第185話 摘み草に安全でも適切でもありません 2

 早朝、やや早めに目覚め、スサーナは使用人用の朝食から昨夜作ってあったスープを少し貰い、それから買ってあった発酵パンを割って生ハムとチーズを挟んでお弁当をこしらえた。

 柳編みの籠の中にハンカチにくるんで入れ、自作の肩掛けにした布鞄に入れて完成。

 それから皮水筒に入れた煮出したお茶と栄養補助食品ミルクケーキ、重ねられる薄手の木のカップが2つ。それからちょっとした怪我のための市販のハーブを混ぜた馬脂やら虫除けやら、お出かけ用のこまごましたものと摘み草用のハサミも入れた。


 その後古着を買って自分のサイズに仕立て直した野良着に着替える。染めをしていない厚い生地の服で、一切刺繍やら飾りやらない、質実剛健という風情の作りだ。

 ところで、野良着だって言うのにスカートだという事が微妙に納得がいかなかったスサーナはスカートの下に自作のズボンを着込むことにした。裾をブーツに入れてしまえばうっかり虫に刺されることもないはずだ。これで完全装備といえよう。


 いかにも農村の少女という感じの格好になったスサーナは最後にエプロンを巻き、ついでに髪抑えも特にシンプルなデザインのやつを選んでつけて準備万端、ブーツに履き替えると寄宿舎に出かけていった。



 寄宿舎に着くと、ミアは食堂で朝食を食べているところだった。


「あ、スサーナ早いね、ごめんね、もうちょっと待ってて!」

「あ、お気になさらず。皆さんこれからお仕事ですから、邪魔にならないうちに来ただけですので!」


 さて、先に階上うえに上がって自室で待っていてもいいが、とくに部屋に行く用事はない。これはここで待っていたほうがいいだろう。そう判断してスサーナが適当な椅子に座って待っていると、どうやら何か残り物はないかと漁りに来たらしいジョアンがあからさまに眉を寄せて二度見してくる。


「なに、お前、そのカッコ」

「あ、ジョアンさん、おはようございます。これからミアさんと街の前のあたりで草摘みするんですよ」

「草摘み?」

「はい。実習が無くなっちゃったわけですけど、まあバザーに何か出すものというだけでしたら草原でも集められないわけではないので」


 その言葉に一応ジョアンは納得したらしい表情を浮かべたものの、再度スサーナを上から下まで眺め回し、わざとらしくなんとも微妙な表情をして肩をすくめてみせる。


「ああ、なるほど……。それにしても大袈裟じゃない? どこの農婦に変装するのかと思った」

「ああ、本当は実習用に仕立てた服なので。……似合いません?」

「違和感しかないね」


 そんなあ、と情けない声を上げたスサーナにジョアンは鼻を鳴らし、まあ、と言葉を継いだ。


「出来はいいんじゃないの? 違和感すごいけど。……でもお前、わざわざ野良着縫ったんだ。残念だったよな、実習」

「あ、はい。残念でしたねぇ……。森で何か集めるの、ほとんど経験がないのでやってみたかったんですけど。」

「お前っていかにもそんな感じだもんな」

「と言いますけど、ジョアンさんはあるんですか? 本島って街から徒歩で行ける距離に大きな森ってなかったじゃないですか。私はお祭りの草摘みに馬車で行ったことがありますもん」


 ぷすっとしてみせたスサーナにジョアンは少し目をそらした。


「いや、俺もないけどさ……」

「ほらー!」

「うるさいな。俺はそんな呑気な理由より生活面で大打撃だよ。バザーの稼ぎでしばらくなんとかする算段立ててたのにさ。……ランドのやつ、兄貴もここの出で、高価な薬草の生えてる所の地図を貰っててさ、俺も写させて貰ってたんだけど。……実習中止どころか立入禁止じゃ別のタイミングで取りに行くのも出来ないし。しばらくすれば入れるようになるのかもしれないけど、一番買い手がつくのはどうしたってバザーの日だし。」


 ランドとは寄宿舎の同級生の一人だ。

 なんとなく女子二人と三人セットになることが多い印象のジョアンだが、そうでない時は数人の男子でつるんでいたりして、ランドはその中でもジョアンと仲が良さそうな印象の少年だった。


「しばらくなんとか……って、そんな儲かるほどの?」

「ランドの兄貴はその稼ぎだけで一年やってたらしいから、よほど高いやつなんだと思うよ。あーあ、アルバイト増やさないと」

「ご愁傷様です。……よく写させてくれましたね、ランドさん。」

「あいつの算術の発表ぶん、全部代わりに解いたからな。あいつ算術はからきし駄目だからさ」

「あくどい……」

「当然の対価!」


 ジョアンをかまっているうちに食べ終わったミアがぱたぱたと駆け寄ってくる。


「おまたせ、スサーナ! あ、ジョアン。ジョアンも草摘み行く?」

「行かないよ。折角の休みなんだぜ。お前らと一緒にちんたらお花摘みなんかするより儲かることするさ。商家の坊っちゃんの宿題の代行でもしてるよ」

「そんなことばっかりしてると先生に睨まれるよー?」

「あんな意気地なし怖いもんか。」


 言ってジョアンは元々の目的を思い出したらしい。テーブルの上に放置されたパンかごから硬くなった丸パンを二つ掴み出し、ぶつけ合わせてカンカンと音を立てて眉をひそめてから、まあスープに漬ければなんとか食えるだろ、と呟き、二人に小さく手を振って去っていった。


 それからスサーナとミアはミアの部屋に移動する。

 ミアが用意した野良着は女の子らしくちょっと可愛いものを選んでいるようで、毛織の胴着が赤に染めてあったりちょこちょこ縁に刺繍があったりするのが微笑ましい。


「あ、これいいですねえ」

「えへへ、そうでしょ。でも安かったの! あ、でもスサーナの格好のほうが着た感じスッキリしてるかも……?」

「ミアさんにはちょっと大きいサイズなんですかね。でも可愛いですよ」


 ミアの着替えを手伝いながら褒め称え、麦わら帽子その他の日よけはやはりなさそうだったのでああそうだよかったら、と帽子を取り出してスサーナが勧めるとミアは目を丸くして喜んだ。


「えっ、すごい、これもしかしてスサーナが作ったの?」

「はい、実は。帽子は本業ではないので見栄えは落ちますけど、日中は暑くなるのでないよりいいかなー、と。」


 本業の帽子屋はしっかりと芯を入れて革やフェルトで作るのが一般的――貴族女性のつける優美なものはまた別――だが、半分見よう見まねかつあるもの使いのスサーナは羊皮紙芯で麻生地の作りである。

 利点は簡単に折り畳めること。それからブリムが広くて日を遮るのに便利、ということである。それから一応生地は空色で縫い目から見える糸と裏地が白となんとなく見た目に気を使っては居ないわけではない。


「かわいい! 貰っていいの?」

「ミアさんさえよろしければぜひ使ってください。暑さあたりになったら良くないですから。」

「やった! でもいいなあスサーナは。お料理も上手だし縫い物もすごいし。絶対いい奥さんになるよー……。」


 帽子をためつすがめつし、それから目を潤ませて言ったミアにスサーナはぱたぱたと手を振ってみせた。


「はっはっは、何を仰るやら。そんなの私がなれるわけがないじゃないですかー」

「ええっ、そんなことないよお……っていうか変な言い方ー」

「そうですか?」

「そうだよー。私が男の子だったらきっとほっとかないと思うもん! 」

「あー、それは光栄ですねえ。」


 スサーナはなにやらぷすぷす言い募るミアを受け流しつつ帽子のひもを結んでやる。


「さてこれで日差し対策もよしと。あと何か用意するものあります?」

「あ、ええっと、後は袋ぐらいかなー。背負い袋にいっぱい集められたらいいんだけど」

「夢が広がりますねえ」




 そうやって出た街の外、比較的すぐに広がっている草原はなかなかに初夏のピクニックには向いた場所だった。


 日差しは強く、風は乾いていて、初夏特有の緑の強い草原のそこここに薫衣草の紫の群落、檸檬麝香草の薄紅や林檎菊の白があり、ぱらぱらと草原に混ざったヒナゲシとムギナデシコがてんでに揺れている。


 スサーナとミアは手分けして、目をつけた薬草の薬効のある部分を摘み取りだす。

 あるいはエプロンに抱え、あるいは布籠に落とし、ある程度溜まったところで布袋に種類ごとに移す、ということを繰り返した。


「ふあーっ、暑い! 帽子すごく正解だったよお!」

「でも風が吹いているのでけっこう爽やかですねえ」


 ミアが汗を拭い、腰をとんとんと叩きながら反り返って背伸びをする。

 スサーナは林檎菊の花が詰まった袋を確認し、だいたい一杯だと見てから近くにある灌木の日陰に置いてある薬草を詰めた袋と持ってきた荷物を眺めた。


「ミアさーん、一休みしてご飯にしませんか。暑いですし、お弁当が傷んじゃう前にー」

「え、お弁当あったの! スサーナすごい!」

「実はあったんですよー。簡単なものですけどねー」


 木陰に移動して座り、鞄からサンドイッチを取り出し、コップに煮出したお茶と、水筒の冷たい水を注いでミアに渡す。

 食前の祈りを二人で唱え、スサーナはついでに内心いただきますなどと唱えてから昼食を始めた。

 雲雀の声。風が灌木の葉を揺らす音。草いきれと指とエプロンに染み付いた薬草ハーブの強い香り。首にかいた汗が風で冷える感触。


「んーっ、おいしい! ねえねえスサーナ、来て良かったねー」

「ええ、ほんとに。」

「これでバザーでよく売れたら最高なんだけどなー」

「売れたらいいですねー。きっと売れますよ。集めるのが少し手間なものですし、みんな薬湯ハーブティーは飲むわけですから」

「うん! きっと買ってくれるよね!」



 午後もしばらく同じように草を摘み続け、持ってきた袋が一杯になったのを期に帰還する。


「陰干しは裏庭でしたらいいね」

「そうですね、今日帰って干せばこの気候なら一日で乾きますねえ」


 そう語り合いながら寄宿舎まで戻ってくると、なにやら数人の先輩が玄関ホールに居座っていた。


「お、帰ってきた」

「おう初等生ども戻ったか」

「……? 先輩方、わざわざ待って?」

「あれ、女子だけか? ランドやらオビどもは?」


 そう言われてスサーナとミアは顔を見合わせる。


「わたしとスサーナは二人で草原に薬草ハーブ摘みに行ってて……ランドにもオビにも他の男子たちにも朝から会ってないよ? あ、ジョアンには会ったけど……」


 ミアのその言葉に、今度は先輩たちが目を見合わせた。


「何かあったんですか?」

「うーんそうか、女子が一緒ならあいつらもそう無茶はしないだろうと思ってたんだが……」

「いや、どうも初等のアホどもがこっそり森に行ったみたいでな。朝から見ないと思ったら倉庫の鎌だのナイフだの背負い籠だのがごっそり消えててなあ」

「ええっ」


 スサーナは気色ばんだ。


「大変じゃないですか! 誰か大人に知らせないと……」

「まあ落ち着け。確かに森の深いところには行くなって回ってるが、そうそう怖い魔物に出くわす場所じゃないのも確かだしな。ただあんまりやんちゃされると後々示しがつかんし教師に睨まれるしイイことないから釘は刺しとかんと」

「でも、立ち入り制限が出ているんでしょう? 魔術師がそう言ってるなら理由があるんですよ、絶対! 絶対!!」

「お、おう。……まあなー。魔術師云々は置いといて、何の理由もなく立入禁止にはならんのはわかるよ。だから女子が一緒なら無茶もしないだろうと思ってたんだけどな。一緒じゃなかったのか……」

「ねえ、誰が行ってるの? 」

「ランドとオビ、ガスパール。あとジョアンかな。いつもつるんでる奴らだよ」

「ジョアンはそのあたりそつがないからちっとは安心なんだけどな」


 指折り数える先輩たちの後ろ、玄関ホールの二階に続く階段の上、手すりから覗き込む形で名指しされたジョアンが顔を出す。


「呼んだ?」

「うおっ、ジョアン、なんだよ居たのか!?」

「話は切れ切れにしか聞こえなかったけど、俺はずっと上で宿題の代筆してたよ。どこにも出かけてない」


 先輩たちが渋い顔になる。


「ストッパーが居ないのか……」

「まあ、夕方前だからなんてことないだろうけど、遅くなったらちょっと心配だな」

「ランドたち、森に行ったのか」


 呟いたジョアンの後ろからボリス先輩がひょいと顔を出した。

 どうやら何か書物をしていたらしく、羊皮紙を大量に抱えている。


「おう、まあなんてことないだろうけど、禁止には禁止だしな。あんまりはっちゃけるのは不味いだろ。」

「まあね、でもしばらく前から禁止ならそう連絡されてもいいよな……」

「俺ら学院生は基本的には入会いりあいの森に入る想定はされてないから、連絡が遅れたのは仕方ない」


 そう階段の上と下で声がかわされるのにボリス先輩の真剣な声が割り込んでくる。


「稼ぎ頭ちゃんの言うとおり、学院……いや、警吏に連絡したほうがいいかもしれないよ」


 普段のヘラヘラした表情とは違って真面目な顔をしていた。スサーナは何となく嫌な予感がする。


「俺、噂で猟師がでかい魔物を見かけたって話を聞いたんだ」

「大事じゃないですか!!!!???」


 スサーナは叫び、ミアが息を呑んだ。ジョアンが肩を跳ねさせて後ろを振り向き、先輩たちも流石にざわめく。


「なんでそんなの周知されてないんだよ」

「飲んだくれで与太話しか喋らないような爺さんなんだよ。7日は前の話で特になにか起こった様子無いからいつもの法螺だと思ってたけど……街の人間はほとんど大人しく立入禁止守ってるみたいだから、見てないだけかもしれない。それぞれバラバラなら気にもしないけど。「立ち入り制限」だろ? 「魔術師が言ってきたらしい」それで「でかい魔物を見かけた」……と。こう重なるとちょっと信憑性が上がるから。」


 ボリス先輩が階段を降りてくる。その後を急いでジョアンが続いた。


「怖い魔物はだいたい夜にならないと出ないからまだ大丈夫だと思うけど、そろそろ戻ってこなかったら警吏に行っても仕方ないと思う。命には何事も替えられないよ」

「お、おう! 俺警吏行くわ!」


 先輩の一人が焦った様子で玄関に突進する。


「俺も付いてく」


 ジョアンが目元を厳しくしてその後について駆け出す。


「スサーナ、わたし達もいこう!」

「えっ、あ、はい!」


 スサーナは玄関ホールにあるベンチに急いで背負い袋を下ろすと、先輩とジョアンの後ろについて走り出したミアの後を追った。

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