第10話 日常とお友達 7
二人の子供を抱えた魔術師は路地裏を歩いていく。
視点は高いし、どういう仕組なのかはわからないもののふわっとほとんど自重を感じない抱き上げ方をされており、片腕抱っこの弊害の尻に腕が食い込んで痛いということもなく、半ば浮いている心地でスサーナはだいぶ快適であった。
現状の精神はともあれ、この間までナチュラルボーン6歳児だったために抱っこされ慣れており、抱っこにはあまり違和感がない。
高い視点と広い視界を楽しんでいると、来るときには気づかなかった人影が今は幾人も路上に出ていることに気づく。
彼らは一様に粘ついた目でフローリカを見るようだが、抱えている魔術師を見るとすっと目をそらし、舌打ちをするものもいる。多くはそのままどこかへ行ってしまう。
「なんであの人達フローリカちゃんばかりじっと見てるんでしょう」
確かにフローリカちゃんはとても可愛いので、じーっと見つめたい気持ちもわかるけれど、なんだかきな臭い。スサーナはなんとなく嫌な感じを覚える。
つぶやきに魔術師が応えた。
「きみは
あっ、返事なんてしてくれる人だったんだ!と驚きながらも言っている意味がよくわからない。困惑したスサーナが横を見ると、少し緊張の解けてきた様子のフローリカも首を傾げていた。
「……そちらの子は金になりそうに見えるんだろう」
あっわかりやすく言い直してくれた! この人案外気さくな人だ!と評価を上方修正しつつ、聞き捨てならない事を聞いた! とスサーナは気色ばむ。
「えっ、つまりもしかしてさっき言ってらしたの人さらいってことですか? 絶対フローリカちゃんを下に降ろさないでくださいね!!」
フローリカも言わんとしている意味がわかったらしく、最初はほとんど触れないように中空で力んでいた身体を寄せて魔術師の肩にぺったりと張り付く。
魔術師はまた面倒臭そうに黙り込み、歩を少し早めた。
捜索隊と館の傍の小路で行き逢った。
「あっパパ!」
フローリカが声を上げると、憔悴した様子で目元を赤くしたニコラスがばっとランプを掲げてこちらを見た。
「フローリカっ!! ……っ!?」
駆け寄ってきかけて、ようやく彼女の土台になっている存在に意識が向いたらしく、ぎくんと動きを止めて、ぎょっとした顔をする。
「魔術師……!」
呻いたニコラスの声が引きつっている。他に数人いた、スサーナも顔を見たことがある男たち――多分、近所の人たちが捜索を手伝ってくれたのだ――も、ひっと息を呑む。
呆然として数瞬、ニコラスははくはくと口を開け閉めして、それからゴクリと喉を鳴らし、眦を決し、身構えて叫んだ。
「娘をどうするつもりだ! その子は可愛い僕の娘だ! アサス商会が簡単に魔術師の言いなりになると思うなよ! 娘を、フローリカを離せ!!」
言いながら、そのままショルダーアタックで突っ込んできそうな気配。しかし、震える声の叫びが終わるか終わらないかというぐらいに、魔術師は無造作にぽいっとスサーナとフローリカを放流する。
「パパぁぁぁぁぁ!!」
だっとニコラスに駆け寄っていって、力いっぱい抱きつくフローリカ。
「フローリカあぁぁぁぁ!!よがっだぁぁぁぁ!!!!」
ランプを投げ捨て、フローリカを抱きしめてオイオイと男泣きに泣き出すニコラス。
そしてそれ尻目に、さあもう用はないとばかりに何も言わずにくるりと踵を返して歩み去っていく魔術師を眺めながら
あれえ、やっぱりなんだか反応が予想とは違わない?
スサーナは首を傾げていた。
他の捜索隊のメンバーがホッとしたように駆け寄ってくる。
般若がいる。スサーナはぽやんと思った。
あの後、家の中に入れられて、毛布などでくるまれ、温かい飲み物を貰った後の話である。
フローリカがいなくなったときには確かに館のなかに居たはずのスサーナがなぜかフローリカと一緒に居たことは、魔術師が関わっていることだからとろくに問題にもされなかった。
口火を切ったのはフローリカだった。
「あのね、パパ、ママ、ごめんなさい」
「いいんだよフローリカ、君が元気で帰ってきてくれてよかった」
「怖い目にあったわね……もう大丈夫よ」
ホッとした顔でフローリカをねぎらう父母に、フローリカは首を振った。
「んーん、そうじゃなくって、わたしね、おうちにかえろうとしたの。ダメだってわかってたのにごめんなさいパパ、ダメだってことはわかったけど、でも、みんなにまだおわかれしてなかったからしたかったの」
「んっ? どうしてそう思ったの? フローリカ、ママに話してみて?」
「よるだからおともだちはむりでも、おうちにはおじいちゃまもいるでしょ?さくらんぼの木もあるし……おつとめの人たちも……。いままでありがとうって言いたかったの。なんにも言わないできちゃったでしょ?だいじなものもみんなおうちにおいたっきりで……もう会ったらいけないの、わかってるけど……」
感極まったフローリカがぽろぽろと涙をこぼす。
すうっと唇を横に引いた笑顔になったイルーネが、いっそ優しげな声を出した。
「あなた。」
般若だ。スサーナの素直な感想である。
「フローリカにはちゃんと説明した、っておっしゃいましたよね?」
「し、したとも! とても大切な仕事だからパパに協力してくれと……」
「あなた!!!!」
スサーナはイルーネの額から角がぐわっと伸びたのを幻視した気がした。
あ、この夫婦、強いのはこっちだ。スサーナは思う。途中で口を挟むタイミングを伺っていたけれど、これはいいかなー。などと考えながら熱い茶を行儀悪くずるずると啜った。
「そんな話をしてくれと言ったのではないんですよ!可哀想にこんなに思いつめて!! ……ああフローリカ、パパになんて聞いたの?明日と明後日はあたらしいお家に慣れるためにあっちに泊まろうね、ってそういう話だったのよ」
「そうなの?」
「ええ、そうよ。」
「……パパは、きょう本島にいって、ブリダのおつとめのとこにごあいさつして、あしたあたらしいおうちにいくよって。ブリダのところはおしごとのだいじな人たちだからすてきでいるんだぞって。それで、スサーナちゃんともなかよくしなくちゃいけないっていわれて……あと、あたらしいおみせでどんなおしごとをするのかきいたわ。」
「あなた。」
「い、いや……その、ごめんよフローリカ、そんな急にお引越しをすることはないって君がわかっているかと思っていたんだ」
「あなた。」
角についで牙も伸びた。スサーナは遠い目ですぐそばのソファで起こっている不穏を眺めながらジンジャークッキーを摘んで齧る。あ、ピリッとしていて美味しいですこれ。
「ねえフローリカ?みんなともう会っちゃダメ、っていうのはどうしてそう思ったの?」
「……ごはんのあとにね、おひっこししたくない、っていったら、パパが、フローリカはパパとママのあとをつぐんだからせきにんもってパパとママのおしごとをみてておぼえなくちゃいけないよって……だから、お別れしに今日はかえらせてっていったらしかられたから……もうダメなんだって……おもって……」
「あなた!!!! 何一つ伝わってないじゃありませんか!!!」
「いやっ、まさか伝わってないだなんて……」
「わたくしにプロポーズしてくれたときもそんなふうにこじれたじゃありませんの!あなたはもともと言葉が足りない方なんですから!」
「うぐっ……そうだったね……あのとき心から反省したはずだったのに……」
あれえ、のろけかな?
「ああ、フローリカ……ごめんなさいね。」
イルーネがしみじみと言う。ニコラスが黙ってフローリカを抱きしめた。
「思ってみれば、ちゃんとあなたに、新しいお仕事について、パパとママからしっかり説明をする機会を取ったことがなかったわ……。あのね、フローリカ。こっちの島でお店を建てるためにはね、半年この島に住まなくちゃいけない、って決まりがあるのよ。」
「はんとし?」
「ええ、半年。ほんとうはパパとママが住めばいいんだけど、フローリカは確かにパパが言うように、パパとママと一緒に住んで、パパとママのお仕事をどうやっているのかちゃんと見て覚えてほしかった。」
「もうにどとかえっちゃいけないわけじゃないの? おじいちゃまとみんなにはまた会えるの?」
「会えるとも。……どうせ仕事が軌道に乗るまでは行ったり来たりになるんだよ。もしかしたら2日に一度はコラッリアに帰ることになるかもしれない。一人で船に乗ったりはさせてあげられないけど、向こうから人を呼んだら付き添ってもらえばいいんだし、どうせ毎週末にはみんなで帰るつもりだったんだよ。」
フローリカは首をかしげる。
「それって、ほんとにおひっこしなの?」
「そうだよ、半年だけだってお家が変わるし、新しいことがいっぱい増えるんだ。」
「わたし、おひっこしってそういうものじゃないとおもっていたわ」
大団円かな。よかったよかった。スサーナは思う。ふわ、とあくびをする。
幼い身体はもうだいぶ眠くなってきていた。残念だけど今晩は浴槽を楽しまないまま寝ることになってしまいそうだ。ああでも、あまり綺麗でない場所で暴れたり転んだりしたのだ、身体ぐらいは拭かなくっちゃ。ぼんやりそう思いながらも、どんどんまぶたが重くなってくる。
誰にそのまま寝室に運ばれたのかも、結局よく覚えていなかった。
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