夏。村。桑の実と川遊びとちょっとした冒険。

第12話 スサーナとそこそこやかましい村のこどもたち 1

 こんにちはごきげんよう、キティ。

 最近人間のお友達ができたので、すっかりあなたにはなしかけることがなくなってしまいましたね。


 小さな頃から、なにか大きな事があるたびにお人形のあなたに話しかけていたときの気持ち、最近すっかりあやふやになってしまいました。ちょっと寂しいですけどこれが大人になるってことなんですね。……わたしの記憶がはっきりしたせいもあるんですけど。

 まだ三月しか経ってないのにって? 6歳の三ヶ月は長いんです。


 こうして久々に子供みたいにあなたに話しかけたの、わけがあります。

 なんと、叔父さんが仕入れに出るって言うからついていってみたいとお願いしたら、わたしも最近すごくしっかりしてきたからって、仕入れについてヴァジェ村に行けることになったんです。

 泊まりですよ!!!!!

 お家でないところに泊まるのははじめてです。ええ、何を持っていけばいいでしょうね? すごく、すごく楽しみです。


 とても大きな蛾の繭で作るピンク色のとっても薄いシルクが特産品らしいですから、キティ、あなたにも布を買ってきてあげましょうね。新しいドレスを縫ってあげましょう。わたしもだいぶ針仕事が上達してきたので、きっとシルクも縫えるでしょう。木綿と麻しかまだ縫ったことはないんですけどね。


 ふふふ、準備をしなくっちゃいけないので、それじゃ、キティ、今日はここまで。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「お尻が痛い……」

 スサーナは呻いた。


 馬車に乗って、時折休憩をはさみつつ、チャカポコチャカポコ数時間。走る道は石畳で、凹凸に出会うたびに車内のスサーナはぽーんと跳ね上がった。


 乗車して十分足らずで上等なサスペンションなどというものはこの世界には……いや、少なくとも今乗っているこの馬車にはなさそうだ、ということを理解したスサーナだったが、いかんせんどうしようもない。

 ――わたしが工学部に進学さえしていれば……サスペンションをこっちに伝えられれば陸運革命が起こせる気がするのに……

 チートがあればなあモードになって無い物ねだりをしてみるものの、その思考にもいつもの覇気はない。


 革の幅布を壁に打ち付けただけの……叔父さんは使っていないので人間が使うことは想定していないらしい原始的なシートベルトに掴まって、床にちゃんと足をつくことができないために踏ん張ることも出来ず、席に結びつけたクッションにぽんぽんはずんでいるうちに、スサーナは尾てい骨の耐久試験をしているような心持ちになっていた。道中の景色が素敵なのだという話をお針子達にされてはいたけれど、見る余裕なんか一切ありはしない。


 目的地だよという声がするが早いか、足台すら待たずに馬車から飛び出して、ひょろひょろになってへたりこんだ地面がどれほどありがたかったことか。地面が普段は揺れないと言うだけで、この世界の法則を定めたのかもしれない神様に感謝したい気分になる。


 叔父さんが笑いながら、ちょっと静かにしておいで、先に荷物を積み降ろしてくるからね、と言う。

 スサーナは願ったり叶ったりで叔父さんに向かって手を振った。



 広場脇の草原くさはらにぺたんと座り込んで見た村は美しかった。


 午後の日差しのもと、視界いっぱいに広がる緑の丘。視界の端ですうっと上がって、石灰岩の岩山になだらかに接続している。ぽこぽこと茂る広葉樹は今丁度花の季節らしく、結構な数が白い大振りな花を咲かせている。

 丘の半ばからきれいに並んだ低い緑の茂みはきっと何かの栽培樹だろう。人の胸ほどの高さで、その畝の間を数人の人が歩いているのが豆粒みたいに見える。

 その間に数軒ずつ赤い屋根の家がまとまっていて、石畳の道がスサーナの今いる丘の麓の広場まで続いている。


「うわあ、村だあ……」


 間の抜けたつぶやき。紗綾だった頃に写真集なんかで見たヨーロッパの田舎の村がこんなふうだった。スサーナになってからはきっとこんな景色は一度も見たことがない。四方があんまりにも開けて、頭の上があまりにも広くて、青い。

 そういえば、頭の上全部が天球だなんてこと、もしかしたらはじめてなのかもしれない。

 風が頬をなでて通り過ぎる。家畜と、草の匂いがした。


「うわーうわー、村だ……」


 スサーナの口元に我知らず笑みが浮かぶ。泊まるのだ。ここに。今から。

 買い付けの間は好きにしていていいと言われている。

 叔父さんによると雑貨屋もお土産屋も食堂もあるという、この村で!

 すごい!! 何がかはわからないがともかくすごい。まるで、夏休みみたいだ。

 スサーナは意気込み、ぱっと立ち上がりかけて、生まれたての子羊みたいにプルプルする足に振り回されて、ぺしゃんと潰れた。




「……おまえ、なにしてんだ?」


 斜め後ろから声がかかる。まだ声変わりしていない、小さな男の子の声だ。

 スサーナが振り向くと、そこにはまじまじとスサーナを見つめる同年代ぐらいの少年が立っていた。


 埃っぽいキャメルカラーの髪。首元がだらんと伸びて、裾のほつれたシャツ。

 よく日に焼けた頬にはそばかすが一面に散っていて、一体どういう経緯か、泥を指でぐいっと拭ったような汚れがこびりついている。

 先を二股にした長い棒とバケツを持っていて、靴は片方履いておらず、びしゃびしゃに水を滴らせたやつを片手に引っ掴んでいる。

 はすかいに被った幅広の草で編んだ麦わら帽子は半ばでボサボサに破れて、太陽光を避ける役は果たしきれていないように見えた。

 スサーナが見つめ返すと、慌ててばばっと目を逸らして、それから大袈裟にそっくりかえって近づいてきて、スサーナの正面に立った。


「馬車がとても揺れたもので、揺れない地面に感謝していたところなんです。」


 スサーナが答えると、男の子は大袈裟にフンっと鼻を鳴らした。


「なんだよそのすましたことばづかい! なあ、おまえ漂泊民カミナだろ? 占いできるのか?」

「違いますよ、私はスサーナ。おうちは仕立て屋で、漂泊民カミナじゃありません。叔父さんの仕入れについてきたんです。」

「えっ、うそだろ? だってカラスみたいなかみしてるじゃん。」


 スサーナはちょっと思案した後に、穏便な答えを返すことにする。嘘も方便、これからの数日を楽しく過ごせるのが何よりも重要だ。


「髪の色がちょっと濃く生まれついちゃっただけですよ。茶色が濃くなれば黒みたいになるでしょう?」

「ええーーーっ! つっまんねえーーーっ! どこででっかい魚がとれるか占ってもらおうとおもったのになぁ」


 男の子は落胆したように叫んだ。


「魚? 魚釣りですか?」

「バッカだろー!こうやってつくんだよ!」


 男の子は口でシュッシュッばーん!と言いながら棒を振り回す。


「うわあ、すごいですねえ」


 スサーナは口先で感心して見せつつ、ああー男の子って生き物ってこうだった! なっつかしいなあ!と内心ほのぼのしはじめていた。


「そうだろ! オレのとうちゃんはすごく魚をつくのがうまいんだぜ」


 男の子は自慢げに胸を張る。


「おまえ、魚はつけるのか? つけるなら川につれていってやってもいいけど」

「いいえぇ、私は全然。あんまり外遊びはしたことがないんです。えーっと、身体が弱いので。」

「ふーん、つっまんねーなおまえー。」

「あはは、それにすぐに荷物を置きにいってる叔父さんが迎えに来ますので。」


 男の子の遊びに付き合うのは一人ではちょっと避けたい。スサーナは思った。生前でも小さな男の子のスタミナにはついていき難いと思っていたことだし、この6歳の、うちの中ばかりで暮らしていた小さな女の子の身体ならなおさらだ。


 やあうまく断れた、とスサーナがほっとしたそんな折。


「フィート!草むらでめんどりがたまご生んでた!!オムレツやいてよ!」

「フィート!キケが卵一個わった!!」

「フィート!またひとりで川にいこうとしてるでしょ!!メルチェをおいていこうったってそうはいかないんだからね!」


「ああっ! すっげえ! 女の子だ!」

「フィートこの子だれ?くろいかみしてる!」

「しらない子だわ! どこの子? どこの子?」


 どやどやと駆け寄ってきた子供の群れに囲まれて、あれえ?と首を傾げるのだった。


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