第140話 触らぬ貴族に祟りなし 7

 とりあえずそれぞれ小部屋から出る。周りは静まり返っていて、遠くから授業の声が聞こえてくる状態だ。

 一時間目をサボった少女たちが足音を忍ばせてそっと去っていくのを見送り、レオカディオとフェリクスはホッとした顔を見交わした。


 平民二人はまだ部屋の中で、迷惑を掛けられたことについてテオフィロの謝罪と、謝罪なんだか釘刺しなんだか演説なんだかよくわからないエレオノーラの謝罪?を受けている。

 廊下向きにある光取りの窓から部屋の中をうかがいながらレオカディオが小さく眉を寄せた。目線の先には平民の片割れ、きっちりと髪覆いの下に頭髪をしまい込み、よく出来た人形めいた容姿に似合わぬのほほんとした表情を浮かべた娘だ。

 ひょいとフェリクスがそれに視線を合わせる。


「水を入れた花瓶ねえ~」

「嫌なやり方ですね。それをした誰かは一体何を考えてそんなことを……」


 相手が平民であれ明確な殺意の元の同国民への殺人行為は小二項で戒められており、行えば――貴族たちのそれは大抵は地位に応じてかなり弱められているが――よほどの大貴族か警吏や処刑人などの特殊な立場の人間でなければその場から動けなくなるほどの強い痛みが全身を襲うのが一般的だ。

 しかし、これは毒殺をはじめとする間接的な殺人と「未必の故意」には弱い。

 明確に狙わずに重いものを落とす、というのは契約の戒律を逃れながら人を殺す手段になりうる。その手で人を殺しえた場合は罰は発生せず、無力化もされない。

 契約の保護は万能ではないのだ。そうでなくば俗界の法が発達したりしないし、王族に魔術師の作る護符が出回ったりもしない。


「うーん、レッくん心当たりある? 無いといいなと思うけど」

「……いいえ。ここでは、多分。調べてみるつもりです」

「ボクも色々やってみるけど事務棟かあ、絶妙にボクら触りづらいところじゃない?」

「そういう意図があって、ということでなければいいんですが」

「ねー。聞いた感じ稚拙だから面倒事じゃないといいよねー。」


 王子たちはそっと頷き合い、話が済んだらしいエレオノーラが部屋から出てきたためになんとなく口を閉じた。


「あら、殿下方。テオ達をお待ちですか? もう少し掛かるようですが。」

「いえ、レーナ。お帰りはお一人のようですから。教室までお送りしますよ。」


 レオカディオが微笑む。取り巻きの少女たちは場の空気に飲まれてさっさと帰っていた――エレオノーラ自身が取り巻きだと認識しているのかは王子たちにはいまいちよくわからないが――ので、教室まで伴おうというらしい。


「あ、そだそだ、そういえばレーナ」


 フェリスがあっ思い出した、みたいな顔をして言った。


「一応いっぺん言っとこうかな、って思ってたしちょうどいい機会だから言っとくねー。他の子いないのちょっと稀有だし。」


 一本指を立てる。


「レーナんち、なんか色々あったみたいだから言うのもアレかなと思ってたし……爺さんたちとかに、取り入ろうとしてきた平民がメチャクチャなことをしたみたいな逸話いっぱい聞いて気にしてるんだろうけどさ、もともとのことを言えば……と言っちゃうとちょっと違うんだろうけどー、優秀な平民を同じ学び舎に入れてあるのには意図があるってこと。ボクらの親とかの思惑としてはさあ、特待生ってやつ、優秀な平民とはどんどん縁を持って欲しいんじゃないかなー。」

「それは……」


 貴族たちの間には民は王の財物リソースであり、自ら達は王の管財人であるという考えを持つものが居る。というよりも戦を経た世代ではその考えが強まるため、民と貴族を別のものであるとする思想が共有されがちだ。真面目に職務を果たそうとする貴族ほどその考えに陥りやすい。

 エレオノーラの父は武名の誉れ高い人物で、彼女はその薫陶にどっぷり浸かって育ったタイプだ。


 ネーゲの崩壊を端緒にする大規模な戦争からいまだ20年足らず。そのような思考を持つ貴族は多く、フェリス達、フェリクスとレオカディオの理解では――そういう風では回らない出来事もまた多いので頭が痛い。

 ヴァリウサは近隣の国の中では特に商人層が強い力を持った国だ。これもまた戦争がきっかけなことが皮肉だが、彼らとはうまくやっていく必要がある。王位に縁のない下の王子二人は少なくとも王家はそう考えていると理解している。

 古い理念と学院側の意図がどうであるかはともあれ、ここは本来なら平民とともがらとして過ごすことのない貴族たちが彼らに慣れるために用意された箱でもあるのだろうと彼らは考える。


「ほんとだってー。ホントはもともとココ、貴族と特待生だったんだってさ。で、昔っから有能な平民を便利に見繕ってたんだってー。今はいいコネになるってんで商人とかが枠食うようになっちゃってちょっと目に余ることもいろいろあるみたいだけど。まあそれはそれで便利だしさ、まあ色ボケはあんまり……うーん色ボケもちょっと今のボク的には擁護しないとアレかな……ともかく、いろいろあるけど変に潔癖に考えないでうまいことやんなよ。そのぐらい乗りこなしてこそ貴族、だってさー。なんか大人になったら解るって。」


 フェリスは片目を瞑り、ついでに何やら可愛らしいポーズを取った。


「良い牧人なら羊の群れの山羊を手懐けておかなくっちゃね☆」


 エレオノーラがその様を見てぐったりとため息をつく。


「フェリクス殿下、仰ることと行いがもっと一致していたらわたくしも気持ちよく助言を受けられるのですが。」

「フェリスちゃんだってばあ。」


 フェリスがぷくーっとほほを膨らめた。

 そのフェリスにレオカディオが微笑んで声を掛ける。


「兄上、行きましょう。二限目まで僕ら二人共遅れたとあっては他の生徒に示しがつかないですから。」

「フェリスちゃん!!っていうか……レッくんいいの? テオに長話させてないで呼んでこよっか? だってまだまともに挨拶すらしてないんでしょ」

「それは……その。また機会を見て、時間のある時に……。今はそんな事より調査を優先すべきですから! そういう不安に付け込むようなことはすべきではありませんし、事実関係の調査が進んだらお話することも……」

「レーナー、ごめんやっぱ先行っててー。ボクらちょっと遅れるや~。平民の子達にご挨拶してくね~」

「お手を煩わせたわたくしが言うことではありませんが、殿下達が直接お気にかけるような立場の者たちでは……」

「レーナさっき言ったこと聞いてた? それに今は何も言わず見送ってあげてよ!ほぼ色ボケるのがお仕事だってのに色ボケられきれないレッくんがカワイソーでしょ!」

「兄上! 行きましょうレーナ」


 レオカディオがフェリスの腕を掴むと有無を言わせず引きずって教室の方に向かう。エレオノーラはぽかんとした後にその後を追った。



 スサーナとミアは小部屋でテオフィロの話を聞いている。


「そんな目に遭っていたならもっと早く話してくれたら良かったのに」

「女性たちとは、普段、そのような話をしませんので気づけませんでした。すみません。」


 申し訳なさそうにする二人にミアは慌てて頭を振った。


「ううん、私が言わないようにしようって決めたんだからいいんだよ。楽器のことに関われるほうが大事だったの。普通はね、手を楽器に合わせるんだよ。音が歪むときも騙し騙し弾くの。弾かせてもらった楽器はそういうことなかったし、おかしいって思ったところがすぐなおってきたし、関われなくなるのは嫌だったから……」


 スサーナはそれを横でほのぼのと聞いている。専門馬鹿の類の人間の行状は比較的心が和むスサーナだ。


「それに、自分のせいじゃないことで態度を変えられるのって嫌でしょ? 楽器のことに関係ない子にひどいことされたからもうお手伝いもお話もしません、とかおかしいもん」


 ミアが口を尖らせる。

 少し驚いたような目をしたテオがと笑い、


「ありがとう、本当に。嬉しい。」


 少し目を伏せて照れた感じの理想美少年スマイルを浮かべたので、スサーナは三度目の正直で――勉強会でも演奏室日参でもさてはと感じたのだが、経緯を見るにそれはどうも外れ、ミア側の反応(曲と楽器の話しかしない)を見聞きするに笑えるほどに明確に外れだった――こんどこそ恋が始まったのではと少しワクワクしないこともない。


 今日は流石に演奏はやめようか、ということと、スサーナの花瓶の件に触れ、気をつけるように、という話と、彼らもなにか少し調べてみる、という話をしてから部屋を出る。


 先に立って小声で楽しげになにか――内容を小耳に挟んだら運指技法の話で何の色気もなかった――話しながら歩いていく二人のやや後ろを歩きつつ、スサーナはふと気になったことを横を歩いていたアルトナルに問いかけた。


「あの、そういえば、ミアさんがそういうお仕事をしていたということは納得がいったんですが、あの勉強会はじゃあなんだったんです?」


 アルトナルはサラサラの前髪を少し揺らして小さく首を傾げ、それから口を開いた。


「ずっと手伝っていてもらったわけではないのです。初日に良い人材だと気づき、腕が確かだと聞き取った後、その後お願いしました。」

「ああ、なるほど。勉強会の後から……? 話すきっかけだった、とかそういうことでしょうか?」

「はい。」


 なるほどなあ、とスサーナは納得する。それならあの予習行為も一応無駄ではなかったといえるだろう。


「それと、確認です。」

「確認。」

「はい。テオは、腹心……側近……第五王子の、学友です。一年入学を遅らせて合わせるぐらいに近い立場のです。」

「だ、第五王子の」

「はい。ミランド公……第五王子の後見人が、推薦した人物を学院に入れるという話を、テオはテオの親族に聞いてありました。語学での推薦だと知られています。」

「え、ええと、それで……?」


 スサーナは上空斜め上から豆鉄砲を構えた鳩が急降下してきたような気分になった。


「テオは紙を見てそうかもしれないと思ったそうです。ミアがその人物だとは思わなかったようですが、そうであるかもしれないので、確認をしようとしました。そうでなくとも、会えるかもしれませんので。」


 ひえ。


「な、なぜでしょう?」

「珍しいからです。」

「さ、さようで……」


 会えましたね、と言ってうむ、と頷いたアルにスサーナは引きつった笑いを向けた。なんだかよくわからないものの危なかった!という感想が湧く。なぜか背筋に冷や汗をかいていた。


「素晴らしいと思った特待生にお金を出すことはよくあるそうです。ただ、一人だけ特別に入れるのはすこし珍しいということだそうです。ですから、何か意味があるか、ないのか、会ってみたかったと。」

「なるほど……ええと……」

「勉強会のあと、ミランド公は、今年はとてもたくさん学院にお金を出しているそうなので、その一環かな、とお話しました。」

「あ、はいそうですね! そういう理由なんでしょうね。」


 ホッとしたスサーナはこくこくと頷く。アルは小さく首を傾げた。


「どうかしましたでしょうか?」

「いえ、偶然都合がついて推薦してもらった身分ですので、何か素晴らしい人物とご期待されていたりするとお恥ずかしいなあと。」


 学費の支払い自体は大したことのない貴族によくあるパトロン行為のはずで、王子様の後見人が推薦したというのと王子様本人には何の関わりもないはずだが、近い人間に観察されていた、みたいなワードは非常に不穏感がある。

 なんだか政治的関係があると勘ぐられるのも困るし、謎の重要性を勘違いで見出され、厳しい基準をクリアすることを求められたりしそうではないか。

 どうやらそんな事はなかったようで、とても何よりだった。


「良い人なのはとてもわかりましたので、大丈夫だと思いますよ。」


 アルがうっすら微笑み、スサーナは急に判明した過去完了形のピンチにいわく言い難い気分で脱力していた。

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