第205話 予兆 1

 次の日。メイドさんたちに衣装を整えられたスサーナは、小さな馬車に乗せられてエレオノーラの実家、本宅にお邪魔していた。


 エレオノーラが責任者だった饗しについて、報告用の草稿を作るという手はずになっているのだ。


 そういう明らかにできない事情と、それからやはりエレオノーラの家族は平民に良い感情を持っていない、ということで正式な訪問ではない。人目につかないようにそっとエレオノーラづきの使用人達の手によって裏口を通って人の少なそうな一角に送り届けられ、そこで待っていたエレオノーラと合流する。


「エレオノーラお嬢様、お早う御座います」


 一礼したスサーナの格好を一通り見渡してエレオノーラはそれなりに満足したというような表情で一つ頷いた。


「ええ。貴女は格好を整えれば下級貴族程度には誤魔化せるようですね。平民であれば皆形を整えた所で卑しい身分が透けるものかと思っていましたが」

「恐れ入ります」

「どうです、別邸の居心地は。その姿を見れば丁寧に扱われているようではありますが」

「私には勿体ないほど厚遇していただいています。ええと、ドレスもこのような素晴らしいものをお貸しいただいておりますし、申し訳ないほどで……」

「死蔵している品です。置き古して虫の餌にするより貴女が身につけたほうがまだマシというものでしょう。」


 頭を下げたスサーナにツンと言い、エレオノーラはでは始めましょう、と言った。


 草稿作成、の目的は、大体の所でエレオノーラにボロが出ないようにする、というものだ。功績自体は事実で、話す相手も同派閥の貴族。

 経緯なんかについての発言がよほどおかしくなければいいだろう、と判断したスサーナは、とりあえずまずは大体の流れをエレオノーラに把握させることにした。


「ええと、これまでに宴席で出してきたものの料理の記録と日誌が学院の文書保管室に保管されているんですね。それをアイマルさんに調べさせた……ということにすればよろしいと思います。実際出してきてくださいましたし、嘘ではありません。」

「あれらが食事に手を付けないのに理由があるに違いない、と考えて、先の資料を調べた……と。」

「はい。実際アイマルさんは実物を見ておいでなので、何か質問されてもお返事できると思われます。それで、そうですね。エレオノーラお嬢様は異国の食べ物を食べる訓練をされておいででしょう。そこからお考えになられた、ということにすれば皆納得するのではないかと。」


 ところどころエレオノーラがそう思考しておかしくない理由をでっち上げつつ、全体のおおまかな流れをエレオノーラが言えるようにまとめ、紙に書き付けていく。


 おおまかな全体の流れを流し込んだ後に、細々とした工作の開始だ。

 島生まれの使用人、のウェイトは落としておきたかったし、エレオノーラお嬢様も個人の、更に平民の使用人の働きを前面に出したくはなかったようなので、そのあたりは結構しっかり使用人複数の働きとして整形する。ついでになんとなく「混ざっていた知り合いにアドバイスを貰った」ということはスサーナとしては隠しておきたかったので、そのあたりは隠蔽して、普通に質問状を出した、とかそういう形にしておく。

 その状態でエレオノーラ監修のもとでアイマルやマレサと協議して、実際に貴族の指示としてよくある形に整え、お嬢様の監督の元、という形にして、その監督でエレオノーラがどういう指示を出したのかをでっち上げる、という外面塗り固め作業を行った。

 ちょっと彼女が後ろめたそうな顔をしているのに、実際エレオノーラお嬢様の方針があったからこそ使用人たちはこう動いたのだ、などと言いくるめておくのも忘れない。


「ええ、そうね。わたくしの指示と責任のもとでわたくしを信用してくれた者達が行動してくれた、という事は重要です」


 誇りと正義の系統の人であるエレオノーラお嬢様ではあるが、貴族らしい建前社会をそれなりには飲み込んでいるようで、そのあたりはそこそこ話が早かった。


「わたくしの指示ゆえに、としておくことで彼らの来年の働きやすさも代わるのですから。よく説明できるようしておかないと。アイマル、ここの流れをもう一度述べて」


 スサーナのやることは実際起こったことの流れをまとめることと、どう準備したかの共有だ。

 パートパートごとでの聞かれそうなことや、ウィットに富んだ切り返し、求められそうな高邁な思想などを予習するのは他のもっと物慣れた使用人たちの仕事となる。

 しかし、それでも確認事項はそれなりにあり、すり合わせすることも多い。


 話し合い、報告の草稿の形に流れを纏め、突っ込まれそうな部分や質問などに対応できるように穴を埋めているうちに気づくと数時間がぱっと経過している。


「少し休憩に致しましょう」


 スサーナはマレサがエレオノーラお嬢様に申し上げるのにこくこくと頷いた。


 マレサがお茶の準備をし、エレオノーラお嬢様が背伸びをするのを後ろに、スサーナはちょっと断って部屋を出る。

 スサーナが最近知ってどうしても慣れないと思うものは偉い貴族の館のお手洗いのシステムである。


 そう、上位貴族の屋敷はやたら広い割にお手洗いの数が少ない。

 そして、貴族の皆様はそれで支障ないのか、と思いきや、上位貴族の貴婦人というやつはなんと部屋になんというか、そういうものおまるを持ってこさせて用を足すのだという。優雅さを担保するならさほどの移動をせず服の着付けが楽な場所でお手洗いに入れるよう、という思考はわかるが、それならたくさんトイレを建てたほうがずっといい、とスサーナとしては思う。


 設置式の掘っただけのアレでもだいぶ辛いスサーナとしては死んでもごめんな風習であり、さっきからちょっと辛かったものの、まとまった時間が出来るのを待ち望んでいたのだ。

 数は少ないながらもちゃんと設置式で、おがくずを使ったものが今いる一角にもあるのはアイマルに説明を受けていた。

 本当は貴族ならせめて水洗ぐらい……と思ったスサーナだったが、内陸は水が貴重だというのでどうにも仕方がない。ともあれ、本当は部屋から出ないほうがいいのだが、絶対に部屋から出てそちらで行わなくてはならない、と決意している。


 無事にお手洗いにたどり着き、精神性が貴婦人ではないスサーナはお付きの者に全部脱がせてもらったりすることもせず、セルフ茶巾絞りで無事対応した。


 トイレの前でスカートを戻し、しわや捲れがないかを確認して見た目上だけは貴族然とした上品な少女に戻ったスサーナは楚々とした乙女のフリをして廊下を戻る。



 人気がなく、昼間でも薄暗く保たれた廊下を歩き、いくつか角を曲がる。

 ――ええと、次を右。

 スサーナは短く立ち止まり、ルートを頭の中で確認した後にまた歩きだし――


「メリッサ!?」


 横手の廊下からかかった声の鋭さにはっと身をすくめた。

 一瞬、どうすべきか判断に迷い、

 ――お屋敷の人に見られるのは駄目、だからええと、後でアイマルさんになんとかしてもらう方向で!

 ぱっと走り出しかけた腕を駆け寄ってきた誰かに掴まれる。


 振り仰ぐと、ドレスの手首を掴んでいたのはエレオノーラの兄君だった。


「……っ、……あ……、済まない。」


 息詰まるような目をして表情をこわばらせた青年は、そちらを見上げた少女の顔をまじまじと見つめ、そして息を吐き、ゆっくりと指の力を緩めた。


「君は……エレオノーラの友達の……。薄暗かったから、知己と間違えた。……驚かせたね」

「いえ……あの、こちらこそ驚かせてしまったようで……済みません。」


 腕を引いて一礼したスサーナにエレオノーラの兄、オルランドは唇を引いて笑ってみせる。


「本当に済まなかった。ご婦人にしていい失礼じゃないな。……ドレスが、あんまり似ていたから……」

「ドレス……死蔵しているものだとエレオノーラお嬢様にお貸しいただいたものですが……」


 普通なら薄暗かろうが離れていようが髪色や髪型で人の見分けはつくのだろうし、スサーナの普段着の髪覆いを着けていても貴族らしからぬデザインで判断はついたかもしれない。ところが今日のスサーナは別邸のメイドさん達チョイスの色布と金属飾りを使った髪飾りを兼ねた覆いを着けていた。髪をすっぽり覆うもののギリギリ違和感なく貴族の娘の普段着と言っておかしくない形で、それも判断を狂わせた要因だろう。


「ああ……そうか、別邸に残してあったんだな。そうか。見違えるはずだ……」


 何か複雑そうに笑ったオルランドは一歩離れ、失礼に対する丁寧な謝罪の言葉を述べた。

 ――なんでしょう。何か……訳ありなんでしょうか。亡くなった方、とか?

 反応の感じに内心首をひねったスサーナだったが、廊下で立ち話をするのも、あまりエレオノーラのお兄様と長話するのも避けるべきだ、と判断する。

 エレオノーラの部屋まで送ると申し出た彼に丁重なお断りを述べ、詳しい話はマレサかアイマルに聞けば話してくれるだろうか、と算段しながらその場を離れた。



 相談に使っていた部屋まで戻る。

 エレオノーラの兄と接触したと知られたらものすごく不興を買いそうだな、と思ったスサーナは話さないことにしようかだいぶ迷ったが、自分は居ないはずになっている人物なわけだし、ここで誰かに見られたと報告しないでほっておくと問題がありそうだし、と諦めてエレオノーラにこれこれこういう男性と廊下で鉢合わせしましたと報告した。

 エレオノーラははっと口元を抑える。


「まあ。お兄様……戻っておられたのですね。いえ。それも当然。魔術師の管理は本来お兄様のお役目。報告を聞きにおいでになるのは義務ですもの……」

「ええと……それで、このお借りしたドレスがお気になられたようでした。これはどなたの物なんですか? エレオノーラお嬢様のお気に召さなかったものをお貸し頂けたのかと思っていたんですが」

「……わたくしの物ではありません。ですが、今誰が持ち主というものでも無いものです。着たところで貴女が叱られるようなものではありませんから安心なさい。さあ、そのような話をしている余裕はありません。アイマル、ペンを。草稿の残りを夜までに纏めてしまわなくては。」


 スサーナの質問にエレオノーラはもやもやとしたような表情をして、それからどうやら話をそらしたようだった。


 夜には派閥の貴族たちがやって来て、報告会を兼ねた食事会がある。

 夕方前には草稿を纏め終わり、スサーナが何か相談がある時のために食事会の間隣の控室の一つでそっと待機している、という手はずを相談した後にエレオノーラは仮眠を取ると言って自室に下がっていった。


 スサーナも部屋を一室与えられ、そこで休んでおくよう言われる。

 着替えの手伝いが必要だろうと、学院でエレオノーラの身の回りで雑用を行う使用人の一人、ヘレナが部屋に残ってくれたので、スサーナはそおっと兄君の口から出たメリッサという名と、ドレスについて聞いてみることにした。


 エレオノーラの付き人のうち、アイマルとマレサはプロ意識が高く余計なうわさ話なんかを話すことは少ないが、雑用の二人は主が居ないところではそれなりによく喋るし、下世話な話をしたりもする。

 当初、エレオノーラの使用人のうち上位二人――どうも、実家に残ったエレオノーラの使用人達を合わせた中でも責任ある立場であるらしい――であるアイマルとマレサに聞くつもりだったスサーナだが、二人に聞くより口を滑らせやすい彼女のほうが突っ込んだ話が聞けるかもしれない、と思ったカンはどうやら当たっていて、その名を出したスサーナにヘレナは少し深刻な顔をして見せてから口を開いた。


「あまり大声で言い回るようなことではありませんのよ。その事は覚えておいてくださいましね。メリッサ……というのは、ええ。エレオノーラお嬢様に少しはお聞きしているかもしれませんけれど、オルランド様が旦那様と仲違いされた……原因になった平民の名ですわ。」


 ――なるほど。なんとなく、そのあたりではないか、という気はしていましたけど。


「エレオノーラお嬢様のお友達に少しお聞きしたことはあります。お嬢様のお兄様がとても迷惑を掛けられたことがあると……、その方なのでしょうか」

「ええ。そうですわ。迷惑を掛けられた、というのも迂遠な言い方ですわね。メリッサという名の平民の方は……オルランド様と恋仲でしたの。別邸にある衣装や小物は元々彼女のために用意されたもので……あそこに今いるメイドもそのとき雇われた方々ですの。平民に別け隔てをしないものをとオルランド様が選んでお入れになったと聞いていますわ」


 あの豪華な別邸に、山のような衣装に、専用の使用人。


「それは……まるで奥様みたいな……。じゃあ、別邸に住んでおられたんですか? 学院でお知り合いになった相手だと聞いていましたけど」


 なんとなく、クラスメイトとか、でなかったらミアのように学内で顔を合わせる親しい相手、みたいなイメージだったスサーナはすこしイメージの修正を強いられる。


「ええ、それがなにか?」

「あっ、いえ。ええと、エレオノーラお嬢様のお兄様もまだお若いように見えましたし……ええと、こう、学院で知り合った方なら王都にいらっしゃるイメージがなかったもので……。こう……学士まで修めるにしても18まで掛かるわけですし……」


 そう言ったスサーナの顔を見てヘレナがふふふと面白そうに笑う。


「学者になるつもりだ、とか聞いていましたけど、貴女は本当に学問のために学院に行ったのですわね。平民が皆貴女のようならいいのですけど。」


 ヘレナが声を潜めて言うことによると、そのメリッサという平民の女性は初年度にエレオノーラの兄君と親しくなり、彼が16の年、男性が結婚可能となる年齢に彼と結婚するという予定で王都に来たのだ、という。


「それが15の歳のことで……三年前の話ですわ。旦那様も奥様もとても反対されたのですけど、オルランド様の決心を翻すことは出来ず……、仕方なく旦那様も別邸に何不自由無い用意を」


 そこまで喋った所でマレサが伝言を携えてやって来たものでヘレナはささっと下を向き、何食わぬ顔をして口をつぐんだ。


 ――なーるほどなーあ。

 スサーナはなんだかの色々に納得する。エレオノーラお嬢様の平民嫌いといい、きっとなんだか色々あったりしたのだろう。


 しかし、その彼女が居ない、ということとこれまでの断片的な情報的に、きっと結局引き離されたんだろうなあ、とスサーナはしみじみした。

 偏見半分だがよくありそうな話だ。


 なんというかそれでその彼女の衣装をスサーナに使ってしまおう、というのはなんだかとてもエレオノーラお嬢様らしい。それともお兄様への当てつけ的なものなんだろうか。

 そう言えば初対面のときお化けを見たような顔をされたのもドレスのせいだろう、と思い当たる。

 ――しかし、まあ。オルランド様とやらはまだそのメリッサさんに未練があるみたいでしたねえ。

 15,6の年齢の頃の話だと言うのになんともすごい話だ。いやでもロミオとジュリエットもそのぐらいの年齢だったんだっけ? とスサーナは思う。


 きっとこの分だと演奏会で貸してもらうドレスもそのメリッサさんのものだろう。

 思い出のドレスとかだったりしたら、またうっかり見られたらオルランド様に申し訳ないなあ、とスサーナはちょっと後ろめたい気持ちになる。


 かわいそうに。


 とはいえエレオノーラお嬢様の発案をお断りするというつもりは無い。スサーナとしては一番機嫌を損ねるとまずいのはエレオノーラお嬢様なのだ。そのあたりのすり合わせは今日にでも兄妹で済ませておいて欲しい。心底そう願っているスサーナだった。

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