愛いうちの子で、漂泊民カミナなんかじゃあないし、あんたの母さんも悪い漂泊民カミナじゃなかったけれども。慈愛の目でおばあちゃんはスサーナの髪を撫でる。


 つまり、悪い伝説のある民族が、さらによくない使用法で禁止の魔法を使ってて、形のある刺繍はその手段に似ているから忌避されている、と。

 ――わーはーはー! ああ、絶対、絶対人には言わないようにしよう。

 スサーナは深く深く誓った。

 話を逸らすために別の話題を考える。


「そういえばおばあちゃん、その、契約ってなんですか?」

 一般名詞っぽいけれど、なんだかさっきすごくファンタジーな用法をされていた気がする。

「おや、スサーナは契約について知らなかったのかい」

「……聞いたことはあるのかもしれないけど、わすれました。」


 自我がはっきりする前に聞いた長文の難しい話は一言一句覚えているわけではなく、基本認識が6歳児相当のフワッフワなのである。


「そうかいそうかい、まあ10とおになればわかることだけれど。」

「ええーっ、今知りたいです!」


 話題は十分それた気がするが、なんだか世界とかそういうのを考える気分になっている時に聞いておきたい、というのはある。


「はっは、スサーナはせっかちだねえ。まあいい、契約っていうのはねえ、10になると徒弟になれるようになるだろう?大人の準備ができるようになるってことさ。そのときに、本当の名前を貰うんだけどね。」

「ほ、ほんとうの名前!!!」


 スサーナは気色ばんだ。

 ――ファンタジーーー!!ファンタジーだよーーーー!!!

 生前ゲド戦記(原作)が好きだったのだ。こればっかりは仕方ない。まことの名前という単語にたぎらずいられるだろうか。いやない。


「? そうさ、その名前をね、王様にお預けするんだ。」

「っへ、へー。そうするとどうなるんです?」


 キラキラ目を輝かせるスサーナにおばあちゃんは首をかしげるが、特に気にせず話を進める。


「そうするとね、その時から王様に守っていただけるようになるのさ。……王様のお力を外套みたいに着込んでいると思えばいいねえ。悪疫、悪霊、いっさいがっさいから守っていただけるんだよ。素晴らしいことだねぇ。」

「ほ、ほへー。 ……あ、悪霊いるんですか?」

「おばあちゃんは見たことはないけどねえ、爺さんは荒野の悪霊を見たことがあるそうだよ、ぐるぐるぐるぐる彷徨ってるんだそうだ。そうして……悪い子を見つけると……ぱくーーーっ!」

「ひえええええ」


 スサーナは結構マジでビビった。なにせファンタジーなのだ。日本の怪談と同列扱いはできない。無い無いと思ってもホラー番組の後の夜のシャワーはビクビクするのだというのに、この世界では実在する、迷信ではすまない、今そこにある恐怖。


「ほっほっほ。だからスサーナ、いい子にしてなくちゃいけないよ? さて、それでね、そうすると町の外に出て夜寝たって大丈夫だしね、他所の国に働きに行くことだって出来るようになるのさ」

「へえーっ。あ、でもそれじゃさっきの悪いことのお話はどういうことなんですか?」

「契約するときにね、王様に守っていただく代わりにお約束するのさ。どうしても守らなくちゃいけないのは3つ。王様や領主様を殺さない。わざと国の土地を穢さない。国の人を沢山殺さない。」

「たくさん殺さない。」


 何そのガバガバな戒律内容。スサーナは思わずツッコミを込めて復唱してしまうが、言いながら思い直した。ガバガバってことは本当に最低限、つまりなにか実効があるやつなんだ、これ。破ったら情状酌量とか裁判とかのない、即座にスポンジ状になって死ぬ、みたいなやつ。


「そ、それは破ると……」

「心の臓が止まっちまう、なんて言うけど、まああたしらが気にする事じゃないさ。ちゃーんと生きてれば破ることなんかない決まりだからね」

「そっか……じゃあ、どうしてもじゃない決まりもあるんですか?」

「あるともさ。殺さない、これがおおきなひとつ。生きるためでなく盗まない、これがその下のひとつ。もっと小さなものは他にも色々あるけどね。これは土地土地でも変わるし、10のときに何をお約束したのかでちょっと変わるからね。」

「そ、それは破るとどうなっちゃうんですか?やっぱり心臓が止まっちゃう?」

「昔は今よりもいろんな事があったからね、しかたなく破ってしまうかもしれないことがあるといけない、と慈悲深く決めていただけたんだそうだよ。身体が痛くなるとか、熱を出すとか、バチは当たるけど、命は取られない。もっと小さなお約束はお腹がちょっと痛くなるぐらいさ。ああ、今お約束を破っちまった、って思い出すためのね。」

「へえええ……」


実効能力のある抑止力なのだ。じゃあ刺繍の魔法もそれで禁止しておけば? と、なんだか八つ当たり気味の怒りも一瞬湧いたが、スサーナはやっぱりすぐに思い直す。とうのその対象が契約をしていないんだ。


漂泊民カミナはそのお約束をしてないんですね」


 ああー。それは嫌われるわー。スサーナははじめて心から納得した。つまるところ概念としては街の人達にとっては綱のついていない猛獣みたいなものなのだ。

 よくお父さんはお母さんと一緒になろうと思ったな!!顔も見たことのない父親の度胸にちょっとだけ感心する。


「そのとおり。漂泊民カミナと魔術師だけは王様と契約しないのさね。」

「魔術師も?」

「魔術師は漂泊民カミナとはちょっと違ってね、契約をしない代わりに盟約って言ってね、王様のお友達になるのさ。お友達にはひどいことは出来ないだろう?」

「えーっと……」

「王様の外套を着なくっても大丈夫だけど、王様とは仲良くしてくれるのさ。」

「あ、なるほど」


 つまり、魔術師は国民より立場が上なのかもしれない。スサーナはこの間のニコラスさんの態度を思い出す。なんだかいまいちいろいろ違和感はあるけれど、こういうものって総合的に感覚で理解するものな気がするしなあ。


「さあてスサーナ、満足したかい」

「うんおばあちゃん、ありがとう」


 スサーナは満面の笑みを浮かべてみせる。まだ色々わからないことはあるけれど、いっぺんに聞いたって頭がパンクするだけだ。せかい、むずかしい。


「それじゃおばあちゃんはのどが渇いたからね、お茶を飲んでお仕事に戻るよ」


 いっぱいいっぺんに話してもらったからなあ。スサーナは感謝する。


「あっ、じゃあ私がお茶をいれますね! フローリカちゃんに貰ったザンボーアの実の入ったお茶が美味しそうなんですよ!」

「おやおやそれは美味しそうだこと、楽しみだねえ」


 スサーナは刺繍セットを大事に箱にしまい直して机の上に置いて、ぱたぱたと席を立った。

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