第169話 右往左往していないで寝なさい

 それから少しして、何にせよ今の君に必要なのは睡眠だ、と歯を磨いた後に眠るように言われる。

 スサーナは頷きかけ、それから少し考えた。

 寝台は一台。


「ありがたいですけど……いいんですか? えっと、あの、第三塔さんはどこで……ええと、別に寝かせて貰えないとかそういうことはないですから、戻って寝たって大丈夫ですけど……」


 言ったスサーナにいいから寝ていきなさい、と第三塔は返した。


「深夜頃が一番解析量が多そうでね、流石にあまり眠る余裕はないだろう。……話を聞くだに戻っても君は寝ないのではないかと推察できるからね。」


 スサーナは全く反論ができない。いや、流石に一度本格的に寝たところ、眠気を感じているような気はしだしたので寝はする、と思うのだが、多分戻ったら不機嫌に帰ってくるエレオノーラお嬢様の相手をするだろうし、他に聞くべきことも沢山ある。後回しになって遅い時間にならないか、というとならない自信は全く無い。


「ああ、君が休んでいる間に眠り薬ではない楽に眠りやすくする物を飛ば……届けさせておく。朝には届くので持っていきなさい。」

「ええっと、そこまでしていただくのは申し訳ないような……、……だって、私、前頂いた分のお礼も……」


 この上何か貰えてしまうのか、それは流石に面の皮が厚いのではなかろうか、とスサーナは慌てて断りかけた。

 売ってくれる、という話かもしれないがそれにしたって迷惑を掛けすぎている気がする。

 それを見た第三塔が少し思案した顔をする。


「……子供がそんなことを気にするものではない、と言うところだが――どうしても気になるならば実利的な話をしようか。君の注文のルッズ。」

「あっえっ、はい?」


 急に位相の違う単語が差し挟まれ、スサーナは一瞬聞き返した。


「注文主の君が体を壊して万が一引き取りがなされないのも問題だし、改良の途中経過に指標がなくて宙に浮くのも困る。」

「あ、ええと、なるほど……?」

「更に言えば、あれは改良品種の売買権利をこちらに譲渡する条件の注文だ。まあ、売れるか売れないかと言えば売れてくれたほうが当然嬉しい。どうやらそちらには想定像があるだろうことはわかっているのでこちらで用法を思案するより君に聞いたほうがずっと早そうだ。さて、そうするとすれば功労者の君に多少の薬剤や付与品を渡したとして、売れてくれれば誤差の範疇だね。」


 ――ええと、つまり、お得意様サービス……兼投資的な……?

 スサーナはふわふわと首を傾げつつも一応論理立ってはいるのかと考え、納得した。

 それにしても申し訳ないぐらい手厚いと思う。


「ええと……でも、売れないかも」

「……茄子の権利は握っておくべきだった。まさかアクのないだけの茄子の潜在市場があれほどあるとは。……君は気にしないでかまわない。元々値の張るものは渡していないんだ。」


 しばらく見ずに済むと思って種苗も栽培法も完全公開にしたのは流石に良くなかった、と彼がなにやら忌々しそうな顔をしたのでスサーナははてとなる。

 ――そういえば、茄子、市場にすごい勢いで普及してましたもんね。

 なるほどアレは権利フリーにした結果だったのか。

 米では次の商機を見越している、ということなのだろうか。でも米は茄子と違ってそんなに流行らないんじゃないかなあ、とスサーナは考える。


 いいから今は寝なさいと押し切られて問答は終了した。

 荷物から引っ張り出したチュニックを投げ渡され、良ければ着替えるようにと言われる。


 確かにいま着ているのは普段着で、召使いの服よりもきっちりはしていないが、それでもそれなりに紐や何かで締める場所はある。仮眠なら寝られないものではないし正直ここのところ着衣で寝なれていないわけでもないのだが、着替えたほうが寝やすそうだった。


 ありがたく借りることにして、隣間――水回りが纏めてあるようで、バスとトイレがある、と言いたいところだがお風呂らしきものは板床にドンと置いた脚付きの飼い葉桶で排水がなくどう使ったものだか謎だ――を借りて着替える。

 今度の服は前借りたものとは違い、当人の着替え用らしくてサイズ可変のような便利な機能はない。なるほど長身の魔術師が着るなら少し長めのチュニックなのだろうが、スサーナが着ると袖から手は出ないわ、マキシスカートとも言い張りづらい長さで裾を引きずるわ、なんだか面と向かって何か言われたわけでもないけれどなんだか凄く子供扱いをされた気がしてスサーナはぐぬぬとなった。


「ええと、お借りしますね。ありがとうございます。」

「……君には少し大きかったか。」


 ――ほらー!

 事実を述べられたスサーナはなんとなくふくれっ面になり、ごそごそと寝台に潜り込む。


「おやすみなさい」

「ああ。」


 すぐに寝られた、というわけではなかったが、ゴロゴロしているうちにいつの間にか入眠していたらしい。



 やはり疲れすぎていたようで、どれほど寝たあとか、スサーナはふと目が覚めた。

 最初見上げた天井と梁が心当たりがなく、一瞬混乱したあとでゆっくり何処で眠っていたのかを思い出す。

 特に不安な夢を見たような覚えも心臓のドキドキもなかったけれど、少し落ち着かなくて身を起こして周囲を見回した。


 部屋は灯りを落とされていて薄暗く、窓の木戸は閉ざされているが、どうやら深夜らしい雰囲気に感じられる。


 部屋の向こうがうすぼんやりと明るい。

 ――あっちは、ええと、机だっけ。まだ寝てらっしゃらない……じゃないや、寝ないでお仕事だって言ってたっけ……。

 スサーナは目を細めてなんとなくそちらを透かし見る。


 なにやら作業をしている机の周りにだけ術式の灯りを燈して、さらにスサーナ側に声が届かないように防音になるような術式を使ったらしい状態で第三塔が座っていくつもウインドウ状のなにかを開き、なにやらどこかとやり取りをしながら作業をしているのが判る。


 ――ああ、うん、いた。

 夕方にもいくらか机の上にあった紙束がだいぶ増えている。見るともなしに見ていると、時折目を落として大ぶりの羽根ペンに見える筆記具で何か書類に書き込みながら中空に浮いた画面を操作しているようだ。

 どうやらパソコン作業的にすべて一画面で完結できるような作業ではないのだなあ、とスサーナは思いながらぼんやりそちらを眺める。

 ――ずっと作業してらっしゃったんでしょうか。私には寝なきゃ駄目だって言ったのに、ご自分は徹夜大丈夫なんでしょうか。


 しばらくそうして作業しているのを眺めていると、ふと目を上げた第三塔と目が合った。

 いくつか画面を操作した後に彼は椅子を引いて立ち上がり、寝台の方に歩み寄ってくる。


「目が覚めたのか。」

「あ、えっと、お邪魔しましたか」


 スサーナはちょっとぴゃっとなって首をすくめた。


「いや。少し休憩をしようと思った矢先だ。眠れないだろうか」

「いえ、夢も見てないですし、目が覚めただけです。」

「そうか。朝まではもうしばらく時間がある。眠り直すといい。」

「第三塔さんは眠られないんですか?」

「任務が一段落してから寝る。昼になるだろうが、その程度なら問題ない」


 横になるように促され、枕に頭をつけると毛布が掛け直される。

 それだけでとろとろと眠気がくるのを実感しつつ、スサーナはぼーっと思考した。

 ――本格的な五歳児扱い……。ああ、でも懐かしいなこういうの……

 ふわふわと意識を途切らせかけながら思い出す。

 もはや曖昧な記憶だが、ごく幼い頃はこうして誰かがいてくれることがあった気がする。夜驚症めいた症状がでていた、という頃のこと、きっと皆交代で気をつけてくれていたのだ。

 記憶が戻ってからは皆商家でとても忙しいのだからと一人で寝られると伝えたし、本当に一人で寝られると家族達がわかってからはちゃんと一人で眠っていたものだったが。

 まだたった二月ほど離れているだけなのに、皆のことが懐かしかった。


「みんな元気かな……おばあちゃんも、叔父さんも……」

「元気そうだった」


 完全に口から漏れた独り言に端的な返答があってスサーナは目を閉じながらふにゃふにゃと笑う。


「ん、それは、よかった――」

「いい子だ。よくお休み」


 頭を撫でられたのは家族のことを思い出した夢だったのか、現実だったのかよくわからない。




 次の日朝声を掛けられるまでスサーナはベッドに溶けて広がるぐらいの感覚でとても良く眠った。

 とくに夢も見なかったのだろう。目覚めたときもとてもいい気分だった。



 ところで、しかし、それもエレオノーラお嬢様たちが迎えに来ている、と告げられるまでのことである。

 迎えに。スサーナはオウム返しに繰り返す。

 取り次ぎの人がやって来てその旨第三塔さんに告げたらしい。

 流石に客室までやってくる、ということではなくどうもお嬢様は伝達役のところに突撃した、というのが正解らしいのは多少の猶予というやつか。

 スサーナは大急ぎで着替えて参上することにした。

 ――わあ。

 当然のことだが、どれほど不機嫌なことだろう。スサーナは想像して全力で遠い目になったのだった。

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