第368話 人々、状況を整える。
「モニカ嬢。」
親しげに、少し呆れたように。テオフィロは少し肩をすくめてその相手の名を呼んだ。
モニカ・ウエルタは見事な亜麻色の髪と暗い青の瞳をした令嬢だ。
年齢は16で、家格はそう高くはない。伯のうちでは多少広い領地で、それなりに古い家柄であるというぐらい。特に学院に通ったという経歴もなく、本来ならば王族と接点があるような立場ではない。
この場で注目されるような要素はといえば、彼女の音楽教師がシターの名手として祝賀演奏会に出ており、その伝手で招待されたことをエナーレス伯が喜んで手当たり次第に自慢して回ったという経緯があり、彼女が祝賀演奏会に行ったことを知っている者が多い、ということぐらいだろうか。
「いらっしゃるとは思いませんでした」
「素敵な乙女は見つかりまして?」
「みな劣らず素晴らしい方々ばかりでしたよ」
であるから、その彼女が第五王子と親しく振る舞い、訳知りげな物言いをするのなら、それはそれにふさわしい理由がある、ということだと思う者は多いことだろう。
親しげに会話し合う二人に貴族たちが目配せし合うのをテオフィロはちらりと眺めた。
彼女はすいとテオフィロの手の中から優雅にグラスの茎を取り上げると、構えた様子もなく飲み干す。
「ご馳走様」
「またそういうことをされる」
「あら、だって、そのようにグラスを持っておられるのを見ると取ってしまいたくなるのですもの」
亜麻色の髪をした令嬢は、上品かつ茶目っ気たっぷりにうふふと笑った。
もちろん、彼女は囮の一環だ。「本物」の亜麻色の髪の乙女が現れれば、謀反人達はより確実に動くだろう、と張った大人たちが拝み倒して用意した釣り餌。
運良く、エナーレス伯は謀反との関わりは無い可能性が高く、そして国軍に関わりがある人間だったために成立した。
困ったことに誰に事情を知らせ、誰に知らせず置くか、と言う要素が非常に複雑なこの件で、そのカードを切れることは僥倖だ。
彼女がその本人だ、と明示するわけではなく、勝手に勘違いしてもらう方式だが、レオカディオ王子だったならこの演技は出来なかっただろうし、ザハルーラ妃が喜びすぎてしまったかもしれないので、これは自分が身代わりだからこそ出来る茶番だな、とテオフィロは考える。きっと、事情を知らされた上であっても、レオカディオ王子は彼らの友人が彼を救った行為そのものを別の誰かがしたように匂わせるのには難を示すだろう。
ちなみに、こうして振る舞うのを見れば、モニカという令嬢は度胸もあり機転も利く、実にザハルーラ妃好みの令嬢であるのだが、この件を無事乗り切れば、ガラント公をはじめとする種々の関係者の口添えで恋人の騎士見習いの昇進がなされるので、彼女は大手を振って恋人との婚約に進むという予定が立てられているのでそちらの心配は薄い。
亜麻色の髪の乙女が王子を救った、ということについて、実際何が起きたのかを知らぬ者のほうが多い。断片的に見たものであっても、それがどうしてそうなったのかを理解しているものも多くはない。だから、ワインを奪って飲んだことと会話の内容を関連付けて、彼女こそが「そう」だと確信しやすいのは、ワインに魔獣の卵を混ぜた計画を知る謀反に関わる何者か。
ならば、彼女は謀反に関わる者達が手を出したくなる要素のひとつであり、同時に乙女の有力候補と見る貴族たちの好奇心と注目を集める役割だ。
好奇心を湛えて囁き出す貴族たちを横目に、テオフィロは代わりの酒盃を受け取った。モニカはしれっと乙女たちの集団の中に混ざり、娘たちの視線を集めている。
会場中の視線が一連のやり取りに集まる間に密やかに動くものもある。
資材の搬入で揉めていると立ち働く官吏から報告を受けて広間にほど近い資材置き場に出向いた女性はそれなりに不機嫌であった。
宴が始まったばかりだと言うのに愚かな使用人の不手際で呼び出され、何一つ楽しむ前に尻拭いに出なくてはならないのだから当然だ。下僚に任せて彼女自身は機転に満ちた会話で場の歓心をさらうことを楽しめればそれに越したことはないが、今回ばかりはそうは行かない。
「失礼――」
王宮催事担当部として今回の宴の差配をする名誉ある任を受けた監督の一人である貴婦人は、複数の男性に囲まれて身を固くした。普段ならば複数人実務をさせるための人員を引き連れているのだが、今日は誰も連れずに確認に来たのはまずかったのかもしれぬ。
「なんだと言うのですあなた方、無礼でしてよ」
「こちらの花材に申請外の……申し上げますならば、禁制のものが混ざっていると報告を受けまして。荷物のあらためをさせていただきたく」
「馬鹿なことを言わないで頂戴。今日の催しがなんだかわかって仰ってられるの? 王族様方の宴でございますのよ。そのような言いがかりは王家の威信に関わると知りなさい!」
激高する貴婦人に詰め寄られ、騎士を率いる一人は口の端に笑いを浮かべる。
「ははは、何事もありませんでしたらその時は責はわたくしに。ご婦人も、実に職務熱心なご様子。なれば王族方の祭礼におかしなケチがつかないほうがお心が安らかなのでは?」
一人が彼女を押し留め、他の騎士たちが有無を言わせず部屋に置かれた資材を検めていく。
「王族様方の宴に用意されたものを疑うなんて、取り仕切った方々がなんと思うことでしょうね? それは手配された宰相閣下のお顔も潰れるということでしょう。そうなったら貴方方の首などひとたまりもないでしょうねえ?」
「いやいや、最近、事務方の負担が多いそうじゃありませんか。少ない人数で随分込み入った急な支度を任されるだとか聞きましたよ。監督の女官が随分急かすのだとか。それで、忙しさにかまけて荷物やら備品の片付けが疎かになったりね、運び入れるものの確認が行き届かないこともあるんじゃないですか? この宴だけならともかく、前に用意したような物が残って紛れることもありそうですなあ。不適切なものが残ったり紛れたりしていたほうが問題とお考えください」
王家に関わる催しのその日ならば、もしくは王宮の外から中ならば。持ち込まれるものは厳しく検められても、王宮の中から中、時間差のある置き忘れや横着であれば人の目は鈍くなる。そうではありませんか、と騎士がうそぶき、彼女は不興を隠すこともせず彼を睨みつけた。
「ありました! 嗜眠棗の仁です」
広間で焚く香油の瓶の中に紛らされていたのは小粒の栗にも似た種果の油漬けだ。
直接命に関わるものではないが、この仁を火に掛けた煙を吸う、口にするなどすれば思考が鈍り、我を忘れ、夢うつつの陶酔に溺れる。効能はケシの実の汁に似ているが、精製が不要なこと、採取が容易なことで――採れるまでの期間は数年単位で掛かるが――禁制の麻薬の一つに数えられている植物だ。
眼の前に差し出されて貴婦人は動揺もせず、眉をひそめて首を振ってみせた。
「まあ、なんてこと。わたくしの預かり知らぬものでございます」
とても遺憾ですわ、と口に出し、それではご調査頑張ってくださいね、宴の中止を求めるほどのものではありませんでしょうから、後々業者と搬入の担当者の召喚状を出してくださいと言ってのけた彼女の傍に立ったままの騎士のもとに荷を検めていた騎士の一人が歩み寄る。
「あちらの荷物から出ました。荷物の目録にはないものですが……これは一体」
「おう、下手に指を突っ込むなよ」
手の中の箱に並ぶのは、軟白栽培したアスパラガスに似た人差し指ほどの大きさの小枝に見えるものだ。
「ええー、そちらの荷はイマーリからと申請があったものですが、間違いありませんか」
「それがどうかしたというの? イマーリの香木の枝ですわ。品名が漏れることもあるでしょう」
「ええ、なに、そちらの荷……御婦人御本人……ビセンタ様から申請があったと記録されているものですが、おかしなことにイマーリからの発送記録がとれませんでね。一応あちらまで行ってきたんですよ。部下がね。そうしたところ、そんな依頼、聞いたこともないと。……確かに宴を中止していただくほどのことではありませんな。まず貴女に来ていただけばよろしい。ビセンタ婦人、失礼ですがご一緒いただけますか」
「おやめなさい! そんなもの、なんの証拠になるというの!」
激高し、対面の騎士の顔を叩こうとしたビセンタ婦人の腕を、一団を率いていた騎士が取る。押しのけようと振り回しても小揺るぎもしないまま、いっそ凶暴な笑みをのぞかせた。
「ははは、何の証拠かと言われますとね、俺の見立てでは、それはイマーリではなく、もっと近郊の山村あたりから発送されたものだ。そうですよね? それは、魔獣の若枝です。俺自身が見てきたものでね、間違いない」
なにごとか叫ぼうとした婦人の口元をぐいと抑える。彼女はしばらく逃れようとしたものの果たせず、お静かに、と緩めた手の隙間から首を振り金切り声を出した。
「わたくしを誰だと思っているの、こんな事をして、只では済みませんわよ!」
「大人しくしていただけますか。態度によっては温情もあるかもしれませんよ。……お連れしろ!」
「はっ」
外で見張らせた部下に、誰も通りかからず声も漏れてはいないと確認し、婦人を連行させて、騎士……フィリベルト・ディアスはふうと息を吐いた。
ビセンタ婦人には搬入物に隠して禁制の品を王宮内に持ち込んだ疑いと、その人員にまぎれて謀反人を内部に手引した疑いがかかっている。
彼女が翻意して後の予定まで洗い浚い吐けば良し、そうでなくてもしばらく誤魔化せるように、用意されていた使用人が配置につく。禁制の品は何の効果もない偽物に置き換えられ、何事もなかったように装う。
「まずは一件……っと」
これ以外にも同時に数隊が動いており、謀反人に唆された者たちをある部署では分断し、ある部署では用意されたものを安全なものにすり替える、そういう事が行われている。
なかなか厄介な仕事だが、彼の担当する範囲においては、非常に優秀な背教者が関係者達の動きと立場、容姿を洗いざらい流してくれているので、なんとか丸く収まりそうだ。
――いや、あれは背教者というか、内務か……もしかしたら外務の雇われなんだろうなあ。
一体どんな司法取引があったものか。こちらに抱えられたのなら、最初から素直にウチに回してくれればもっと楽なのに、とフィリベルトはやれやれとなったが、まあ、部局同士の意地の張り合いは古今絶えないものだから仕方ないのかもしれない。
こうして、密かに。
今日この場のために用意された謀反人達の刃が削がれ、牙が落とされていく。
何もかも集まってしまってからでなければ根を絶てないとあって、だいぶ厄介な話だが、同僚たちがしくじったという様子は見えないため、このまま行けばのこのこと餌に釣り出されてきたところをきゅっと括れば纏めて一件落着のはずだ。
「やれやれ、早めに無事大団円ってことになって、俺も一杯やりたいね」
「全くだ。良いワインの一杯ぐらいご相伴に預かれれば良いんだけどな」
しゃんと拳を打ち合わせ、騎士たちは次の現場に静かに向かった。
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