第367話 身代わり第五王子、茶番劇をする。
抑えたざわめきがゆるゆると広間に渦巻いている。
今宵、祝宴に供されたのは内廷の庭園に面した一角だ。
庭園に臨する廊下の一部を区切ったような形になっており、100人も入れば少し狭苦しく感じるような小さな広間。
今そこは壁際に豊穣の鹿を模した鹿角の燭台が繰り返し並べられ、シャンデリアには一杯に蝋燭が灯されて、カットされた水晶飾りを煌めかせていた。
日付が変わる頃の闇は入念に追い出され、種々の植物が描かれ、庭の続きに見えるようにと趣向された壁装は、まるで木漏れ日のように蝋燭の火影を揺らしている。
そこに集まるのは王族と妃達、彼らと特に関係が深いと見做された招待客達。……というのが例年のこと。
今年は様々な理由から、常の慣習を破って普段よりずっと多い人数が容れられていた。
寵臣ばかりが招かれるという年改めの宴に招かれたことに気を良くして声高に語り合うもの、今宵の余興で先に繋げてみせると意気込むもの。
参加者たちは皆今宵は面で顔を隠し、ゆったりした衣装を身につける。王族たちは思い思いに、臣下たちは頬までを覆う白い地のものを。個人の誰それではなく、「王」と「民」である姿を神々に見せるのが本来の目的だと言うが、時代ごとに華美になったというその装いは、どこか秘密めかした風情を掻き立て、今回始めて招待された貴族たちの、密祭に招待されたという誇らしさを誘った。
新年の宴は王宮祭祀のうちでは小規模なまつりごとだ。というより、家中の行事として長年維持されてきたものであり、私的な要素が強い。とはいえ、招待されるものは重臣と王族と個人的に友誼を結んだ者だけということもあり、なにか非常に重要な祭儀が行われるだとか、招かれたものは格別の信任を得るだとか、そういう噂も絶えない行事のひとつだった。
宴の半ば。讃歌の演奏と新年の到来を寿ぐ一幕劇が終わった後、柔らかな室内管弦楽の演奏を伴奏にして、装飾的な仮面で顔を隠した第五王子が微笑む。
「奇縁で知り合うことになった方々ですが、いずれ劣らぬ素晴らしい人品のご令嬢たちです。ですから、どうか、是非妃宮で、第三妃殿下の側で過ごしてお心を慰めて頂く役目をお受けいただけますか?」
ふわりと手を広げて願われて、一角に席を用意された令嬢たちがざわめく。
貴族たちも概ね好意的な反応だ。そうだろうな、とレオカディオに扮したテオフィロは思う。
乙女探しの候補者の誰か、もしくはそのすべてを妃宮預かりにするというのは常識的な、もしくは期待された落とし所だ。
推薦人の貴族たちも、自分の推薦した娘が本当に第五王子を救った乙女であるとは考えてはいない。あわよくば目に止まれば、王族に近づける立場に取り立てられれば、とそういう考えのはずだ。令嬢たちも、貴方が救い主の乙女だ、と名指しされても困ることだろう。流石に王家を欺くのはだいそれた話すぎる。
娘たちから否を唱えるものは出てはこない。
「さあ、どうぞご挨拶を」
ザハルーラ妃からそう願われ、彼は一歩進み出た。ここで一人ひとりの挨拶を受け、表情に疑問を浮かべたり、第五王子と呼びかけるのをためらうものには後で真意を問う、というのがザハルーラ妃向けに用意された余興だ。
陛下の侍従が一人ずつ名を呼んでいく順に少女たちが進み出て、挨拶を交わした後に短い口上を述べることが許される。
「エンリエータ・ガリードと申します。第五王子殿下におかれましてはご機嫌麗しく恐悦至極に存じ奉ります。」
「エンリエータ嬢。どうぞ気を楽に。」
「この度は第三妃殿下の行儀見習いにご推薦頂きありがとう存じます。未熟な身ではございますが、精一杯務めさせていただきたく存じます」
――こんな場でぶっつけ本番で影武者をさせられるとは今年のはじめには思ってなかったな。僕はまだ正式に側近を拝命したわけじゃないんだけど……。計画を通していない者もそれなりにいると聞いたのに、僕とレオカディオ殿下の顔をよく知ったものがうっかり気づいて口に出したら、どこまで話が伝わってしまうかわからないというのによくやらせる。気づいても余興と思えば貴族たちも黙っているだろうけど……国王陛下も剛毅だ。
年改めの宴でなければさすがに危うかった。今宵であるからテオフィロもレオカディオ王子を装える。柔らかく落ち着いた茶金の髪と鮮やかな青碧の目の王子よりも彼の髪の色はやや濃い色だし、目も蜜色とくすんだ緑が混ざった色だが、夜会の蝋燭の元で顔貌を隠していれば惑わされやすくなる。一応影武者も出来るように振る舞いは学んでいるが、流石にそうでもなければ自国の宮廷にいる貴族たちの前で身代わりを演じることはし難い。
とはいえ、いつも丁寧な幼馴染の態度を忠実に写すべき代役としてはだいぶ乱暴な態度だが、ここまで含めての余興だ。テオフィロは代役として挨拶をしつつも、レオカディオであるとは名乗らず、第五王子として呼びかけられた言葉への返答もしない。なかなか厄介な役目だが、その条件を国王陛下から提案された妃殿下達が楽しげに目を輝かせているのだから仕方がない。
妃殿下達の機嫌は極力取らなくてはいけない。それが、場を用意すれば愛息子が令嬢を気に入るかどうか吟味するのではないか、と期待しているザハルーラ妃を説得した対価であったし、これから――どの程度かは言い難いが――危険に晒されて恐ろしい思いをするかもしれない妃たちへのせめてもの誠意である。
テオフィロは静かに述懐し、それでも、姿勢や声色、動きの癖などは極力真似ながら次の令嬢に微笑みかけた。
「オリナ・ウルセライと申します。殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
「オリナ嬢、どうぞ顔を上げて。」
「つつがなく年の改まるお祝いを第五王子殿下と共に出来ますこと、何よりに存じます」
……
最終的にこの場に呼ばれるに至った「乙女」は6名。各回で二名ずつの割合だ。
そのうちテオフィロが「違和感を感じた」のは三名。
割合にして半分といえばとても成績が良いが、そのうち一人は王子ではないというのに感づいた、というふうではなく、心底心ここにあらず、というふうであったので、また別物だ、とテオフィロは判断する。
――あの子は囮として呼び込まれた娘のはず。ああまで上の空なのは、それなりに計画を知らされていたかな……。
反応があったのは初回に呼ばれ、レオカディオ王子が髪に花を挿したと話題になっていた令嬢、そして下級貴族を主にした最後の一度で選び出された二人の令嬢だ。
身分確かではない二人のうち一人はあまりにも上の空で、薄く微笑みを浮かべたまま、挨拶も最低限度の形式を保っただけのもの、という具合で、視線すらろくに合わない不自然さに糸に引かれた人形を思い出した。もうひとりはひどく不安げで、幾度も訝しげにテオフィロの姿を見回していたが、その不安げな様子が王子の身代わりに気づいたものかはわからない。最後の一度の二人はどちらも違和感がないように、進言やら推薦やら力関係やらを考慮して容れたという形で呼び込んだ囮であり、一人はこちらに引き込んだ協力者でもあるというのだから、そちらに気を取られている目算が高い。ザハルーラ妃を喜ばせる対象者は最初の一人ばかりだろうかと考えながらテオフィロはどうぞこれからよろしくと微笑んだ。ザハルーラ妃の妃宮の行儀見習いであるのならテオフィロも近い立場になるのだから、嘘ではない。
挨拶が一段落したところで侍従が酒盃を配り、ここで茶番の第二幕だ。
「まあ、夏の事件を思い出しますわね」
つかつかと歩み寄ってきた令嬢の言葉に貴族たちがざわめく。
そう、壇上のテオフィロに声を掛けたのは亜麻色の髪をした娘。エナーレス伯の一女、最初期から「亜麻色の髪の乙女」ではないか、と噂されていた令嬢だった。
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