木の下闇にて

第184話 摘み草に安全でも適切でもありません 1

 色々と面倒な行事を終わらせ、それとは関係なく採取実習を二日後に控えた日のこと。

 その日の授業は早いうちに終わるものだったため、スサーナは貴族の教室でエレオノーラの手伝いをしつつ過ごした後に、授業の終わりとともに許しを得て平民の教室に向かった。


 貴族達には採取実習はなく、平民生徒が所属するクラスにのみある慣習であるため、実習がある日はスサーナは平民の教室の方に行くことが許される、という約束だった。

 そして当然その準備も貴族の教室の方では出来ないため、今日のスサーナはエレオノーラお嬢様の許可のもと午後の職務を完全に免除され、授業後に予定されている実習準備に合流するのだ。


 準備、といっても大掛かりな講習があるとかそういうわけではなく、当日の手はずの説明を受けた後は解散、というものなのだが、その後に平民の生徒たちは皆連れ立って街へ出て、遠足の準備めいて当日のお弁当やおやつ、必要な小物などを買い込むらしい。

 というわけでミアを含む平民クラスの生徒達は数日前からどうやら浮き立っており、寄宿舎の同級生たちはおやつを買うのにいい店やら、古着屋でまだ揃えていない野良着を買おうやらという話題で持ちきりだった。


 この買い出しは絶対参加というわけではないのでさっさと帰ってもいいのだが、絶対に一緒に買い物しようね、とミアに何回も言われているスサーナはそれも忍びなく、しれっとそれも授業の一環ですよという顔をしてエレオノーラに許可を貰って参加する、という小技を効かせる羽目になっている。

 寄宿舎の女子は結局二人しかおらず、寄宿舎側の学生と市内通学組の商家の学生たちは一応交流がないでもないが、まだなんとなく壁があるのでスサーナが参加するかしないかでミアのお買い物の快適さがだいぶ変わるのだ。


 ――まあ、ミアさん楽しそうですし、いいか。私もそういうの嫌いじゃないですし……


 そんな事を考えつつスサーナが平民の教室までやってくると、教室は何やらざわめいていた。

 ――ん? なんか楽しみそう、って感じじゃないような。

 スサーナは雰囲気になんとなく不穏なものを感じつつもミアを目線で探し、移動する。


「あ、スサーナ」


 座ったミアが振り向く。まだ荷物をしまった様子はなく、教師を待っている様子だ。

 スサーナはミアの横の席に座る。


「ミアさん、なんだかざわざわしてますけど、どうしたんですか?」

「うーん、えっとね、今先生待ちなんだけど、噂を聞いてきた人がいて。」

「噂?」

「うん、今年の採取実習が中止になるかもー、っていう……」


 そう囁きあっていると、前の扉から教師が入ってきた。

 定位置につき、まだざわざわしている生徒たちに向けて声を上げる。


「えー、みなさん、お静かに。明後日の採取実習ですが、中止になることに決まりました。ですからー、この後の買い出しはせず、帰るようにー。」


 一斉に生徒たちから湧いたブーイングに、頼りなげな教師は少したじろいだように見えた。


「あー、バザーは予定通り行われるそうなので、それは安心して……」

「なんで中止なんですか!」


 クラスの中でも気の強い商家の女子の一人が声を上げる。


「そうそう、おかしいよ! ここんとこ悪天候があったわけでもないし!」


 続いて数人の生徒たちががやがやと声を上げた。


「こほん、ええ、しーずーかーにー! 学院側からの通知で、森は現在危険なので立ち入りが制限されているそうです。よって採取実習は中止。インクの作成法などは後日座学で希望者に補習を行います!」


 教師が早足で教室を出ていった後にもざわざわは収まらない。


「森が危険? 実習の森、そんな危ないとこだっけ?」

「学院の裏の方の森だろ? 入り口そばは平坦だし、狼もクマも奥の方に行かなきゃ出るはずもないようなとこって聞いてるけど」


 クマ。近くでされだした会話にスサーナは耳をそばだてる。スサーナはクマが苦手だ。苦手な単語ほどはっきり耳に留まるタチである。


「誰か最近食われでもしたのかな」

「どうだろ」


 一般的に森にいる危険な動物はクマと狼、オオヤマネコというところだ。しかし彼らは通常よほど気が立っている時期か餌がないタイミング以外では人を恐れる。……という。穏やかなシーズンに人間側が連れ立っており、出合い頭に出くわさなければ命にかかわることは早々ない、のだそうだ。スサーナはそうであっても絶対にクマには遭いたくないが、本土の人間達が話題にするのを聞くと、彼らはそこまでクマを恐れていない。


「でも今年は気候もいいし、鹿も猪も野生馬も多いんだろ?」

「うん、そこの森じゃないけど、第二の花の月の終わりぐらいに仔馬捕りに行った先輩方がそう言ってたけど」

「餌が足りないってことないと思うけどなあ。何が危険だっていうんだろ」


 ――クマやら狼が日常の範囲にいる人の会話をしてらっしゃる……


 島には大型肉食動物はせいぜい山猫ぐらいしか居なかったし、前世でもクマが気軽に出る範囲には住んでいなかったはずのスサーナはカルチャーギャップを感じながら遠い目になった。



「延期ですらなくて中止なんだ……残念だなあ」

「まあ、バザーはするらしいですし」


 こぼしたミアに相槌を打ったりしながらスサーナはなんとなく教室に居残っている。流れ的にはもう帰っていいはずなのだが、誰も教室から出ていく様子がないのでなんとなく出て行きづらい。


「バザーがあったって、森に行けないんじゃ……出すものを集めてこれないじゃん」

「先輩たちに聞いたけど、やっぱ薬草が一番儲かるらしいし」

「元手ゼロだもんなー。」


 なんとなく寄ってきた他の寄宿舎生たちがバザーの単語に反応し、まあ彼らが帰るタイミングで一緒に戻ればいいか、とスサーナはそのままだらだら雑談に移行した。


「貧乏人共は草刈ってこれなきゃ出すものもないんだから可哀想だよなぁ」

「おん? なんだやるかトリ」

ポジートチャボくんは自分の尾羽根抜いて売ってれば?」


 後ろの方で始まった不毛な挑発合戦を眺めつつ、わいわいと立ち入り禁止について会話する。


「ね、立ち入り制限ってどういうことだろ。うちの学生だけ? 学院の方針とか?」

「じゃないかね? だってあの森、森番が居ないところじゃん。」

「街の人ら、森でなんか採って小遣い稼いでるの結構居るよな? 市場に色々出てるしさ、なんかの実とか」

「そうなんです? ここの所市場に行くこと多いですけど、あまりそういうの見なかったな……」

「あ、でもスサーナの言う通りだよ、最近ベリーとかの出物減ってる」

「本気で何かあったんかな」


 そう喋っているうちに、ばたん!と音を立てて前の扉が開く。

 教師が戻ってきたのか、と生徒たちが見守る中、飛び込んできたのは商家の男子が二人。

 ――おや、ロベルトさん、いないと思ったら。

 二人のうち一人はミアを崇拝している例の花瓶男子だ。

 どうやら無駄に正義感が強いのが特徴らしく、なんだかいつの間にか商家男子のまとめ役と言うかなんというか、そういう立ち位置に収まっている。

 とはいえジョアンやミアが話すクラスの話みたいなものを聞くに教師に従う方面ではなく、こう13歳の正義感というやつっぽいのがいかにもそれらしいのだが。


「事務に行って聞いてきた! 取りやめの理由、危険だって事だけど、魔獣が出るかららしい」


 魔獣か、と数名の声が上がる。

 魔獣かあ、じゃあしょうがないよなと手近の者と言葉をかわす彼らは納得したように諦め顔だ。


「学院だけじゃなくて街みんなで深くまで入れないことになってるって」


 納得っぽい雰囲気が漂いだしたところにえ、でも、と声を上げたのはもともと近隣の生まれの商家の女子の一人だった。


「昔からずっと魔獣なんかウロウロしてるじゃない。このあたりにいる魔獣なんて危険なのなんかいないよ?」


 間髪入れず別の女子がうなずく。


「うん、お父さんが言ってたし、町の外に出る人ならみんな知ってるよね。魔獣が居るってことになったら討伐費用組まなくちゃいけなくなるからみんな知らんふりしてるけど、ドロクイとかトビイモリなんかいない場所ないって」


「でもさ、上居ないことになってたんでも、学院の偉い人は魔獣が前っからいるってしってるわけでしょ? いきなり中止ってことある?」

「まあそういうもんなんじゃねえの? お役人仕事でしょ」

「うえー、納得行かねーっ」


 またザワザワしだした教室に、もうひとりの男子生徒がすごい秘密を打ち明けるように言った。


「それがさ、事務の人が言ってたけど。……立ち入り制限、魔術師からの通達なんだってさ。」


 スサーナはそれを聞いて即座にああ森には絶対近づくまい、と心に決めたのだが、他の皆の感想はどうやら少し違うようだった。


「魔術師……来てたやつ? 来た時にドロクイでも見かけたのかな……。魔術師って言っても余所者でしょ?ずっと街の周りに魔獣が居るなんて知らないし、子供でも退治できるってことも知らないんじゃない?」

「ちょっと横暴だよね……」


 余程楽しみだったのだろう、オバケ扱いをしている魔術師の通達と聞いても納得がいかないらしい同級生たちは口をとがらせ、ぶつぶつと文句をささやきあった。


 てんでに好き勝手なことを言っていると、中のざわめきを聞きつけたらしい教師が戻ってきて、早く帰るようにと叱られたため、しぶしぶ生徒たちは荷物をまとめてそれぞれ帰りだす。


 スサーナは非常に残念そうなミアに、寄宿舎まで付き合うことにした。


「あーあ、こんなことなら今日は演奏室に行かないって伝えなきゃ良かったなー」

「残念でしたね。」

「うーっ、ねえスサーナ、バザーの出品どうしよう? 蜂蜜集めるのもナシになっちゃったし。私、香草集めて干して売ろうと思ってたんだけどなー……。いい服、諦めないと駄目だよねー……。」


 しょんぼりと歩きながら首を落とすミアをスサーナは慰める。

 商家で普通に徒弟をしていたスサーナにとっては作った物の稼ぎでお給金を貰うのは日常だが、ちょっとした物をバザーに出したお金で新しい服を買う、なんていうのはやっぱり年頃の少女にとってはとても楽しいことだろう、というのは想像がついた。

 前世ではピンクレモネードを子どもたちが夏休みに売るという児童書の描写に心をときめかせたこともあったものだ。


「そうですねえ、どうでしょう、行っちゃだめなのは森ですから、そこらへんの原っぱで採れるものでお金になるものってあるんでしょうか」

「あっ、うーん。毛蕊花マーレインとか林檎菊マンサニージャとか、摘めるものは結構あるかも!」

「じゃあ、私も明日はお休みなので、一緒に摘みませんか」

「スサーナ~~~!! ありがとおーっ、だいすき!」


 感極まったらしいミアがばふっと飛びついてきたのにひっくり返り、なだめて起き上がる。


 スサーナは特にバザーに対して心配することはない。なにせ手に職があるので、市場に出た時についでに買いあつめたりした一番安い端切れはぎれで適当な小袋や飾りを作ったりなどしてお茶を濁すつもりである。

 鳥の民のなんらかのなにか、超自然的なものも、特別な糸を使うらしいと知ったし、第一形ある刺繍さえしなければいいので恐れることはない。というよりお家では普通にスサーナが縫ったものだって流通させていたので何事もないのは確実に保証されているのだ。


 そんな感じでミアを寄宿舎まで送りとどけ、次の日に草原へ出ることを約束して、スサーナは採集実習のことについては残念だったが終わったことのような気分になった。


 てろてろと貴族寮に戻り、早かったですね、と言うマレサに従って何時も通りに使用人教習をされ、雑用をこなし、夜まで少しだけ図書館に行って、戻ってから野良着の仕立直しを終わらせ、ついでにミアの為のつばの広い布帽子を縫いおわり、薬を飲んで眠りにつく。


 スサーナは結構穏やかな日だなあ、というような感想を抱いていて、この時は明日以降もともかくバザーの準備以外は穏やかに日常が続くような気分で居たものである。

 ――えーと、バザーが終わったらしばらくして小試験があって、終わったら半月ぐらいで夏休み。それまで何か行事もないですし、こっちにも馴染んできましたし。貴族の皆さんや王子様との距離も何となく掴めてきましたし。いやあ一時はどうなることかと思いましたけど、なんとかやっていけるものですねえ。


 ――いやあ、ずっとこんな風ならいいんですけどねえ。

 眠る前にそう祈りにも似て考えたのは、思えばなんらかの予兆だったのかもしれない……ということは信じたくないスサーナであった。

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