はじめてのお友達
第4話 日常とお友達 1
塔の諸島では島の周りの海が雲を呼ぶために初夏になると雨が増える。
さあっと雨が降っているのを眺めながら、スサーナは中庭を囲む回廊をてちてちと歩いていた。
中庭に植えられた植物たちは気合を入れてわさわさと成長し、ささやかな林めいて空を遮りだしている。雨の粒が葉を打つ音がちょっとした楽器のようだ。
――そろそろ剪定が必要に見えるなあー。
頭上に釣られた植木鉢から伸びたシダが小柄なスサーナの手の届くところまで伸び放題に伸びていて、なんとなく軽く引っ張ったところざあっと頭から水滴を浴びた。
「うひゃっ、冷……たくない」
塔の諸島は温暖な気候だ。普段からからっと乾いた空気のために蒸し暑いということはなく、日本の夏に比べればまったく過ごしやすいとスサーナは感じているが、初夏の今でも結構に気温が高い。葉を伝い落ちてきた雨水をいっぱいに浴びても爽やかに感じるほどだ。
首を滑っていく水滴の感触が心地よい。ぱたぱたと頭を振ると、着ている生成りガーゼのワンピースに水が落ちて点々と濃い色の斑点をつくった。
「あーあ、濡れちゃった。まあすぐ乾くでしょう」
ここでは雨のさなかでさえジメジメとする感じはない。日本のじめっと籠もったような梅雨が苦手だったスサーナにしてみれば大歓迎だ。
室内に戻りさえすればこの程度の水濡れはすぐ乾くだろう、と判断して、髪を拭きすらせずに散歩に戻る。
壁の半ばまで貼られた青と黄と白で構成された幾何学模様のタイルを片手でなぞって冷たさを楽しむ。
スサーナはごきげんだった。
最初は前世の記憶が邪魔をして、玉結びすらもたもたしていた裁縫の練習だが、どうやら継続は力だったらしい。記憶が戻る前からしばらく練習していたこともあり、春の半ばに自我がはっきりしてから二月。並縫いにはじめ、かえし縫い、かがり縫い、まつり縫いまでも習得したのだ。
おばあちゃんにも上達が早いと褒めてもらった。
――ふ、ふふふ。伊達に22歳まで生きてないですし。
これが大人の習得力というものだ、と胸を張る。22歳ならもっと簡単にコツを掴めてもいいのではないか、という気も少ししたが大人の柔軟力でいい感じに目をそらすことにする。苦手なことができるようになるのは実に気分がよかった。
このぶんなら近い内に刺繍枠と刺繍針をあつらえておこうかね。スサーナが縫いの練習をした布を見ながらおばあちゃんがそう言ったのがさっきのこと。ずっと座ってばかりではいけないと散歩をしてくるようにといいつかったのだ。
「刺繍かあ」
刺繍。スサーナは近所の書店に入っていたなんだかロハスでクウネルな感じの雑誌を思い出す。そうそう、あと、大学1年で同じクラスだった森ガールっぽいゆるふわですごくかわいかった子の趣味が刺繍だって言ってたっけ。
素敵な趣味っぽいなあ、とは思っていたものの、小学校と中学校での壊滅的な記憶のせいで自分には縁のないものだと思っていた。
「うふふ、刺繍かあ」
笑みが溢れる。そういえば北欧風の花の刺繍を全面に散らしたワンピース、欲しかったんだよなあ。桜とか、猫の図柄のミニバックも。通販雑誌に掲載されていた「自分で作る刺繍バッグ」の可愛さ素敵さにどれほど残念な気持ちになったことか。
「作れるかな?」
なにせ本職に教わるのだ。さらに言えば本職になることを目して指導されるわけで、これは作れるようになる可能性は非常に高いと言ってもいいだろう。
「楽しみだなあ」
食堂に続くアルコーブでスカートをくるりとひるがえしてぐるんぐるんと回る。
少しテンションが上りすぎだって?6歳児だから仕方ない。22歳と6歳を器用に使い分けてスサーナは頭の中に浮かんだツッコミを端っこの方に押しやっておく。
「ふふっ」
耳に届いた笑い声に急いできょろきょろとすると、食堂の中でお針子の一人がこちらを見て笑っているのが目に入った。
昼間なので吊るしランプの火は落としてあるが、中庭と表の大窓から、雨の日のうす青い光が入ってやわらかに明るいのでここからでもしっかりと姿が見える。
あの人はええっと、ブリダだ。スサーナは名前を頭から引っ張り出す。なんとスサーナは記憶が戻るまでお針子達の顔と名前が一致していなかったのだ。流石に申し訳なくて、この二月で急いで覚えた。23で、お針子の人の中で三番目に年上。自分の享年と近いので、こっそり少し親近感を抱いている。
「ご機嫌ですね、お嬢さん」
こいこい、と手招きをされる。
――ひ、一人でテンションが上っているところを見られてしまった。
急に恥ずかしくなって、照れ隠しにぱたぱたと駆け寄ると、ぽん、と口の中に何かを放り込まれる。
むぐ。ん?甘い。お菓子だ。
「おいしーい」
ほにゃんと顔が緩んでしまう。さくさくとした糖衣の中にたっぷりの果汁がじゅわっと染み出してくる歯切れのいいスポンジのようなものが入っている。
なんだろう。柑橘の皮かな。スサーナは口の中でもごもごと味を確かめる。
確かに鼻にすうっと抜ける甘い香りと味は柑橘の精油のものだ。レモンの皮にしては妙にふわふわしっとりして厚いけれど。
「ザンボーアのしろいとこのシロップ煮ですよ」
「ほへぇ……」
「コラッリアの特産なんですよ。」
ブリダは笑って言う。ザンボーアは諸島で三番目に大きなコラッリア島でとれる皮の厚い柑橘だ。
ちょうど彼女はコラッリア島様式の織布に包まれた荷物を大テーブルの上に広げて、いろいろ整理をしていたところのようだった。
「へええ……おいしいです!」
「それは良かった。挨拶に来た従姉妹がお土産に持ってきてくれたんですよ。」
満面の笑みで笑い返したスサーナにブリダは気を良くしたようだった。片手に乗るほどの陶器の器にぎっしりと詰まったシロップ煮をスサーナに見せて、小さな欠片をもう一つつまみ上げると口に入れてくれる。
沈んでばかりの両親がいない小さな子供を笑顔にできるのはとてもいいことだ。年若の従業員は皆ひとりぽっちで家の中にばかりいるこの子を気にかけている。これまでずっとまるで馴染まず近寄られもしなかったものを、懐きかけの小さな愛玩動物めいて近づいてくるようになったのだからなおさらのこと。
「いとこさんが。」
「ええ、今度から
「へえ! おうちのお手伝いですか?」
「いいえ、お店をやるんですよ。コラッリアで出来たものをこっちで売るんです。今食べたみたいなシロップ漬けやら、ジャムやら、あとは装飾品なんかも。」
「へええ!」
荷物の中身はシロップ漬けやジャム、数種類の魚の瓶詰めと、ごろごろとしたそのままの果実がいくつか。お得意様になることを見込んでの商品のお試しという面もあるのだろう。
目を輝かせる少女を好ましく見つめて、ブリダはさも今思いついた、というように言う。
「そうだ、従姉妹にはお嬢さんと同じぐらいの年の子供がいるんですよ、明日もね、挨拶に来るはずなんです。他所の島からきたばかりで他に友達もいませんし、お嬢さんが仲良くしてやってくれると嬉しいんですけどねぇ。」
「おんなじぐらいの年の子がいるんですか!」
にんまりと笑うブリダを見上げながらスサーナは考える。
同じぐらいの年頃の子供とは出会っておきたかったのだ。
地域社会の子供にもおいおい馴染んでおきたい気がするのだが、子供とはいえ集団が出来上がっているところに右も左も分からない状態で飛び込んでいくのは気が重かった。
この感じだと仲良くなるのを期待されている気がするし、渡りに船。一人と一人でまずは仲良くなっておければ初動としてはずっと楽だ。他所の島の子供とはいえ、自分よりもずっと子供社会の常識なんかには詳しいだろうから、そこを見て合わせていけば違和感も減るだろう。
いまの成熟した精神でどれほど子供の遊びに付き合えるかは疑問が残るが、まあ、子守だと思えばいい。
「明日来るんですか?わたしも挨拶できたらいいんですけど」
「あらあら、じゃあお祖母様に私からお願いしておきますよ! きっと許してくださると思いますよ」
「はい、ぜひおねがいしたいです!」
どうか、カエルのお尻に息を吹き込むような遊びが一般的でなければいいんだけれど。
挨拶に同席させてもらえるようねだりながら、スサーナは心の中でそっと祈っていた。
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